2009年06月29日

伝説の編集者・壁村耐三

だいたい一年前ですかね?
漫画家と編集者との素敵な関係がネット上で大騒ぎになったのはw

それはおいといて、漫画家だけではなく、編集者だって漫画史に残る
「名編集者」は当然存在します。
古くは「少年倶楽部」「漫画少年」編集長・加藤謙一氏や、
「少女クラブ」編集長・丸山昭氏に、「少年マガジン」編集長・内田勝氏。
「ガロ」編集長・長井勝一氏et・・・

そういった名編集者の方々は自伝あるいは評伝があったり、
比較的その業績をふりかえる事ができます。

しかし、漫画が最も熱かったといわれる70年代の漫画業界を牽引したと言ってもいい、
伝説的なある名編集者は自伝も残さずこの世を去り、未だ評伝も出ていません。

その名編集者・・・いや、"名物"編集者とは
少年チャンピオン編集長・壁村耐三。

今回はその氏の功績について書いてみたいと思います。

続きは追記で。

壁村耐三氏は岡山出身で、「同郷のよしみ」との事で1958年秋田書店に入社しました。
そして、「まんが王」編集部に配属されるのですが、
壁村氏はそれまで漫画を全然読まずに、手塚治虫の名前すら知らなかったそうです。
その、なんにも漫画の事をしらない新人が、入社して即"手塚番"とよばれる
手塚治虫の担当編集者になりました。

それは別に大抜擢されたとかでなく、
当時、手塚治虫は数多くの連載をかかえて、締め切りにおわれる事は日常茶飯事。
従って、いつ原稿とれるかわからず、昼も夜も無い状態な為に、
"手塚番"は、体力もある若手(できれば独身)がなる事が慣例だったからでした。

漫画を知らない壁村でしたが、
「特別にマンガに思い入れがない分、マンガはこうあるべきだと決めつけなかった」と、
それがかえってよかったのだと、後にインタビューで語っています。
(別冊宝島・70年代マンガ大百科インタビューより)
実際、他の編集部に比べて漫画編集は下に見られていたのですが、
漫画はこれから先色々可能性があると、壁村は燃えていました。

まず、壁村の一番最初の功績としては、
ギャグ漫画家・赤塚不二夫の抜擢でした。
「まんが王」編集者時代のある月、雑誌に穴が空いたので、
"漫画家の梁山泊"トキワ荘に壁村は穴埋め原稿を求めに訪れました。
その当時、赤塚は自分の描きたいギャグ漫画が描けずに、
盟友・石ノ森章太郎のアシをしつつ、本気で漫画家を廃業しようと思い悩み、
くすぶっていました。

壁村に穴埋め原稿の相談をうけた石ノ森は赤塚が描きためたギャグをみせました。
それを読み、「このギャグ漫画はいける」と感じた壁村は赤塚にギャグ作品を依頼。
それが、赤塚不二夫の"ギャグ"漫画家としての処女作「ナマちゃん」です。
穴埋めの読み切りのつもりだった「ナマちゃん」でしたが、
刷り上がった「まんが王」を見て赤塚は仰天しました。

勝手に「連載作品」とされていたのです。

「ナマちゃん」の出来がよかったので、独断で連載化させたのです。
(これは壁村の判断か、上の判断かは不明)
今までくすぶっていた赤塚は大喜びし、それから彼の華々しい活躍がスタートしたのです。

もっとも作者に無断で連載強行というのも乱暴な話で、
現在からすれば問題になるでしょう。
けど、そこはおおらかな時代というか、
今よりももっと編集者と漫画家の関係が密接で互いの信頼関係があったのでしょう。

・・・多分。

その後、壁村はまんが王編集長を経て、72年4月10日、
週刊化してまだ間もない「週刊少年チャンピオン」の編集長に就任しました。

当時のチャンピオンの部数は50万部を割り(・・・現在も?)
マガジンやサンデーに大きく差をつけられていました。
その上、秋田書店は中堅出版社で、講談社や小学館といった大手よりは資金力に劣り、
他誌からは完全に見下されている状態でした。

そこで編集長に就任した壁村がまず行ったのは
「全部読み切り形式」
部数が落ち込んでいた事もあり、のんびりストーリーモノをやれないという判断で、
ストーリーモノであっても、なるべく毎週ヤマをもっていき、
新規読者を獲得しやすい誌面をつくる事にしました。

