融(ゆう)の徒然日記

男女・世の中・スポーツ・そううつや、ねことの暮らしなど、融(ゆう)がタイミングも題材も徒然に記します。 かろやかに・やさしく・融通無碍に・・・

チャンスの前髪 供 淵螢戰鵐言功:子連れママ編)

6月29日にこのブログで、子供二人を連れた家族五人連れを手伝い損ねた話を書きました。
今回はそのときの学習を活かしてリベンジ成功!の話です。(リベンジって、おかしいかな・・・)

大阪の阪急梅田駅ホームで電車を待っていたときのこと。私の前には乳母車に赤ちゃんを乗せ、2歳半〜3歳くらいの女の子をつれたお母さん。もちろん手には買い物袋。
この三人が電車に乗るのが大変。歩ける女の子を、電車とホームの隙間に気をつけながら先に乗せ、今度は乳母車。

そこで今度はすっとできました。「手伝いますね」と、乳母車を半分持って差し上げました。
やったー、リベンジ成功!(っって誰に復讐したの??)

梅田は始発駅だから、乗車側と降車側に別れて両側のドアが開くし、停車時間も長いのでまだ楽ですが、普通の駅だと、降りてくる人に気を遣い、後ろに並んでいる人に気を遣い、大変だろうな。

なんと、この親子と、降りる駅も一緒だったのです。降りるときも自然にお手伝いできました。
女の子は、小さい子には珍しく黒のワンピをカッコヨク着ていました。
お母さんも「D&G」の黒Tシャツに黒の細身のパンツだったので、お母さん、ピンクのフリフリとかキライなんだろうな。女の子が保育園の友達の影響で「女の子はピンク」とか言い出さないことを祈りつつ女の子とバイバイして別れました。がんばれ親子!!

余談:今書いていてふと思ったのですが、降りた駅、エレベーターあったかな・・・?もしや、またもや宿題が残ったのか!? 再リベンジが必要なのか!! 待て続報!!(だからリベンジって何?)

融’sレシピ 1:トマトの冷静パスタ(お湯を沸かし始めてから30分)

冷製ではなくて冷静と呼ぶことにしました。命名はcalynさんです。

・まず、パスタをゆでるお湯をぐらぐらと沸かします。

・その間にニンニクスライスをオリーブオイルでいため、キツネ色になったら取り出します。

・そこにトマトを一センチ角に切って炒めます。トマトは一人前に小一個くらい。皮は剥かなくて結構です。トマトの水分が出てきたら、白ワインを大匙1×人数分を加えて2〜3分煮詰めます。

・塩少量と、生春巻きでおなじみ、スイートチリソースで味を整え、最後にセロリの茎のほうを斜めに切ったものを加えてかるく熱を通します。塩はほんの少量、スイートチリソースは一人前カレースプーン山盛り二杯くらいと大胆に!

・できたソースを、小ボウルに移し、大ボウルに氷水を入れ、湯煎の逆の要領で、大ボウルの中で小ボウルのソースをかき混ぜてキンキンに冷やします。

・パスタが茹で上がったら、そばの要領でざるなどを使って水洗いし、キンキンに冷えたソースに合わせ、引き続き氷水でひやして、さらにキンキンに。最後に皿に盛って、キツネ色のニンニクスライスと、彩りにセロリの葉の部分をちぎったものをぱらぱらと。夏に最高!!

★ポイント★:セロリは、しんなりするまで炒めないで。しゃきしゃき感が残っているほうがおいしいです。
氷、たくさん要ります。コンビニでロックアイスなんかを仕入れておくとよいと思います。
冷やすとき、とにかくかき混ぜてください。単につけておいてもなかなか冷えません。

※使用上の注意※:我流なので、いつも食材や調味料の量を測っていません。お好みの味と量、見つけてくださいね。

余談:時々、オリジナル料理のレシピ、載せることにしました。三連休で三食料理して、久々に料理欲求が目覚めてしまったのです!! 気晴らしにぜひお試しを!!

