いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2012年09月

平成22年4月30日の金曜日。

俺は眠れない。頻繁に目を覚ましてしまう。
朝4時ごろ、俺は目を覚まし、隣のベッドを見た。
かみさんは熟睡していた。
眠っている間に掛け布団を蹴飛ばしたらしい。布団を掛けず、大の字で寝ていた。

そんなかみさんの姿が愛おしくて、俺はしばらく眺めていた。
しばらくすると、かみさんは布団を掛けたいらしく、目を瞑ったまま手探りで布団を探していた。
俺が布団を掛けてやると、「ありがと」と言って、また熟睡してしまった。

朝8時、かみさんが目を覚ました。
かみさんは寝室から出て、水を飲んだ。
そして寝室に戻ると、かみさんが俺に向かって言った。
「横にいてくれて、ありがと」。

俺はこの日も会社を休んで、かみさんと一緒に病院に向かった。

「転移性肝臓癌」であることは分かっている。
だが原発癌がどこにあるのか。それを探す必要がある。

この日は上部内視鏡検査。胃カメラを飲まされた。
検査の結果は問題なし。
軽い胃腸炎と食道炎は認められたが、癌細胞は見つからなかった。

検査が終わった後、かみさんは看護師から、今後の検査日程について説明を受けた。
5月6日には超音波エコー検査で、胆のう、胆管の検査をすることになった。
5月7日には大腸を内視鏡で検査。
また、5月9日から11日は2泊3日で入院し、生体肝検査を行うことになった。

今後の検査の予定について、かみさんが看護師から説明を受けている間、俺は医師から呼ばれた。
医師は言った。「本人に余命を伝えた方がいい」。
俺は理由を聞いた。

すると医師は、「黙っていると、あなた(俺のこと)が大きなストレスを受けることになるから」と答えた。

さらには「末期癌で治療しようが無いとすれば、本人に余命を伝えて、残された時間を有効に使わせてあげた方がいい」とも言った。

「黙っていると、あなたが大きなストレスを受けることになる」。

そんなことは、俺にとってどうでもいいことだ。
俺が大きなストレスを受けようと、そのために俺の身体や精神が壊れようと、そんなことはどうでもいい。

俺にとって最も重要なのは、かみさんを死の恐怖から救ってあげることだ。
絶対に治るんだと信じて欲しい、死の恐怖だけは味わわせない、何があっても諦めないで欲しい。

俺が受けるストレスなどは、俺にとって問題ではない。

だが。
「末期癌で治療しようが無いとすれば、本人に余命を伝えて、残された時間を有効に使わせてあげた方がいい」。

この言葉は俺の心を抉った。

自分が末期癌だと知らされて、治療方法もない。
そんな状況になった時、人は「残された時間を有効に使おう!やりたいことをいっぱいやろう!」などと思えるのだろうか。

この疑問に対する答えを求めて、俺はその後、何日もの間、煩悶し続けた。


かみさんと俺は病院を出た。
かみさんが「歩いて帰ろう」と言った。

かみさんと俺にとって、散歩は趣味だった。
以前にも書いたが、3時間でも4時間でも、二人で他愛ない会話をしながらブラブラと散歩をする。

かみさんの願いを聞いて、二人で歩いて帰った。
「癌研有明病院」は東京都江東区の有明、「ゆりかもめ」の有明駅のすぐ傍にある。
有明から自宅のある豊洲まで歩いた。

かみさんは普段通りの明るいおしゃべりをしていた。
芸能人の噂話、二人で東京タワーに行った時の思い出話、などなど。
俺はこの日、聞き役に徹した。

いつも通りの明るいおしゃべりなかみさん。
だが、普段と違うことが一つあった。
この日、有明から豊洲まで、かみさんは俺の手を握って離さなかった。

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平成22年4月29日の木曜日。
ゴールデンウィークの初日である。世間はお祭り騒ぎだ。

