2020年05月18日

生存報告

いや、すっかりブログを放置してましたね…

生きてますよw

体調も幸いながら悪くはないですが、
色々注意しつつ毎日すごしています。

ブログの放置もすっかりTwitter中心に
なってしまったからという事もありますが、
このコロナ禍の中で各種イベントの中止や延期が相次いでいるというのも
ひとつの理由としてありますね。

参加する予定だった同人誌即売会も中止になりましたしね。


まだ正式発表はされてませんが、
緊急事態解除後にトキワ荘マンガミュージアムは
オープン…されるとは思いますが、
このご時世ですし大々的なセレモニーも出来なければ
入場制限もあるでしょうね。仕方有りませんけど。

早くコロナが収束(終息)して世の中が落ち着いてくれる事を
願って止みません。


yota874harahara at 15:57コメント(0) 

2020年03月22日

開館延期のトキワ荘マンガミュージアムを眺める

トキワ荘ミュージアム1トキワ荘ミュージアム23月22日のオープンを予定していた「トキワ荘マンガミュージアム」でしたが、
新型コロナの影響で開館延期されました。

まだいつ開館するか現時点でわかりませんので、
私は予定通り3/22に見に行って参りました。
もちろん中には入れないので外観をこうして写真に収めるのみでしたが。

けど外観眺めるだけでも再現度高くって感動しますね(^^)


私は内覧会のお誘いもいただいてましたが、
その内覧会も延期になっておりまして…
今の状況下では仕方有りませんが、仕切り直しの開館が待ち遠しいです。

ふるいちトキワ荘マンガミュージアムの開館はそうした諸事情で延期されましたが、
トキワ荘協議会の小出理事のお店スエヒロ堂の一階がグッズショップ&古書店&カフェの
『ふるいちトキワ荘通り店』として生まれ変わり、そちらはオープンしてるので入店しました。
桜サイダーを飲み、グッズも購入しました。

私の琴線に触れたのが『22号室のかりんとう』
『まんが道』で寺さんが満賀と才野に気をきかせてくれた花林糖をイメージした一品です。
花林糖というと同じく藤子不二雄Ⓐ先生の『少年時代』でも印象的なアイテムとして登場しましたね。






よこた先生パネルそして、トキワ荘通りからは離れてますが、
(椎名町駅とトキワ荘通りのだいたい中間地点)
区民ひろば富士見台に新たに設置された
よこたとくお先生の『マーガレットちゃん』の
モニュメントパネルも見に立ち寄ってきました。

桜も咲き始めて、気温も温かい日だったので
もしも予定通り3/22のオープンだったら良かったのにな…
と、どうしても仕方ないとはいえ思ってしまいますね




yota874harahara at 22:32コメント(0)トキワ荘の話 

2020年02月25日

トキワ荘は本当におんぼろアパートだったのか?

トキワ荘マンガミュージアム開館の3/22も近づいて参りました。
そんな中、たまたまTwitter上で「トキワ荘はボロアパートではなかった」
という話題をみかけました。

ので、以前トキワ荘通りのスタッフ時代、
公式サイト上で連載されてた「トキワ荘學」で私が書いたコラムを、
サイトリニューアル後は読めなくなったままなので
少々加筆修正をしてこちらブログに再録してみますね。

「トキワ荘は本当にボロアパートだったのか?」

マンガの神様・手塚治虫をはじめとして、
多くのマンガ家が青春時代を共にすごしたアパート『トキワ荘』
そのトキワ荘に対して『おんぼろアパート』という
印象を抱いている人は多いと思います。

現に手塚の取材をしにトキワ荘に訪れた週刊朝日の記者は
『ガタピシしたアパート』と記事に書いてますし、
(『週刊朝日』昭和29年4月11日号)
手塚本人も自伝『ぼくはマンガ家』の中で
「このアパートは手を抜いた建築の代表的なものだった」とまで書き残しています。
しかし、石ノ森章太郎は「りっぱなアパートだったと思ったよ」と、
そして藤子・F・不二雄に至っては
「こういう高級アパートに住めるとは思っていなかったもんね」
とまで、トキワ荘の事を高く評価した証言を残しています。

いったいどちらが正しいのか?
トキワ荘は後にいわれるほどのおんぼろアパートだったのか?
トキワ荘コラム『トキワ荘學』第一回目は
『トキワ荘おんぼろアパート伝説』の謎について書いてみようと思います。