病と離婚と復活と・・・

今年、怪我からの復活を遂げた私の大好きなスポーツ選手が、怪我で長期にわたって戦線を離れているときに離婚していたことを知りました。
母と飲んでいるときにそのことを話したときのことです。
私も「うつ」でどん底のときに離婚を経験し、シンパシーを感じたから話題にしました。
復活してきた彼に対する賛辞が返ってくると思っていました。

ところが、母からは「結局名声に惹かれて結婚したんやな。そんな女、あかんわ」という言葉。
感情的になってしまいました。多少はお酒のせいもあります。
でも聞き流せませんでした。

私の元の妻のことも同じように言われたように感じたから。
私も、自分が仕事をすれば同期でトップ、空手をやれば異例の昇級、となにも怖いものがないくらいの勢い(→今思えば自分が思い込んでいただけでしたが)のときに結婚し、どん底のときに離婚。

でも彼女は、私の名声に惹かれて結婚し、それがなくなったから離れて行ったのではありません。

一年以上にも渡る心の病人との生活、それは想像を絶する辛さだったことでしょう。
私も、自分のせいで大好きな人がどんどん辛くなっていくのを見ているのは本当に辛かった。
このまま一緒にいれば二人とも共倒れになる、と思って出した結論でした。

奇しくも、その後私も、大切な人のうつを支える側に回るという経験をしました。たったの三ヶ月だったけれど、本当に辛かった。そして、元の妻への感謝の気持ちが尋常ではなくなりました。
一年以上、あの状態だったんだ。ハードに仕事をしながら、帰ってきたら変わり果てた自分の好きな人。
その人の心はどんなに水をあげても緑が生えてこない。
将来への不安。そして本来それを受け止めるべき私にはなにも相談できない。

なんてかなしい。

私達(元)夫婦は、最後の瞬間まで、いや、今だってお互いの幸せを心から祈っています。
それでも、いや、だからこそ離れるしかありませんでした。

「いいとき」だから結婚して「悪くなった」から離婚して、「離婚したから」復活したんじゃありません。
すべて、お互いのことを思い続けて出した結論でした。
単純に「そんな結婚ダメだ」などと、誰にも言わせない。

余談:この話はあまり書きたくありませんでした。いま、病と闘っていて、もしかしたら離婚を考えている人もいると思うから。そうした人に、やはり「離婚すべきか」と思わせてしまうのが怖いから。人はそれぞれ、環境がちがいます。私とは違う方法もあるはずです。どうか、急いで結論を出さないくださいね。お願いします。

恋愛と自分と神様

先日読んだスポーツ雑誌。(立ち読みです。スミマセン)
女子アナウンサーの対談があった。
そこにはこんなくだりが。
「ピッチャーの配球は一生分からないと思う」
「私も男友達に『女に配球のことなんか言われたら引く』って言われたんです。『確かにそうかも』って。それ以来、そういうことは言わないようにしていますね」(→記憶ベースなので正確ではないかも。でも私にはこう読めました。)

ため息。
そこにいるのは、「すでにある価値観」に合わせて道を選ぶ女性。
自分が、新しい価値観を切り拓くつもりは全然ないのだな、という事。
私が彼女の立場だったとして「女に配球の事なんか言われたら引く」と言われたら、「私がそんなこと変えてやる」と思うと思う。
「ピッチャーの配球は一生わからないと思う」
そんなの、男だって、ホントの意味では誰もわかってない。
それを女だからわからない、にすりかえてる。誰だって政治の事分からなくたって文句言ってるじゃない。

さみしい。
つり広告見てても、女性誌の見出しは「好感度UP」とか「彼に気に入られる」とかいう方向ばっかり。
自分の価値観を通し、それを認めさせるだけの自分を磨く、そのために努力する、という方向の見出しは見られない。

悲しい。
そんな女性が、男を勘違いさせる。「女は男に気に入られたいんだ」と。
そして、勘違いした男に気に入られようと、女は自分を通す努力を「気に入られる努力」に置き換える。
そしてそれがさらに男を勘違いさせ、自分も「選ばれる立場」だと言うことを忘れて男は努力を怠り、魅力を失っていく。

