四ツ國日記

宮脇慎太郎 Photographer / solow  http://www.shintaromiyawaki.com

china alive

manchuria④:精神の型紙

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真鑑真号で同室になり、暫く上海での行動を共にしていた彼。
今では名前もすっかり忘れてしまったが、彼は母親が中国人、父親が日本人。
今では両親が別居して暮らしており、年に数回こうやって船に乗り、母親に会いに来るのだそう。

最初船で同室だったこともあり仲良くなったのだが、彼の話す流暢な関西弁とキャラクターもあって、すぐに仲良くなったし、途中まで完全に日本人だと思っていた。

実際は彼自身その事で日本でイジメにも合い、今も心は日本と中国の間で揺れ動いているそう。実際に中国語はカタコトしか話せず、気分的には日本人だとも。

上海駅までも道があまり分からないとの事で自分と一緒に地図を見ながら歩いて行った。そこに佇む女性に近寄り、照れくさそうに僕に「母です」と紹介する彼。

彼女は完全に関西の肝っ玉カアちゃんタイプで、これから一人旅を続ける僕の事をあれこれ心配してくれ、北京行きの切符を買う手助けまでしてくれた。そして二人の故郷はここからさらに南下する所らしく、僕とは行く方向が間逆。いつかそこに遊びに来いとも。

「必ず行くよ、元気で」と言ってから一枚撮らせてもらった写真。そして叶えられなかった約束。こんな思い出が旅にはいくつ転がっているのだろう。


今彼は日本と中国、どちらで働いているのだろうか。もし中国なら、中国語は覚えたのだろうか。もし日本なら、今も年に数回は真鑑真号に乗って母親に会いに通っているのだろうか。


彼と過ごした船上の三日間を今でも忘れることは無くて、学校の事から始まって将来の事、恋愛の事など色んな話をした。今でも東シナ海の星空を見上げながら語り明かしたそのデッキでの一晩を思い出す。風は生暖かく、天空はどこまでも高く。


言葉が精神に嵌める型紙なら、日本語を母国語として生まれ育った彼は日本人だと言えよう。でもそんな事は大した問題じゃなくて、結局彼と僕が意思の疎通が出来て同じ船の上で笑ったという事実が大事な気がする。



どこまでもどこまでも、混じって交じって合わさって、平らになっていけばいい。



なんとなくだけど、母親の元で楽しい毎日を過ごす彼を想像した。そしてそこに僕が久々会いに行っても、あの時と変わらぬ流暢な関西弁で笑い会える、そんな気が今も、している。



続く


manchuria③:進路を東北へ

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2度目の上海は開発の速度がさらに加速、見慣れた旧市街はどんどん取り壊されているところでした。行き交う人々の服装も、特に女性は目に見えて洗練されてきていた。熱気とクラクションを掻き分け、常宿にしている浦江飯店
へと駆け込む。肩に食い込むバックパックを降ろし、案内されたドミトリーへ。長期滞在者が多く、欧米からのバックパッカーは皆分厚い漢字の辞書を持っていた。この国だけは、それを持たずとも旅を出来るは日本人の特権。中国語を解さずとも、文字を見ればなんとなく意味は分かります。これがその後の旅を大いに助けることにも。

重荷から開放され、それから1週間ほど豫園や人民公園、南京路などをぶらぶらとあてどなく散歩。特に上海駅やバンド周辺の再開発が急ピッチで進んでいるところは足繁く通った。戦前から残った古い建築群は、跡形も無く目の前で解体されつつあり、その背後には巨大な超高層マンションがそびえる。そんな風景が至る所で見られた。オリンピックと万博を控え、国内の成長への熱気は最高潮に達しつつあるように見えました。その昔、日本がそうであったように。それらが二度とは手に入らない風景であるということを忘れ、全てを均一に塗り替えていく近代建築群。コンクリートが可能にした建築家のエゴを形にしたような不気味な塊たち。

その頃、この街は僕が地図無しでも歩ける数少ない海外の街だったのだけど、1週間もいると疲れてもういいかなと思うようになっていました。スターバックスがあるかと思いきや、その隣にはコーヒー1杯の料金でお腹一杯中華料理が食べられる庶民の店がある。理不尽さを絵に描いたような風景も見慣れた頃、神戸からの船の中で同室になった老人の言葉を思い出していました。満州の荒野の話です。その昔、この祖国から遠く離れた国土で、祖父たちが一つの国を作ってしまった現実。それは敗戦のトラウマから抜け出せず、常に内向きな思考をするよう植え付けられた僕の世代から見たら、強烈な国際感覚だと思った。それが歴史上是か否かはともかくとして、自分と同じ民族が過去初めて他国に作った理想郷。

五族協和と王道楽土の満州帝国という知識は、当時の僕にもあった。そして自分の祖父も、憲兵隊長として確かにそこにいたはず。既に他界していましたが、父方の東京の祖父は酔うと必ず戦争の話をした。そして祖母の言葉は今でも覚えています、戦前はみんないい人ばかりだった。日本人は変わってしまった、と。

祖父やあの老人が見た中国東北部の荒野に落ちる、真っ赤な夕日を見たいと思った。そしてそれは今見ておかないと、見れなくなるのではという直感があった。開発のスピードは加速するばかりだったから。

島国を離れ、圧倒的に広大な大陸で彼らが夢見たのはなんだったのだろう。その夢は露と消えたけども、夢は確かに現実でもあった。進路は、東北に決まった。

2005年、真夏のアジアで。





つづく?

manchuria②入港、上海

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船の同室は一人の老人だった。その昔、僕の祖父と同じように戦争で中国に。
凍る黒河、今は亡き戦友。 そして戦後のシベリアでの強制労働。

沢山沢山話をしてくれた。戦争を知らない世代の自分。あまりにドラマチックなその半生を聞くには、 二泊三日の船旅では短過ぎた。

最終日、見慣れた瀬戸内海よりも大きい一本の大河を船は進む。3時間くらい経ってまた景色を見ても、さっきと変わりない風景に思わず溜め息。遥かに見える人工物がほとんど見えない広大な地平線。その下を、大陸の土を含んだ黄土色の流れは果てし無く続く。


そこから支流に入り、船は船は静かに上海に入港した。老人に別れを告げ、一枚シャッターを切る。


中国、到着。






manchuria①東シナ海・真鑑真号

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神戸から出港して一夜明けた朝。東シナ海、真っ黒な海。
70年前、僕の祖父もこの海を見たのだろうか。
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