かみさんと俺にとっても、ゴールデンウィークは楽しい思い出ばかりだ。
毎年のゴールデンウィークには、北海道にあるかみさんの実家に遊びに行って、かみさんと一緒に美味いラーメン屋や寿司屋を梯子したり、北海道の大自然の中を二人で散歩したり、かみさんのお袋さんや弟たちと楽しい時間を過ごしてきた。

本来なら、この年のゴールデンウィークだって、かみさんと二人で、かみさんの実家に遊びに行くつもりだった。
事実、かみさんに癌の可能があるなどとは考えたこともなかったかみさんと俺は、札幌・新千歳空港行きの飛行機のチケットを購入していた。

結局、このチケットは、この日の前日の診断結果、かみさんが「転移性肝臓癌」であるという事実を知った直後、キャンセルをした。


この年のゴールデンウィークは、今までとは違った。
世間のお祭り騒ぎから完全に乖離された、かみさんと俺。

賑やかで晴々しいゴールデンウィークとは無縁の、かみさんと俺のゴールデンウィークが始まった。


前日の晩は午後10時過ぎに一緒に床に就いた。
しばらくの間、かみさんは寝付けなかったが、横になっているうちに熟睡した。

だが、かみさんの横にいる俺は眠れない。
かみさんの病状、かみさんの余命を知っているのは俺だけだ。
かみさんを喪うかもしれないという恐怖、俺の人生のすべてが壊れて崩れ去ってしまうような不安、最愛の人を喪うかもしれないという絶望感。

結局、俺は午前4時30分、眠ることを諦めて、寝室を出てリビングに向かった。
リビングで独り過ごす。
パソコンで「転移性肝臓癌」について調べてみるも、医学に関して門外漢の俺には判断のしようが無い。
でも何もしないではいられない。
俺がかみさんのためにできることを必死で模索する。

結局、医学に関しては素人の俺が、かみさんのためにできることと言えば、抱き締めてあげること。
そして「大丈夫だ」と言ってあげること。
決して死の不安を感じさせないこと。
それだけだ。

「余命は年単位ではない」。前日の診察の際に、医師から言われた言葉だ。
この言葉が頭にこびりついて離れない。
哀しみと不安、恐怖で眠れない。

結局俺は朝7時過ぎまで眠れなかった。
その後、リビングのソファーでうとうとしていたが、8時半過ぎ、かみさんが起きてきた。

二人で並んでソファーに座り、癌のことには一切触れず、他愛のない会話をした。
明るくて、元気で、屈託のないかみさん。
普段通りのかみさん、とても癌を宣告されたようには見えない。

だが不安は隠せない。会話の合間に何度も俺に抱きついてきた。
「プーちゃん」と甘えた声を出しながら、何度も俺に抱きついてきた。

そのたびに、俺はかみさんを強く抱き締めた。
そして思った。「俺の不安を悟られてはいけない。俺が不安を見せると、かみさんはもっと不安になる。かみさんに死の恐怖を感じさせてはいけない」。
必死で平常心を装った。

二人で寝室に行った。
俺はかみさんを抱き締めた。
かみさんはいつもと変わらず明るくて、おしゃべりだ。
俺に抱き締められ、嬉しそうな笑顔を見せてくれるかみさん。
俺の脳裏には「彼女は自分の余命を知らない」という思いが浮かぶ。涙が出そうになるのを必死でこらえた。

二人でDVDを観ようということになった。
かみさんはソファーに横になり、俺は寄り添って座った。

DVDを観ながらも、かみさんは俺の髪や腕に触れる。
決して癌に対する不安を口にしないものの、かみさんのそうした仕草の中に、内心の不安が見え隠れしていた。

その後、かみさんが「散歩に行こう!」と言い出した。

散歩は二人にとって、20年以上続けた趣味だ。
同棲していた頃も、入籍してアパートに住んでいた頃も、今のマンションを買ってからも、二人で散歩ばかりしていた。
2時間も3時間も、下手をすれば4,5時間も、二人で他愛ない会話をしながら、目的地も決めずにブラブラと散歩をするのが好きだった。