結局ストーリーモノで残ったというと、横山光輝「バビル2世」ぐらいで、
あとはほとんど読み切り形式の連載作品になっていきます。

そして、壁村体勢のチャンピオンを牽引した「ドカベン」の連載もはじまりますが、
だいぶムリをいって早い時期に連載させてしまい、
作者、水島新司は、別雑誌の野球漫画との兼ね合いもあって、
「ドカベン」の連載当初は柔道漫画だったのはわりと有名な話だと思います。

その他、壁村チャンピオンを象徴する代表的な作品が、
あの名作「ブラック・ジャック」です。

当時、手塚治虫は自身のプロダクション「虫プロ」が倒産して意気消沈し、
その上、劇画の台頭で漫画界からも過去の人扱いをされつつありました。
少年誌の連載というと、月刊で「ブッダ」を連載していましたが、
やはり若手漫画家の活躍する週刊少年誌に連載したいという気持ちが
手塚治虫の中で強くあったのでしょう。

そこで「これが最後だから」というニュアンスで産まれた企画が
「ブラック・ジャック」だったのです。

この点は色々と噂があって、
中には壁村が手塚に「死に水をとってやる」といって誘ったという話もありますが、
壁村本人は生前にそれを否定し、あくまでも手塚の方から持ちかけた企画だと語ってます。

73年、人気がなかったら3回で打ち切るとの約束で連載された「ブラック・ジャック」は
瞬く間に反響を呼び、正式連載決定。
「死に水」どころか、世間的には終わったと思われていた手塚治虫の復活を見せつけました。
「ブラック・ジャック」はその後現在に至るまで、氏の代表作の一つと数えられ、
名作といわれているのは、周知の事実と思います。

その他、そのきわどい下ネタを秋田上層部から嫌われ、止める様にいわれても、
壁村が上手いことはぐらかして連載させた「がきデカ」に、
今までに無かったスピード感あふれる破壊的なギャグを描き、
壁村氏以外の全員が連載に反対したという「マカロニほうれん荘」と、
ギャグ漫画のヒット作も産まれ、
壁村が編集長に就任した時、40万部弱だったチャンピオンは急激に躍進。

74年の9月9日号には、ついに100万部突破。
78年9月にはその倍の200万部を突破。
そしてついにチャンピオンは、マガジン・サンデーの部数を抜き去り、
79年には最高250万部を突破します。

当時ジャンプが285万部と公称していたが、
事実上(実売)はチャンピオンのほうが上といわれており、
ついに中堅出版社の弱小週刊誌が天下をとった、
まさにチャンピオンの黄金時代でした。

もちろん編集者だけの功績ではないですが、
壁村耐三氏の豪腕がその快挙をなしとげたといっても過言ではないでしょう。

一方、そのチャンピオン躍進の影では、サンデーの編集長は部数4位を理由に更迭され、
会社が同規模である少年画報社の「少年キング」はチャンピオンに対抗するために、
誌面を大幅に変更し、それが裏目に出て部数が激減。
ついには休刊の憂き目にあってしまいました。

しかし、そのチャンピオンの黄金時代も長くは続きませんでした。
壁村が体調不良の為、編集長職を辞した後、
黄金期を支えた連載も終了。新たなる新人も思う様に育たず、
一方ジャンプは徹底的なアンケート至上主義と新人起用、
その他連載作品の積極的なアニメ化等で部数を躍進。
サンデーもラブコメ作品を中心に急激に部数を増やし、チャンピオンを抜き、
マガジンは手堅く編集者が中心で練った連載作品を載せ・・・

いつしかチャンピオンは部数4位。
「ふりむけばキング」(休刊した少年キング)とまで揶揄される様になりました。

その後、元編集長の壁村は93年頃から膵臓がんの為、入退院を繰り返す様になり、
98年64歳で亡くなります。

壁村は病床でうわごとの様に
「締め切りはまにあうか?」
と、つぶやいていたそうです。

その壁村に育てられた編集者には、
現、チャンピオン編集長・沢孝史やコミックビーム編集長・奥村勝彦といった、
実に濃い面々がいます。
壁村イズムはまだ漫画界で生きているのです。

(敬称略)




yota874harahara at 23:47コメント(17)漫画の話 | 漫画雑誌の話 

コメント一覧

1. Posted by daisuke   2013年07月26日 17:27
5 はじめまして、信じてもらえるかわかりませんが、耐三の息子、大輔です。最近何かとオヤジが流行っているそうで嬉しいです。あれは破天荒でしたからね。小さい頃、旅行に一緒に行った時も、電車の窓を割ったり、意味もなく?かどうかわからんけどいきなり喧嘩を始めたり・・・話題には事欠かないオヤジでした。
2. Posted by 原田 高夕己   2013年07月27日 09:30
>daisukeさん。
コメントありがとうございますっ!!
まさかあの壁村さんのご子息からコメントを
いただけると思わなかったので驚いております!!

