俺の生きづらさの原因の一つに、「人間に対する不信」がある。
この根深い不信感は、両親によって作られたものだろう。

以前にもブログに書いたが、俺の両親は「毒親」だ。

父親はアルコール中毒で、ギャンブル中毒。
何度も借金を重ね、アルコールやギャンブルに溺れていた。借金の返済が遅れ、暴力団組員に脅されたことも一度や二度ではない。
俺の幼少期、父親は酒に酔うたび俺をボコボコに殴りつけた。俺が成長して身体も大きくなると、殴られた俺は父親を殴り返し、家の中は修羅場になった。
そんな父親は、俺が16歳の時に突然死した。

母親はサイコパス。
人としての良心が決定的に欠けている。他者との間でトラブルがあっても決して自分の責任を認めることはなく、罪の意識に苛まれることもない。おそらく、他人に頭を下げたり、罪悪感を覚えたりしたことは、生まれてから一度もないだろう。
言葉の暴力で他人を傷つけることに快感を覚えるような変人で、父親や俺の妹、そして俺を傷つけることが楽しくて仕方がない。
ちなみに、俺は父親と殴りあったことはあったが、父親に殺されそうになったことはない。だが、俺の幼少時、俺は母親から何度か殺されそうになった。
そんな母親だが、たぶん今でも生きているんだろう。

このような両親の元で育ってきた結果、俺と俺の妹は、人間不信に陥ってしまった。

人間不信は、それを持つ者の人生を制約する。
人と触れ合えない、親密な関係が作れない、常に自分が排除されているような感覚を抱いている、他者から拒絶されていると思い込む。
そうやって、自分で自分を傷つけていくのだ。

・・・

大学生の時に家出をし、親との関係を絶った。
そして自らの力で人間関係を再構築していった。

だが、一度根付いた人間不信は、そう簡単に払拭できるものではない。
人と触れ合うこと、親密な関係を作ること、それらができるようになるのには長い時間が掛かった。

親友ができた。
恋人もできた(みんな別れたけど…)。
次第に俺は、他人と親密な関係を築くことに慣れていったが、それでもどこかに「人間に対する不信」があって、俺の行動や感情を制約した。

・・・

かみさんと出会った。
そして、かみさんは俺に教えてくれた。
「そのままでいいんだよ」
「ありのままでいいんだよ」
かみさんが口に出して言ったわけではないのだが、かみさんの存在自体が俺に教えてくれたのだ。

かみさんが俺を包み込んでくれた、あるがままの俺を受け容れてくれた。
そして俺も、かみさんを包み込んだ。
かみさんは笑顔で応えてくれた。
かみさんは俺を拒絶したりしなかった。

かみさんを通して、俺は世界を見た。
俺は誰にも排除されていない、俺は誰からも拒絶されていないことに気づいた。
たとえ誰かに排除されたとしても、かみさんだけは、最後の最後まで俺の味方でいてくれるといく確信が、俺を安心させてくれた。

俺は人間不信から自由になっていった。

・・・

2
月の終わりごろから、俺は得体の知れない不安感に脅えている。
この不安から解放されたい、不安から自由になりたい。
俺は自分の内面を見つめ、不安の原因を探った。

すると、俺の心の底に、「他者に対する不信」があることに気づいた。
かみさんのおかげで消滅したと思っていた人間不信は、今でも俺の中に残っていたのだ。
かみさんとの穏やかな日々が消し去ってくれたと思っていた人間不信は、今でも俺の中に根を張っていたのだ。

かみさんとの心地良い日々が忘れさせてくれただけであり、実は「他者に対する不信」は今でも俺を支配していたのだ。

・・・

かみさんの存在は、俺の世界に対する見方を変えてくれた。
かみさんのおかげで俺は知ったはずだ。
俺は誰にも拒絶されていないこと、俺は排除されていないことを知ったはずだ。

それは、かみさんが残してくれた財産だ。
その財産を大切にしたいと想う。

かみさんがいてくれた頃の安心感。
かみさんが寄り添っていてくれた頃の穏やかさ。

それを今一度、取り戻したい。


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