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これまで述べてきたとおり、「量子力学」によれば「情報」は永久に保存され、絶対に消滅することはない。
形は変わってしまうかもしれないが、「情報」が失われたわけではなく、それは依然として、この宇宙の中に存在している。

もしも「ラプラスの悪魔」であれば、あらゆる断片を収集するだけの能力を持っているだろう。
また、その断片を「情報」に即して正確に配置するだけの完璧な計算力を持っているだろう。

それだけの能力があれば、「因果律」に則って、時間を逆回転するように、「かつて存在していたもの」の姿、記憶、個性などを復元できるのではないか。

もちろん、それは技術的に可能だと言っているのではない。
しかし、原理的には可能なのだ。

人の記憶や個性、あるいは意識などを「情報」と同一視していいのかどうか分からないという問題はある。
しかし、それらを「情報」とみなすことができるなら、亡くなった人の記憶や個性、意識なども消滅しておらず、この宇宙の中に存在しているということだ。

その「情報」を「魂」と読み替えてもいいだろう。

亡くなった人を生き返らせることができる…という意味ではない。
だが、いわゆる「お迎え現象」や「ミディアム・セッション」なども含め、何らかの形で「コンタクトを取る」ことは、決して不可能ではないように思えるのだ。


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この「光学顕微鏡」は、電磁波のうちの「可視光線(人間の目で見ることのできる光)」を観察したい対象にぶつけ、その姿を見るという仕組みである。
だが、「可視光線」の波長はおおむね380nmから760nmであり、その範囲の波長だと10nm程度の分解能しかない。

これは生物の細胞の中にあるミトコンドリア程度の大きさだ。
したがって「光学顕微鏡」では、ミトコンドリアは「点」にしか見えない(その内部の構造まで見ることはできない)。

もっと小さいモノを見ようとするならば、「顕微鏡」の解像度を上げなければならない。
そのためには、できるだけ波長の短いものを観察したいモノにぶつける必要がある。

そこで開発されたのが「電子顕微鏡」である。
これは「可視光線」より波長の短い「電子の波」を使う「顕微鏡」だ。

何度も述べたとおり、「量子力学」によれば、あらゆる「粒子」は「波」としての性質を併せ持っているため、「粒子」であるはずの「電子」も「波」として使うことができるのだ。

この「電子顕微鏡」の分解能は0.1nm(0.1ナノメートル。したがって100億分の1m)である。
これはおおむね「ヘリウム原子」の直径程度だ。
したがって、「電子顕微鏡」を用いれば、「ヘリウム原子」の姿を見ることができる(ただし、「ヘリウム原子」は「点」にしか見えない)。

それなら「ヘリウム原子」よりも小さなモノは、「原理的」に見えないのだろうか。

そうではない。
「ヘリウム原子」よりも小さなモノも、「原理的」には見ることができる。
「電子顕微鏡」では「技術的」に見えないだけだ。
具体的には、もっと短い波長のものを見たいモノにぶつければいいのだ。

アインシュタインの「光量子仮説」などが示すとおり、「波長が短い」というのは「エネルギーが高い」ということだ。
したがって、「顕微鏡」の分解能を高められるかどうかは、エネルギーをどこまで高められるかで決まってくる。
たとえば「電子顕微鏡」も、「電子」にエネルギーを与えて加速すればするほど、波長が短くなって、より小さなモノが見えるようになる。

前にも述べたとおり、「電子顕微鏡」では「ヘリウム原子」より小さなモノは「技術的」には見えないが、素粒子実験に使用される「粒子加速器」ならば、よりミクロな世界が見えてくる。
高いエネルギーで加速させた粒子どうしを衝突させることにより、ごくごく小さなモノが見えるのだ。

より小さなモノを見るためには、エネルギーを高めなければならない。
そのために、1930年代に開発された「粒子加速器」は、次第に巨大化していくことになったのだ。

(続く)

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