あれはいつ頃のことだったろうか。
季節は冬。
かみさんと俺は、二人で並んでベンチに座り、スタバのコーヒーを飲んでいた。
周囲には、俺たちと似たような夫婦づれや恋人同士が散歩をしていたり、コーヒーを飲んだりしていた。

風が吹き、枯れ葉が舞った。
枯れ葉の一枚が、俺の髪にくっついた。

かみさんは俺の髪に触れ、枯れ葉を取ってくれた。
かみさんの所作に不自然さはなく、照れもなかった。
ごく自然にさりげなく、かみさんは俺の髪に触れ、枯れ葉を取り除いてくれた。

・・・

髪に触れることのできる人、あるいは髪に触れてくれる人というのは貴重だ。
とても大切で、距離がなく、遠慮もなく、本当に信頼しあえる相手でなければ、髪に触れることも、髪に触れてもらうこともできない。

はっきり言ってしまえば、髪に触れることのできる人、あるいは髪に触れてくれる人は、自分が愛している人だけだ。
そんなことができる相手は、夫婦、恋人同士、あとはせいぜい親子くらいのものだろう。

・・・

残念ながら、俺は実親を愛していない。
前にも書いたが、俺の親はいわゆる「毒親」だ。

俺も、俺の妹も、親(とりわけ母親)から虐待されて育った。
親が子どもを愛していないのに、子どもが親を愛するはずもない。

だからだろう。
俺は親の髪に触れた記憶もないし、親が俺の髪に触れた記憶もない。

・・・

そんな俺の前に、かみさんが現れた。
かみさんのおかげで、俺は人を愛する喜びと、人に愛される喜びを知った。

かみさんは俺の髪に触れてくれた。
かみさんは髪に触れさせてくれた。

こんなに幸せなことはなかったのだ。
かみさんを喪って、俺はそのことに気づいた。

・・・

生きている限り、もはや二度と、俺は誰の髪に触れることもないだろうし、誰かに髪に触れてもらうこともないだろう。
俺が触れたいのは、かみさんの髪だけだ。
俺が自分の髪に触れてほしいのは、かみさんだけだ。

もしも俺が死んだとき、かみさんに出会えたら、かみさんの髪に触れさせてもらおう。
俺の髪をかみさんに撫でてもらおう。

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