以前の記事に書いた通り、「複雑性悲嘆」というのは、愛する人と死別して、悲しみがいつまでも終わらない状況を言う。
ちなみに俺が「複雑性悲嘆」と診断されたのは、20152月だった。

「複雑性悲嘆」をより詳しく定義するとすれば、次のようになるだろう。
「死別から6か月以上(あるいは1年以上)にわたり、激しい悲しみが持続する」、
「社会的、職業的な役割が果たせなくなってしまい(たとえば、会社に行けないとか、頻繁に会社を休んでしまうとか、家事が手に着かないとか)、日常生活に支障をきたしてしまう」、
この二つの条件を同時に満たす場合が「複雑性悲嘆」だ。

「複雑性悲嘆」になってしまう人には共通点がある。
「もともと精神的な結びつきが強かった夫婦が死別してしまった場合」、
「亡くなった人に対して心残りがある場合(もっともっと健康管理に気を遣ってあげれば良かったとか、生前もっともっと優しくしてあげたかったとか)」、
「幼少期、親からの愛情を十分に受けられなかったのに、とても良い伴侶を得ることができて、生まれて初めて安定した人間関係を築くことができたのに、その相手を喪ってしまった場合」、
この三点が「複雑性悲嘆」に陥ってしまう人の共通点であることも、この三点のすべてが俺に当てはまっていることも、過去の記事で触れた。

・・・

いくつかの論文を読んでいたら、上記三点のほかに、もう一つ、共通点があることを知った。
その共通点は
「死の直前、亡くなった人とともに過ごす時間が少なかった人よりも、毎日一緒に過ごした人の方が複雑性悲嘆になりやすい」というものだ。
これを読んだとき、俺は自分が「複雑性悲嘆」になってしまった理由のひとつを理解した。

闘病記に書いている通り、かみさんが癌と診断された2010426日から、かみさんが亡くなった2010627日まで、俺は毎日、かみさんと一緒に過ごした。
入院する直前、かみさんは、「プーちゃんが見舞いに来てくれるのは、土曜日と日曜日だけ」と思っていたようだったが、俺は毎日、かみさんの傍にいた。

会社の終業時間になると、急いで病院に行き、面会時間終了までかみさんの傍にいたこともある。
午前中だけ会社にいて、午後から休暇を取って病院に行き、夜までかみさんの傍にいたこともある。
会社に行くつもりでスーツに着替え、早朝に見舞いに行き、結局は会社を休み、一日中、かみさんの傍にいたこともある。
一日、有給休暇を取得して、朝から晩までかみさんの傍にいたこともある(このパターンが一番多かった)。
かみさんが個室に移された日以降、俺は24時間、かみさんの傍にいた。

わずか2か月間の闘病だったが、俺はいつだって、かみさんの傍にいた。
そのことと、俺が現在、「複雑性悲嘆」に苦しめられていることとは、無関係ではないようだ。

・・・

だが、俺は後悔していない。
毎日かみさんの傍にいたことを、これっぽっちも後悔していない。
かみさんが亡くなった後、俺が「複雑性悲嘆」になってしまうことを、あらかじめ知っていたとしても、俺は毎日かみさんの傍にいただろう。

かみさんと俺との20年間の中で、あの2か月間ほど濃密な時間は無かったからだ。
死の恐怖と隣り合い、予期悲嘆に震え、悲しくて、怖くて、奇跡を祈ることしかできない時間ではあったが、あの2か月間は、かみさんと俺との絆が、最も強く結ばれた時間でもあったからだ。

あの2か月間、毎日かみさんの傍にいなかったとしたら、俺は今よりも深い後悔と罪悪感に苛まれていたのかもしれない。


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