この日の散歩も普段通りだった。
普段通り、元気で明るいかみさん。そして普段通りを装って、無理に明るく振舞う俺。
お互い、癌のことは一切口に出さなかった。

だが俺は心の中で感じていた。
俺にとって人生で最期の散歩になるかもしれない。
かみさんがいなくなれば、俺は一人で散歩をすることなど無くなるだろう。
一瞬一瞬がとても切なくて、愛おしく感じられた。

帰宅して夕食後、かみさんは突然思い立ったように、俺に洗濯機や食器洗浄機の使い方を教え始めた。
なぜ今、そんなことを教え始めるのだろう。
まるで自分がいなくなっても、俺が困らないようにしておこうとするかのようだった。

なのに、教える間もかみさんは、明るくて元気で茶目っ気たっぷりだ。
俺は堪らない気持ちになって、かみさんを抱き締めた。

かみさんは俺に抱き締められながら言った。「寂しがり屋さん」。
そしてもう一言。
「私は幸せだよ」、かみさんはそう言った。

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平成22年4月28日の水曜日。
検査結果を確認するために病院へ行った。

気丈夫なかみさんは「一人で病院に行けるから。プーちゃんは仕事に行っていいよ」と言ってくれた。
だが、もし本当に癌だったら…
癌だと宣告された時、傍に俺がいなかったら、かみさんはどうなってしまうだろう。
それが心配で、俺は休暇を取り、病院に付き添った。

午前11時過ぎ、病院に到着。
再診の手続きを行った後、CTスキャンの受付へ。
待合室で、かみさんと俺は他愛のない会話をして待った。

30分ほど待つと、かみさんが検査室から呼ばれた。
俺はかみさんの荷物を預かり、かみさんを見送った。

検査にかかった時間は30分弱だっただろうか、その間、俺に出来ることと言えば祈ることだけ。
「やっぱり癌ではありませんでしたよ」、医師からそう言われる情景を想像しつつ、「かみさんが癌ではありませんように・・・」と祈ることしかできない。

検査が終わった後、かみさんと俺は病院内にあるレストランに入った。
俺はオムライス、かみさんはチャーシュー麺を頼んだ。

かみさんは北海道生まれ。もともとラーメンが大好きだった。
二人で北海道に行き、ラーメンを食べる時、かみさんは必ず大盛りを頼んでいた。

この日もラーメンを食べたかったのだろう。

だが、かみさんの食欲が落ちている。
少しばかりラーメンを残し、チャーシューは1枚だけ食べて、あとは残した。

そもそも癌の可能性を指摘された4月26日の前日まで、かみさんは食欲旺盛だった。
癌の可能性があると言われた途端、明るく、元気に振舞っているようでいても、不安なのだろう。
その不安が、かみさんの食欲を減退させていたのだろう。

午後、かみさんと俺は診察室に入った。
前日と今日の検査結果が示された。

医師から「転移性の肝臓癌。原発癌は今のところどこにあるのか不明。胃かもしれない、あるいは大腸かもしれない」と告げられた。

医師の説明を聞いている最中、俺は気が遠くなり、全身がふるえた。
突然、周りの空間から自分だけが乖離していくような感覚。

横を見ると、かみさんは涙を流していた。
俺が震えている場合じゃない。かみさんを守ってあげなければ。
俺がかみさんの手を握り締めると、かみさんも強く握り返してきた。

