いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2012年10月

平成22年5月14日の金曜日。

気が張っている。
1~2時間ごとに一回は目を覚ましてしまう。
この日も4回ほど、夜中に目を覚ました。

唯一の救いは、俺が目覚めるたびにかみさんを見ると、かみさんは笑顔を浮かべて熟睡していたことだ。
かみさんが熟睡している。笑顔を浮かべて熟睡している。
そんなかみさんの様子を見るだけで、俺は安堵し、救われる。

・・・

夢を見た。
わずかしかない丸山ワクチンを大勢の人間が奪い合う。
周りの人々を蹴散らして、俺はようやく丸山ワクチンを手に入れる。
これで、かみさんを救えるかもしれない。
そう思って安堵していると、周りの人たちが俺に襲いかかる。
俺が手に入れた丸山ワクチンを奪おうとして、大勢の人間に襲われる。

そんな夢を見た。

・・・

午前6時前、かみさんと俺は同時に目を覚ます。
俺はかみさんを抱き締めて、髪を撫ぜ、背中をさすった。
かみさんは笑顔を浮かべながら、嬉しそうに言ってくれた。
「安心する」。

俺は祈る。
奇跡が起きますようにと。

・・・

この日も検査の結果待ちで通院の予定が無い。
俺は、かみさんのお袋さんに、かみさんの気晴らしを任せ、出勤した。

昼休み、かみさんに電話をした。
かみさんは明るく元気に応答してくれた。
かみさんの明るさ、元気さ、前向きさが、俺に力を与えてくれる。

・・・

だが、これは正しいことなのか。
医師からは「余命は年単位ではない」と言われている。
例え、俺が諦めていない、何が何でもかみさんを助けたいと思っているとしても、医師に厳しい宣告をされたことは事実だ。
かみさんの余命を知っているのは俺だけ。

「余命は年単位ではない」。
医師のこの言葉を伝えていないが故に、かみさんは元気で、前向きで、明るく日々を過ごしている。
事実を知らないが故に、明るく普段通りに暮らしていける。

だが、事実を知らせないということで、俺はかみさんに対して不誠実な行動を取っているのではないか。
そんな思いに取りつかれた。

やはり医師の言葉を伝えるべきなのか。伝えることが誠実なのか。
それとも、伝えないことが、かみさんに対する誠実さなのか。
答えは出ない。俺は煩悶した。頭を抱え込んだ。

・・・

死の恐怖には二つの側面がある。
一方は、死に直面するかみさん本人の恐怖。
もう一方は、愛する家族を喪ってしまうかもしれないという俺の恐怖。

恐怖に打ちひしがれるのは俺一人でいい。
それが、かみさんに対する最大限の思いやりであり、かみさんに対する誠実さだと信じたい。
だが、本当にそれでいいのか。
俺は本当に、かみさんに対して誠実なのか。
答えは出ない。

