四ツ國日記

宮脇慎太郎 Photographer / solow  http://www.shintaromiyawaki.com

2011年04月

ゲニウス・ロキ

土地にはゲニウス・ロキ(地霊)がいる。
先日GWに野外フェスを行なう志度のテアトロンにて土地の地霊に挨拶してきました。
祈祷者は友人の予言者、夕日がとても綺麗な、静かな瀬戸内の夕べでした。
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一転高松は今日午後から豪雨、明日も天気大荒れらしいですw
これが浄化の雨になり、当日晴れることを祈ってます!







多謝!








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藤原新也

おそらく最も影響を受けた写真家。

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徳島に来て書行をされるというの情報を得、その夜松山に行く予定だったのを時間確保し急遽向かう。


インドからチベットに始まり、全東洋からアメリカ、日本への遥かな旅を経て行きついた「書」という地平。

現在過去一貫して文章と写真を武器にしてきた写真家の当然の帰結のような気がして、襟元を正される気持ちだった。

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会場にはご入院されてた徳島出身の瀬戸内寂聴さんも御来館されてた、お元気そうで何より。

藤原さんの写真と書の展示は6月12日まで徳島県立文学書道館で続き、4月27日と5月21日には寂聴さんによる展示解説も行われるよう。どちらかにはまた参加したいと思う。

東北で撮影された写真もいち早く披露してくれ、非常に有意義な一日でした。




多謝!








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「部族宣言」

根っこ

四国に還ってから、今まで本でしかしらなかった情報と生で接する機会が明らかに増えている。
まだまだ入り口にしかいないけど。


ネットでもテレビでも得られないリアル、それこそがこのカオスな時代には必要。
そうだ、多分僕らにはこれこそが必要だったんだ。

身を切るような・・・



今より40年以上前の日本、今より遥かに自由だった、未だ見ぬ聖性列島。


「部族宣言」

ぼくらは宣言しよう。この国家社会という殻の内にぼくらは、いまひとつの、国家とはまったく異なった相を支えとした社会を形作りつつある、と。統治するあるいは統治される如何なる個人も機関もない、いや「統治」という言葉すら何の用もなさない社会、土から生まれ土の上に何を建てるわけでもなく、ただ土と共に在り、土に帰ってゆく社会、魂の呼吸そのものである愛と自由と知恵によるひとりひとりの結びつきが支えている社会 - ぼくらは部族社会と呼ぶ。アメリカ、ヨーロッパ、日本、その他の国々の若い世代によって、何百万人という若い世代の参加によって静かにあくまでも静かに、しかし確実に多くの部族社会が形作られつつある。都会にあるいは山の中に、農村に海辺に島に。やがて、少なくともここ数十年のうちに、全世界にわたる部族連合も結成され、ぼくらは国家の消え去るべき宿命を見守るだろう。ぼくらはいまひとつの道、人類が死に至るべき道ではなく、生き残るべき道を作りつつあるのだ。 ひとりひとりの人間においては、彼がその肉体の死とともに消え去ってしまう道ではなく、永遠の不滅の自己にたどり着くべき道を。

ぼくらは勧告しよう。世界中のあらゆる人々に、部族の結成および部族への参加を。具体的には、それは個人ごと家族ごとに分離している生活の営みの放棄、国家社会における家族および労働や教育の場からの国家的な思惟からの離脱を前提とし、またそれは、金、土地、家屋、作業道具、教育、医療、研究、図書、交通機関、生産、販売、買入機構そして一切の労働と消費に対する私有の放棄を意味する。それらをぼくらはすべて部族に預けよう。彼はぼくらみんなのハートと知恵を溶け合わせた偉大な人格であり、と同時に僕らの仲間だ。ぼくらと彼との間には「愛する者と愛される者」の関係があるのみなのだから。

ぼくらがもっともっと広い視野、宇宙的なとも言うべき視野と自我の奥底からの知恵の輝きをもって見るなら、全宇宙が至高の自我 - 神の戯れでありその場であるように、僕らの外部への動きはひとりひとりの生命全体をもって遂行してゆくゲームであり、社会はそのための場だ。ここではぼくらは遊びの内にあり、ぼくらが遊びの主人なのだ。そしてぼくらひとりひとりが、各自の内面の深みに、如何なる論理や倫理をも踏み越えて突き進んでいくところに果たすべき務めがある。それは解脱、あるいは自覚、あるいは実現と呼ばれている。それはまたこう告げられている。「この務めは各自己の限りないほどの人間あるいは他の生命への生まれ変わりによって果たし終えられる。これは彼 - 至高の自我 - 神の戯れなのだ」と。この務めを果たすため、敢然とたったひとりで人里離れた所に、食も如何なる肉体的安楽も断ち、ただ坐りつづけ、内面の深みに降りつづける道もあるが、今ぼくらは、生活というゲームをなしながらこの務めを果たす道を、そして部族社会というこのゲームの場を選んだのだ。

ただルールがそれぞれを支えている力が相違するにすぎないのなら、いずれゲームの場にすぎないのなら、何故国家社会ではなく部族社会を選ぶのか?

