二塁手  高橋洋 ブログ

 「親は、なんて言ってるのか?」、と蜷川幸雄さんは最初に聞いた。「親のことは大丈夫です」、と初対面の自分は答えた。ニナガワカンパニーのオーディションを受けた僕は、彼に拾われ俳優になった。そこから10年ほどの時間をともに過ごす。「こいつは危なそうだ、だからとるのを迷った」 後にそう教えてくれた。師であり、親である。

さいごにお会いしたとき演出家は、車いすに乗って劇場ロビーを移動していた。鼻には管がついていた。僕の着ている服を見て、「若いなあ~」と笑ったが、笑みにはならなかった。「たまには顔出せよ」 観劇後、楽屋でそう言って手を上げた。はい、と答えて別れた。

演出家・蜷川幸雄のことを、僕はこの場できちんと書いたことがない。多くの愛情と、おそらくそれと同じくらいの憎悪がつねにひとつだった。たがいに。そういった特別なつながりを、ことばにすることはできない。僕は俳優としてこれからも演技をつづける。演技のなかに、遺されているものがあるのだと思う。


蜷川幸雄さん、ありがとうございました。心から感謝しています。

 

 秋に、舞台をやらせていただくことになりました。演目は『クレシダ』、作・ニコラスライト、演出・森新太郎さん、主演・平幹二郎さんです。「クレシダ」と聞いて「トロイラスとクレシダ」?って思う人はいるかもしれませんが、というかそんなマニアックな反応をされる方はごくごく少数だと思いますが、はいそうです、そのシェークスピア作『トロイラスとクレシダ』のクレシダです。けれどこのお芝居は『トロイラスとクレシダ』の上演ではなく、『トロイラスとクレシダ』を上演しようとしている少年俳優たちとそのお師匠さんの物語です。少年?…って思われた方は、素直なリアクションですね、はいそうですキャストに少年俳優はいらっしゃらないかもしれませんが、そこは演劇です。とにかくちょっとややこしい設定かもしれませんが、戯曲の冒頭に「場所・ロンドン、時・大まかに言って1630年代頃」と記されている芝居。激動の21世紀に生きている我々日本人が、徳川家光が治めていたころの英国人を演じるわけで、こういうのってやっぱり演劇だなあと思います。

 

平幹二郎さんは、現在82歳だそうです。さいごにお会いしたのが舞台『リア王』だったから八年前くらいでしょうか。そのときも年齢を感じさせない超人的エネルギーと体力におどろかされましたが、今回ポスター撮影のさいにちらとお会いしたらもうほんとお変わりなくて…すっくと幹のごとく立たれた平さんの空気にうわああ超人だなあとあらためて敬礼です。そういえば以前、舞台で演じる体力を維持するために僕は車を使わず電車で劇場に通っているんだよとお聞きしたことがありました。いまでも電車通勤されているのでしょうか。劇場からの帰りになんどかお見かけした平さんはたしかに電車内で仁王立ちされていて、たったいまタイトルロールを演じたばかりの俳優からみなぎるエネルギーがダダ漏れで、なおかつそのスタイルが黒ブーツに黒革パン黒革ジャン黒サングラスに黒帽子なものだから、もう神々しいくらい目立って目立って…僕などは冷や冷やしながら。そんな平さんとまたこうしてご一緒させてもらえるとは。精一杯ぶつからせていただこうと楽しみにしています。よろしくお願いします。

 

