2006年05月

2006年05月31日

常夜灯

31a0c2d6.jpg この常夜灯、しばらく前にネット通販で買った。引っ越した家の入口側に門灯の光が届かず、夜帰ってきた時に足元が見えにくかったからである。
 配線工事を頼むのも面倒だったので、色々迷った末にソーラー式の自動点灯装置が付いたのにした。これで、電気代も要らず、昼間に充電された電源で夜遅く帰った僕を明るく迎えてくれるはず、だった。
 ところが、思うようには行かないものだ。「電池が日没後3時間ほどしか持たない」のである。帰宅時刻はだいたい10時をまわるので、帰りついた頃には完全に消えている。かくして、自分にとっては全くのオブジェとなってしまった常夜灯である。


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2006年05月30日

遍路:あとがき

 長々と自分の思い出話ばっかり書いてきた。昔のことばかり話すのは年をとった証拠。途中でそんな事に気付いたので、やめようかとも思ったけれど、まあせっかく始めたことだし、自分の生活をレビューすることもたまには必要かと思ったので、何とか最後まで続けてみた。読んでくれている人はさぞかし退屈だったろうと思う。全都道府県制覇と思っていたが、群馬と栃木は今までほとんど縁がなかったということがわかったのも収穫だった。 街はまだ五月。何か今年は「さわやかな初夏」がほとんど無いままに、梅雨入りしてしまいそうな気配である。 明日からはまた、本来の音楽がらみ日記風のブログに戻ろう。

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2006年05月29日

遍路その四拾七:北の国から

toyako とうとう北海道までたどり着いた。長かった。

 北海道も仕事では何回か行っている。札幌の雪祭りも出張時に見た。それでもプライベートでは1回訪れただけ。それも旭川までしか行ってないので、礼文島とか知床岬は見たことがない。そのうち必ず行きたいと思う。

 ヨメさんと2人で行ったのが3年前。JALでたまっていたマイルが割合有効に使えたので、グレードの高いホテルに泊まりながらかなり安く行けた。空港でレンタカーを借りて、札幌、旭川から富良野、小樽などをぐるっとまわった。いちばん良かったのは、月並みだがやっぱり富良野だった。

 「北の国から」は、蛍ちゃんの可愛さに惹かれて放送開始当初からずっと見ていたので、自分の中ではあれが北海道そのものになってしまっている。富良野では、最初の手作り山小屋から、石の家、拾ってきた家、全部見た。あれを見ていると、自分でも山小屋のひとつくらい作れそうな気がして、小屋の建て方などが載っている「黒板五郎の流儀」だったかいう本も買って来てしまった。今冷静に考えれば一人ではちょっと無理な気はする。

 写真は最終日に行った洞爺湖のもの。この写真、ようく見ると左端に変なものが写っていてちょっと怖い。(クリックすると拡大します。鑑定お願いします・・・)



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2006年05月28日

遍路その四拾六:十和田湖

towada 湖が続いてしまうけれど、青森県は十和田湖。鹿角というところに出張した時、半日だけ自由時間があったので、秋田県側の十和田駅からバスに乗り、1時間ほど揺られて行った。11月初めの頃で、観光には季節外れだったのか、バスの乗客も湖畔の観光客も驚くほど少ない。着いた時にはもう午後四時をまわっていて、レストランや土産物屋はあらかた閉まっており、かなりうら寂しい雰囲気が漂っていた。湖の周りには平地があまり無く、山がすぐ湖に落ち込んでいる。夕暮れの山々の紅葉と青い湖面とのコントラストが独特だった。

 また同じ道をバスに揺られて駅まで帰り、例によって夜行寝台に乗った。前の寝台に乗っていたお婆ちゃん、津軽の人らしかった。しきりに話しかけてくれるのだが、言っていることがほとんど理解出来ない。何回となく聞き直して、かろうじてわかったのは、お婆ちゃんの家が吉幾三の実家の隣りであるということだった。



yotang2000 at 12:19|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 出張 | 旅行