かみさんは医師の説明に納得できなかったらしい。
「痛みもないし、食欲もある(俺の耳には嘘に聞こえた)、痩せてもいない」と自分の状況を訴えた。

診察室を出ると、看護師から今後の検査日程について説明を聞いた。
その間、俺は一人で再度診察室に入った。
そして医師に聞いた。

「癌の可能性が高いのか?肝のう胞など、他の病気である可能性もあるのではないか?」
これに対して医師は「癌であることは間違いない」と答えた。

そしてもう一点。「かみさんはいつまで生きられるのか?」
医師は悲痛な表情を浮かべながら答えた。「余命は年単位ではない」。
俺の全身から力が抜けていく。全身が震える。気が遠くなる。

だが、かみさんに悟られてはいけない。
「余命は年単位ではない」、そんなことをかみさんに知らせるわけにはいかない。
かみさんを絶望させてはいけない。
俺がかみさんを守ってやらなければ…
自分を鼓舞して診察室を出た。

帰宅後。
かみさんは言った。「プーちゃんを残して死ねない」。

俺はかみさんを抱き締めた。
何度も何度も抱き締めた。

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平成22年4月27日の火曜日。
かみさんと俺は、前日にもらった紹介状を持って「癌研有明病院」に向かった。

「癌研有明病院」はその名の通り、癌専門の病院である。
心なしか、空気が重い。
外来患者たちの顔色が暗い。

それはそうだろう。
中には健康診断で訪れる人もいるだろうが、ほとんどは、どこかの病院で癌の疑いを掛けられ、紹介状をもらってきた人ばかりだ。
自分は癌かもしれない。そう感じている人の顔色が明るいわけがない。

俺は昨晩、「俺も明日、一緒に病院に行く」と言った。
かみさんは「いいよ、いいよ。一人で大丈夫だって」などと明るい声と表情で答えていた。

だが、無理を言って一緒に来て良かったなと思った。
この重たい空気の中にかみさんを一人で来させなくて良かったなと心底思った。

かみさんはCTスキャン、血液検査など、たくさんの検査を受けた。
検査のたびに、それぞれの検査を担う医師から呼ばれ、検査室に入って行った。
「行ってくるね」というかみさんに対して、俺は「ここで待ってるからね」と答え、かみさんが検査室から出てくるのをただジッと待っていた。

そんな時、俺の待っている場所から10mほど離れた場所だっただろうか、診察室らしい場所から若い女性が出てきた。たぶん40歳半ばくらいだったと記憶している。
その女性は泣きながら診察室から出てきた。
たぶん、医師から癌だと診断されたのだろう。ひょっとすると余命宣告もされたのかもしれない。

その情景を目にした時、俺は恐怖に震えた。
かみさんも近いうちにあんな風に泣き崩れることになるかもしれない。
そう思ったら、俺は他の患者さんが見ている前で、座り込んでしまった。


検査の結果は翌日に分かるということで、その日は何事も無く帰宅の途についた。

癌かもしれないという可能性がありながら、かみさんは気丈に振舞っていた。
いつもと変わらない、明るくて、おしゃべりで、元気なかみさんだった。

だが不安だったのだろう。
病院から自宅まで、俺の手を握って離さなかった。
こんなことは初めてだ。

かみさんとは平成2年の春から交際していたが、かみさんも俺も照れ屋で、手を繋いで歩くことなど、ほとんど無かった。
それなのに、この日、病院から自宅まで、かみさんは俺の手を握り続けていた。


検査の結果が不安で、俺はこの日も食事がのどを通らず、ほとんど眠ることができなかった。
その一方で、かみさんは普段通り、明るく、元気に振舞っていた。

それでも不安は隠せない。かみさんは何度も俺に抱きついてきた。
俺が抱き締めてあげると、かみさんは「安心する」と言って笑顔を見せてくれた。

この日、二人で手を繋いだまま床に就いた。
朝までずっと手を繋いでいた。

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平成22年6月27日、俺のたった一人の家族、最愛のかみさんが亡くなった。
かみさんの名前は「容子」という。