・・・

帰宅して、かみさんのお袋さんが夕食を作ってくれている間、かみさんと俺はベッドで横になっていた。
1時間ほど他愛のない話をして過ごした。

寝室から出る時、俺はかみさんに言った。
「これからもずっと一緒にいてね」。
かみさんは元気に頷いてくれた。

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平成22年5月13日の木曜日。

不安と緊張で熟睡できない日が続く。
俺はこの日も夜中に3回、目を覚ました。

6時少し前、かみさんと俺は同時に目を覚ました。
二人の目が合う。

俺はベッドから身を乗り出して、かみさんを抱き締める。
その瞬間、かみさんは数日前と同じことを言ってくれた。
「私は幸せだよ」。

かみさんのこの言葉が、俺に力を与えてくれる。

・・・

この日も検査結果待ちのため、病院に行く予定は無い。
かみさんの面倒はお袋さんに任せ、俺は出勤した。
出勤する俺をかみさんが見送ってくれた。

癌だと分かる前から、かみさんは毎朝、出勤する俺を、マンションのエントランスまで見送ってくれた。

見送りの際、必ずかみさんが俺に向かって言うセリフがある。
「車にひかれないこと!電車にひかれないこと!痴漢に間違われないこと!」。

そのセリフの後、かみさんと俺は「ハイタッチ」をする。

そして俺は、かみさんの姿が見えなくなるまで、何度も振り返り、かみさんに向かって手を振る。
俺が手を振るたびに、かみさんも手を振り返してくれる。

毎朝、そうやって出勤する。かみさんと俺との「儀式」のようなものだ。

この日もそんな風にして出勤した。

・・・

俺は丸山ワクチンを使いたい。
ワクチンが効くのか、効かないのか。
冷静に考えれば、効かない可能性の方が高いのかもしれない。少なくとも、医師ならそう言うだろう。

だが、わずかでも希望があるのなら使いたい。
かみさんに希望を失わせたくない。

俺は、ある病院にツテのある上司に相談した。
「その病院に、丸山ワクチンを使ってくれるかどうかを確認したいが、どうすればいいか?」
すると上司は親身になって話を聴いてくれた上、「俺が聞いてやる」と言ってくれた。

だが、病院からの回答は「当病院では丸山ワクチンの効能は認めていない。したがって、治験は受けられない」とのことだった。
さらに「当病院では最期まで面倒を見るので、セカンド・オピニオンを聴きに来ることを勧める」とのことだった。

「最期まで」?
俺はまだ諦めたわけじゃない。何が何でもかみさんを助けたい。
そう思っているのにも関わらず、病院側は「最期まで」という言葉を使った。
はじめから諦めている病院側の態度に対して、強い不信感を持った。

俺は食い下がった。
「効能を認めないということであれば、それはそれでも構わない。だが、患者や患者の家族がどうしてもワクチンを使いたいと希望したとしても、ワクチンの注射はしてもらえないのか?病院が効かないと認定している薬でもいい、患者の希望を容れて治験を引き受けてくれないか?」

病院側からは「ダメです」との回答だった。

・・・

昼休み、かみさんにメールを送った。
「外は暖かいから、お母さんと一緒に散歩するなり、運河沿いで日光浴でもすれば?」。
返信は無い。

もう一度メールを送った。「早く日光に当たって来なさい!」

すると、かみさんから返信があった。
「(≧▽≦)きゃ~ン 散歩いってきますだわン

・・・

俺はこの日も定時で帰宅した。
家に着くと、かみさんも、かみさんのお袋さんも、まだ帰っていなかった。

しばらくすると、かみさん達が帰ってきた。散歩のついでに買い物をしていたそうだ。

「おかえり!」と、俺に向かって元気に声を掛けてくれるかみさん。
笑顔のかみさん。

この笑顔があるから、俺も何とか耐えていられる。
自分の愛している人の笑顔を見るだけで、人は強くなれる。

・・・

「私は幸せだよ」。
かみさんのこの言葉。
俺にとって、生涯忘れることのできない言葉のひとつ。

今でも時折、この言葉を思い出すと、涙が溢れてくる。

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平成22年5月12日の水曜日。

この日、俺は会社に出勤し、一日職場にいた。

本当は、介護休暇を取得したかった。
介護休暇を取れば、かみさんの傍にいることができる。ずっと一緒にいることができる。

介護休暇は無給だ。
俺自身は無給でも構わないのだが、かみさんが「無給の休暇なんて取らなくていいよ」と言う。

それはそうだろう。
俺はかみさんの余命が年単位ではない、かみさんに残された時間、二人が一緒にいられる時間はほとんど残されていないという事実をかみさんには伝えていない。

かみさんは自分の病気が治ると信じている。
そんなかみさんが、無給でもいいから介護休暇を取って、私の傍にずっといて、とは言うはずがない。

俺は苦しい立場に立たされた。

本当は介護休暇を取って、かみさんの傍を片時も離れたくない。
ずっと傍にいたい。二人で一緒に過ごす時間を大切にしたい。
二人が一緒にいられる時間は残り少ないのだから。

だが、病気が治ると信じているかみさんから見れば、二人で共に過ごせる時間は、まだまだたくさんある。
かみさんの立場から見れば、わざわざ「無給」の休暇まで取る必要はないと考えるのは当たり前だろう。

ここで俺は迷った。迷って、迷って、迷って、苦しんだ。
なるべくたくさんの時間をかみさんと一緒に過ごしたい。
そのためには介護休暇を取得したい。
介護休暇を取ることをかみさんに納得させるためには、やはり余命を伝えるべきなのか。
でも、そんなことはできるはずもない。