2006年05月27日

遍路その四拾五:田沢湖

tazawa 秋田県の続きになる。
 出張のついでに立ち寄った田沢湖は素晴らしい所だった。全国一と言ったかどうかは忘れたが、水の透明度がすごい。ボートの上から覗くと、信じられないくらい深い所まで湖底が見える。そのままスッと吸い込まれそうで、思わず首を引っ込めた。

 案内してくれた方によれば、ここの湖水には何がしかの毒があって魚が全く住めず、きれいなのはそのためと言うことだった。
「清流に魚住まず」って諺もあるが、「魚が住まないからきれい」と言うのは、最後の審判後の地球みたいでちょっと嫌だった。

 いい加減なことを書いてはいけないと思って調べて見た。田沢湖は火口に出来たカルデラ湖。そのためもともとの水質が魚の住みにくい環境だったらしい。それでも昭和の初期までは鱒の仲間がたくさんいた。その後なぜか魚が居なくなった。湖畔にできた何かの施設から流れ込んだ廃水のせいで、何とか生きていた魚が絶えてしまった、という説があるが本当のところはわからない。透明度についても、昔は摩周湖についで2位だった(これは測定データが示されており、事実)が、今はかなり悪くなっているようだ。(これは諸説あり、詳細不明)



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2006年05月26日

遍路その四拾四:八郎潟

hachiro 子供の頃、親父が突然「八郎潟に住もう」と言い出したことがある。当時、干拓事業が完成に近づき、何期目かの入植者を募集していた。地平線が見えるような広い場所で、大きなトラクタやコンバインを使ってやる農業には夢があるような気がした。もちろんそのためには大きな借金が必要で、家族で色々話し合った末、結局は行かなかったが、もし行ってたら今頃は自分も大規模農家をやっていただろうか?

 その後ずいぶん経って、仕事で数回八郎潟を訪れた。男鹿駅前の旅館に泊って、車で干拓地内のあちこちを見てまわった。
それぞれが直角に交差しながら、あれだけ真っ直ぐに続く道路はなかなか他では見られない。

 入植の完了とほぼ同時期に、国の減反政策が始まったと聞く。お上の指導に反して多く作ってしまった部分の青田刈りを強要しながら、米以外は作れないことになっている、という話も聞いた。(今はどうなのか不明だが) 晩秋の頃だった。そんな話を聞いた後で宿に戻る途中、寒風山から吹き降ろす雪混じりの北風に、体全体が凍えてしまった記憶が強く残っている。

(写真はGoogleEarthの八郎潟)



yotang2000 at 00:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 旅行 | 出張

2006年05月25日

遍路その四拾参:八幡平

jd2 今の会社に入った年、社員研修の一環で岩手県の山の中、八幡平にある牧場で農作業体験講習を受けた。有名な小岩井農場も近くにある場所で、広々とした牧草地で牛たちが寝転び、環境は最高だった。
 自然には子供の頃から充分親しんでいたけれど、そんな広い所で農作業するのは初めての経験。外国製の大型トラクタに乗って牧草を刈り取り、集め、プラウを引いて土を耕し、種を蒔いた。
 ロッジみたいな宿泊施設に受講者全員が泊まり込み、昼休みには牧場でソフトボール。こんな研修ならずっと受けていたいと思った。

 最後の日、きれいに耕し終えた畑全面に牧草の種を蒔く作業があった。各人ヘルメット1杯の種を渡され、横一列に並んで畑の端から手で撒いていく。教官の注意をよく聞いていなかった私、最初の方で気前良く撒き過ぎて、半分過ぎたあたりで種が無くなってしまった。仕方がないので、撒く真似だけしながら端まで行ったが、何週間か後に5m幅で7〜80mも何も生えない部分があるのを見つけた畑の持ち主は、どう思ったろうな?


