二塁手  高橋洋 ブログ

中学のとき陸上部で長距離を走っていた。だからマラソンや駅伝中継などがあるとテレビにかじりついた。よく耳にすることだが、マラソンなんてさぁ見てて何がおもしろいの?という意見。というかそもそも、マラソンなんてよくやるよねぇ?苦しいだけじゃん。何がかなしくてやってんの?…という声が大半ではないだろうかと僕はそのころ感じていました。たしかに…うん、確かに長く走ることはほとんど拷問のように感じることがあります。実際やっててもそうなわけだから、傍から見てると当然ですよね。ただ競技として長距離走に向き合うと、苦しさだけではなくおもしろさや楽しさがもちろんあって、しんどいなーもうやだなーと思うことはあってもまたえいさ!と走り出すのです。そして、僕は今でもたまに近所をジョギングする。だれに言われるわけでもなく、好きで走る。やっぱり単調な運動って無心になれるから、身体だけでなくアタマもすっきりしますよね。爽快な場所を走るとなおさら爽快な気分になります。…と、これとおなじことなのかもしれないなと思うのが、山登りです。僕は本格的な登山をするわけでは全然ないのだが、一応登山用のマイブーツ・マイリュックは持っていて、ちょっとしたなんちゃって山登りくらいならたまにやります。ほんとハイキングに毛が生えたくらいの、日帰りの。それでも場所によっては汗ダラダラ息ハーハー膝ガクガク…なときがあって、そういうコースを制覇すると猛烈に気分が高揚します。で、そのあとのビールがまた美味いんです。…という俗なレベル。

 

ドラマ『山女日記』の登山は全然ちがいます。マジです。さまざまな山をすべてのスタッフ・キャストが毎回ほんとうに自分の足で登って撮影しています。信州のいくつの山を彼らは制覇したのでしょうか、僕が参加したのは三か月近くに及ぶ撮影のさいごのさいごだったのですが、すでにスタッフさんは連峰のひとつひとつの名をすべて覚えてしまうほどの登山隊でした。それに僕は山登りのシーンはほとんどなくて、白馬や松本あたりのぬくぬくした部屋での撮影がほとんどだったので、実際に7時間かけて山に登り風呂もない山小屋で3~4泊しながら撮影しまた下山してきた女優陣の話を聞いていると、ほんとうにご苦労様です…。夫婦役でご一緒した井上晴美さんもあぁ膝が膝が…と嘆いてたし、義妹役の佐藤めぐみさんもあぁ筋肉痛ぅ~と言ってたし、でもみんな過酷な環境でのロケにもブーブー言うことはありません。ドラマ『沈まぬ太陽』でご一緒した水谷俊之監督がおだやかに引っ張るいい雰囲気のチームでした。山の天候は刻々と変わるので僕ら俳優はいつも以上に待ち時間が長くスケジュールも随時変更されていくのですが、助監督がたびたびその変更をすみませんっと伝えるたびに必ず、「なんなりと!」と明るく返す片岡礼子さんの男気がじつに印象的で、ああこれこんど自分も真似しようと思った。現場が大変になってきて何かムリをお願いされるときこそ「なんなりと!」と快く、ですかね。山を登ることは、たぶん大変。でも苦しいだけじゃない何かがそこにあるのでしょう。そして、そのあとの一杯はきっと格別。

 

 

NHK BSプレミアムドラマ『山女日記』
 http://www.nhk.or.jp/pd/yamaonna/

ひさしぶりに吉祥寺にいった。舞台『景清』を観るために。はじまる前になんか食べておこうかなと考え、そういえばあの大戸屋ってまだあるんだっけと行ってみたらありました。ほんとうに吉祥寺、ひさしぶり。ずいぶん前に長塚圭史さん演出の『冒した者』を観にいった以来じゃないかしら。ん?違うか?なんだったか?…とにかくむかしはとてもお世話になっていたのにさいきんでは吉祥寺シアターにくるときくらいでしょうか。しかしこの街も結構な変わりようだなあ、と六個入りカキフライ定食を食べながらぼんやり考えてました。カキフライ大好きで。とくに井の頭線まわりのこじゃれた感じとか全体的にすごくスッキリしてるんですね。僕がここに通っていたのは善福寺あたりに住んでいた学生時代だったから。あ、あと浜田山にいたころにもちょこちょこ来てたな。

 