「ブラックジャック創作秘話」のヒットと
実写化で、ご尊父の話題が出る機会は格段に
増えて来ていますね^^
私のまわりでも「カベさん役は誰がふさわしいか?」
と話題になっております。

そして・・・電車の窓を割ったりしたのですかっ!?
予想通り(失礼!)喧嘩っ早い方だったのですね〜。
貴重な思い出話ありがとうございます!!
3. Posted by 壁村大輔   2013年07月29日 14:23
今はまだ詳細言えませんが、手塚先生はともかくとして、オヤジ役はピッタリはまる役者さんが起用される事になったみたいです。僕もドラマは楽しみにしています。せっかくの機会なので再度僕とオヤジのエピソードを少々・・・
僕も高校の時はオヤジ程じゃないですが多少ヤンチャだったんですけど、停学くらった時にオヤジに電話が行ったそうで、担任が何かグチャグチャ言ってたら「じゃあ辞めさせろよ」と一喝した事がありました。あと、何の気なしに「遊びに行くからお金貸してよ!」って言ったら「稼ぎもねーガキが何言ってんだ!!」と日本刀持ち出して来て、靴も履かずに逃げた事がありました。
4. Posted by 原田 高夕己   2013年07月30日 08:05
>壁村大輔さん。
何と!貴重な情報有難うございますっ!
近しい方からみてもピッタリハマる役者さんと
いう事でひと安心しました!
赤塚先生の映画では担当の武居氏が女性化(堀北真希)
したので、もしかしたらカベさんも・・・
と危惧してましたが、ひと安心です^^

そしてご尊父の豪傑な思い出話も有難うございます!
教師に一喝は壁村編集長らしい胸のすく豪快エピソードですね!
日本刀は・・・こ、怖すぎます・・・

5. Posted by tanaka   2013年09月25日 01:58
始めましてドラマを見て、検索したらヒットしたのでコメントさせていただきました。手塚さんが復活したのはこの方のおかげだったのですね。「がきデカ」をかばったことに見られるように漫画における情熱は相当なものだったのでしょうね。
 壁村さんがご健在だったら少し前に騒がれた都条例やこれから出されるであろう児童ポルノ法改正での表現規制にも反対なされたのかなと思いました。
息子さんのエピソードは「壮絶だ」の一言しかありません。
6. Posted by 原田 高夕己   2013年09月25日 02:32
>tanakaさん。
いらっしゃいませ。
訪問者がいきなり増えてビックリしましたが、
ウィキで壁村編集長の項目で当ブログの記事が
リンクされてる事で
ドラマみた方がいらっしゃってるんですね〜。

実際の壁村さんは特に漫画が好きというワケでは
なく「仕事の鬼」という感じだったそうです。
「がきデカ」をかばったシーンはドラマオリジナル
でしたね。実話かは不明ですが、
生前の壁さんインタビューでは秋田書店上層部から
「がきデカ」のクレームが来ても
うまい事はぐらかしていたと証言してますが。

ご子息のエピソードは本当に壮絶の一言ですw
7. Posted by 壁村大輔   2013年10月08日 15:41
いかがでした?オヤジのと言うか手塚さんのドラマは?言った通りオヤジに似合った役者さんでしょ?まあオヤジの1/3位しか怖くは無かったですけどね笑。とにかく漫画云々より手塚さんが好きだったっつーのはわかってもらえたと思いますよ。壁村耐三よ!永遠なれ!
8. Posted by 壁村大輔   2013年10月08日 15:51
いかがでした?オヤジのと言うか手塚さんのドラマは?言った通りオヤジに似合った役者さんでしょ?まあオヤジの1/3位しか怖くは無かったですけどね笑。とにかく漫画云々より手塚さんが好きだったっつーのはわかってもらえたと思いますよ。壁村耐三よ!永遠なれ!ちなみにガキデカの件は本当です。親父は俺と言うリアルタイムの読者を持ちました。ガキが面白いっつてんだからやめる訳にはいかないって!
ただ、俺が「この漫画面白く無くなってきたね!」とか「雑だよね」とか言ったら2〜3週後には連載終了になってた事もありました。編集会議を拒絶してたオヤジらしいですよね(笑)
9. Posted by 原田 高夕己   2013年10月09日 16:55
>壁村大輔さん。
コメントありがとうございます!
あのドラマの中では
佐藤浩市さんの「壁さん」が一番のハマリ役だと思いました!
吾妻ひでお先生も「本物の壁村さんにみえる」と
つぶやいて怖がっていましたし^^
ただ、本物はもっと怖いのですね・・・

がきデカの件は事実だったんですか!?
貴重な証言有難うございます!