まず最初にトキワ荘が建った時代背景を考えてみましょう。
トキワ荘は1952年(昭和27年)12月6日に、
東京都豊島区椎名町5丁目2253番地(現・豊島区南長崎3丁目)で棟上げされました。
この当時の豊島区は東京23区内で一番人口密度が高く、
それを示す様に木造賃貸アパートが密集していたそうです。
トキワ荘はそんなたくさんあるアパートの中のひとつでした。

間取りは四畳半一間で、トイレ・炊事場は共同。風呂は無かったので、
たしかに現在の恵まれた住環境に比べてみるとかなり劣ってみえるのは仕方ないでしょう。
しかし、戦後間もないこの時期、20前後の若者が上京する際の住居は『下宿』が一般的でした。
下宿もせずにいきなりアパートを借りて一人暮らしをするなんて
まだまだ贅沢だった時代です。

トキワ荘に住んだマンガ家たちもその例にもれません。
あの神様・手塚もトキワ荘に入居する前は、四谷の青果店の二階を間借りして下宿していましたし、
トキワ荘のリーダー"テラさん"こと寺田ヒロオも三田にある学生向けの三畳間の下宿に住んで、
節約の為に昼食をぬく事も多くいつも腹をすかしていました。
藤子不二雄の二人に至っては、両国(森下)のたった二畳しかない部屋に大の男が二人で下宿していました。
(このエピソードは藤子不二雄Aの名作『まんが道』で描かれているので
トキワ荘ファンには有名だと思います)
赤塚不二夫とよこたとくおは、小松川の都電西荒川駅前(現存せず)の
電車が走るたびにガタガタ揺れる五畳間に共同で下宿していましたし、
石ノ森章太郎は西落合にある、屋根上の鉄骨の上に急ごしらえで作った
ハト小屋のようなトタン屋根の二畳半に下宿し、そこで食中毒をおこして
赤塚に救出されるといった目にあっています。

そんな生活を送っていた若き日の漫画家たちの目には
口うるさい下宿先の人もいない、独立した自分だけの部屋を持てる
トキワ荘は『高級アパート』に映った事は想像に難くありません。

ちなみに昭和27年当時のトキワ荘の家賃は一ヶ月3000円。
敷金はその十倍の30000円もしました。

当時の物価を大雑把に現在の物価に換算してみると、
現在のおおよそ10分の1〜20分の1といったところでしたので
そうしてみると、トキワ荘の家賃は少々高めであり、
上京したての収入の少ない若者が簡単には住めない事がわかります。
実際、マンガ家たちもそこまで貧しい生活を送っていた訳ではないようです。

石ノ森を例に出すと、明日の食事にも事欠く状態におちいるという事もあったそうですが、
それは原稿料が入れば、食費よりもまず本やレコード、
はては8ミリ映写機やテレビに化けていったという浪費癖が原因であり、
普通に暮らしていれば充分賄えるだけの収入はありましたし、
他のマンガ家たちも慎ましいとはいえ、充分生活はしていけました。

もっとも仕事が少なく、当然収入も少なかった
赤塚不二夫や森安なおやは貧しいといっていい生活を送ってはいたのですが、
そこはトキワ荘のリーダー寺田ヒロオが快くお金を貸してくれたので、
なんとか急場はしのげていたのです。

それだけでなく、藤子不二雄の二人はお互いの母親を
東京に呼び寄せて、トキワ荘で同居していましたし、
収入の少なかった赤塚も同様に母を呼び寄せ同居していました。

赤塚の場合は面倒をみてもらうために母を呼び寄せたのですが
(赤塚の母は赤塚だけでなく、トキワ荘の漫画家たちの食事も作るなど
『トキワ荘の母』といえる存在でした)
それでもこうした『親孝行』は、現在からみても
20代前半の若者がなかなか出来る事ではないと思います。


そうした事でトキワ荘の部屋が手狭になったために藤子の二人は、
近くにある兎荘(現存せず)を仕事場として借り、
赤塚も作品が認められ、仕事が忙しくなってからは、
紫雲荘(現存)を仕事場として借りています。
つまり彼らはトキワ荘に住みつつも他のアパートを借りるだけの
経済的余裕が出来ている状態だったのです。

つまりは『おんぼろアパートで貧乏生活を送っていた』というのは
後世のつくられたイメージにすぎないといっていいかと思います。


…だとしたら冒頭部分で例に出した週刊朝日の記者は
なぜトキワ荘の事を『ガタピシしたアパート』と
おんぼろさを強調する書き方をしたのでしょうか?

