冒頭からこんなことを言うのもなんですが、
念のためにお伝えしておきます。
今日からブログ復活!というわけではありません。



わざわざ「ポスト構造主義」の成果を引用するまでもなく、「人間は誰だって、井の中の蛙」だ。
もちろん俺も「井の中の蛙」だし、決して鳥瞰することも、俯瞰することもできはしない。

人間は、生まれ持っての素質、生育環境や教育、その後の様々な体験を経て、誰もが独自の「フィルター」を持つようになる。
その「フィルター」を通して物事を見て、判断し、思考し、感じることしかできない。

だが世の中には、自分はいつだって、物事を鳥瞰(俯瞰)することができると信じている人がいる。
自分はいつだって、広い視線で、高い視点から物事を見て判断することができるとのたまう人がいる。

そういう人は、「自分は正しい」と信じており、自分と異なる考え方を持っている人のことを間違っていると主張する。
間違っているというだけならまだしも、自分と異なる価値観を持つ人々を皮肉り、否定し、嫌味のひとつも言い、当て付けや当てこすりを言うことに快感を見いだす。

これは、ニーチェが言う意味での「権力への意志」であり、相手より「自分の方が上だ」と思いたい欲望の表れであり、「自分に当てはまることは他人にも当てはまるはず。当てはまらない奴は間違っている」という独善だ。



最愛の人との死別。
遺族は死別の後、グリーフ・ワークの長い道のりを歩んでいく。

グリーフ・ワークはいつだって個別的で、独自の体験だ。
伴侶を亡くした人が10人いたと仮定して、その10人は一人として同じグリーフ・ワークを歩むことはない。

これこそが正しい、唯一のグリーフ・ワークです!
私は正しいグリーフ・ワークを歩んでいます!
なんて主張する人もいるが、自分で自分を「正しい」とジャッジするような人間の言うことは、決してマトモに聞いてはならないし、もし聞いてしまったとしても、心を乱される必要なんてない。

そんな主張をする人は、「人間は誰だって、井の中の蛙」であるという基本的なことを認識していないのだ。
自分は正しい、自分こそが正しい、自分と同じグリーフ・ワークを歩んできた人だけが正しい、その他の人はみんな間違っている…
私こそが「真理」を知っている…
これらの言葉の裏に潜む「権力への意志」を見逃してはならない。

とは言っても、あんまり実害はないんだけどね。
こういう人たちは、皮肉を言ったり、自分と異なる人を否定したり、自分と違う人に嫌味を言ったりするだけだから。

というわけで。
華麗にスルーしましょうね。



最後に。
おそらく誰もが「権力への意志」を持っている。
俺だってそうだ。
今回のような記事を書くこと自体、俺の「権力への意志」の表れだ。

だが、自分が「権力への意志」を持っていることを意識しているか、していないかによって、おのずと言動が変わってくることも確かだと思う。


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