融(ゆう)の徒然日記

男女・世の中・スポーツ・そううつや、ねことの暮らしなど、融(ゆう)がタイミングも題材も徒然に記します。 かろやかに・やさしく・融通無碍に・・・

2005年11月

かんげい。なまり御一行さま

日本語ブームと同時に、「なまり」も流行っているみたいです。
私はとってもいいことだと思います。

そもそも、今まで共通語を尊び過ぎ。どこに言っても大阪弁を話す大阪人である私は常々そう思っていました。

英語を学ぶ際にも、日本人の共通語幻想は強くて、「なまりのない英語を学びたい」という人がいますが、それは幻想で、正体はアメリカ英語だったりします。イギリス英語やアメリカ英語、オーストラリア英語などはどれが正しい、ではなく相対的なもの。イギリスに行けば「あ、アメリカなまりだ」といわれるわけですから。
東京の人はなまりがない、というのも幻想で、あれは東京弁。

共通語はオフィシャルの場や、書き言葉だけの架空の言語です。

全国ネットは仕方ないにしても、せっかく地方テレビ・ラジオ局があるのだから、地方のなまり全開で放送して「テレビによってなまりが消えて標準化されてゆく」などということのないようにして欲しいくらい。大阪の地元ニュースでは、イントネーションが大阪弁のニュースはありますが、他の地方はどうなのでしょう。

夕方にやってるドラマの再放送なんかも、地元の声優でふきかえたら面白いのに、と昔から思っていました。見てみたいんです、大阪弁のキムタク。あ、えなりかずきも大阪弁しゃべったら面白そう。

余談:マシューTVの「なまり亭」の「なまり禁止ゲーム」が楽しいです。大阪人が出ているのはみたことないのですが、本上まなみさんが自分の文章の中と同じように「おかん」と言うところ実際に見てみたいものです。あ、天王寺の子の黒谷友香さんなんかもいいかも。

「べし・べからず」の男

常々思っていることが。
それは「男はべし・べからずで生きている」、ということ。
それを強く実感したのは、シングルマザーの彼女と付き合っていたときのこと。

私と彼女で当時三歳の子の面倒を見るのですが、私は(キャリア不足もあって)つい「○○しちゃダメ」「△△しなきゃダメ」がとても多くなった。

対する彼女は、子供の目線に立ったり、プライドをくすぐったりしながら、衝突せずにうまく子供をあるべき方向に誘導していました。
そのとき、子育てキャリアだけでない差を感じ、それがどうも、男は物事を「すべきかすべからずか」の二元論で捉えていることが原因だと思い至ったのです。

程度の差こそあれ、これはある程度男性に共通した性質のように思います。
そのことに気づいてから、彼女のやり方も取り入れ、子供ともよりいい関係を結ぶことができましたし、ささいなことで口うるさく言うことはなくなりました。

女性の皆様、男は張り切ると「べし・べからず」論法になってくるので、うまくほぐしてやってください。

余談:男性が「べし・べからず」だとすると女性は「したい・したくない」かな、と言う気がします。私も短い子育てお手伝い経験を通じて、少し女性の軽やかな面を学べてたらいいのですが。


-迷い-

迷っています

自分がいま何をなすべきか、なさないべきか

躁鬱だとのこと
たしかにそのようです

過去を振り返れば、ハイだったこと、ローだったこと  さまざまあります
病気、なのでしょう

では、どこからどこまでが自分?
どこからどこまでは病気のせいだったと、あきらめれば、また安心すればいいの?

そもそも病気も含めて自分だとみとめて生きてゆくの?
それともこの病気を追い出すのだと、そこから新しい自分なのだと
思えばいいの?

