毎朝6時前に目が覚める。
今日も目覚めてしまったか…、俺はまだ生きてるのか…、眠っている間に死ねなかったんだな…と思いつつ、嘆息する。

会社をサボって、一日中、焼酎を飲んで過ごそうかな…という想いが、一瞬頭を掠めたりもする。
会社に行こうか、それともサボっちゃおうか…しばしの間、葛藤する。
葛藤に打ち勝ち、寝床から這い出す。

かみさんの仏前に座り、線香を手向け、かみさんの遺影と位牌を見つめる。
バルコニーに出て、かみさんを想いながら、タバコを一本吸う。
部屋に戻り、顔を洗う。
米が炊けると、かみさんにお供えをし、もう一本、線香をあげる。
スーツに着替えて出勤する。

通勤電車の中、俺は目を閉じて、かみさんの影を追う。
会社に到着するのは午前
8時前。
まだ始業時間前だ。
喫茶室でコーヒーを飲みながら呆然と過ごす。

始業時間直前には席に着く。
悲しみから立ち直ったフリをして、部下に笑顔で声を掛ける。

午前中はあっという間に時間が過ぎる。
昼休みには社員食堂で美味くもない定食を食う。
食事の後は、少しの間、昼寝をする。
その後、夜まで仕事をし、帰路に着く。

帰宅途中でコンビニに寄り、美味くもない弁当を買う。
帰宅すると、かみさんの仏前に座り、この日、三本目の線香をあげる。
風呂が沸くまでの間、焼酎をチビチビと飲む。
風呂に入り、コンビニ弁当を食い、歯を磨く。

その後、焼酎を飲みながら、見るともなしにテレビを見る。
睡眠薬を飲んで床に就く。

翌朝目覚めると、今日も目覚めてしまったか…、俺はまだ生きてるのか…、眠っている間に死ねなかったんだな…と絶望する。

毎日この繰り返しだ。

つまらない、退屈な人生。
何もない人生。
希望もなければ、歓びもない人生。
背負いきれないほどの重たい悲しみを抱えながら、俺は毎日、同じことを繰り返す。

だが、かみさんが元気だった頃だって、平日は、毎日同じことを繰り返していたはずなのだ。

かみさんが元気だった頃なら、線香をあげたり、お供えをしたりすることはなかった。
また、かみさんが毎日“愛妻弁当”を作ってくれたので、社員食堂を利用したこともなかった。
さらに、かみさんが毎晩、美味しい手料理を作ってくれたので、コンビニ弁当なんか食うことはめったになかった。

過去と現在を比べれば、それらの点が異なることは事実だが、毎日同じことの繰り返しという点では、過去も現在も「同じ」だ。

かみさんがいた頃は、同じことの繰り返しであっても、つまらなくもないし、退屈でもなかったはずなのだ。

かみさんがいる。
たったそれだけのことで、人生は希望に満ち溢れていた。

たったそれだけのこと…とは書いたが、実は、たったそれだけのことが、この上なく大切で、愛おしいことだったのだ。

唾棄すべき人生。
俺はなんのために生きているんだろう


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