ぼくらはあくまでもひとりひとりの自覚、あるいは解脱、あるいは実現を主に置くからだ。全宇宙は神の現れ、あるいは戯れであり、ぼくらひとりひとりが神だという真理の上にぼくらはこのゲームを、部族社会を形作ってゆく。ここでは生活というゲームをなしていくのにひとりできりきり舞いし、結局はルールによって支配され、ゲームを務めと取り違え、まったく真の務めを見失ってしまう事態はほとんどあり得なくなるからだ。ここではお互いの愛と自由と知恵の内に、内面における時間の流れのほとんど決定的な連続が各自の内に保たれ、ぼくらはまっしぐらに各自の内面深く降りてゆこう。ゲームの内にただ空回りしてゆくだけの愚かな状態は、ぼくらの誰からも消え去ってしまうだろう。人類は生き残るべき道を、ひとりひとりの自己は無限の自己への道を見いだすだろう。

部族社会は、まさに夜明けの太陽のごとく、全地上にあまねく光を投げかける。国家社会の下に息絶え絶えに生活している他の人類に対し、幾度も幾度もぼくらの内面の呼吸を、大地の呼吸、魂の呼吸を取り戻させるべく。「大地に帰れ!」と、そして「自らの内に大地の呼吸を取り戻せ!」と。

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『部族』第一号(1967)








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鎌鼬

カマイタチ

讃岐は松平藩城下町の水瓶、大井戸水神。

ひょうっと鎌鼬一匹。






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金毘羅大権現の声無き声

今回はちょっとオタクな話かもです。
先日尼崎から大学時代の友人が来たので、せっかく春だし「こんぴらさん」へ行ってきました。

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折しも金毘羅大歌舞伎の真っ最中!粋だねェ!

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桜もまだまだイイ感じ。桜花はここでも主役級!

まあここには多層構造の参道などが大好で何回も来てるのだが「こんぴらさん」の今の祭神は大物主という超メジャーな当たり障りの無い神様。

江戸時代は天領として伊勢神宮と並ぶ大神域と勢力を誇り、死ぬまでに一度は参りたいと言われた超ド級の聖地にしてはちと物足りない・・・

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そう、江戸時代までは金刀比羅宮は金毘羅大権現を祀っていた、歴史ある神仏習合の神様だ。

今も本殿横の青銅の灯篭などに名残りが残る。

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転換点は明治時代、日本政府は神仏分離令を制定。天皇を中心とした強力な神道国家を作るため、神と仏を分けるように社寺に呼びかけた。

結果これが国内に大混乱を招く。


そりゃそうだ、もともと神も仏も分け隔て無く「ありがたがる」のが日本人の素直な信仰なのだから。多数の社寺や仏像が打ち壊されたり二束三文で売り払われたりした。個人的には中国の文化大革命以上の大破壊だと思ってる。

そしてここ、金毘羅にも廃仏毀釈の大波が訪れる。

打ち壊されそうになった仏像は信者や僧侶によってかろうじて助け出され、四散。毘沙門天像などは岡山の西大寺にある、不明なものは数知れず・・・



僕が今回改めて訪れたかった場所が金毘羅の傍らにある松尾寺。

そう、この寺こそが明治の悪法により金毘羅大権現が寺と神社に分かれたほうの寺の部分。今の「こんぴらさん」は神社の方の金刀比羅宮。

ちなみに現在参道にある無駄に豪華な旭社が、元々松尾寺の本堂だった。なんでもこれを本殿と間違えて、本社まで行かずに帰った人もいたとかw
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こんな建築も、全国至る所で破壊されたんだろう。残ってるのは奇跡!

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屋根の裏にびっしりと彫られた波の彫刻が凄い!さすがは海の神様だ。


そして肝心の金毘羅大権現像も現在の松尾寺にある。場所は海の科学館の裏、ひっそりとした清潔で小さいお寺だ。

運よく住職がいたので桜吹雪が舞い散る中で色々話を聞くことができた。秘仏なので見ることは叶わなかったが、金毘羅大権現は大切に保管されていたよ。安心したw

海よ鎮まり賜えと祈って来ました。

個人的に古代から現代まで全ての神格を飲み込み祭り上げる「権現」「明神」といった器の大きく底が見えないくらい深く謎に満ちた神々が大好きだ。カオスはここに極まれり。


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そして時代に翻弄されながらも歴史ある金毘羅の名残を守っていく虐げられた僧侶達の真摯な姿が、本当に大切なものは何も変わっていないことを教えてくれる。松尾寺は鎌倉時代の弘法大師木像などが間近で普通に見れてかなりお薦め、その姿はまるで生きてるよう。

賑やかなこんぴらさんの表参道の裏にひっそりとある聖地の中の聖地だ。



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でも「こんぴらさん」の境内を普通に散歩すると、そんなウンチク知らなくてもここが本当に気持ちのいい「場所」なんだって事が分かる。そもそも聖地とは地球のツボみたいなもので、人間界の些事は表面的な事なのだと理解してる。

大切なのは、ここでもやはり自然だ。


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巫女さんもいい顔してるw


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ちなみに参道にある謎の穴は、戦時中の国内鉄不足で供出された灯篭跡の土台。





とにかく、日本の自然や神さまは声が小さいので時の政治状況や権力に翻弄されやすい。金毘羅ほどの一大聖地でもそれはかろうじて守られてるレベル。今までそれは近代化の名の下にトコトンないがしろにされ続けてきた。

美しかった山脈の稜線も海岸線も、今のこの列島では見る影も無い。

でも本当に大事なことは繰り返しになるけど全然変わってないんだろうな。あの松尾寺の住職のように声無き声に耳を傾け、気付くことのできる人になりたい。


日本に誇りを持てとか無責任で空虚な言葉だけが昨今よく聞かれるが、そんなものは一度日本の里山を歩いたり登山をすれば自然に湧いて来るものだと思うよ。

海外を放浪して比べればそれは痛い程分かる、日本の自然は本当に多様で繊細、この自然は本当にこの列島以外には無い。

そして僕らの魂は、この自然からこそ産まれて来たのだから。


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おまけ、帰りの善通寺で見つけたボルテックススポット!
※ボルテックス=セドナなどの聖地で有名なエネルギーが渦巻く場所。


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