これまでの道のり
ながいこと躁鬱君と一緒にいたことは確か

「躁」はよくわからない
でも「鬱」は学生時代すでにあった
成績ではなく出席日数で卒業が危なかった

もう15年近く前の話

そんなにも前から病気との付き合いは始まっていた

今まで捉えてきた「自分像」がおおきく揺らいでいます。

余談:自分を含め、「私」を知る人全員が「私」の像をさまざまに描いているのだから、「自分像」などもともと幻のようなものだ、と思ってはいるのですが・・・それでもなかなかキツイものがあります


K-1つれづれ:セフォーはすごかった

私が注目ファイターに挙げたシュルトの圧勝に終わったK−1。
あれだけの強さを見せられれば「体格=強さなのか」という疑問の余地なく、単純に「シュルト=強い」と言う印象ですから、K-1の面白味も保たれ、事実視聴率も歴代二位だったそうでめでたし。

ところで私のもっとも印象に残ったのはレイ・セフォーでした。
彼はファンの間では「名勝負製造機」とも言われ、相手の強さに関係なく面白い試合を:弱い相手なら華麗に一気に、強い相手ならぎりぎりのせめぎ合いを高いレベルで:見せてくれる選手。

地上波では伝わりませんでしたが、CSでは生中継だったので、シュルトとの試合もすべて見たのですが、壮絶でした。

後で、直前に高熱を出すというコンディションだったと聞きましたが、その状態で3ラウンド、フルにあの強いシュルトと闘い、いや一方的に殴られ続け、それでも立っている姿は感動を通り越して背筋が寒くなるような怖ささえ感じました。

一番楽なのは倒れて試合が終わること。
なにしろ、相手に一太刀も浴びせることが出来ず、ただ攻撃を受けるだけ。それも準決勝、決勝とボンヤスキー、フェイトーザをKOした攻撃力を全身で受け止めていました。判定に持ち込んだところで勝ちの目は一切なし。
その状況で、立ち続け、あまつさえ相手に「来い来い」とジェスチャーまでして見せました。セフォー、ほとんど泣いていましたよ。リングの上であんな顔する人見たことない。だって普通はそれまでに勝負がついているから。

弁慶の立ち往生とはあのことですね。惚れました。

余談:個人的にはフェイトーザの躍進に心躍らせました。極真vs正道の対決となった準決勝、萌え、いえ燃えたなあ。準優勝で、彼も偉大な先輩フィリォに一つ並びましたね。よくやった!!ベスト4にカラテをバックグラウンドにした選手が3人も残った、と言う意味でも記録に残るK−1でした。満喫。

夢、探さねば

昨日の、高橋尚子選手の発言を受けて。
「夢を持てば、充実して日々を送れる」

いたく胸に響いたことは昨日書きました。
一日経って考えてみてちょっと悲しいことに気づきました。

「今、夢、ないじゃん」

思えば、病気で倒れ、それを自覚して、それをきっかけに色々失ったり、生活が変わったり・・・そんな日々の中で・・・

夢なんて、長いこと考えたこともなかったなあ。

マイナスをなんとかゼロにすることばかり考えて、ゼロをプラスにする、つまり夢なんて及びもしなかったというのが正直なところ。

気づかされました。病気だったからって夢を持っちゃいけないわけじゃないですもんね。過ぎた日々は戻ってこないので「元通り」なんてことはないですもんね。

マイナスをゼロにすることも大事だけど、そこからのプラス、追いかけていかなきゃ。失敗を恐れすぎて、失敗してもダメージが少ないように大きな目標(夢)を無意識のうちに避けてたのかも。反省。
気づけてよかった。

柄にもなく勇気付けられて

今日の(2005/11/20)の東京国際女子マラソン。
高橋選手が鮮やかに勝ちました。

35舛鬚垢てのスパートは、本当に羽が生えたように見えました。
その姿をみて、彼女は「天性の・天然の」ランナーなのだな、と感じました。間違いなく走ることが楽しくて好きでたまらない、という姿でした。

以前、異例のインターバルでマラソンに挑戦しようとして、陸連からとめられ「走らない」という選択をしたことがありました。「走らない」という選択をしたそのときから彼女の歯車は狂ったように思います。楽しく走っていること、それが彼女の自然な姿なのでしょう。

