先日の記事に書いた通り、625日の土曜日、かみさんの七回忌法要を終えた。

法要が終わって数日が経ち、俺は自分自身の変化に気づいた。
どうやら俺は、燃え尽きてしまったらしい。

何もやる気がしない。
何もかもが億劫だ。
会社に行く気もしない(行くけど)、食事をするのも面倒だし、風呂に入るのも鬱陶しい(入るけど)。

今年の
1月から七回忌の準備をしてきたが、その間、それなりに気が張っていたのだろうか。
自分では気づかなかったが、それなりに緊張もしていたのだろうか。

振り返ってみれば、毎年かみさんの命日が過ぎた頃になると、俺は燃え尽きてしまう、そんなことを繰り返してきた。
一周忌や三回忌だけでなく、毎年かみさんの命日には法事をしてきたが、それが過ぎると気が抜けてしまうのだ。

たぶん、やるべきことをやり終えたという安堵の想いとともに、もう俺のやるべきことなど何もないという、ある種の絶望的な気持ちになるのだ。

そうだ。
もう俺のやるべきことなど何もない。
やらなきゃならないことなど何ひとつない。

もちろんこれからも、毎日かみさんにお供えをしてあげたいし、線香を手向けてあげたいし、かみさんの好きだったテレビ番組は、かみさんの写真をテレビの画面に向けて見せてあげたい。
月命日には、かみさんのお位牌と一緒に食事に出かけたりしたい。
俺が生きている限り、かみさんに想いを馳せ、かみさんを供養してあげたい。

だけどさ。
もういいかげん、お迎えに来てくれてもいいんじゃないか。
かみさんを想うこと以外に何もやるべきことがない、あまりにも空虚で、あまりにも張り合いがなくて、あまりにも悲しいのだ。

こんな余生がまだまだ続くことを想像すると、暗澹たる思いがする。

だからさ。
もうそろそろ、お迎えに来てくれてもいいんじゃないか。
俺はもう、やるべきことは、すべてやり終えたはずなんだ。


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