尊敬できる人を好きになろうよ。
自分を通した上で、自分の尊敬できる人から尊敬を受けるために努力しようよ。それで嫌われるなら、その程度の相手なんだよ。

お互いを高める努力をさせるために神様は「男」と「女」という二種類を作ったのではないかなあ。

お互い、怠惰な自分を安心させるため、馬鹿にできる相手を作るために二種類が存在しているのではない、と思いたい。

私はそう思う自分を通し、その上で尊敬を勝ち取るために、精進していたいと思います。

余談:ああ、恋愛したい!!もう。


うつを支えるみなさまへ

つまずき、ねこんだ こころを ささえてらっしゃるあなた
もうすこしまってください

あなたのたいせつなひとのこころがつまずいたのですか?
あなたじしんのたいせつなこころがつまずいたのですか?

いまは、わらえません かんしゃできません
でも、それは ほんとうのすがたでも、ないし
こころがわりでも、ましてや ひとが かわったわけでも ありません

びょうきなんです

かぜをひいたら ごはんが おいしくありません

こころが かぜを ひいたら、 かんしゃ や よろこびが あじわえません
どんなおきにいりをたべても にがいあじしかしないなんて
なんて かなしい

もうすこし まってください
あなたの こころを
あなたの たいせつな ひとの こころを

きっとまえより つよくなって みりょくてきになって
もどってきますから

かぜはなおりますから

かぜがなおったとき ごはんが まえよりおいしいし おさけも のめます
こころがなおったら ありがとうを こころからの ありがとうをいえます
あなたや じぶんを あいしていることを おもいだします

まえよりも もっと すなおに ありがとうを いえます

あなたを、あなたのたいせつなひとを もっと すきになれます

のこりの じんせい、だれよりもたくさん ありがとうをいえるひとに
なれます

もうすこし まってください

あなたじしんを
あなたのたいせつなひとを

仕事と空手の稽古とわたくし

今日、あたらしい職場でマナー研修を受けました。
電話の取り次ぎ方など基本中の基本です。前の会社の新入社員研修を12年前に受けて以来の研修内容。

とってもためになりましたとも。
基本中の基本も、録音までして講師の方に指摘していただいて気づくことイッパイ。

で、思い出したのが空手の稽古でしょっちゅう言われてたコト。

空手の稽古はよくご存知のように「基本動作」は上級者から初心者までならんでみんなで同じコトをやるわけです。
そこで師範がおっしゃってました。「同じ動作をしていても、黒帯のそれと白帯のそれは同じであってはならない。また、基本動作をおろそかにやると、「おろそかな動作」を100回、200回と繰り返すことになる。実戦のつもりで100回繰り返す者とは1年後、ものすごい差がつくことになる

本日それを痛感。
12年間、それなりに経験を積んでやってきた基本の「電話応対」をここで見直せてよかった。

これ、電話応対だけじゃないぞ。仕事のすべてに当てはめよう。

これ、ビジネスだけじゃないぞ。恋愛、人間関係、すべてそうだ。

丁寧に、真摯にいきましょうとも!

余談:空手の稽古、再開したいなあ。もちっと健康と仕事に余裕出るまでお預け!


パートナートの暮らし、「紅白」か「ピンク」か

今回はパートナーとの暮らしに絞って書きます。
それはあなたは「紅白派」か「ピンク派」か、ということ。

これはなにかというと、生活の習慣やルールを、両者のものを合わせて作っていくタイプか、それとも、「陣取り合戦」のように自分のルールをいくつ相手に認めさせるかにこだわるタイプか、ということです。

つまり、紅と白のまだらに生活が出来上がっていくのか、紅と白が混じって新しいピンクの生活ができていくのか、ということです。
私はピンク派です。

母親を除いて、二人の女性と暮らしたことがありますが、最初の女性(Aさん)はピンク派でした。次の女性(Bさん)は自他共に認める「紅白派」。
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チャンスの前髪(家族連れ編)

チャンスの女神には、前髪しかないそうです。向こうから近づいてくるときは髪をつかむチャンスはありますが、一度過ぎてしまうと、後ろ髪はないのでもうつかめない。スポーツや、ビジネスの世界でよく言われる例えですがわたくし、街中(まちなか)で痛感しました。

