二塁手  高橋洋 ブログ

昨年ある仕事でご一緒させていただいた俳優のNさんと現場でお会いした。彼とはそのとき以来である。「あ、どうもお久しぶりです~ またよろしくお願いします」と僕は笑顔で。Nさんもまた「ああ~ どうも~ よろしくお願いします」と笑顔で返す。およそ一年ぶりに会う俳優同士の会話としてはごくごくフツーのやりとりである。前回のその仕事で初めてご一緒させていただいた彼とは二日間だけのからみだったが、結構ガッツリとした掛け合いがあった。今日は少しお話したいなと思った僕は一時間ほどのち撮影の合間にふたたび彼のもとへ向かう。スタンバイだけのためにその現場に来ていたNさんはヒマそうだったこともあって。「でも、○○の現場はおもしろかったですね~ ホンも独特で…」と切り出した僕に彼は、「そうですね、あの脚本家さんとは僕は二度目だったんですよ、前回とはまったく雰囲気が違って」と答える。「へー そうだったんですか」「そうそう、あ、そういえば今日、髙橋洋さんも一緒なんですよね」、と言われた僕はとっさに意味が分からず「あぁ…あ、はい…」と返すしかなかった。僕のそんな戸惑いは置き去られたまま、けれど話はまあまあの盛り上がりをみせた。

 

そこでの撮影を終え移動するバスの中でたまたまNさんと隣り合わせに。ひとくさり当たり障りのない会話があって唐突に「事務所、キューブ?」と聞かれた。「いえ、オフィス北野です」と答えると、ん?…という一瞬の間。「あー北野?北野かぁ…じゃ髙橋洋さんと一緒だよね?」 今度は僕が、ん?…と焦って「あぁ…えぇ…あぁ」とごにょごにょ…。Nさん…おれのこと髙橋洋だと認識してないですよねと確信し、でもだとしたらおれは誰だと思われてここまで話しているのか怖くて。スケジュールではこのあとのシーンに登場するのは三人。Nさんと髙橋洋とSくん。もし僕が髙橋洋でないとしたらSくんなわけで、だとしたら僕らの斜め後ろに座っているSくんが髙橋洋なわけで、でもそしたらさすがにNさんもそんな二十代のイケメン俳優が一年前に共演したおっさんと同一人物だとは思ってないよね…この状況、結構やばくない?とドキドキしてきた僕にNさんはフツーに「バイプレイヤーズ見た?うちの先輩の○○さんが出てるんだけど、面白いよね」 話がやや逸れてホッとした僕は「面白いです、ウチの先輩の寺島さんも出てますね」「あ~そうね」「寺島さんとはご一緒されたことあります?」「あるよ、何度か。でもたぶんおれ認識されてないんじゃないかなあ」「そうなんですか?」「うん、ガッツリからんだわけじゃないからたぶん…覚えてないと思う。一応現場ですれ違ったら会釈はするけど」「へぇ…あぁ…そうなんですか…」「なんか気まずいよね」 

 

えーっと…これどうしたものか。Nさんはさらなる追い打ち。「でも北野ってさ、寺島さんと髙橋洋さんと、あとは俳優は誰がいるんだっけ?」 えーっと…あとは…髙橋洋ではないおれ?以外に?ですよね?…えーっと、とにかく何でもいいから早くバスが着き今日という日が終わりますようにと祈るばかりの髙橋洋。で、現場着きました。俳優部、声かかりました。監督がNさんの隣に立つ僕に向かって「はい、じゃ高橋さんはここに座ってて下さい。でNさんがそちらから出てきて、それに気づいたら高橋さんは立ち上がってNさんと一緒にこちらまで来てください」…なんて説明を聞いているNさんの顔を僕はまったく見ることができない。ここまで引っ張ってしまったことが申し訳なくて気まずくて、とりあえず髙橋洋としてではなく役として仕事をまっとうするしかありません。だってそこは僕ら俳優ですもの、細かな段取りをふたりで確認しながらNさんは僕に、おそらく髙橋洋である僕に、「…ですよね」とか「…で大丈夫です」とかいつの間にかまた敬語に戻っているのに気づかないふうで僕は、というか僕らは全力で演じさせていただきました。本当に、本当に申し訳ありませんでした、Nさん。けっしてふざけていたわけでも意地悪していたわけでもないのです。ただただキッカケを逸して苦しんでいただけなのです。次お会いしたら大きな声で「髙橋洋です!」と頭を下げるつもりです。ですからどうかお許しを…と思ったら今回もうからみはないようで…ああどうしよ。

