伴侶を亡くした人は、いつまでも哀しくて苦しんでいる。
お子さんを亡くした人も、いつまでも哀しくて苦しんでいる。

俺のブログには、このような表現が頻出している。

そうした表現に対して”ご批判”を頂いた。
ご両親を亡くした方々からの批判だった。
伴侶や子どもでなかろうと、大切な人を亡くして哀しんでいる人はいるのだ…という心の底からの叫びだった。

俺は「伴侶や子どもを亡くした人」の悲しみを綴り、あえて「親を亡くした人」の悲しみを排除してきた。

実は…
そこには深い理由があるのだ。

・・・

ひとつ目の理由は、俺と俺の妹が、両親に虐待されて幼少時代を生きてきたからだ。
単に虐待されただけではない。
何度も殺されかけてきたのだ。
親なんか早く死んでくれ!と思って生きてきた。

たとえ虐待されたとしても、産んでくれた親の死を悲しんであげなくてはダメだ…という意見も頂いた。
だが、俺は絶対に自分の親を赦せない。

その理由は明確だ。
俺の実母が、俺のかみさんをイジメたことがあるからだ。

かみさんは両親から良質な愛情を受けて育ってきた。
おかげで人間関係は常に良好で、イジメを受けた経験が一度もなかった。

しかし、俺の実母は見境が無い。
誰かをイジメたくて仕方がない人だ。
誰かをイジメることに快感を覚える変質者だ。

俺の実母は、誰にもイジメられた経験のない俺のかみさんをイジメたのだ。
今でもハッキリ覚えている。
JR川越線の南古谷の駅ホームでのことだった。

実母は俺のかみさんをイジメた。
当然、俺はブチ切れた。

俺の理性は吹き飛んでしまった。
俺は実母への殺意を覚えた。

本気で腹が立ったとき、よく「髪の毛が逆立つ」という表現を使う。
これは一見、比喩に見えるだろう。

だが、決して比喩ではない。
実母がかみさんをイジメたとき、俺の髪の毛は、本当に逆立ったのだ。
生まれて初めて、本気で他人(といっても自分の母親だが)を殺してやる…と思ったのだ。

かみさんと俺にとって、(俺の)実母は「害虫」であり、「鬼畜」でしかない。
だからこそ、俺は「親を亡くした人々」を排除して、「伴侶やお子さんを喪った人々」だけに想いを馳せてきたのだ。

続く

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