それはこの記事が書かれた時の、
手塚のおかれた状況が原因だと考えていいと思います。

記事が書かれた1954年(昭和29年)に、手塚は関西地方の
長者番付画家部門で堂々の一位になりました。
ですが、読者の子どもたちには知られた存在でも、
戦後まもないこの時期ではマンガ家の地位も低く、
一般的にはまだまだ無名の存在でした。
だから週刊誌の記者が珍しがって取材にやってきたのです。

その時、カーテンもまともに無く、
家具も机と本棚程度といった、おおよそ長者番付のトップには
似つかわしく無い手塚の部屋を見て、記者は驚き
『知られざる二百万長者 児童マンガ家・手塚治虫という男』
といった見出しで、多少面白おかしくトキワ荘の事も
『ガタピシアパート』と強調して書いたのだと思われます。

もっとも手塚がこうした生活をしていたのも、
関西の長者番付に載ったという事からみてわかる通り、
まだ実家のある宝塚から住所を移しておらず、
トキワ荘を完全に仕事場として使っていたからで、
家具・調度品まで気が回らなかっただけの話なのですが、
手塚はこの記事を見てプライドを傷つけられ、
それで、トキワ荘よりランクが上のアパート
『並木ハウス』(雑司ヶ谷に現存)に転居した・・・と当時は噂されていました。


さて、トキワ荘が老朽化のために取り壊されたのは
1982年(昭和57年)の事でした。

取り壊される前年の1981年(昭和56年)に
NHKで放映されたドキュメント番組『わが青春のトキワ荘』内では、
専門学校のマンガ科の講師とおぼしき人物がトキワ荘をガイドする際に
「思っていたよりキレイなんだよね。もっとガタガタで本当もうね、
 壊れそうな感じだったのに・・・ちょっとガッカリだよね、美しすぎて。
 これだったらあなたたちの住んでいるアパートとそんなにかわらないでしょ?」
と、生徒に対して語っています。

80年代に、しかも老朽化でとりこわされる直前なのにも関わらず、
トキワ荘はそういった『美しすぎる』とまでの感想をもたれていたのです。
それらの事例・証言をみる限りで考えてみると、
おんぼろアパートではなかったと結論づけてもいいかとも思えます。

ところが、トキワ荘通い組の一員である、長谷邦夫は
「トキワ荘は当時からボロボロのアパートだったからね。
 床も柱も傷だらけだったし」
と、編集家・竹熊健太郎著の
『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』の中で語っています。

この「当時」とは昭和30年代前半の築年が浅い時期ですが、
その時期に長谷は、トキワ荘を『手抜き建築』と評した手塚よりも
はっきりと『ボロボロ』という印象を抱いていたというのです。

それに対し、同著の作者である竹熊は
「当時は終戦から間もなく、東京ではまだ資材不足がつづいていたはず。
 と、いうことは、トキワ荘はそれ以前に解体された建物の廃材で建てられた
 のではないだろうか。こう考えれば『新築なのにポロボロ』という矛盾の説明がつく」
という面白い推測をしています。

なるほど、その推測が正しければ、トキワ荘がたった築30年余りで
『老朽化』してしまった事も説明がつきますし、
記者がガタピシアパートと書いたのも大げさな表現ではなかったのかもしれませんし、
手塚が『手抜き建築』だと評したのも納得できます。

それらの事例・証言から考えたら、
「ボロアパートで貧乏暮らしをしていた」という「伝説」ほどに
ボロボロではなかったにしても、
やはりトキワ荘の建物自体は「今の時代の観点」からすると
おんぼろアパートだったと言っていいのかもしれません。