 帰る途中、盛岡で「わんこソバ」にチャレンジした。67杯で絶対トップと思ったら75杯食べたやつがいた。しばらく腹の調子がおかしかった。

(写真はトラクタと一緒に走るワタシタチ)



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2006年05月24日

遍路その四拾弐:庄内平野

shonai 昔、社会の授業で習ったように、庄内平野は今でもお米の有数な産地である。当たり前の事ではあるが、初夏の頃、車で走りながら窓からの風景をながめていると、あらためてそう思う。 遠い山(たぶん鳥海山)の麓まで続く一面の田圃には真っ直ぐな列をなして植えられた苗が風になびいて、まるで緑の海のようだった。

 しばらく前、「日本の米は高い、タイ米の10倍以上もする米を消費者は買わされている」とかいう議論が盛んになされていた時期があった。それはその通りなのだが・・・



yotang2000 at 00:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年05月23日

遍路その四拾壱:松島

matsushima 宮城県、仙台にはイヤな思い出がある。詳細は省くが、失敗の許されない機械のデモンストレーションがうまく行かなかった。かなり落ち込みながら、何とかその日のうちに大阪まで帰れる新幹線にギリギリで乗った。
 仙台駅を発車してすぐ、自分の座席の場所に行くと、その席にはもう誰かが座っている。文句を言おうとした自分の耳に聞こえた社内アナウンス、「次は古川に停車します。」って反対やん!これ盛岡行きやん!

 後から調べてわかったのだが、仙台駅新幹線のホーム、ひとつのホームの両側から、全く同時刻18:00に反対向きに発車する二つの列車があった。(現在ではダイヤが変わってこんなことはないようだが。)慌てていたので、行先を確かめずに飛び乗ってしまった。

 古川駅で降りて、折り返しの列車を待つ時間の長くて情けなかったこと。その日は当然大阪行きの列車はもう無く、上野駅前のカプセルホテルに泊まり、翌朝一番の新幹線に乗ったが、会社は遅刻、帰れなかった理由の説明もかなり苦しかった。

 もちろん良い想い出もあって、別の時にお世話になった方には、土日の休みを使って松島やら青葉城やら色んな所を案内してもらった。



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2006年05月22日

遍路その四拾:会津

kanayama ようやっと東北地方に入った。もうあと少し、がんばろ。

 福島県は、会津若松に泊ったあと例によって地方行脚。猪苗代湖の側を通り、北西方向にずいぶん走って、新潟県に近い山の中の「金山温泉」に着いた。 途中、会津から連れていってくれた人が、車を停めて何かを買っていた。宿に着いてから買ったものを見ると「馬刺し」だった。この地方はこれが名物とのことである。 旅館の夕ご飯にそれが追加されて宴会になった。

 もとより肉よりは魚が好物で、ステーキはウェルダンしか頼んだことがない自分にとって、生の肉、それも馬肉というのはちょっと参った。おろした生姜をまぶして、醤油も味がわからなくなるくらいたっぷりつけて、無理やり食べた。

(写真は帰り道にみんなで入った温泉。)



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2006年05月21日

一回休み

88646820.jpg 本日あまりにもいいお天気、こんな日に家にいるのはもったいないと、尼崎までテニスに来た。
 高槻から尼崎はちと遠いが、何といっても会社のコート、お金がかからないのが最高。結局四時過ぎまでやっていた。ゲームはミックス含め3勝1敗。まあまあの出来だった。

(写真はマイラケットとマイキャップ)


yotang2000 at 16:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年05月20日

遍路その参拾九:長岡の花火

hanabi 新潟はたぶんいちばんよく行っている県のひとつだろう。特に長岡にはなじみの宿ができるくらい出張が多かった。

 時間を有効に使うため夜行寝台(ブルトレ)で行くことも多く、寝台特急「日本海」とか「きたぐに」をよく使った。 寝台列車では眠れないという人も多いけれど、自分の場合、あの1畳にも満たない閉塞空間が大好きで、枕元の少々暗めの蛍光灯で本など読んでいるうちに熟睡してしまう。ひょっとしたら閉所願望症(そんなのあり?)かも知れない。

 ある夏、新潟に一人で出張することが決まり、日にちも自分で決めることができた。で、帰る日を「長岡大花火大会」の日に合わせた。当然、帰りは夜行である。県北部での最終日の仕事を終えてからゆっくりと長岡に移動し、駅から花火が上がる川べりまで歩いた。堤防には桟敷席までできて、すごい人の数だ。近くの片貝というところの花火もすごいらしいが、長岡のもかなりのもの、ラストの三尺玉(直径1m!)までしっかり見て帰って来た。ちなみに最近は四尺玉っていうのができているらしい。

(尚、写真は昨年の「淀川」花火です。)



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2006年05月19日

遍路その参拾八:あら?