東京で最初に住んだのは西武新宿線沿線の静かな住宅街で、駅から20分ほど歩いたアパートに五年間暮らした。反対方面にはすぐ青梅街道が走っていて、街道向うに井草八幡宮があってさらに進むと善福寺公園、そこからチャリで15分くらい走ると吉祥寺。だからずいぶんお世話になりました。立ち読みばかりしていたBOOKSルー・エも、セールになるとスニーカーを買うABCマートも、奮発して無印良品の白チャリを買った西友も、五年生でついにエアコンを購入したキムラヤも、正月にひとり『男はつらいよ』を観る吉祥寺松竹も、ぜんぶここです。というかもう結構つぶれてるのかな…わからないけど。将来俳優になると決めつけていた自分は、現在俳優である人たちのことがただただ羨ましくて、たとえば『男はつらいよ』で寅さんに恋の指南をされる若手俳優さんを見ながらどうしておれがこの役じゃないのだろうか…と悶々とし。あるいはこれもやはり吉祥寺で観た『僕らはみんな生きている』で山崎努さんなどそうそうたるメンバーの中心でギラギラしていた真田広之さんを見て、あーおれ今すぐ真田広之になりたいなんて本気で思う、ただの落第学生。

 

まあそんな話はどうでもいいか。舞台『景清』は、近松門左衛門原作・森新太郎演出・橋爪功主演の、これは劇団円の公演ですね。僕は橋爪さんとご一緒させていただいたことはないのですが、以前からぜひ一度共演させていただきたいとひそかに願う俳優さんのひとりなのです。で、舞台は、ひとこと素晴らしかった。さいきんご一緒したばかりの森さんの演出は、そのときとはまったく異なる剛腕かつキレキレまるでダルビッシュ有投手のような圧巻でした。演出に魅せられる、という舞台をひさしぶりに観たなあと思う。で、橋爪さんの演技。僕はですね、じぶん俳優やってますという顔しながら生きていることを恥じました。レベルが違い過ぎて違い過ぎて…泣きたくなります。いやそりゃ比べちゃダメだろ…と仰るかもしれませんが、いやいやおれは比べますよいつだって。たとえ高校野球とMLBくらいの差があろうがハナからべつものとして観るなんてことはできません。しかし…悔しいかなそれくらいの遥かなる「違い」を見せつけられました。非常に悔しい。俳優になると決めたなら、そしていざ舞台に立つのなら、あそこまでいかないと駄目なんだと痛烈に思い知りました。いつかぜひご一緒させていただきたい、なんて百年はえーよ!と言われているようでトボトボ、けれどメラメラしながら帰途につく落第俳優でしたね。

先日お礼のブログを書いたそのすぐあとに訃報を聞き、こうしてお悔やみを申し上げることになるとは。ただただ驚きました。つい二週間前まで舞台でご一緒させていただいていた平幹二朗さんが、今はもういないという事実をうまく呑みこめないでいます。 


 以前、ある高名な映画監督が亡くなってしばらくのちに、彼と生前とくべつ親しくされていた俳優さんがそのプライベートな交流を赤裸々に語る本を出版されました。そのとき、「あれは絶対やってはいけないんだ。本人同士にしかわからない特別な関係を築いた人間なら、その本当の部分は語らず墓までもっていかないと」、と蜷川幸雄さんが言いました。僕はその話を彼の運転する車の助手席で聞いていました。今年の春に蜷川さんが亡くなったとき、そのことを思い出しました。演出家・蜷川幸雄にとって特別な俳優をひとりだけ挙げるとすればそれは平幹二朗さんではないだろうか、と蜷川さんと過ごさせていただいた時間のなかで僕は感じていました。

 
 舞台『クレシダ』で平さんと久しぶりにご一緒させていただいて僕は初めて、蜷川さんのことを語る平さんを見ました。演出家に対する愛情とその裏返しの憎悪をユーモアを交えながら話していらっしゃいました。もちろん本当の深い部分について語られることはないし、当事者ではない僕らが触れることなどできません。でも、人生のある時期に命をかけて関わり合った人間が時を経てそうしてぽつりぽつりと相手を語るその距離感を、僕はとても良いものだなと思いました。二人の関係というものが本物であったことに、あらためて心を震わされるのです。

 
 そして平幹二朗さんが亡くなってしまいました。板の上で対峙しながら、この人はこのままここで倒れて本当に死んでしまうのではないだろうかと本気で思ったことが何度かありました。そのくらい、今回の平さんは命を削って舞台に立たれていたと思います。でも不思議なことに、ステージを重ねるごとにどんどん元気になり、このエネルギーはいったいどこから湧いてくるのだろうかと恐ろしくなるくらい生き生きとされていました。演じることの喜びに満たされているように僕には感じました。大千秋楽の日、鳴りやまないカーテンコールをようやく終えて舞台袖からはけると、平さんは僕に向かって笑顔で手を差し出してくれました。ありがとうございました、はすべて僕の方です。本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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