四ツ國日記

宮脇慎太郎 Photographer / solow  http://www.shintaromiyawaki.com

2013年05月

再訪、グラウンド・ゼロへの記録。

ある日唐突に届いたメール。「広島の原爆資料館の人形が撤去されるって話知ってる?見に行かない?」
最近こんなことばっかりだ。ふっと流れが来る、パッと掴む。旅は突然始まる。でも思えば昔からそうだったのかも。

9.11が起こってからすっかり名称を取られてしまったけど、グラウンド・ゼロ(爆心地)への旅路の記録をば。


ヒロシマ・・・
そして現代日本をデザインした最初で最後の建築家、丹下健三の最高傑作。
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中は撮影が自由。入るのはほぼ10年ぶりか。入場料50円はサービスし過ぎ。
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まず目に入ったのは輝石だった。
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B級SF映画に出てきそうな原爆開発用の装置の数々、逆に無邪気な凶暴さを思わせる。
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ビフォー(しかしこの中州の先端部分かっこよ過ぎ)
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アフター
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1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された新型爆弾により上空600mに突如現れた大火球。約半径2kmの全てが一瞬で消失した。こうして改めて書くとまるでSF、現実感はゼロ。

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そして例の人形・・・
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僕が受けた印象としては、今まで一貫して冷静に原爆の事を展示して来たのに、ここだけ確かに過剰な演出が入ってるように感じた。でも人形があるから恐ろしさが伝わるのも事実。長年あるのには理由がある。
ただこんなに作りこまれたマネキンだったっけ?とも。なんせ10年前の記憶なので曖昧だ。

人々の恐怖を一身に背負った人形たちは、どこか寂しげに疲れてる様にも見えた。彼らが撤去されるのなら、それもアリなのかもなとも。それはきっと開放だろう。この展示が無くても、周りをゆく人々(大半は外人)たちはみな言葉少なだ。何せ長崎と違って広島には市民運動により保存され、世界遺産にもなった原爆ドームがある。印象づける破壊のイメージは圧倒的なのだから。

しかしそれより気になったのは展示を見る日本人の態度。どうも真剣さが感じられない。外国人たちのほうがよっぽど熱心に見学してるようだ。

全てを見終わり、廊下を回りきると一気に視界が開けて眼下に平和公園が。
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眼科には明日から始まる広島最大のイベント、フラワーフェスティバルの準備が進む。写真で見た焼け野原はどこへやら、ほんの60数年ほど前のことだというのに太い樹木が公園に生い茂り、遊ぶ家族、行きかう観光客、平和そのものの風景が広がる。丹下健三はこの風景を見せたい為だけに、ここをこんな構造で作ったのじゃないだろうか。

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そして個人的に行きたかった広島のチベット寺院、龍蔵院へと一同付き合ってもらう。まだ夕方の法要には間に合うハズだった。なんとも形容しがたい喪失感、僕らも言葉数が減っていた。祈りが必要。

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広島駅から車で10分の住宅街の中、丁度法要中!前回の様子はこちら。前々回はこちら

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乾いた心に染み入るように、すっと入ってくるチベット語の読経。リズムが心を落ち着かせていく。

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そうだ、平和とはきっと、心の状態。意味が分からないからこそ感じれることもある。インドのダラムサラに帰る直前のトゲトゲさんにも会うことが出来た。

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そして残る二人の僧侶。
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ここにはこれからも機会があったら訪れたい。手首には、まだこの時巻いてもらたスンドゥ(ミサンガ)がある。
トゥジェチェ(ありがとう)・・・

同行者と別れ、次の日仕事を終わらせて一人帰路。
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最早戦後では無いと言われて久しい21世紀の地球。世紀末よりも世紀末らしく、世界の均衡はまた崩れてきているのかも知れない。次なる終末はいよいよフィジカルなものなのかも?という気さえするくらいだ。

でもいつもそうだ、答えなど出ない。目をつむる。彼らの祈りが聞こえる。

今、この瞬間も。




自分にとって祈りとは何なのだろう?それが答えなのかも?




