ハンマカンマ

娘が言葉を覚えたようです

まだ0歳と9か月なのに天才だ

初めて覚えた言葉

それは

「ハンマ、カンマ」

という言葉です

マンマなのかハンマなのか定かではありませんが

確かに

「ハンマ、カンマ、ハンマ、カンマ・・・・・」

と連呼していおります。

ハンマ、カンマとは何か・・・・

おそらくこのことかと・・・

「鈴木先生」を観て

弟のすすめでドラマ「鈴木先生」をDVDを借りて観ました。

このドラマは中学校を舞台に鈴木という名の先生が
あらゆる問題に対して哲学的に解決していくという内容で
哲学好きの私としては最高におもしろかったです。

中学生という、大人でもない子供でもない多感な時期
人として成長していく中で価値観、倫理観、マナー、モラルを問い
考えていく展開にいろいろ触れたいところがありますが
私が、一番好きなシーンを紹介したいと思います。

それは多分第3話だと思うのですが
ヒロイン的な女性徒、この子がもの凄い優等生で
周りの雰囲気や強者、弱者に流されない
この子自身の考えや判断、発言が皆に支持される。
クラスのカリスマ的な存在で先生からも尊敬されるほど
人間が出来ているというか、人としてのモラルを知っているという感じ

ある日、鈴木先生が先生でありながら生徒に対して
ヨコシマな考えが芽生えてしまいそうな時に
その優等生が鈴木先生に言ったセリフで

「鈴木先生は今まで通りの尊敬される先生であり続けてください

 私も良い生徒であり続けます。」

何でもないセリフなんですが
この生徒の言葉はグッと心にきました

私たちは、自分よりも優れた人に対して僻んでしまうことがあります。
よく天才の言うセリフに

「自分は天才ではなく努力をする天才です」

とか聞くことがあります。
内心、どうせ生まれながらにして天才なんだろう
と僻んでしまいます。

最近思うのは
どんな天才も、スターも、誰からも尊敬されている聖者賢者も
私たちと同じように、この世のあらゆる欲望、誘惑、怠惰、妬み、恨みに対して
戦っているのだと
私たちと同じように、苦しみ葛藤し誘惑に負けそうになる自分と戦っているのだと

ただ、私たちと違い
自分との戦いに負けない
常に全戦全勝

昔、マラソンの宗兄弟のインタビューの記事を読んだことがある
早朝に起き練習に出かける。
シューズの靴ひもを結ぶ際にいつも思うことが
何十キロもこれから走り苦しい思いをすることを想像し
走ることが嫌になる。
自分に負けそうになるのです、と

ヒロインの女性は
優等生であろうとした
はじめから優等生では決してない
自分と戦い勝ち続けた
その姿が美しかったのだ

だからカッコイイんだなと
それはきっと孤独な戦いではあるけど孤高で崇高なカッコよさである



オープニングがROCK'A'TRENCHっていうこところもミソである




自立

自分の0歳の娘を見ていると

人間は自立したいという衝動にかられる生き物だなと思いました。

いや、人間だけではなく生きとし生ける物は皆そうなのかもしれない。

生まれてからしばらくすると、誰に教わった訳でもなく寝返りをしようとする。

寝返りが出来、仰向けになった状態で、今度は両手を挙げ反り返り床を叩き

腕立てのような運動を行う。

そうやって腕と背筋を鍛え、ハイハイできるだけの体力と筋力をつけていく。

すべての行動に意味があり無駄がない、自立する為に理に叶った動きをしている。

自立するということは生きるということ

生きる為に必要なことを生まれながらにして知っているのだなと

立ち上がりが出来た時の喜びに満ちた娘の顔を見ると

自立することの喜びを感じるのでした。

きっと、この喜びは老いて死ぬまで感じる事の出来る

喜びなのだろうなと思うのでした。



ご無沙汰しています

ご無沙汰しています。

どうも、ヨッサンです。

永らく更新していない間に

家族が出来ました。

嫁と娘が出来ました。

引っ越ししました。

ケアマネ合格しました。

僕は元気です。

福祉の仕事をしています。

ありがたいことに走ることが出来ます。

皆さんはいかがですか?

レディーガガちゃんマジ天才

バッドロマンス



ジューダス



じゅうだー じゅうだあああー

だあーだあー


いまさらなんですが
レディーガガって表現者として天才やね

パソコンを買いました

bf6367b9.jpg今年のはじめころにパソコンの電源がつかなくなり、分解して中をいじくってると、本気で壊れてしまったようです。

それからというもの
インターネットから離れた生活をしていましたが、この度、ようやく新しいパソコンを買い替えました。

銀河   by フジファブリック

今年もよろしくお願い致します

今年もよろしくお願い致します。

去年を振り返ってみる。

去年1年は私にとって大きな出来事が三つありました。

ひとつは東京の霞ヶ関で仙人の事例を発表することができたことです

この事例は支援センターで相談業務を行ってきたことの集大成であり
在宅で地域の中で死を迎える為の問題定義でもあります


もうひとつは夏に行った多職種連携研修会
市内の専門職を対象に行えたことです。

私の夢のひとつに
この介護の仕事に携わる我々の専門性を確立させたい
という思いがあります。

こんなこと書くと偉そうかもしれませんが
夢なので許してください。

私たちの仕事のやりがいはその人によって様々だと思います。
お年寄りの笑顔を見たい
出来ないことの支えになりたい
生活の質を上げたい
などなど

それらはどれもすばらしいやりがいのひとつではありますが
介護の仕事のひとつの側面だと思います。

私は
専門職としての専門性を高めることで
この仕事に誇りを持って仕事が出来るようにしたい
ということを思っています。

それが、仕事の価値を高め、より良い労働環境や賃金の確保
人材の確保につながるのではないか
と思っています。

その為には、もっともっと
私たちの介護の仕事とはなんぞやを
議論し哲学していかなくてはならないのではないかと思います。

まだまだ哲学の段階なのかもしれません。

特に
介護の最期の場面
「死」の場面、看取り介護の場面においては
在宅でも施設でも介護は非常に弱い

最期の場面において
家族や介護職員の手から離れていくことが多いのが
現実だと思います。


最後の三つ目は
7年ぶりに特養の現場に戻り
施設の相談員の仕事をしていることです。

私の施設では、ここ何年か
ほとんどの方を看取っています。

私が相談員になってから
約20人ほどお亡くなりになりましたが
その前後には関わることが出来ましたし
その中の2名は看取りに立ち会うことができました。

そこで改めて実感したのは

人生の最期の締めくくりを行うまでが生活であり
そこまでを支えるのが介護の仕事である
ということです。

その人の「生」を支えるのであれば
生の結果の「死」も支えたい

去年の三つの出来事
三つの学びがありました。

今年も学ぼう!

今年もよろしくお願い致します。

telecastic fake show  by 凛として時雨 

ポスターセッション

5124ee17.jpgテーマは「人生のゴールを支えるネットワーク」です。

たくさんの人に見てもらいました。

えへへ