大阪梅田の阪急デパートから東梅田駅方面をつなぐ大きくて広くて長い階段。そこを上る私。前方からはデパートの紙袋を満載したベビーカーを両側からかかかえて降りる「お母さん」と「お婆ちゃん」、心細そうに歩く「三歳くらいの女の子」、その妹と思しき「赤ちゃん」を抱いている「お母さんの妹」の五人組。(続き柄は想像です)

とっさに「お手伝いしましょうか?」とお母さんとお婆ちゃんに声をかけました。が、相手は「あ、結構です、大丈夫です」といって私たちはすれ違いました。

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「生理的にキライ」の正体を考えた。

私には生理的にきらいな人、というのが存在します。「私も『こういうタイプ生理的にダメ』という人がいる」という人は少なくないのではないでしょうか。ただ、私、ずっと前から思ってるんです。他人が、「あの人、こういうトコが生理的に嫌い!」と言うのを聞くと、言ってる本人と、嫌いの対象となる人、「似てる」と思うことが多々あるんです。

近親憎悪なのかな、と思ったりします。普段は意識していないけれども、「自分の深い部分が気づいている自分の弱さや醜さ」を連想させるような人を見たとき、無条件に遠ざけよう、否定しよう、としているのではないか、と。その気持ちが「生理的嫌悪感」の正体なのではないか、と思うのです。それは、自分の弱さ、醜さを認めたくない、向き合いたくない、という一種の自己防衛なのではないでしょうか。
もうひとつ考えられるのは、「自分の中の抑えた欲求をあからさまに体現している人に対するジェラシー」かもしれません。

そして私は「生理的にキライ、無性にハラが立つ相手」に出会うと、自分に言い聞かせるのです。「自分も外から見たらこう見えているかも知れんぞ。この人とは決して友達になれないが、自分の内面を映し出す鏡かもしれないことは心に留めておこう。そして、この人に感謝。だって、こんな風になりたくない、という事を体現して教えてくれているのだから」

余談:普段冷静な人が、親や兄弟など家族に対しては感情的になってしまうのも、相手の中に自分をみてしまうからかもしれませんねえ、って自分のコトです。反省。

新しいステージへ

明日から新しい職場だ。
新しいシャツ、新しいネクタイ、新しい香りを仕入れてきた。
主治医にも会って「安心」をもらってきた。
自信はない。けど、意味もなく不安になることもない。

やってみる。
できる限り。

何度目だろうか、こうしたチャレンジは。

今度こそモノにしてみせる。
「自分の弱さを知っている強さ」をたずさえ、
一度はコントロールを失った自分の心を、もう一度この手に取り戻すのだ。

「世界一強い女」・・・心をコントロールすることへの挑戦

私の大切な本を紹介します。その名は「世界一強い女」
「うつ」に苦しみ、やっと最近そこで学んだことをもとに新たなステップを歩き始めようとしている私にとって、とても大切な一冊です。

著者は江口美幸氏。極真空手(きょくしんからて)の女子軽量級世界チャンピオンです。
「本の虫」と呼ばれた文学少女が空手と出会い、世界チャンピオンになるまでの話なのですが、例えば、「ロッキー」(←フィクションですが)みたいな成功物語でもなく、「日本代表かく闘えり」(←架空のタイトルですが)みたいな単なるスポーツドキュメントでもありません。(もちろんそのように読もうと思えばそう読めますが)