4年間の同棲生活と16年間の結婚生活、合わせて20年間の共同生活だった。
俺とかみさんとの間には、子どもはいなかった。


今でも忘れられない、平成22年4月26日の月曜日、かみさんが癌だと発覚した。

その数週間前、かみさんは「何となくお腹の調子が悪いんだよねぇ」と言っていた。
心配になった俺は、すぐにかみさんを病院に行かせた。
診断結果は「軽い胃潰瘍」。
胃腸薬を処方されて帰宅した。

数週間、薬を飲み続けたが、体調は良くならない。
そこで、今度は大きな病院に行かせて精密検査を受けさせた。

検査結果が分かったのは平成22年4月26日の月曜日だ。
かみさんが大病であるなどとはこれっぽっちも想像していなかった俺は、その日の朝、かみさんに「検査結果が分かったらメール頂戴ね」と言って出勤した。

夕方、17時28分、かみさんからメールが来た。
メールのタイトルは「が~!」。
メールの本文は「まじで、ちょっと大変かも~」。

俺は職場でそのメールを読んだ。
その瞬間、俺は大きな声で「え!?」と叫んでしまった。
部下たちの視線が一斉に俺に集まった。

俺は窓際まで走った。そして、かみさんに電話を掛けた。

「容ちゃん、どうした!?」、俺は叫んだ。
すると、かみさんは平然とした様子で、「病院に行って来たんだけどさぁ、癌かもしれないって言われちゃった」。
そして、かみさんは続けた。「明日、癌研有明病院に行けってさ。紹介状も書いてもらったんだ」。

俺は居ても立ってもいられなくなった。
かみさんはきっと不安で不安で仕方がないだろう、独りぼっちにしてはいけない、俺が傍にいてあげなきゃいけない。
そう思った俺は「今すぐに帰るから!」と言った。
だが、かみさんは「大丈夫、大丈夫。仕事、忙しいでしょ?」と答えた。
俺は堪らない気持ちになって「仕事なんてどうでもいい! 今すぐ帰るから! 待ってな!」と叫んだ。
かみさんは「…うん」とだけ答えた。

俺は職場を出て自宅に急いだ。
帰宅途中の電車のスピードがとても遅く感じられた。

自宅の最寄り駅に着くと、俺は自宅まで必死で走った。
かみさんが泣いているかもしれない、かみさんが震えているかもしれない。
そんなことを想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
すぐにでも傍に行ってあげなくては。
そう思って俺は走った。

自宅の玄関を開けた瞬間、俺は叫んだ。「容ちゃん! どうした!?」。
だが、かみさんは平然とした表情で俺を待っていた。
「プーちゃん、帰って来てくれたんだ!」。

かみさんは平然とした表情、平然とした声で言った。
「癌かもしれないって言われちゃってさ。明日、癌研有明病院に行くように言われたんだ。紹介状ももらった」。

その説明を聞いているうちに、俺の全身から力が抜けた。
俺は立っていることができなくなり、床に座り込んだ。
そして言った。「明日、俺も一緒に病院に行く…」。

だが、かみさんは気丈だ。
「大丈夫、大丈夫。一人で行けるよ」と答えた。

しばらく押し問答が続いた。
俺が「一緒に病院に行く」と言っても、かみさんは「平気、平気。一人で行けるって!」、「大丈夫、一人で行けるよ。プーちゃん、仕事が忙しいでしょ?」

必死で説得を続けた結果、ようやくかみさんは「病院、一緒に行ってもらおうかな…」と答えてくれた。

その日の晩、かみさんはいつもと変わらない。
もともと気丈な女性だ。
普通に食事をし、テレビのバラエティー番組を観て笑っていた。

俺はその晩、食事がのどを通らず、不安でいたたまれなかった。
でも、その不安をかみさんに見せるわけにはいかない、俺が不安を見せたら、かみさんも不安になる。
必死で平静な振りを装った。

この日から約2か月にわたる闘病生活が始まった。

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