けどそれも人によって証言や感想にバラつきがあるので、
ここで結論を急ぐ事はできないでしょう。

ですが、私のような『トキワ荘ファン』にとっては、
どんな立派で豪華な宮殿のような建物よりも
トキワ荘のほうが光り輝いてみえるという事だけは間違いないと思います。



文中敬称略。
人物の名前は現在のもの。
手塚の塚の字は正確には旧字体、
藤子AのAは正確には◯囲みのA。


☆参考文献
「トキワ荘のヒーローたち〜マンガにかけた青春〜」 豊島区
「トキワ荘青春物語」 手塚治虫&13人・著 蝸牛社
「まんが トキワ荘物語」手塚治虫 ほか・著 祥伝社
「トキワ荘の時代 寺田ヒロオのまんが道」 梶井純・著 筑摩書房
「トキワ荘の青春 ぼくの漫画青春時代」 石ノ森章太郎・著 講談社
「ぼくはマンガ家」 手塚治虫 毎日ワンズ
「マンガ原稿料はなぜ安いのか?」竹熊健太郎・著 イースト・プレス
「昭和三十年代東京散歩」 人文社
他、「週刊朝日」 朝日新聞社 等

☆参考テレビ番組
「わが青春のトキワ荘」 NHK 1981年(昭和56年)5月25日放送


yota874harahara at 19:12コメント(0)トキワ荘の話 

2020年01月30日

トークイベントのおしらせ

来る2/1(土)に高円寺パンディットにて漫画家トークイベント
『マンガワールド 其の82「高速スライダー 幸運な男・伊藤智仁」渡辺保裕』
が催されますが、
このたび私、原田が素人ながら二度目の司会をさせていただく事に相成りました

出演は渡辺保裕先生、ゲストに大谷じろう先生をお迎えします。
交渉中の先生や、当日飛び入りゲストもあるかもしれませんので乞うご期待!

今回は渡辺先生が長谷川昌一氏の著作を原作にコミカライズした
「高速スライダー 幸運な男 伊藤智仁」単行本発売記念という事で
書籍物販とサイン会もございます!

90年代プロ野球ファンおすすめのイベントですので
ご興味ある方は2/1高円寺パンディットまでお越し下さいませ(^^)
開場12時半、開演13時となっております。

http://pundit.jp/events/4622/




yota874harahara at 16:48コメント(0)漫画家に関する話 

2020年01月01日

2020年

2020年、明けましておめでとうございます!

5日、予定通り
「たま」という船に乗っていた 
漫画版を公式ツイッター上でアップします(^^)

第一回目がプロローグだったので、
今回第二回目が事実上の第1話。
いよいよ本格的に連載が始まりますので頑張ります!

そして本年3/22にトキワ荘ミュージアムがついにオープンします!
色々と楽しい1年にしたいですね(^^)

2020年賀

yota874harahara at 00:18コメント(0)自作の漫画話 

2019年12月08日

「たま」という船に乗っていた

「たま」という船に乗っていたこちらブログでの告知が遅くなりましたが、
この度、私、原田が元たま石川浩司さんの自伝的回顧録
「たま」という船に乗っていた
の漫画版の作画担当として月1回6〜8ページの連載を
Twitterの無料公開漫画という形でスタートしました❗️
もちろん原作者・石川さん公認です(^^)

プロローグなので実質第0話となり、
本格的な連載は来年になりますね。

現在は無料公開ですが、いずれは商業化を目指してます。

無料公開という形を許諾していただいた石川さん、
漫画化権をお譲りしていただいた、とりやま忠治先生、
お二人のご協力なしでは実現しなかった企画です。
改めてお二人に感謝いたします。
有難うございました!

Twitterアカウントはこちらです
@EhBHy9Jb1zrua58

そして音楽ナタリーさんに詳しく記事にしていただきました(^^)
こちらも参照されて下さいませ!
https://natalie.mu/music/news/358330?fbclid=IwAR3Z4rOA0tBM-3I0REc_p52j8zruef1TNIK6M0_aHUGBxG9djFfRNNHpnIM

yota874harahara at 23:31コメント(0)自作の漫画話 

2019年11月13日

コミケ当選

今年末に東京ビッグサイトで大々的に開催される
恒例のコミックマーケット(冬コミ)に、
私、原田も初めてのサークル参加申請をしたところ有り難くも当選しました!