いや、まだ分からないね・・・











瀬戸に浮かぶバベル、最後の軍艦島へ


長崎にある炭鉱の島、端島。戦艦土佐に似たその異様から、いつの間にか付けられた名称が軍艦島。

大学時代、夏の九州の青空。台風が近づいて来ていた、岸壁に打ち付ける波は、島のどの高層建築物よりも高く波しぶきをせり上げる。空飛ぶ鳥、そしてただ聞こえる波と風の音。かつて世界一の人口密度を誇った多層構造建築物群、密集した廃墟群を仲間と別れ、カメラを片手に一人彷徨い歩く。
不意に開ける視界、端島神社。崩壊した拝殿後に唯一残る本殿前、置かれた大量の供物。みんな、ここを目指していたんだ・・・その島から帰って三ヶ月ほどは、魂がまだあそこにある気さえした強烈な体験。

当時島へと僕を導いてくれた先輩は、瀬戸内海にもあまり知られていないが最後の軍艦島があると教えてくれた。でも僕は卒業後多忙な写真修行時代に入り、その事を記憶の片隅に押しやって日々を過ごしていた。

あれから10年、何気なく訪れた愛媛で手に取った新聞。そこにある四坂島大煙突解体の記事、目が釘付けになった。一気に記憶が蘇ってくる。

そう、それが島の名前。かつて東洋一と呼ばれ住友財閥の基盤を築いた別子銅山、その銅を精錬する工場があった場所・・・何せ最盛期の人口5500人は軍艦島をも上回る。時は来たれり、大煙突聳える洋上のバベルへ、いざ!



四坂は今も完全上陸禁止。奇跡のタイミングで全て整い出港、ここまでもってこれた状況に感謝。

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ほどなく見えてくる大煙突。工場閉鎖後も地元の漁師たちの要望で残されたのも分かる。とにかく目立つ。
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凄い!言葉を失う・・・圧倒的な存在感。
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まるで意思を持っているかのように屹立する大煙突。
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その姿、まさしく瀬戸内海に浮かぶバベルの塔。

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銅屑をそのまま海に捨てて出来た陸地。一部は滝のようになっている。
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侵食が激しく、船で近づくのも危ない状態。
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主な構造物はほぼ解体され、一部の工場のみが今も現役で可動している。
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島に点在する洋風建築群。中に入ってみたい!
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草木一つ生えぬ不毛の大地。二つの島が銅屑により繋がり、今の形に。
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近づきすぎたのかサイレンが鳴り響いた。一旦退散。

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岩城島で休憩&昼食。一転緑溢れる美しい島でした。
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村上水軍の本拠地に突き刺さる現代の剣。
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水軍の末裔たち。
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交通の要所に睨みを利かせるようにある村上氏の廃城。今なお近づきがたい雰囲気。
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島はその殆どが岩山。大阪城の石垣は瀬戸内海の島そのものだとさえ思う。
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行きかう船の多さは、ここが要の場所であることを印象付ける。
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ラストコンタクト、再度四坂へ。
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次にたとえ来れたとしても、多分この大煙突はもう無い。
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最後に目に焼き付ける・・・
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上陸こそ叶わなかったものの、来れてよかった。軍艦島から今日までの日々が一本に繋がった瞬間。
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現在本家の軍艦島の方は一般に開放され、誰もが訪れることが出来るようになっている。経済効果も馬鹿にできないものがあるようだ。世界遺産登録を目指す動きも活発だ。

ひいてはこの四坂島。本体の別子銅山のほうは綺麗に整備され、東洋のマチュピチュとのキャッチフレーズの名の下に、こちらも世界遺産登録を目指す動きもある。しかし本来鉱山と精錬工場はセットであるべき存在。同じ産業遺産として保護や観光化を目指すのなら、この島も合わせて保存されるべきなのではないだろうか。山から島へと巡る産業遺産ツアーなど、想像しただけで人気が出そうなのだが・・・シンボルとも言える大煙突解体は本当にもったいなさ過ぎる。個人的にこの時代の建築物が持つ強いオーラは、その後の建物とは比較にならないと思ってます。出そうと思って出せる存在感では無い。

いつかこの島にも上陸できる日が来ると信じて、今はその時の為に。写真を撮り続けていこうかな。









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