4393e686.jpg群馬と栃木、さあ困った。通ったことは何回となくある。東北新幹線は宇都宮に停まるし、関越自動車は群馬県を横切っている。ところが、古〜い記憶までずっと辿って見ても、群馬と栃木の記憶が無いのである。全都道府県看破を宣言した手前、何とか通りすがりのことだけでも書こうと思ったが、無い袖は振れない。
 群馬と栃木などと一括りにしてしまうのは、そこに住んでおられる方に申し訳ないとは思うけれど、関西人で東京周辺の県配置を正確に認識している人は少ないし、逆のことも言える。
 初めて東北地方に行ったとき、相手に和歌山出身であることを告げたら、「和歌山って広島の隣りだっけ?」と聞かれた。(それは「おかやま」、一字違いか・・・)
そんなものなのである。
 ちょっと話は飛ぶが、先頃、インドや中国は知っていても日本の場所を知らないアメリカ人が多い、ということが驚きのニュアンスを含んだニュースになっていた。
 買いかぶりもいいとこである。逆を考えれば、いったい日本人の何%が、例えば「スーダン」や「ボリビア」の場所を正確に言えるだろうか?
いちばん親近感を感じるとされているアメリカの事にしたって、ケンタッキーやテネシー州がどこにあるのかを白地図で指し示せる人はそれほどいないと思う。名前はあれだけ知っていても。
 自分が思うほど相手は自分のことを知らないし、自分も相手を知らないということだろう。

今、新快速は能登川駅停車中。今日は一日雨らしい。


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2006年05月18日

遍路その参拾七:つくばねの・・・

tukuba 茨城県には何かの会議で、つくば(ここも平仮名か!)学園研究都市(って言う?)に行った。会議があった場所も、泊ったホテルも広々としていて、確かに新しい都市の雰囲気だった。ただ、新しい街は何処もそうなのかも知れないが、生活の匂いがあまり感じられない街というのは、どうも何となく居心地が良くない。もともと人口密度が低い上に、夜間は人が帰ってしまうからだろう、飲み屋はもちろんコンビニもあまり無かった。

 関西などでも、近ごろ新しく移転された大学は、軒並み、人里離れた場所に建てられている。 土地の確保上仕方の無いことなのだろうが、こんなに人里離れたところで研究とかしてて、世の中のこと忘れてしまわない?という気がちょっとした。

 九十九里浜とか霞ヶ浦ってまだ見たことがないので一回行ってみたいと思っているが、最近とんとそっち方面の出張機会が無くなってしまった。



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2006年05月17日

遍路その参拾六:さいたま市

pio

 埼玉県大宮市(ここも今は「さいたま市」になっているが)に、「生物系特定産業研究開発推進機構」という長〜い名前の公的機関がある。関係する企業の共同研究名目で、3週間ばかりここに滞在した。仕事の内容は全く大したことは無かったけれど、他の企業の人達と一緒にひとつの仕事ができたのはなかなか面白かった。

 大宮と言えば、昔は歓楽街で有名だったところ。滞在していた頃でも、ちょっと裏道に入るとまだ昔の名残が残っている。少々ヤバそうなところもあったりした。

 写真は当時常宿にしていた大宮駅前のパイオランドホテル入口。名前の由来は聞きそびれたが、近くに美味しいパン屋さんがあって、朝食はいつもそこでとっていた。



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2006年05月16日

遍路その参拾五:千葉

tbay 千葉にあるのに「東京ディズニーランド」っていうのは千葉の人に失礼ではないのか?と思っていたがまあいいか。 その東京ディズニーランド、自分はまだ1回しか行ったことがない。10年以上前、ディズニーシーがまだ無い頃だった。高知出張から夜帰って来て、そのまま車で出かけた。休み休み行ったので8時間くらいかかった気がする。ナビも無かったので、首都高速で迷ってとんでもないところで降りてしまったりした。