ずばり、自分の「心」をいかにコントロールするか、言い換えれば「自律」に関する本だと思っています。続きを読む

私は「愛のエプロン」がキライ

「愛のエプロン」がゴールデンタイムに移ってずいぶん経ちます。私はこの番組がキライ。
私は好き嫌いを表明するときにはできる限りその対象を知ってから、と思うのですが、この番組は少ししか見ていません。番組の作りがどんなものか、が分かる範囲でチラッとみただけ。それを前提で書きます。キライな理由は「食べ物の扱い」と「女性の扱い」の二つ。
ひとつ目の、食べ物の取り扱い。私は食べ物を粗末にする番組はキライなのです。これは、エコがどうとか、「もったいない運動」がどうとか、ではなく、育てられ方のせいと思うのですが、理屈ぬきでダメ。酒を飲んでハジけるのは大好きですが、お酒にこっそりソースや調味料を入れるようなイタズラはゆるせないのです。いっとき流行った大食い番組もキライでした。
で、「愛のエプロン」。はっきり言って食材の取り扱いが悲しい。番組としてはどちらかといえば、いや、ズバリ、「マズイ料理」ができることを楽しむ番組になっているようです。その、「確信犯的にマズイ料理を作るために食材を使う」ことにものすごく抵抗があるのです。審査に回るタレントや料理研究家が「まずーい」というときのリアクションと、そんなひどい料理をしたタレントを笑うことが番組の主眼になっているわけですから、食べ物を使ったイタズラをゆるせない私にはゲンナリ、というわけです。

二つ目は、作り手が必ず女性であること。こんな番組が娯楽としてなりたつのがちょっと理解できないのです。「料理を作るのは女性で食べるのは男性。しかもあろうことか、食べる男性は、「自分が料理できようができまいが、作ってもらった料理に文句をいうのは完全に自由」というおそろしい構図が毎週、ゴールデンタイムの番組で繰り広げられている・・・なんだか「悲しみが〜止〜ま〜ら〜な〜い♪」という古い唄がそれこそ止まらないのです。まあ、人気の女優やタレントが出てきて、「あの人あんなにキレイなのに料理はダメなのね」という意外性というか、ある種人気者のダメなところを垣間見せて笑いや親近感に持っていこうとしているのだと思います。その手法はかまいません。でも、つまりこれは前提に、「魅力的な女性の条件」に「料理ができること」が入っている事を示しているとも思います。そこが私のアンテナに触れるのです。

はっきり言って、料理のうまい下手とその女性の魅力はまったく別物だと思うのです。料理はスキルの一つであり、車の免許や、スキーや英検や、たて笛やテコンドーと同じだ、と。もちろん、なにかのスキルを身につけていることは十分に魅力的ですが、「女性における料理」に関しては違ったニュアンスがあるのを否定できる人は少ないのでは?単純に、この番組が、女優にテコンドーをやらせてみて成り立つかどうかを想定してみれば、私の言いたいことがご理解いただけるかもしれません。いや、「料理」は、たて笛やテコンドーより、実務的・生活密着型のスキルだから、余計に「身につけていて魅力的」からは遠いかもしれないとさえ私は思います。

自分でおいしい料理を作りたい人はそのスキルを身につけるし、自分でおいしい料理をつくることにこだわらない人はそのスキルを身につけない。料理のできる人はそのことから喜びを得る、空手のできる人はそのことから喜びを得る。そうでない人はそうでない。ただそれだけの話。
すべての女性は、誰かのヨメ候補でもなければオカン候補でもないのです。

以上、二つの理由で私はこの番組がキライ。結構人気あるとしたら、そんな世の中、ドキドキする。

余談:そのうち、番組改編時期のスペシャルなんかで、男性タレントが料理して、いつも笑われてる女性タレントに食べさせる企画、ありそうな気がする。「激マズ女優リベンジ!!」とか言って。だからといって、「理由その1」があるから見たくはありませんが。女性と料理についてはほかにも書いてます。自分でトラバしたので、ご興味のある方はどうぞ。

交流戦、面白かったけど提案

交流戦、面白かったですね。阪神ファンだからなおさらそう思うのかもしれませんが。でも36試合、ちょっと長かった。
で、提案が。2年間で36試合、これどうですか?

