四ツ國日記

宮脇慎太郎 Photographer / solow  http://www.shintaromiyawaki.com

2015年10月

曙光の記憶 vol.8

0018

















この写真は本のデザイナーを務めてくれたuta no taneの森さんが選んでくれたもの。
呼応するページには鹿の死骸の写真が並び、角と根っこの造形が響き合うように配置されており、自分としては凄く気に入ってる見開き。

今回デザインを誰に頼むかという段階で、僕の中では森さんが真っ先に頭に浮かんだ。
まず徳島と縁のある人にやって欲しかったし、何よりも本に女性性を入れたいと思っていた。

自ら写真集をも取り扱う本と雑貨の店を営みながら、地元に根付いたデザイン活動を続けている独自の生き方に僕は随分前から惹かれていたし、共感もしていたのだった。

何かと何かの間で引き裂かれそうになりながらも、人生の意味を全て使う為に闘っている人。そんな人を僕は戦士と呼びたい。戦士と兵士は違うという言葉がある、兵士は誰かの為に命令に従って闘う。戦士は自分の意志で、自分の守るべきものの為に闘う。

東京でスタジオマンをしていた時、当時のオーナーから「いつまでも新人ヅラしてんじゃねえ、お前はもう戦士なんだよ」と言われたことを今でも思い出す、考えたらあの時から自分の生きる道は決まっていたのかも知れない。

この写真集に関わってくれた人はみんな戦士だと僕は思っている。そういう人たちが集まって、一冊の本を作り上げれたことを光栄に思う。


uta no tane ではこの日曜日まで「曙光」の写真展も開催している。徳島でのまとまった写真展はこれで一区切りになりそう、。お店と合わせて是非、見に行って欲しい。



つづく
 

曙光の記憶 vol.7

0010

















この写真だけは実は数年前に撮ったもの。
ある日剣山からの稜線を歩いている時、笹尾根に転々と鹿の死骸が点在している所に迷い込んだ。
まるで鹿の墓場。四国の屋根にこんな景色が広がっているのが信じられず、ただただシャッターを切った。
後で分かったのだが雪解け後によく見られる風景らしく、深い雪に足を取られて身動き取れなくなった鹿たちとのこと。死骸はミイラ化し、腐敗の進行が著しく遅くなっている。

雪に足を取られながらも必死で生きようとしたのだろうか、鹿の首の動く範囲だけ草が短くなっている。そんな必死の生命の本能が流れてゆく最後の方向、彼が最後に見た景色はどんなものだったのだろう。

それは、やはり光ではなかったのか。

決して無駄死にでは無い。たまたま立ち会った僕はそこで何かを受け取った。その写真をここに納めたのは必然だった。

つづく
 

曙光の記憶 vol.6

0019

















日本人はとにかく神社が好きだ。埋め立て地などにも必ず神社は作られ、土地の神を祀る空間が設けられる。
祖谷も集落はもちろんのこと、あらゆる場所に穿たれた杭のように神社が点在している。
この写真は春、落合集落の反対側の斜面にそれらを見守るように建てられた神社で撮った写真。おそらく厳島神社だったと思う。かなり人家とは離れた場所にそれはあったが、外見は廃墟に見えた社殿の中を覗くと、生前と整えられた御幣が並んでいて差し込む光がそれを射貫き、美しさに息を飲んだ。

祖谷の光に反応して素直にシャッターを切った最初の一枚とも言えるかも、この時の直感は後々正しかったと照明されて行く。この土地で一体自分が何を撮りたかったのか、その答えが。

具体的な風景としても魅力的な場所には違いないのだが、自分が求めるものはその先にあったのでした。

つづく
 

曙光の記憶 vol.5

0020

















田舎の秋は一年で一番忙しい季節。地元の秋祭りや諸々が重なり、この記事も暫く更新出来ていませんでした。
今も撮影で鳥取県の智頭町の旅館からこれを書いています。
山陰の山は四国と違ってなだらかで、しかしいけどもいけども山里が延々と続く永劫の輪廻のような世界。 
改めて急峻な山岳地域に住む祖谷の人々の暮らしに思いを馳せる。

この写真は撮影の初期段階で祖谷八景という古民家を改装して個人でやられているお宿に訪問した時のもの。この時宿のお父さんから土地にまつわる色々な話を伺うことが出来た。祖谷の地場料理であるひらら焼きを偶然にも御馳走になることもできたのもこの時。
土地と切り結んでいく時に絶対に必要だと思うことが、その土地の人々と出会い、話を聞くこと。それを繰り返すことで風景はぐっと深さを増し、世界をもっと自分に引き寄せることができる。

今日も智頭町で図書館の司書を70歳まで続けた、という宿のおかみさんの話を2時間ばかり聞いたあとこれを書いてるのですが、改めて大事なことだなと思わずにはいられない。

語られるべき物語は世界に無数にあって、どうでもいい人生など一つもないのだということ。
それを認めることから、自分の人生もやっとこさ始まりだすのだから。

この囲炉裏の火が消えた時のように、人生が終わるまでそれは続くだろう。
唯一の心残りは、背後にある日本酒をいれてもらった紙コップを片付けてから撮影すればよかったかなとうことかな・・・でも酔いながら撮ったこのカットの気持ちは、写真にそして写真集に永遠に封印されたのでした。



つづく


 

曙光の記憶 vol.4

0011

















一番最初に出てくる見開きの写真がこれ。
元々僕は32号線から見える大歩危渓谷の岸壁が以前から好きで、高知に行く時などは時間があれば、わざと下道で行くなどして道路からひたすら崖ばっかりを撮り続けていた。

本当に、この緑と白い石の壁だけで写真集をいつか作りたいと思うくらいに。
春夏秋冬、そして時間帯や天気によって、全く飽きない姿を渓谷のGREEN WALLは見せてくれる。

急峻な為に植林も殆どされず原生林が生い茂り、土讃線の線路だけが現役の人工物として緑に飲み込まれながら存在する。それがスケール感を強調するし、現役の線路だがよく廃墟ですか?と聞かれるのも面白い。時にはここを極彩色のアンパンマン列車が通ることも。

自然と人為、双方の機能美による調和がある。そして緑の木々は一つとして同じものは無い。下方にはとうとうと流れる日本屈指のホワイトウォーター吉野川。

この壁は膨大な枚数があり象徴的でもある為、その後何度かこの写真集にも登場する。自然というものは本当にサイケデリックだとつくづく思う。


つづく


 
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