森新太郎さんのお名前はここ数年なんども耳にしていて、その演出がすばらしいという評判はさまざまなところで直接または間接的にうかがっていました。実際に舞台に出演された俳優さんから話を聞くと、みなそろって彼のことを「いいよ~」と言うので、どういう演出家さんなのだろうと興味をもったのが最初です。僕もいつかぜひご一緒させていただきたいと思っていたけれど、こんなに早く実現するとは。この仕事が決まったあと、森さんの演出作品を観劇しご挨拶したのが、初対面です。事前に木こりみたいな風貌のひとだと聞いていたので、楽屋ですぐに見つけることができました。どこを切り取っても木こりなのです。木を切っては山から下りてきて演出してまた山に帰っていく…みたいな風貌と空気。一見木製にみえるこの頭のなかはきっと演劇細胞がはげしくスパークしているのでしょう。納得いかないところがあれば千秋楽まで本番前に稽古するという噂にたがわぬまっすぐな目を見て、よしおれも頑張ろうと覚悟が定まりました。よろしくお願いします。




舞台『クレシダ』
http://www.stagegate.jp/stagegate/performance/2016/cressida/index.html

このブログを始めたときの自己紹介。高橋洋といいます、ときどき脚本家の高橋洋(タカハシヒロシ)さんと間違えられますが別人です。「タカハシヨウと読みます」と言うと、相手は「大泉洋さんの洋ですか?」という流れになることがあります、とこんな感じでした。というわけで、映画『アイアムアヒーロー』に出演させていただいた。主演の大泉洋さんと僕はメイクルームで初対面の挨拶を短くかわし、撮影現場であらためて向かい合うと彼はおもむろに言った。「ダブル洋ですね、奇跡の組み合わせですね~」 たしかに僕は、洋と書いてヨウと読むひとに生まれてこのかたお会いしたことがないし、ましてや俳優さんで洋(ヨウ)といえば大泉さんしか知らない。あぁ同名だなあと以前から思っていたのでちょっと不思議な気分。彼はむかし一度だけ洋(ヨウ)さんと出会ったらしいが仕事ではやはり初めてだという…とまぁどうでもいい話をしていたら、佐藤信介監督がそばにきて「脚本家の高橋洋さんと同じ名前ですよね」と。僕は「そうなんです、向うはヒロシでこっちはヨウなんですよ」とこれまで幾度も繰り返したやり取りをそこでもまた。

 

こういうひとを自然体というのだなあ、と思う。どちらかと言えば役者としてなんとか這い上がっていきたい!そのために結果を出したい!とつねに内心がキリキリしている自分からすると、大泉さんの現場での存在のしかたは本当にニュートラル。もちろんこの作品における役どころのテンションもあるだろうし、もしかしたらプレッシャーのかかるときこそより一層自然体を維持しようとしているところもあるのかもしれないが、それにしてもじつにスイッチというものが見当たらない。というより、スイッチはつねにONなのだろうか、あるいはつねに抜いているのだろうか。撮影の合間にはあのケラケラとした笑い声をあげて楽しそうにおしゃべりされていたから、やはり役と自分をスイスイ行き来しているはずなのだが、その境目のようなものがなさすぎて感心してしまった。僕だってさすがに現場でキリキリとはしてないけれど、あのスーイスイとした呼吸を学びたいと思った。

 

ところで僕は、マンガというものをあまり読まない。この『アイアムアヒーロー』という原作漫画も読んだことはなかったのだが、参考のため少し読ませてもらうと、なんというかマンガってすごいなあ…と単純に思った。だって、発想力がぶっ飛んでますよね。人間ってこんなこと考えるんだとか、こんな表現を思いつくのかとおどろいた。それをまた映像作品にしようというこのチームの気概も、劣らずすごいなと圧倒される。いったいどんなひとがこういう振り切ったマンガを描くことができるのだろうかと思っていたら、撮影現場に見学にいらしていた原作者の花沢健吾さんにお会いして僕はさらに唸った。いかにも、普通。全然ぶっ飛んでない。穏やかだし丁寧だし、ちょっと運動不足なのかなとはお見受けしたけれどごく普通のマンガ好きのおにいさん、という風情です。このニュートラルさの奥に狂気を孕んだイメージとそれを具現化する腕が内蔵されているのだなと、敬意。

 

 

映画『アイアムアヒーロー』
http://www.iamahero-movie.com/

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