 丸一日遊んだ後、東急ベイに泊まり、さて朝食でも頼もうと思ったら一人前2500円。4人で1万円かよ!結局それはやめて、園内のハンバーガーにした。絶対高過ぎるよなあ、日本のホテルって。

 南房の方には一度だけ仕事で行ったことがあるが、海の側を走る国道と町の雰囲気が、どことなく和歌山に似ていた。そういえば「勝浦」って言う地名もあった。



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2006年05月15日

遍路その参拾四:サンリオピューロランド

kitty 「湘南」という地名は、関西に住む者にとっても独特の響きを持って聞こえる。加山雄三の映画や、石原慎太郎の作品に惹かれた世代ではないが、何となく垢抜けした場所という気がする。音楽で言えば、ユーミンの「海を見ていた午後」、太田裕美の「湘南アフタヌーン」、風の「湘南 夏」のイメージかも知れない。
 もっとも、逗子も葉山も自分は行ったことがなくて、昔、横浜に住んでいた友人宅を一度訪ねたことを除けば、平塚に何度か出張したことがあるだけである。

 その友人宅に泊めてもらった帰り、「サンリオピューロランド」というところに家族で寄った。大規模なテーマパークに押されて、中小の遊園地が消えていく中、ここは今でもやっているようだ。たぶん、キティーちゃんやミッフィーちゃんで持っているのだと思うが、ミッキーやプーとは違ってこれらはみんな日本のオリジナル、頑張ってほしいと思う。



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2006年05月14日

遍路その参拾参:富士山

fuji 中学校の修学旅行で、初めて富士山を見た。薄い朝もやの中、バスガイドさんが指差す方向に目をこらすが何も見えない。しばらくして気がついた。視線が低すぎたのである。遠い山を探す視線から遥か上方に富士山はあった。首が痛くなるくらい見上げて、やっと全体が見える山があることを初めて知った。この時、バスで五合目まで登り、積もった雪というものにも初めて触った。

 これから後は、富士の近くに行くことはなく、もちろん登ることもなく、たまの関東方面への出張時に見るだけ。それでも新幹線に乗るときは、できるだけ山側窓際に座るようにしている。

 去年、初めて飛行機から見た。上から見ると、噴火口がモロに見えて、ちょっと異様な感じがした。やっぱり、下から見上げるほうがいい。

ところで富士山って山梨県?

 


 



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2006年05月13日

遍路その参拾弐:一番茶

1f531e2b.jpg どういう訳か、静岡は仕事では縁が薄い県で、ちょっと前に書いた「茶園」以外には行ってないのではないかと思う。
 自分の田舎でも茶畑はあったが、お茶の木についてはそれまでほとんど知識がなかった。お茶の葉っぱを食べる害虫がいることも知らなかったし、その虫や病気から茶の木を守るために、大規模な茶園では年間十何回も薬をかける必要があるということも初めて知った。茶摘み前にはかけないと言ってたので心配はいらないとは思うが・・・
 この農家を訪れた時はちょうど茶摘みの頃で、収穫した葉の中から自家用に選んだ最高の新芽だけで淹れた生茶を飲ませてもらった。後にも先にもこんなに美味しい日本茶は飲んだことがない。その後、たまに自分でも茶摘みをするようになり、この「新芽の生茶」を何度か試しているが、なかなかこの時の味にはならない。お茶の木の種類が違うのかも知れないなあ。


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2006年05月12日

遍路その参拾壱:白樺湖

shirakaba 長野では真冬の二月に店回りをしたことがある。みんなスキーに行く季節、名古屋からスキー客に混じってバスに乗り、伊那で降りた。山の中も走るので、四駆の車を借り、その頃はまだ規制も無かったため、4輪ともスパイクタイヤを履いた。凍った雪道、「故意でない4輪ドリフト」(単なるスリップ)を繰り返しながら、かなり山奥まで回った。腰までの雪をかきわけながら歩いたのは、この時が初めてだった。

 南国育ちの自分にとって、「雪」というのはずっと憬れの対象で、
初めて夜行のスキーバスに乗った時には、だんだん白くなって行く世界が珍しくて、夜通し起きて窓にへばりついていたものだが、この時初めて雪の迷惑さを思った。

