『霧に包まれた骸』 ミルワード・ケネディ
原題 CORPSE GUARDS PARADE (1929)
論創社/論創海外ミステリ 132 (2014)
西川直子 訳
解説/霧に包まれたパズル 真田啓介
ミルワード・ケネディの名前とセットになってよく出てくるのがイギリス黄金時代の最重要作家アントニイ・バークリー。ロジャー・シェリンガムものの最終作『パニック・パーティ』がミルワード・ケネディに捧げられているなど、二人の仲に関するエピソードは探せば色々と見つかるだろう。
だが2015年3月現在、バークリーのほとんどの長編が翻訳されたのに対し、ミルワード・ケネディの作品は余り紹介されて来なかった。本書『霧に包まれた骸』は原書刊行の翌年に『死の濃霧』の邦題で訳されていて、ミルワード・ケネディはバークリーより早く日本に浸透してもよかったのはずなのだが、ある程度に評されるには国書刊行会の世界探偵小説全集の一冊『救いの死』が出るまで待たされる。
しかしその『救いの死』も一部の玄人からは喜ばれたとはいえ、オーソドックスなミステリと反した作品だったために一般的なウケは今ひとつで、次の翻訳本『スリープ村の殺人者』が新樹社から刊行された時もたいした評判は聞こえてこなかった。
本書『霧に包まれた骸』は85年かかってようやく出た新訳本だが、これが更なる再評価につながるかのかと思うと、決して見通しは明るいと言えそうにない。
そもそも著書リストを見るとミルワード・ケネディはレギュラー探偵を使用しない単発作品を多く残した作家である。ただし『霧に包まれた骸』はその中でも例外作品であり、前作"The Corpse on the Mat"と合わせた2部作となっている。そのため前作から登場していると思われるジョン・メリマンが冒頭で霧の中の死体を発見する場面や、警邏中の警官に不振に思われている最中でのコーンフォード警部との再会など、おそらく前作を読んでいたならもっと楽しめそうなシーンがある分、"The Corpse on the Mat"が未訳であることがネックになっている。
メリマンによって霧の中から発見された死体はすぐに彼の車と目撃情報寄せられ、遺留品が早く見つかったりと捜査は順調に進むと思われたのだが、証言や証拠が集まるほど疑問点が増えていき、死体の身元を含めて事件は何度もひっくりかえる。
特に捜査の中心となるコーンフォード警部が曲者で、単なる憶測と言ってもいいような無理な推理を何度も組み立て、そのあやふやな仮説に基づいて捜査を進めていくものだから、余計に真相には近づいていきそうもない。
こうしたユーモア小説風の物語は確かにバークリーを含めたイギリス本格探偵小説の伝統によるものだか、現代の読者にはじれったくて遅いテンポに付き合っていけないかもしれない。
それでも書評家としても知られるミルワード・ケネディだけあって、ストレートな謎解き小説から少し外れたストーリーになっており、死体の身元だけではなく解決する「探偵」までもが霧の中に存在する風変わりなミステリである。謎解きミステリとして成立させるために無理な展開もあって、決して大傑作とはいえない作品ではあるけれど、何となく憎めないタイプのユーモアミステリに仕上がっている。
本書の記述から推測できる前作の展開からして、これ以上シリーズを続けることは困難なところから、この作品で打ち切ってしまったのは好判断と言えるだろう。「探偵」が毎回変わる多重解決のシリーズ作品というとクェンティンのパズルシリーズが思い浮かぶが、本作などはその先駆作品として見ることも可能かもしれない。願わくは"The Corpse on the Mat"も翻訳してもらい、セットで読むことができると尚良いのだが。
先に書いた通り本書の初訳は1930年、戦前探偵小説のメッカである《新青年》に連載されている。この少し捻りのあるミステリを当時の読者はどのように受け止めたのか気になるところだが、乱歩を含めてたいした評価が残っていないところを見ると、お察しの通りなのかもしれない。評判がよければミルワード・ケネディの名はもっと大々的に取り上げられ、他の長編の翻訳も進んだことだろう。
現物も持ってないし、読んだことがないのでこれ以上旧訳には触れられないが、本書の巻末解説に興味深い情報なども書かれているので、詳しくはそちらを参照してもらいたい。
なお本作のように抄訳しかなかったクラシックの発掘を論創海外ミステリは今後も行っていくらしく、コニントンの『九つの鍵』やフィルポッツ『密室の守銭奴』、スカーレットの『白魔』などが刊行予告に入っている。これはなかなか楽しそうな企画なので長く続けてもらいたいものである。