先日あるドラマの撮影現場にて。衣装に着替えてからメイクルームに入ってイスにすわったら「ああ~さすが洋さん、ありがとうございます~」とメイクさんが笑顔で言う。「ずいぶん空きましたけど、バッチリですね~」と。その撮影現場に僕が前回呼ばれたのがちょうどひと月前で、そのときのヘアスタイルを前後左右から撮った写真が鏡前におかれている。つまり、僕自身の撮影は結構空いてしまったけれど髪の毛の具合はちゃんと役として画がつながるようにキープしておいてくれたんですねありがとう~、というメイクさんのスマイルなのです。でもそれって、当たり前のことじゃない?と自分は思っているので聞いてみると、「いやそんなことないですよ~」と彼女。まあ…さまざまオトナの事情や意識の個人差などもあって、メイクさん泣かせの俳優さんはいらっしゃるそうで。というかそういう意味では俳優に限らず現場で「?」となるスタッフさんもままいらっしゃいますよねという話。僕はそのメイクさんとは今作で三度目の仕事になるのだが、たとえば現場で「はあぁっ?」となる瞬間ってなんだろうねと語りながら(その時間その部屋にはほかにだれもいなかったので)スタンバイを進めた。基本的にはどの現場においても限られた時間と予算と物理的制約のなかで優先順位を決めながらみながんばっている。寝不足で。それを大前提として、もっともヤダなと感じるのは「きっと画に映らないからいーじゃん」な態度、という点で僕らは一致した。もっと正確に言えば、「きっと映らないだろうから」あるいは「たいして映らないだろうから」いーじゃんそんなに手間かけなくてもさあ…という姿勢。そしてそういうひとってたまにいるよねという話題。

 

くり返しますが、どんな仕事もたっぷりと時間が与えられるわけではなく当然捨てるところは捨てつつものを創っていくわけですが、それとは関係なく仕事に対する姿勢がただ怠惰であること。それってほんとヤダなと、なかなかに青臭い話をしてました。スタッフからみて俳優さんや監督さんの態度によってはやっぱり「このひとのためにがんばろう!」と思う気持ちに微妙な違いが生まれてくるだろうし、そういうものが全体としてさいごのさいごあと一手の部分でクオリティに影響してくるんじゃないですかね、という彼女の意見に同意。俳優として考えるとたとえばセットに入った瞬間、それまで首から上で創りあげていた芝居のイメージが唐突に下腹に降下していくような現場というものがあります。そういうとき、監督以下そのスタッフの組力というものをまざまざと感じて細胞が粟立ちます。ゾワッとするんですよね。それから、自分の方にカメラが向いてないときでも(きっと相手側の画が使われるカットなのでしょう)、カメラが向いているときと変わらないクオリティで演技する俳優さんをみるとテンションが上がります(もちろん自分もそう努めていますが)。まあね、正直それで良い芝居ができんのか…といえばまたべつの話だけど心持ちとしていいなと思うわけです。以前、俳優にはそのカットのサイズ(アップなのかどれくらい引きなのか、など)を教えないという黒澤明さんの話を本で読んだことがある。たとえばアップと知ってたら俳優は顔だけで芝居するから良い演技などできん!という趣旨だった気がするが、へーなるほどそういうことならおれも真似してみようとしばらくそのアプローチを続けて、上がりを見たらまあまあ後悔したことが何度かある。実際のやり方はともかく小手先ではなく爪先までしみ込んだ演技をしたいな、とあらためて。