 雪道を北に向かい、美ヶ原を走り、ビーナスラインを通って、白樺湖スキー場ゲレンデ横のレストランで、汚れた作業服のまま昼食を食べた。周りの視線が痛かった。



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2006年05月11日

遍路その参拾:立山連峰

tate 今でも鮮明に心に残っている風景がある。富山から新潟への途上、まだ北陸自動車道が全線つながっていない頃だった。新潟県境に近いある町の小さな整備工場で、修理用部品の到着を待っていた。修理自体は簡単なものだったが、部品が届かないとどうしようもない。

 午後4時頃だったろうか、待ちくたびれて外に出た。ふと見上げると、南側の空半分に雪を頂いた山々が見えた。たぶん立山連峰である。それらの山々が夕日を受けて、見ている間に金色に染まっていく。

 少しずつ濃くなって行く紺色の空をバックに、オレンジ色に輝く峰々の稜線がくっきりと浮かび上がる。こんなに鮮やかな景色を見たのは生まれて初めてだった。部品待ちのイライラも忘れ、しばらくの間見とれていた。 やがて部品が届き、修理を終えたら、もう日はとっぷりと暮れていた。



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2006年05月10日

遍路その弐拾九:能登

noto 石川と言えば能登。能登と言えば千里浜海岸と輪島塗りだが、記憶にある能登はそれらとは全く関係がない。
 ずいぶん前の話になるが、羽咋市と言うところにいた。新製品をたくさん仕入れてくれた店に、市場調査兼トラブル対応に出向いた訳である。
夕方、挨拶のために店に着いたら店長がえらい勢いで怒っている。新品の機械から油洩れがするらしい。調べてみると確かに油圧シリンダから洩れている。ピンホールが原因のようだったのでシリンダごと換えたいと思ったが、パーツセンターは既に閉まっていた。
 明朝までに直さないと返品すると言うので、一か八か溶接修理することにした。幸い簡単な溶接は学生時代にやったことがあった。ビクビクしながら洩れる部分を溶接して、明日朝まで様子を見ようということにした。
 翌朝、恐る恐る店に行ってみると、もうその機械は店に無かった。店長が朝早く納品したらしい。素人溶接が心配だったが、その後何も言ってこないところをみると、大丈夫だったのだろう。

(写真は、出張時に使った千里浜国民休暇村。テニスコートもあった。)



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2006年05月09日

遍路その弐拾八:名田庄村

natasho 福井は、販売応援か何かで名田庄村というところに行った。昔、ナターシャセブンの高石ともや氏が活動本拠地にしていたところである。バンド名の「ナターシャ」は「名田庄」から来ていると聞いた。
 小浜から、店の軽トラに乗ってずいぶん走った。自分の田舎にもひけをとらない山の中である。そんな山あいに民家があり、田んぼがあり、学校があり、郵便局があった。小さな田植機で必死で田植えをしているおじいちゃんおばあちゃんがいた。

 確か、廃校になった?小学校の教室でレコーディングしたとか聞いたナターシャセブンのテープを今も持っているが、あの素朴な音がいい。(「とんび」の歌とか・・
 そんな名田庄村も、市町村合併のため今年の3月で無くなってしまったらしい。「名田庄」という名前が地図から消されてしまうことに、みんな本当に納得したのだろうか?ここばかりではない、日本全国で昔からの地名が消えていく。住んでいた人達の思い出と一緒に。
 行政改革は実施されて当然だが、古い町や村の名前をどんどん無くして、いわれもわからないようなカタカナや平仮名の地名にしてしまうことには、憤りさえ感じてしまう。

 と、ここまで書いてから調べてみたら、合併後もちゃんと「名田庄」の名は残っていた。名田庄村何々ではなく、単に名田庄何々という地名にしたそうな。さすが、やるじゃない!