スペース配置は第1日目の12/28(土)、西館N-39aとなります。

サークル名は「傍観者」
新刊内容は、色々な漫画家のタッチで描く「わたモテ」パロ漫画の予定なのですが、
配置された「島」が藤子先生作品&巨匠作品の島という…
当選させてもらって贅沢はいえませんが、
「わたモテ」島から離れるのに一抹の不安がありますね…

まぁ、いつも描いている藤子不二雄Ⓐ先生タッチで描くわたモテパロの
既刊も持って行く予定ですので、完全アウェイにはならないと思いますが…

とにかく初めてのコミケサークル参加なので、
まずは楽しむ事を考えたいですね(^^)

サクチケ

yota874harahara at 17:27コメント(0)自作の漫画話 

2019年10月18日

『モテ即4』参加

10/20(日)川口フレンディアで開催するわたモテオンリー同人即売会
『モテないし即売会4』(モテ即4)に参加しますので告知します。

https://watamote-only.tumblr.com/


陰者モコッチくん表紙(見本)今回も藤子不二雄Ⓐ先生タッチで描く、
わたモテパロ漫画を頒布。
頒布価格は400円。

既刊も持参する予定でおりまして、
そちらもオール400円になります。

あとポスカも持参します。
そちらは二枚組100円。
同人誌を三冊以上お買い求めの方には
無料でプレゼントします(在庫限りで)

こちらサークル名は『傍観者』
スペースNo.は『E‐24』となってます。
入口からわりとすぐの準お誕生席といった感じのスペースです。


…そんないいスペース与えられたの初めてですが
大量に余らしそうな予感もします(^^;)
皆様ご興味ありましたら是非お越し下さいませ!

サークルマップ


yota874harahara at 01:50コメント(0)自作の漫画話 

2019年08月23日

坂本三郎先生・合同展参加

坂本先生登場シーン藤子不二雄Ⓐ先生の名作『まんが道』を読まれてる方はご存知とは思いますし、
拙ブログでも坂本先生の事を色々と追った記事をアップしておりますが、
http://blog.livedoor.jp/yota874harahara/archives/2016-05-23.html
漫画家グループ『新漫画党』の第一次メンバーで、
漫画家の後サンライズのアニメーターに転身された、
坂本三郎先生という漫画史・アニメ史上の最重要人物が居られました。

残念ながら自らの事はほぼ語らず1996年に亡くなられましたが、
没後約20年たって初めて未公開のイラスト及び絶筆の作品を、
このたび『サブカルポップマガジンまぐま展』で展示する事が決定しました。

藤子不二雄両先生、石ノ森章太郎先生、つのだじろう先生ら著名な先生方がそろって
『坂本氏はとても絵が上手かった』と証言し、
若き日は上野動物園に毎日のように通い、
精巧な動物デッサンのスケッチを押し入れいっぱいになるまで描いたという伝説のある
坂本三郎先生の貴重な絵を個展ではなく合同展に参加という形ですが、
生で見れるのは貴重と思いますので、ご興味あれば是非見にいらして下さいませ!

会場『彩ギャラリー』
港区赤坂5‐1‐35 MMビル1F
会期2019年 9/7(土)〜9/11(水)
12時〜19時(最終日17時まで)
初日17時よりオープニングパーティーあり。
まぐま展&eyemask展。同時開催・北朝鮮マンガ展
参加作家 小田悦望氏、オダシゲ氏、佐々木ケン氏、根橋洋一氏、向さすけ氏
故・坂本三郎氏

展覧会DM

yota874harahara at 15:20コメント(2)トキワ荘の話漫画家に関する話 

2019年08月14日

トキワ荘通りのお祭り2019

もうとっくに過ぎてしまいましたが、
去る8月3日(土曜日)に
今年もトキワ荘通りでお祭りがあったので、
陣中見舞いってカンジで行って参りました(^^)

来年のお祭りの時には、もうトキワ荘ミュージアム(仮称)が
完成してるんですよね。
もっと盛大なイベントになる事を期待してます。67420837_1633566776775349_6231178917139447808_n

yota874harahara at 19:53コメント(0)トキワ荘の話 
livedoor プロフィール

原田 高夕己 (はらだ たかゆき)

売れないので兼業漫画家をしております。
現在「SPOMA」にて、プロ野球パロディ4コマ
「完全燃笑!プロ野球」が無料配信されています。
よろしければ、覗いてみてください。
http://spoma.jp/

トキワ荘好きが高じて、
トキワ荘通り恊働プロジェクトのスタッフもやっております。

【経歴】伝説のギャグ漫画家ながいけん閣下のアシを経て1999年にデビュー。
翌年小学館・少年サンデー超増刊にて「銀魚鉢」を一年間連載。
その後、2006年に芳文社・まんがタイムで4コマ漫画家として再デビュー。
未だ単行本を出す事無く、現在に至る・・・

お仕事も随時募集しています。
takayukiharada1976?yahoo.co.jp
(送信の際は、?をアットマークに変更して下さい)

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