2010年09月30日

国分寺劇画村

伝説の漫画家アパート「トキワ荘」
トキワ荘についてはこのブログにも多くの記事を書いていますが、
今回は、そのトキワ荘の時代である昭和30年代に、
トキワ荘と同様に多くの漫画家が集っていた場所・・・
「国分寺劇画村」について語ってみようと思います。


まず、最初にお断りしますが、
「国分寺劇画村」は私が今勝手に名付けた呼称であり、
実際はただ「国分寺村」という呼ばれ方をしていたのですが、
それだと漫画家(劇画家)の集まりとはわかりづらいので、
あえて「国分寺劇画村」と呼ぶ事で話を進めて行きたいと思います。

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さて、今でこそ国分寺市は上京したての若者も多く住む便利な町ですが、
昭和30年代はまだ市ではなく北多摩郡・国分寺町で、
都心へ出るのも30〜40分もかかるとあり、
近辺の大学生以外の若者は、あまり住むような町ではありませんでした。

1957年(昭和32年)暮れに、そんな国分寺にある
「ことぶき荘」というアパートに3人の若き漫画家が住む事から、
国分寺劇画村の歴史は始まります。

その漫画家・・・いや、劇画家とは、

劇画の名付け親・辰巳ヨシヒロ
劇画ならぬ「駒画」提唱者・松本正彦
そして、現在劇画の大御所・さいとう・たかを

その三人でした。

何故わざわざ都下の国分寺に居を構えるに至ったのかを詳しく書くと、
一から劇画誕生について説明しなくてはならないので、
それは別の機会に譲りますが・・・

大雑把に言えば、
大阪・船場にあった日の丸文庫が出していた「影」という短編誌(アンソロジー本)で
三人は活躍していたのですが、
その日の丸文庫は資金繰りの悪化でゴタゴタしはじめます。
そこで、日の丸の顧問格の古株漫画家・久呂田まさみが、
名古屋の取次店・東海図書(後セントラル文庫)の社長を口説き、対抗誌「街」を発行し、
辰巳・松本・さいとうらを引き連れます。

その「街」の東京進出と、日の丸から三人を隔離させる意味もあり、
久呂田は三人に上京を促し、住居の準備は全て久呂田が手配した結果、
国分寺に住む事になったのですが、
なぜ久呂田が国分寺を選んだのかは詳しくはわかりません。

ただ、アルコール依存気味だった久呂田は三人から預かった支度金を、
あらかた飲み代として散財していたらしいので、
家賃の高い都心へは住めなかったのではないのかと思われます。

その久呂田はことぶき荘には住んでなかったのですが、近所には住んでいました。
経緯は色々ありましたが、昭和32年末に、久呂田を含めた4人の漫画家たちが、
国分寺で新生活を送る事になったのです。

以下、追記にて。



しかし、トキワ荘と違い、ことぶき荘での共同生活は長く続きませんでした。

まず松本正彦が西日がモロに差し込み、春なのに灼熱地獄と化す部屋に嫌気がさし、
1958年(昭和33年)国分寺から杉並に転居します。

そして同年、辰巳ヨシヒロが同じ国分寺にある中山荘に転居します。
翌1959年(昭和34年)には、その中山荘の空き部屋に辰巳らのグループ
「劇画工房」のメンバーである佐藤まさあき(代表作・堕靡泥の星)が入居し、
その後も石川フミヤス(現在さいとうプロ・メンバー)が入居します。

同じく昭和34年には、
川崎のぼる、磯田和一(現イラストレーター)、南波健二(代表作・タックル猛牛シリーズ)の
三人が短期間ながら国分寺のアパートで共同生活を始めています。

そうした漫画家・劇画家が多く国分寺に住んでいる事もあって、
永島慎二や、むさしのプロ(永島を慕う漫画家達の集団)のメンバーも
国分寺に頻繁に通うようになりました。
彼らは「でんえん」や、映画館とおなじ建物にあった「リリー」等の
喫茶店の常連客でした。

「でんえん」は現在も同地で営業しています。

漫画の歴史や、劇画という新たなムーブメントを語る上で、
国分寺劇画村は、決して避けて通る事は出来ないと思いますし、
若き実力のある漫画家たちが切磋琢磨した場所という点では、
トキワ荘のメンバーに遜色があるばかりか、
それ以上のハングリーさを持っていたといえます。

ですが、やはり「トキワ荘」は"神様"手塚治虫から始まった事や、
誰しも知っている国民的作品を産み出した藤子・赤塚・石ノ森を擁している事、
その上すべて「トキワ荘」という一つの場所で語る事も出来る等の理由があって、
現状トキワ荘ばかりが漫画家の梁山泊として後世に名を残す事になってしまっています。

他にも"神様"手塚治虫が劇画に対抗意識をもった事や、
「まんが道」というトキワ荘を舞台にした名作がある点も、
国分寺劇画村の存在をかき消してしまっている気がしますね。

最近はゲゲゲの女房のブームで漫画家を主人公にした作品が増えていますし、
辰巳ヨシヒロの自伝作品「劇画漂流」を映像化するとか、
あるいは、「さいとう・たかを物語」でも制作するかして、
劇画が国分寺から全国区へと発展していったという事を
もっと多くの人に知ってもらえたらいいと思いますね。

と、いいますか映像化とかなくても、
ここに多くの漫画家・劇画家が住んでいたという事を
国分寺市がアピールすべきではないのかな、とも思います。

トキワ荘記念碑みたく、劇画発展の地の記念碑くらい建てても
バチは当たらないと思うのですけどねー。

ちなみに、この昭和32〜34年のトキワ荘の出来事は、
32年に寺田ヒロオがトキワ荘を退居。
33年には水野英子とよこたとくおがトキワ荘に入居。
34年には藤子不二雄の二人が仕事場としてトキワ荘の他に
兎荘に部屋を借りています。

漫画界の大きな出来事と言えば、
1959年(昭和34年)にサンデーとマガジンの
2大少年誌が創刊しています。


主な参考資料
「劇画漂流」辰巳ヨシヒロ
「劇画バカたち!!」松本正彦
「国分寺物語」(ネット)磯田和一
et・・・

文中・敬称略

yota874harahara at 03:15コメント(0)トラックバック(0)漫画の話 | 漫画家に関する話 

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livedoor プロフィール

原田 高夕己 (はらだ たかゆき)

売れないので兼業漫画家をしております。
現在「SPOMA」にて、プロ野球パロディ4コマ
「完全燃笑!プロ野球」が無料配信されています。
よろしければ、覗いてみてください。
http://spoma.jp/

トキワ荘好きが高じて、
トキワ荘通り恊働プロジェクトのスタッフもやっております。

【経歴】伝説のギャグ漫画家ながいけん閣下のアシを経て1999年にデビュー。
翌年小学館・少年サンデー超増刊にて「銀魚鉢」を一年間連載。
その後、2006年に芳文社・まんがタイムで4コマ漫画家として再デビュー。
未だ単行本を出す事無く、現在に至る・・・

お仕事も随時募集しています。
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