そして壁村大輔さんのご意向で
作家の生殺与奪が左右されていたとはっ・・・
それを当時チャンピオン作家が知っていたら
「袖の下」とかあったかもしれませんねw
っと、これは冗談ですが^^

10. Posted by 壁村   2013年10月23日 11:03
5 先日母と会ったのですが、ドラマについて「ヒゲは生やしてなかったよね!」と、「もっとすごかったよね」その2点だけ怒ってました。(笑)あとは概ね満足してたみたいです。
実は放映前にチャンピオン紙のはからいで、母と嫁とスタジオ見学に行きまして、佐藤さん、草薙さん、大島さん、とお会いしました。この年になってオヤジのおかげでこんな良い事があるとは・・・スタジオに行った時は晴天だったのですが、帰りはゲリラ豪雨で・・・まるで空からオヤジが「人を笑いものにすんじゃねえ!!」と言ってる様に感じました。(笑)
品川、青物横丁の真了寺って寺にオヤジはいるので、機会があれば行ってあげて下さいね!
11. Posted by 原田 高夕己   2013年10月24日 09:39
>壁村さん。
貴重なコメント有難うございます!
…ドラマでも充分迫力があった気はしますが、
本物はやはりもっと凄かったのですね!?

スタジオ見学をされて、
ご自身のお父上役をやられてる佐藤浩市さんと
お会いするというのも不思議な感覚だったのでは
ないかと思います。

壁村耐三さんは、いま真了寺というお寺に
眠っていらっしゃるのですね。
教えていただきありがとうございますm(_ _)m

私もこのブログでカベさんの事を
面白おかしく書いてしまった部分がありますので
(申し訳ありません…)いつか墓前で
謝らないといけませんね^^
12. Posted by 加藤   2014年09月10日 00:07
5 大輔さんが行徳にお住まいの時に一緒に遊んだ者です。
もうお忘れかと思いますが、お家にも何度かいきました。
大輔さんは、やはりダイナミックな性格で良く覚えております。
13. Posted by 原田 高夕己   2014年09月11日 08:24
>加藤さん。
はじめまして。
お父様の壁村耐三さんは豪快な方で
数多くの伝説がありますが、
大輔さんもやはり
ご友人からみたら豪快な方なのですね^^
14. Posted by とおりすがり   2015年08月06日 15:36
今週号の少年チャンピオンに載っている
車田正美の自伝的マンガ「藍の時代」に
壁村編集長が出てきました。
もちろんフィクションが入っていると思いますが、元になるやりとりがあったのだろうな、と思わせる雰囲気でした。

まずは情報提供まで。
15. Posted by 原田 高夕己   2015年08月06日 16:48
>とおりすがりさん。
チャンピオン毎週購読してるので
チェックしてました^^
名前が出る前からその風貌で壁村さんとわかる
濃いキャラに描かれてましたね〜
車田先生の絵柄にもマッチしてて
楽しく読ませていただきました。
16. Posted by A.k.a. ? hanawa   2018年12月28日 20:49
5 壁村氏の血の通った評伝を熱烈に希望します。
17. Posted by 原田 高夕己   2018年12月31日 21:49
>A.k.a. ? hanawaさん。
私はライターではないので、多分書く事は
ないと思いますが、どなたかふさわしい方が
壁村氏の評伝を書いていただけたらいいですね!

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livedoor プロフィール

原田 高夕己 (はらだ たかゆき)

売れないので兼業漫画家をしております。
現在「SPOMA」にて、プロ野球パロディ4コマ
「完全燃笑!プロ野球」が無料配信されています。
よろしければ、覗いてみてください。
http://spoma.jp/

トキワ荘好きが高じて、
トキワ荘通り恊働プロジェクトのスタッフもやっております。

【経歴】伝説のギャグ漫画家ながいけん閣下のアシを経て1999年にデビュー。
翌年小学館・少年サンデー超増刊にて「銀魚鉢」を一年間連載。
その後、2006年に芳文社・まんがタイムで4コマ漫画家として再デビュー。
未だ単行本を出す事無く、現在に至る・・・

お仕事も随時募集しています。
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