そして、彼女のことば「目標を失ったり、暗闇にいる人も、夢を持つことで今日を充実して過ごせる」と言う言葉は病気のことなどでもやもやしている本当に私の胸に響きました。基本的に感情移入を抑えて、客観的に見ようとすることの多い私にしては異例の事です。

レース後の言葉を待つまでもなく、羽の生えた彼女をみた時点で、すでに勇気付けられていたのでしょう。

すばらしいレースをありがとうございました。


余談:波乱のK−1については明日以降書きマース。なにしろマラソンがよすぎた。

メイドカフェの隆盛に思うオヤジとオタクの関係

メイドカフェ、ついに一般のニュースで取り上げられるようになりました。
オタクの嗜好について、思うことがあります。オヤジ(悪い意味で)と同じだと。

オタクの嗜好はメイド、妹などいわゆるロリコン方面にあります。
これは男(自分)の言うことに従順でいてくれることを女性に求めいてます。
童顔で巨乳のグラビアアイドルがもてはやされるのも、「童顔=自我が薄くいいなりになりそう」で、「巨乳=カラダはセックスの対象として成熟している」という像を、好んでいるのです。

社会で女性が知識や教養、仕事力を身につけることを嫌い、男の言うとおりにしていればいいんだ、というオヤジや、家事を黙ってやってればいいんだ、というオッサンと同根です。

女性もすすんでメイドカフェで働いている、という反論もあるでしょうが、マーケットとして大きくなれば、そこに労働力が流れ込むのは当たり前でしょう。問題はそこまでそのマーケットが大きくなっていること。

社会は、性別に関わらず知性や人格を尊重されなければならないのに、どうしてもそれを望まない層が後から後から生まれてくるようです。

世の中、「ガキ」と「オヤジ」ばかりが増え「オトナ」がどんどん減っているように思うのは私だけでしょうか。女性も「ガキ」からいきなり「オバサン」になる人結構いるように思います。

余談:マーケットがここまで大きくなると、メディアもほうっておかないでしょうから、そうした嗜好を助長する方向に進み、どんどんロリコン嗜好国になるのでしょうね。(ため息)

発表します。うつ君が来てます。

こないだ笑顔で送り出したはずのウツ君がまた来ています。
症状がひどくなったら薬の量が増えるだけ、という治療がイヤで先日新しい医者を訪ねました。今度は事前にネットでリサーチして。(これまではとにかく近いところに駆け込んでました)

これまでのあらすじ、を言って聞かせると「躁鬱の可能性があります」とのこと。
例えば調子のいいときは金遣いが荒いとか、怒りっぽいとかありませんか?また、逆に調子の悪いときは・・・などなど、先生が躁鬱の状態として挙げることに8割方思い当たる節があり、なにより、最初にうつと自覚してから何度も浮き沈みがあり、「浮いた」と思ってがんばっては倒れ、の繰り返しが多すぎました。

そのたびに「がんばりすぎてウツが出たのね・・・」と自分を納得させていたのですが。躁鬱となると、原因がなくてもサイクルとしてやってくる部分もあるようで、長い付き合いになりそうです。
って、もう十分長いんやけど、上手に付き合うしかありませんね。
敵を知り、己を知ること、と言い聞かせてはいるのですが。
「躁鬱だ」と認識することが第一歩・・・今までとは考え方を変えねばなりません。

余談:実はブログをご無沙汰してる時期はどん底でした。最近は書いてるだけマシかな、と思っています。

K-1GP 2005の見どころは・・・

今年もきました、K−1の季節です。
今年、私の注目は、極真のフェイトーザが敗退した今となっては「超大型ファイターの戴冠なるか」の一点につきます。
K−1の今後にとっても大きなポイントとなることでしょう。