そこから見る風景は、いつも近い。ピッチャーは自分のすぐ目の前で投げている感覚だし、バッターもキャッチャーもそれからマウンド越しに見える三塁ベンチも近くに感じる。痛烈な打球には咄嗟に反応しなければいけないし、ミスした時にベンチで怒鳴る監督の声ははっきり聞こえる。おまえは身体が小さいからセカンドをやれ、と最初に僕は言われた。全方位にアンテナを張りながらつねに動きつづける、二塁手。サッカーにたとえるならボランチあたりか。いわゆるショートストップがバックハンドからの華麗なジャンピングスローで沸かせるのとは違って、こつこつと試合のポイントをおさえていく。もちろんお隣の派手な遊撃手への憧れはある。しかし自分にとっての大スターは篠塚利夫(現・和典)選手である。言わずと知れた巨人軍の名二塁手。そのあまりに美しい守備と広角打法に心底あこがれついにはおれは篠塚だと思い込んで生きていた。成りきり篠塚はしかし、大して才能がなく試合ではちょくちょく平凡な内野ゴロをはじいたりチャンスでポップフライを打ち上げたり牽制で刺されたり、というテイタラクな少年。

 

ある時、監督の逆鱗に触れるミスを犯す。ランナーが三塁にいた。外野から中継したボールをピッチャーに返してプレーを再開させようと、僕はセカンドポジションからピッチャーにボールを投げた。その球がそれて三塁ベンチの方へ転がり、ランナーが一気に生還した。この場合、ボールを投げずにマウンドまで走り手渡すよう教えられていた。次の練習から僕はセカンドを外され、ライトに下げられた。少年野球でライトといえば墓場。ショックと悔しさと理不尽さに、練習を数日ボイコットした。当時チームのコーチをしていたおやじが、たまらず僕をグラウンドへ引きずり出した。両足を踏ん張りはげしく抵抗する少年の首根っこをつかまえ、家から近所のグラウンドまで文字通り執念で引きずっていった。意地でも連れていかれないよう暴れる息子を力づくで組み伏せ引き倒すおやじの腕力を、僕は狂気に感じた。結局、監督の前に放り出され見せしめのようにケツバットを何度も喰らうことになる。コンバートされたポジションから見た風景は、遠かった。ピッチャーもバッターもボールも何もかも。自分とは関係ないところで野球が行われているようなみじめさに、視界に入る新しい二塁手の背中がまぶしかった。

 

もしひとつだけ挙げるならば、僕にとってのおやじは、あのときの腕である。ずっとそうだった。たぶんこれからも。あの瞬間、おやじは僕の知っている父ではなかった。そしてそのあとも自分はあの父をリアルには知らない。息子を絞め殺してでも差し出さんばかりの、まるで狂気。そういった「気」のようなものを、僕自身がかたちを変え確実に受け継いでいるのだ。大人になるにつれ、そう自覚するようになる。そしていま僕は44歳、おやじは75歳。75年の生涯というのは長いのか、短いのか。本人はさいごまで死ぬつもりは微塵もなかったようだ。死なんて受け入れてたまるかボケ、とベッドで散々喚いていた。身体なんてもう動かないし、声もろくに出せないのに。意識さえもはっきりしないのに。ああ、これがおやじだなと僕はあらためて思った。これがおやじで、そういうおやじの息子が僕。痛み止めのモルヒネが効くと、ベッドで眠ったまま手をゆっくりと額の上にあげ、なにかをつかまえようとしては空を掴んでいる。その腕は細くてつめたい。「港に、子供たちを迎えにいかなあかん」とつぶやく。「いまどき子供は船なんかで帰ってけーへんで」と話しかける僕のことを、息子だとはわからない。仕方ない。せめてもう少し半人前くらいにはなりたかったが、仕方ない。けれどまあ、無理してでも舞台『クレシダ』を観ることができて良かった。あなたがたったひとり、皆勤賞だったから。 

 

いつもブログを読んでいただきありがとうございます。みなさまには、昨年暮れから年始にかけてこの場できちんとご挨拶することができず失礼いたしました。2017年もよろしくお願いいたします。

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