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トリビアの泉と数字のマジック

今日、(2005/06/15)トリビアの泉を見ました。
数字について気になったトリビアがひとつ。それは「双子の姉妹の男性の好みが一致する確立は73%」というトリビア。
いつものように統計学で割り出した、70組の双子に、10人の男性の写真から、第一印象だけで好みが一致するかどうか、という実験。結果、70組中51組が同じ男性を示し、73%という数字が。
おお〜やっぱり、双子は好みが似るんだ〜、という感想ですか?
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男の脳とおちんちん砲

男って、銃や闘いやが好きですよねえ。私の友人に2005年現在4歳半の女性がいますが、彼女の周りも、教えてないのに、男の子はヒーローごっこ、女の子はおままごと、みたいに分かれてきています。成長して、理性の部分で「銃はイヤだ」「人を殺すゲームは嫌いだ」となる人もいますが、どうも、根っこの部分で、銃や闘いをカッコイイと思う部分は男性に強いように思います。
わたし、断言します。きっとおちんちんのせいだと。

男は、放尿するとき、狙いをつけます。狙い通りに行くと満足です。毎日毎日、一日3回も10回も、「シューティング」してるんです。「撃つ」「狙う」のが好きにならないハズがない!と思うんです。

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うつと岩隈と私〜♪

先日、主治医に会いました。
現在再就職活動中なのですが、どうも不安感が強いので。
面接では主治医に「もう大丈夫」と言われたことをバックに、自信を持った感じで売り込むわけですが、その一方で、「以前のように頑張ったら『またしんどくなるのでは』という不安が先にたって、就職しても自分を信じられないばかりに本来の力が発揮できないのではないか、そうれがまた自分を苦しめるのではないか」という不安が面接を受ける回数が増えるにつれ増して来たからです。
先日、プロ野球交流戦「阪神-楽天戦」で楽天のエース岩隈をみていて自分を重ねてしまいました。あんなに実力のある人でも、自分のチームの打撃や守備を信じられないせいで、ちょっと打たれただけで顔が引きつり、腕が振れずに本来のピッチングができず、また打たれる、という悪循環を見て、自分も自分を信じられずに苦境に陥るのでは??と怖くなってきたのです。まあ、日本を代表するピッチャーに自分を重ねるってのはオコガマシイですが。
主治医は野球好きで同じ阪神ファンなので、正直に岩隈の話をしました。
そしたら、すごく楽になることを言ってくれました。


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73歳女性との暮らし

短かかった結婚生活の後、昔一緒に住んでいた女性と再び暮らし始めました。
その女性とは2005年現在73歳の母。

しばらく離れていて、再び一緒に暮らし始めるといくつか気づくことがありました。要するに「さすがに年とったなぁ」と。
ようするに心身ともに衰え、鈍くなった感じがしていたのです。
しかし、しばらくするうち、「ちょっと待てよ」と思うようになりました。

たとえば、テレビを見ていて、同じ事を何度も聞く事がたびたびあり、ちょっとドキドキしたり、「なんでそんなことが分からないの?」と若干イライラしたり。なんか理解力や記憶力が落ちてるなあ、このままゆるやかにいわゆる「ボケ」てゆくのかなあ、と思ったり。

しかし、しばらく観察するうち、テレビや電話からの情報に関しては視力、聴力の衰えで、理解力や記憶力のせいではないらしいことに気づきました。

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ミハエル・シューマッハを褒め倒そう

F1、ミハエル・シューマッハ&フェラーリが苦戦中(2005年6月)。
昨年まではフェラーリ&ミハエルがぶっちぎりで「面白くない」という声が聞かれました。確かに、レースの面白みは少なかったけれど、「ミハエル嫌い、強すぎるから」というのは、とっても悲しい。強すぎることで面白くない場合、文句を言う相手は、ライバルたちのはず。相撲における朝青龍もおんなじ目に合っているような気がします。
今、F1を見ている人はミハエルの走りをリアルタイムで見られる幸運をしっかり認識すべき、と思っています。ミハエルのキャリアも、「これまで」より「これから」のほうが確実に短くなっています。
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”教室に爆弾”に思う