というのは、今年、チェ・ホンマンと、セーム・シュルトという210センチを超えるファイターが二人、出場しているのです。
二人のうちどちらか(特にテクニックの明らかに劣るチェ・ホンマン)が優勝すれば「体の大きさ=強さなんだ」「デカイやつが圧倒的有利なんだ」というイメージが強く残ることになり、競技としてハイレベルなものを期待している層をがっかりさせることになるでしょう。

中量級のK−1MAXの人気は、対格差に頼らず、テクニックの優れたものが勝つ、という点にあります。対して重量級のK−1GPは最近、ボブ・サップに代表される規格外の大型選手が幅を利かせてきました。
その潮流を他のファイターが止めることが出来るかどうか、これは今後のGPの人気そのものに大きな影響を持つと思っています。

以下は私の注目ファイターです。

セーム・シュルト
遠距離でローキック、中距離で前蹴り、近距離でヒザ・パンチ、とすべての距離でフェイトーザを完封した彼は、新顔のようですが、総合格闘技に近いルールのカラテ(大道塾)や総合のパンクラスなどでキャリアの長い選手。テクニックと言うよりは、ゲームプランとその頑丈な体が武器ですから、トーナメントには向いているかもしれません。初戦のレイ・セフォー戦は、大型ファイターVSテクニシャンと言う意味で今年を象徴する試合です。ブーメランフック、届くの??

武蔵
主催者、会場に行くファンは、盛り上がりとしてはどうしても決勝に残って欲しいでしょうね。彼は左のミドルキックを主武器にしていますが、普通に足の甲の側で蹴るもののほかに、指先を返して突き刺すように蹴る「三日月蹴り」も使い分けています。先日のボタ戦では、この蹴り1・2発でボタは右腕をガード専門にわき腹に張り付けたため、主武器の右パンチが出なくなりました。このカラテのテクニック、三日月蹴りが見所です。バンナとどちらかしか決勝に残らないのが残念!

余談:あと、地上波では映らないでしょうけどフェイトーザがリザーブマッチに出ます。グッドリッジとのリマッチですが、このくらいの相手は軽く倒して欲しいです。

営業ものがたり(by西原理恵子)を読んだ

通常、本と言うのは、小説でもマンガでも、「それを書く人」から「それを読む人」に向けて書いてあります。
ある意味、とても狭いサークルの中で手紙がやりとりされているようなもの。
西原理恵子(以下サイバラ)のすごいところは、「それを読むことも、ましてや書くことなど決してない」人々の営みを生々しくすくい取るところにあります。

そういった層(貧困層やアウトサイダー、海外の孤児など)を描いたものは過去にも多数あるでしょうが、「それを『書く人』が『読む人』向けに加工し、読む人の文法で解釈したもの」ばかりだったように思います。
サイバラの作品の持つ哀しみや温かさはそうした「加工」を感じさせません。
実に生々しい哀しみや温かさを私達に伝えてくれます。

そして「書く側・読む側」と「読みも書きもしない側」の間に横たわる大きな溝は、今回、「うつくしいのはら(PLUTOによせて)」で見事に描かれています。
「教科書以外の本を読むとバカになる」と育てられた少女時代から、「書く側」に回った今も、サイバラは自分の力でその溝を飛び越える一本の橋を持っていると思います。

余談:「営業物語」は、前半に得意のエッセイ風お笑いマンガ、後半に叙情的マンガと、サイバラの「お笑い系」と「せつない系」の両方をいっぺんに味わえる、サイバラ入門サンプルとしてもうってつけです。未読の方、ぜひどうぞ。「営業ものがたり」のつぎは「上京ものがたり」へどうぞ。

余談2:サイバラの子育てドキュメントエッセイ実録お笑いマンガは手っ取り早くこちらで読めます。二週に一度の更新ですが。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/women/etc/riezo/
融(ゆう)の事
大阪在住。
うつのリピーターと思っていたが、躁鬱だった。
ただいま躁鬱と仲良くやっていく方法を模索中。
人が死なない小説・ノンフィクション・猫・極真空手・阪神タイガース・子育てマンガ
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