(この時の写真は無いので、村のページから画像を拝借・・)



 



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2006年05月08日

遍路その弐拾七:ひるがの高原

ski1 岐阜県、ひるがの高原には1990年頃から家族で毎年スキーに行くのが恒例になっていた。友人の知り合いが経営するきれいなペンションがあって、奥さんの作る美味しい夕食も楽しみだった。
 行き始めた当時は、まだ東海北陸自動車道が途中までしか無く、大阪からだと6時間くらいかかっていた。その後、高速道路が完成してずいぶん速くなったが、それと同時にひるがのの町がさびれ始めた。便利になったため、宿泊の客が激減したらしい。皮肉なものだ。そのペンションもまだ細々とやってはいるが、どうなるかはわからないみたいだ。
 ここ2年ばかり、家族のタイミングが合わずスキーには行けていない。近くにはテニスコートもあったので、この夏にでも久しぶりに訪ねてみようかな?

(写真は、会社の仲間とダイナランドに行った時のもの。いや、ひょっとしたら鷲ヶ岳だったかも?)


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2006年05月07日

遍路その弐拾六:お菓子のお城

okasi 愛知県って、近いのにあんまり行ってない。ただ最近はセントレア空港が出来たので、ちょこちょこは行くようになった。(通過するだけだが)新しい空港は、どこも遠いのが難点。いちばん新しい神戸空港は近そうだが、まだ行ったことがない。

 愛・地球博はとうとう行かなかった。あの人込みの中に身を置く勇気が出なかったこともあるが、つくば科学博あたりから、何となく「先端科学の展示」とかに疲れてしまうようになって来ている。プログラムされたロボットたちが、バンドの真似ごとを上手にやったって、それで?と言う感じである。年とったということか。

 そうそう、「明治村」と「お菓子のお城」はなかなか楽しめた。お菓子の工場をきれいに作ってテーマパークのようにする、というのは本当にいいアイデアだと思った。中でも、娘たちがいちばん喜んでいたのは、お姫様のドレスを着て記念写真を撮ってくれるコーナーだった。



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2006年05月06日

遍路その弐拾五:孫太郎

toyone 三重県は仕事より遊びで行ったほうが多い。ゴルフでは亀山までよく行ったし、子供が小さい頃はキャンプにも行った。孫太郎オートキャンプ場っていうところがあって、海のそばでテントサイトが広く、何と言ってもトイレが水洗。お風呂も充実していて、これが自分以外は全部女性というわが家族キャンプの必要条件だった訳である。

 夏だったが、着いた時には晴れていたのにテントを張っているうちにだんだん雲が出てきて、夕方から雨、そのまま帰るまで丸二日止む事はなかった。考えて見れば、紀伊半島の東側は日本有数の多雨地帯、無理もない事かも知れないが、キャンプの雨ほど情けないものはない。ずっとテントで本を読んでいた。

 帰る日、管理棟にカギを返しに行くと同じような境遇の家族がいて、奥さんが管理人に尋ねていた。
奥さん「三日間ずっと雨だったんですよぅ。この辺っていつもこんなに雨ばっかりなんですか?」
管理人「いや、そんな事ないですよ。たまには晴れることもありますよ。」
奥さん「・・・」
 たまにしか晴れないのである。
その後、いろんなところで計30泊くらいキャンプをしたが、ここには行っていない。

(孫太郎の写真がどうしても見つからない。雨で写真も撮らなかったのかも知れない。とりあえず、他のところでやったキャンプの写真でも・・・)



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2006年05月05日

遍路その弐拾四:今日の近江富士

3749b04e.jpg お次は滋賀。高槻―米原の長距離通勤を始めてもう6年、帰りの電車での缶ビールが日課になってしまっている。単身赴任にするかだいぶ迷ったけれど、やっぱり毎日自分の家に帰るほうがいい。
 通い始めて間もない頃は、電車の片道70分がもったいなくて、本を読んだり英語のテープを聞いたりしていたが、近ごろでは完全に睡眠時間の確保に使っている。幸い一般的な通勤方向とは反対なので、ほとんど間違いなく座れるのが救い。もしこれでずっと立ちっ放しだったら、ちょっと耐えられそうにない。

 今日は休日出勤。最高の天気なのに、1日中米原で電話当番である。まあ、どこに行っても混んでるだろうし・・・

(写真は野洲駅近くの、通称「近江富士」。ほんとの名はまだ知らない。)