生徒が教室に爆発物を放り込むという事件がありました。
きっと、これから報道では、「一体何が彼にそれを」と推測探索憶測が始まります。一般の報道では誰も言いませんが、ほとんどの生徒が一度や二度、夢想する類のことだと私は思います。犯行そのものにはまったく賛同できませんが、そこに至る心境は誰でも心当たりがあるのではないでしょうか。
私自身も、中2〜高2くらいの時期、顔のすぐ内側で沸騰するような「怒気/殺気」を抱いたことは一度や二度ではありません。むしろ、そうした「怒」と「脱力」のどちらかばかりだったような気さえします。
まっさきに思い出したのは、大槻ケンヂ氏の著作「90くんところがったあの頃」(角川文庫)の中の「コロラド高校生銃乱射事件!おれもあんなだった」という章です。そこにはこうあります。続きを読む

気になるCM「まだ母さんでいいのかなあ」

このCMご存知ですか?お酒のCMです。
「母さん、まだ母さんでいいのかなあ・・・」と男性
「・・・なんて呼んでくれるんですか?」(微笑)
(娘と思しき女性のウェディングドレス姿がインサートされる)
「・・・いいか、母さんで」
(娘が結婚して家を出た夫婦が、「母さん」と呼ぶのは終わり、「二人」にもどったことにふさわしい呼び方を考えているシーンかと思います)

いい夫婦のお供にこのお酒、的なCMになっていると思います。
でも!でも私は言いたい!!
ホントは子供がいる間も名前で呼び合うべし、と。

私は子供が生まれる前に結婚生活が終わっているので実践したわけではないのですが、そのつもりはありました。
もし、「そりゃあんたはそう言うだろうけど、俺/私のころはそんな、子供ができたら人前で名前で呼び合う夫婦なんていなかったよ。時代だよ時代」と時代のせいにしようと思われる方、反証させていただきます。
私の知っている夫婦は、夫が昭和2年生まれ。妻が昭和7年生まれ。2005年現在、78歳と73歳ですが、二人は昔からお互いを、子供の前でも「○○たん、□□たん」と呼び合っています。
ま、実際には夫のほうが亡くなっているので過去形ですが。バリバリの戦中派です。夫のほうは予科練に行ってましたから。
ちなみにこの夫婦は私の両親です。私たち子供の前でお互いを「○○たん、□□たん」と呼び合っているのは自然でした。私は大学生くらいになって、ある日突然、両親のその習慣を「これってラブラブ?っていうか名前ならともかく『〜たん』って・・・」と気づいて一人で赤面した思い出があります。同時に、そういう夫婦が少数派らしいことに気づいたのですが、このCMを見ると、今もそういう夫婦は少数派、という前提らしきことが伝わります。
相手を、家族の役割(父さん・母さん)で呼ぶのか、個人に結びついた名称で呼ぶのか、は意外に深い問題かもしれません。最近は親を、「ちち〜」と呼ばせたり、祖父祖母を「おじいちゃん・おばあちゃん」と呼ばれる/呼ばせるのに抵抗があって「○○さん」と名前で呼ばせたり、という人も増えています。逆に、兄や姉は大抵「兄ちゃん・姉ちゃん」に対し、弟/妹は大抵名前で呼ばれることなども、そこには何かありそうですよね。会社でも役職名で呼ぶところと、○○さん、で通すところがあったり。
相手をなんと呼ぶか、は意識しないと流されがちです。しっかり考えた上で選びたいですね。一度習慣になってしまうと変えにくいですから。

余談:人前で結婚相手のことを、つまり男性なら相手を「奥さん」なのか、「妻」なのか、「家内」なのか、「ヨメ」なのか、それ以外なのか、も自分でしっかり選びたいですね。私の短い結婚生活ではお互いのことを他人に説明するときには「夫」と「妻」を使っていました。やむなく、という感じです。ホントは性別に関わりなく結婚相手を説明できる言葉があればよかったのですが、「配偶者」じゃ硬いし、「パートナー」ではスノビッシュだし、「相方」だと、ここ大阪では本当に漫才の相方と間違われる可能性があるので。
融(ゆう)の事
大阪在住。
うつのリピーターと思っていたが、躁鬱だった。
ただいま躁鬱と仲良くやっていく方法を模索中。
人が死なない小説・ノンフィクション・猫・極真空手・阪神タイガース・子育てマンガ
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