二塁手  高橋洋 ブログ

そこから見る風景は、いつも近い。ピッチャーは自分のすぐ目の前で投げている感覚だし、バッターもキャッチャーもそれからマウンド越しに見える三塁ベンチも近くに感じる。痛烈な打球には咄嗟に反応しなければいけないし、ミスした時にベンチで怒鳴る監督の声ははっきり聞こえる。おまえは身体が小さいからセカンドをやれ、と最初に僕は言われた。全方位にアンテナを張りながらつねに動きつづける、二塁手。サッカーにたとえるならボランチあたりか。いわゆるショートストップがバックハンドからの華麗なジャンピングスローで沸かせるのとは違って、こつこつと試合のポイントをおさえていく。もちろんお隣の派手な遊撃手への憧れはある。しかし自分にとっての大スターは篠塚利夫(現・和典)選手である。言わずと知れた巨人軍の名二塁手。そのあまりに美しい守備と広角打法に心底あこがれついにはおれは篠塚だと思い込んで生きていた。成りきり篠塚はしかし、大して才能がなく試合ではちょくちょく平凡な内野ゴロをはじいたりチャンスでポップフライを打ち上げたり牽制で刺されたり、というテイタラクな少年。

 

ある時、監督の逆鱗に触れるミスを犯す。ランナーが三塁にいた。外野から中継したボールをピッチャーに返してプレーを再開させようと、僕はセカンドポジションからピッチャーにボールを投げた。その球がそれて三塁ベンチの方へ転がり、ランナーが一気に生還した。この場合、ボールを投げずにマウンドまで走り手渡すよう教えられていた。次の練習から僕はセカンドを外され、ライトに下げられた。少年野球でライトといえば墓場。ショックと悔しさと理不尽さに、練習を数日ボイコットした。当時チームのコーチをしていたおやじが、たまらず僕をグラウンドへ引きずり出した。両足を踏ん張りはげしく抵抗する少年の首根っこをつかまえ、家から近所のグラウンドまで文字通り執念で引きずっていった。意地でも連れていかれないよう暴れる息子を力づくで組み伏せ引き倒すおやじの腕力を、僕は狂気に感じた。結局、監督の前に放り出され見せしめのようにケツバットを何度も喰らうことになる。コンバートされたポジションから見た風景は、遠かった。ピッチャーもバッターもボールも何もかも。自分とは関係ないところで野球が行われているようなみじめさに、視界に入る新しい二塁手の背中がまぶしかった。

 

もしひとつだけ挙げるならば、僕にとってのおやじは、あのときの腕である。ずっとそうだった。たぶんこれからも。あの瞬間、おやじは僕の知っている父ではなかった。そしてそのあとも自分はあの父をリアルには知らない。息子を絞め殺してでも差し出さんばかりの、まるで狂気。そういった「気」のようなものを、僕自身がかたちを変え確実に受け継いでいるのだ。大人になるにつれ、そう自覚するようになる。そしていま僕は44歳、おやじは75歳。75年の生涯というのは長いのか、短いのか。本人はさいごまで死ぬつもりは微塵もなかったようだ。死なんて受け入れてたまるかボケ、とベッドで散々喚いていた。身体なんてもう動かないし、声もろくに出せないのに。意識さえもはっきりしないのに。ああ、これがおやじだなと僕はあらためて思った。これがおやじで、そういうおやじの息子が僕。痛み止めのモルヒネが効くと、ベッドで眠ったまま手をゆっくりと額の上にあげ、なにかをつかまえようとしては空を掴んでいる。その腕は細くてつめたい。「港に、子供たちを迎えにいかなあかん」とつぶやく。「いまどき子供は船なんかで帰ってけーへんで」と話しかける僕のことを、息子だとはわからない。仕方ない。せめてもう少し半人前くらいにはなりたかったが、仕方ない。けれどまあ、無理してでも舞台『クレシダ』を観ることができて良かった。あなたがたったひとり、皆勤賞だったから。 

 

いつもブログを読んでいただきありがとうございます。みなさまには、昨年暮れから年始にかけてこの場できちんとご挨拶することができず失礼いたしました。2017年もよろしくお願いいたします。

ひとことで言い表すなら「ダメなひと」、という表現がまさに当てはまるような人っていますよね。現実的にもそういうひとはたくさんいると思うのですが、とくに映画のなかにおいてそのような人物が出てくると、僕はがぜんシンパシーを感じてそのキャラクターをそしてその映画を好きになります。とういうかもっと乱暴に言えば、「ダメなひと」が出てこないような映画なんて観る気にもならないし、なんなら全員「ダメなひと」であってかまわないと僕は思うのです。個人的にです。ど偏見で、です。で、なぜ自分はそのようなかたよった嗜好をもってしまうのかといえば、これはもうたったひとつ、僕自身が「ダメなひと」であるからなわけです。いやいやいや…あんた全然そんなひとじゃないでしょー、なんて仰る方がもしかしたらいるかもしれません。うんうんそうだねあんたホントにダメなひとだよねー、と賛同して頂ける方もいらっしゃると思います。いずれにしても、僕は知っています。自分がほんとの意味で「ダメなひと」であるということを。まあ四十路から五十路へ駆け抜けんとする最近ではその構造が見た目には分かりづらくなっているように自分でも思いますが、「ダメ」の解釈についてはひとまず受け止めてもらえたら幸いです。

 