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2006年05月04日

一回休み

47ddca2b.jpg 帰省している。去年から米作りはやめていて田植をすることもないので、今日はお茶摘みに行った。茶畑は山の上にあって、ほとんど手入れもしないので成育状態は限り無く野生に近い。完全無農薬保証である。
 出たばかりの葉っぱを摘んで行くが、茎の先端部の新芽(写真)がいちばんおいしい茶になる。去年は時間があったのでこの部分の新芽ばかり一握りほど集めて、生のまま淹れてみた。この茶を味わうためだけにここに住めると思った。今年は一泊しかできずそんな時間もない。大急ぎで袋いっぱい摘んで帰って来た。
 これからお茶にするのがまた一仕事。焙烙(ほうろく)と言う大きな鉄の容器で二回炒ったあと天日乾燥をする。お袋がまだ頑張っている。



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2006年05月03日

遍路その弐拾参:日本文化

otowa 京都はずっと憬れの街だった。小学校の修学旅行の他は、学生時代に卒論の発表会か何かで東山の工芸繊維大学に来た。当時は、まだたくさん残っていた路面電車であちこちを回るのが楽しかった。

 最初の職場は京都(と言っても大山崎町)だったし、それ以来ほとんど高槻近辺に住んでいるので、「憬れの街」には行こうと思えばいつでも行けるはずだが、近いと行かなくなるのも人情らしい。祇園祭りは一回行ってそれっきり(あの人出と暑さにはついていけない)、大文字焼きも見たことがない。

 三年ほど前、アメリカからの留学生を案内して、久しぶりにお寺や神社を回った。「日本の文化に興味がある」という彼女の言葉を信じて連れて行ったのだが、何故か全く興味を示さない。ところが帰りにちょっと寄った新京極のアニメ&フィギュアの店に行くと、彼女の目の色が変わった(もともとブルーだったが)。曰く、「この店に来たのが今までの人生で一番ハッピー」だったそうな。(岩崎恭子か、お前は!というツッコミは彼女には通じなかった)何の事はない、彼女にとっての日本文化とは、清水寺や金閣寺などでは毛頭なく、犬夜叉やエヴァンゲリオンだった訳である。

(写真は清水の近くにある音羽の滝。学業成就?)



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2006年05月02日

遍路その弐拾弐:奈良ドリームランド

dream 奈良は橿原辺りに出張した時、例によって販売店に立ち寄り、遅くなるのは予測していたので、あらかじめその販売店にホテルの予約をしてもらっていた。

 さて仕事が終わって、そのホテルに行ってみたら、なんと完璧にラブホ。「ルート24」とか言ったホテルの名前を聞いた時、ちょっとおかしいなとは思っていたが、やられた!という感じだった。
 いまさらホテルを変えるわけにも行かず、あきらめて同僚(もちろん男)と二人で泊まった。部屋には窓も無く、いちばん難儀だったのは風呂とトイレがガラス張りだったこと。お互い男の裸など見たくもない。ベッドが二つあったのは不幸中の幸いだった。

 遊びでは、子供が小さい頃よく行った「ドリームランド」は、今のディズニーランドくらいの価値があったように思う。最近行ってないが、今はどうなっているのだろう?



yotang2000 at 23:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 旅行 | 出張

2006年05月01日

遍路その弐拾壱:熊野

d41cf2b0.jpg 紀伊半島の南の方をみんな「南紀」と呼ぶが、昔からそこに住んでいる人は南紀と言わずに「紀南」(きなん)と言う。湘南、阪南、道南って言うのだから紀南で良いはずだが、いったいいつから南紀と言う呼び方が定着したのだろう?
 その紀南に住んでいた頃は、少しでも早く田舎を出たいと思うと同時に、田舎の発展を心から望んでいた。一時ウワサのあった原子力発電所さえも、出来ればいいと考えていたくらいだ。
 今、長く離れて暮らしてみて、つくづく変わらないことの有り難さを感じる。帰省の際には、もう少し高速が伸びてくれたらと思うこともあるけれど、昔遊んだ山や川がそこにあるというだけで気持が安らぐ気がする。



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