四ツ國日記

宮脇慎太郎 Photographer / solow  http://www.shintaromiyawaki.com

霧の子供への旅 vol.18

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これも自分には珍しく縦位置で撮った一枚。
落合集落から東方向に三嶺、そして剣山方向へカメラを向けた。
時間は恐らく夜の21:00くらい。写真では明るく見えているがそれは長時間露光によるもので、実際は何も見えない闇だった。
夜の冷え込む暗がりの中、一人カメラを三脚に構えてシャッターを切り続けた。
夜霧は刻一刻と形を変え、谷底の祖谷川からもくもくと沸き立ってくる。

初めて祖谷に訪れた時、アレックス・カー氏と縁があって話すことができた。
その時にアレックスは「祖谷は6月の梅雨が一番いいです。霧を見ていて飽きることがない」 と言った。

僕も何度も祖谷に通ううちに、雨こそが祖谷の本性だと感じることが多い。
雨水は世界の輪郭を曖昧にし、人も自然も一緒くたに混ぜて谷に溶かしてゆく。
その瞬間は全てが等しく平等だ。自分も何度その雨音と夜霧を目にしただろう。体が祖谷と同一してゆく快感は格別だ。

その時、眼前に一筋の白い霧が流れてきた。
「竜だ」
思わず呟く。

アレックスは祖谷の竜に魅せられたのだと思う。
僕もその光を確かに見た。


続く
 

霧の子供への旅 vol.17

43







































この写真は自分の写真では珍しく縦位置で撮ったもの。過去の写真を見返しても、人物はともかく風景はほぼ横位置で撮っている。これは学生時代にフィルムで撮っていた頃からずっと変わらない。FM10、F90、ローライ、TC-1、EOS-1n、Mamiya7などなど、様々なカメラを使ってきたがそのネガを見ても横位置が驚くほど多かった。特に意識していた訳ではないのだけれど。

学生時代に聞いたことがあるのが、縦位置でよく撮る人は風景を積極的に切り取りたいし、自分の世界に合うように操作したい人が多い。対して横位置で撮る人は世界をありのまま、そのままに収めたい人が多いという話。確かに人を撮る時はこちらから声をかけ能動的に撮るのに対し、自分は風景に関してはその時目に入ってきた光を、逃すことなくそのまま捕らえることに注力している気がする。

この時撮られたカットの前後を見ると、全て縦位置で撮られていた。おそらく標準レンズを使っているという画角の問題から、太陽の光と雪に覆われた路面を両方収めるためにずっとカメラを縦に構えていたのだろう。これがズームレンズなら横で撮っていたかも知れない。単焦点レンズは不便ゆえにこんな偶然の写真が出来上がることがある。 

友人に運転してもらう全面凍結した真冬の祖谷。二度と見ることができないであろう景色を、必死で写真に切り取ろうとしていたあの時の気持ちが蘇る。世界は一度きり。だから、美しい。


続く
 

霧の子供への旅 vol.16

38

















祖谷の夕暮れ。レーザービームのような光が渓谷を貫く。
この写真を見ても分かる通り、集落の最上部と最下部では日照時間が全然違う。谷の深い場所では冬など太陽が2時間しか当たらない家もあると言う。それでも人々はこの過酷な土地を切り開き、代々命の襷を繋いで来た。

今回のコロナ騒動でも思ったのだが、本来日本人はこう行った場所で住み続けてきたのだろうと言うこと。過去移動が自由でなかった時代、どんな場所に産まれるかは人生に決定的な影響を与えた。人は生誕地からあまり動かず、その狭い範囲内で一生を終えていった。

日本の辺境を旅すると、過去は今よりもっと繁栄していたという場所がほとんどだ。戦後の日本は田舎から都会へあらゆるものを吸い上げることで成り立ってきた。アフターコロナと呼ばれるターンは、それらを再びローカルに取り戻す最後のチャンスになると思っている。


続く

 
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