映画『はるねこ』で僕がいただいた菅原という役は、とてもダメなひとです。分かりやすくダメです。もちろん僕ははじめに脚本を読ませてもらったときからああ素敵な役だなあと惚れ惚れし、演じていても非常に愛着を感じ、この仕事をとても楽しくやらせていただきました。そしてそれから一年ほどたって完成した作品を観たとき、いやもっと細かく言えばエンドロールのさいごのさいごを目にしたとき、僕はあらためて納得しました。僕が「ダメなひと」であるのは、僕のおやじが「ダメなひと」であるからだと。我がダメな血、のことについてはこれまでも十分自覚的だったのですが、たったいま観たばかりの菅原におやじがすーっとダブって妙に合点がいくという不思議な感覚でした。でもそれはけっしてイヤな気分ではなくむしろさきほども言ったように、ある種のシンパシーに近いのかもしれません。全然かまわないのです。だって個人的ど偏見をもって、その「ダメ」を嗜好しているわけですから。そのとき僕は、そっか…おれも自分自身のなかでエンドロールにその一節をこっそりつけてやろうと思いました。いやほんとさあ…あんたのおかげで息子はまあまあダメなんだから~わかるでしょ~?はいどうぞご覧あれ、なんて感じで。

 

青山真治・仙頭武則プロデュース作品、映画『はるねこ』は監督・脚本・音楽を甫木元空がつとめています。今作が長編デビューという甫木元さんを、映画好きなら四回転して歓ぶ青山・仙頭両氏がなぜタッグを組んでプロデュースしたのか、そのこたえがじわじわと発見されていけば嬉しいなと思っております。どんな作品にも観るひとそれぞれのこたえが、あるいはこたえなんて見つからない純粋な体感があるのでしょう。ダメな部分など何ひとつないスーパーマンである我々が…じゃなくてフツーのちっこいにんげんである僕らが、欠点や欠陥や矛盾だらけの自分自身を抱えて六十路へと駆けるためには、「ダメなひと」がいっぱい出ている映画でも観て明日を迎えることはとっても健全な行為なんじゃないのかなあ、と思って僕は生きています。生きていくと思います。本作に出演されていますりりィさんが、先月亡くなられました。初日の舞台挨拶では僕らとともに登壇される予定だったと聞いています。とても残念です。ほかのだれにも真似できないような空気をまとうことのできる俳優さんが、僕は好きです。りりィさんの演じられた(ばー)が、窓際で揺られながらみていたものはなんなのでしょうか。



映画『はるねこ』
 http://haruneko-movie.com/

中学のとき陸上部で長距離を走っていた。だからマラソンや駅伝中継などがあるとテレビにかじりついた。よく耳にすることだが、マラソンなんてさぁ見てて何がおもしろいの?という意見。というかそもそも、マラソンなんてよくやるよねぇ?苦しいだけじゃん。何がかなしくてやってんの?…という声が大半ではないだろうかと僕はそのころ感じていました。たしかに…うん、確かに長く走ることはほとんど拷問のように感じることがあります。実際やっててもそうなわけだから、傍から見てると当然ですよね。ただ競技として長距離走に向き合うと、苦しさだけではなくおもしろさや楽しさがもちろんあって、しんどいなーもうやだなーと思うことはあってもまたえいさ!と走り出すのです。そして、僕は今でもたまに近所をジョギングする。だれに言われるわけでもなく、好きで走る。やっぱり単調な運動って無心になれるから、身体だけでなくアタマもすっきりしますよね。爽快な場所を走るとなおさら爽快な気分になります。…と、これとおなじことなのかもしれないなと思うのが、山登りです。僕は本格的な登山をするわけでは全然ないのだが、一応登山用のマイブーツ・マイリュックは持っていて、ちょっとしたなんちゃって山登りくらいならたまにやります。ほんとハイキングに毛が生えたくらいの、日帰りの。それでも場所によっては汗ダラダラ息ハーハー膝ガクガク…なときがあって、そういうコースを制覇すると猛烈に気分が高揚します。で、そのあとのビールがまた美味いんです。…という俗なレベル。

 

ドラマ『山女日記』の登山は全然ちがいます。マジです。さまざまな山をすべてのスタッフ・キャストが毎回ほんとうに自分の足で登って撮影しています。信州のいくつの山を彼らは制覇したのでしょうか、僕が参加したのは三か月近くに及ぶ撮影のさいごのさいごだったのですが、すでにスタッフさんは連峰のひとつひとつの名をすべて覚えてしまうほどの登山隊でした。それに僕は山登りのシーンはほとんどなくて、白馬や松本あたりのぬくぬくした部屋での撮影がほとんどだったので、実際に7時間かけて山に登り風呂もない山小屋で3~4泊しながら撮影しまた下山してきた女優陣の話を聞いていると、ほんとうにご苦労様です…。夫婦役でご一緒した井上晴美さんもあぁ膝が膝が…と嘆いてたし、義妹役の佐藤めぐみさんもあぁ筋肉痛ぅ~と言ってたし、でもみんな過酷な環境でのロケにもブーブー言うことはありません。ドラマ『沈まぬ太陽』でご一緒した水谷俊之監督がおだやかに引っ張るいい雰囲気のチームでした。山の天候は刻々と変わるので僕ら俳優はいつも以上に待ち時間が長くスケジュールも随時変更されていくのですが、助監督がたびたびその変更をすみませんっと伝えるたびに必ず、「なんなりと!」と明るく返す片岡礼子さんの男気がじつに印象的で、ああこれこんど自分も真似しようと思った。現場が大変になってきて何かムリをお願いされるときこそ「なんなりと!」と快く、ですかね。山を登ることは、たぶん大変。でも苦しいだけじゃない何かがそこにあるのでしょう。そして、そのあとの一杯はきっと格別。

 

 

NHK BSプレミアムドラマ『山女日記』
 http://www.nhk.or.jp/pd/yamaonna/

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