やむを得ず、俺はこの日、出勤した。

・・・

当時、俺は「課長補佐」だったが、年度内に「課長」に昇格することが決まっていた。
かみさんの看病に専念するために、「課長」への昇格を無期限で延期して欲しいと願い出たことについては、以前のブログにも書いた。

「課長」に昇格することが決定している「課長補佐」は暇だ。
なぜなら、俺の課には、既に俺の後任の「課長補佐」が配属されている。
俺は「課長」に昇格するまで、暇で仕事がほとんど無い。

俺の上司の「部長」や「課長」も、俺が仕事に集中できる精神状態でないことは理解してくれていて、仕事はしなくていいと言ってくれた。本当に有難かった。

「仕事がほとんど無い」とは言っても、全く無いわけじゃない。
だが、仕事どころではない。仕事に集中できるような状態じゃない。

結局、俺は一日中、インターネットで丸山ワクチンについて調べていた。

悪い情報ばかりではない。
ひょっとしたら、ワクチンが効いて、癌が完治するかもしれない、そう思わせてくれる情報も多々ある。
だが、一方で、「丸山ワクチンなんて、ただの水に過ぎない」というような情報もある。
気分が落ち込んでいるせいか、悪い情報にばかり目が行ってしまう。

・・・

職場にいて、かみさんの顔を見ることができないと、俺は途端に憔悴してしまう。
かみさんの隣にいれば、いくらでも自分を奮い立たせることができる。
「俺がかみさんを守るんだ」と思えば、いくらでも自分を鼓舞できる。
それなのに、かみさんが傍にいないと、心からも、身体からも、エネルギーが抜けてしまう。

これは、かみさんも同じらしい。
俺が傍にいれば、病気のことも忘れられると言っていた。

「夫婦二人で支え合って・・・」などと言われるが、この時ほど「支え合う」の意味が深く理解できたことは無い。
二人がお互いに支え合う。
お互いがお互いの存在を必要とし合っている。
二人が一緒にいれば、どんな苦境も乗り越えられる。
そんな気がした。

・・・

午前中、かみさんにメールを送った。
内容は「痛くないか~?」
だが、かみさんからの返信は無い。

何か起こったのだろうか。
不安になって、俺は自宅に電話を掛けた。
すると、かみさんが元気な声で電話を取ってくれた。
「痛くないよ~」。

その後、かみさんがメールを返信してくれた。
「定時で帰ってきてね~」

・・・

帰宅後、軽い運動をした方が免疫力も上がるんじゃないかと思い、かみさんを散歩に連れ出した。
少々汗をかくくらいが良いだろうと思い、早めに歩くと、かみさんは肋骨の下が痛むと言いだした。
俺はかみさんに無理をさせたことを後悔した、心が痛んだ、悲しかった。

「ららぽーと豊洲」の傍の「スーパーアオキ」で買い物をした。
数日前に来た時には、「もう二度と二人で来ることはないかもしれない」と感じていた。
だが、また二人で来ることができた。

・・・

手を繋いで帰った。
俺はかみさんの手を、強く強く握りしめた。
かみさんの手を握りながら、心の中で誓った。
「俺が守る。絶対に俺が守ってやる」。

手を強く握りすぎたせいだろう。
かみさんが、おどけた調子で言った。「いてーじゃねーか」。

そんなごく日常のやり取り、癌だと分かる前だったら何でも無いこと、他愛ない二人のやり取りが、とても愛おしく感じられた。


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4月28日に医師から告げられた言葉、「余命は年単位ではない」。

この言葉の意味するところ。
それは、医学的なエビデンスのある「標準治療(手術、放射線、抗がん剤)」を施したとしても、「余命は年単位ではない」という意味だ。

愛する家族がそういう立場に立たされた時、患者の家族が考えることは「標準治療がダメなら、代替治療も試してみたい。できることは何でも試して、絶対に完治させてあげたい」ということだろう。

代替治療。
言い換えれば、民間療法に過ぎない。
癌専門医からは、科学的エビデンスの無い荒唐無稽な治療法だと思われていることだろう。
漢方薬、様々な健康食品、丸山ワクチンやハスミワクチン、ホメオパシー等である。

だが、患者本人、そして患者の家族にとっては違う。
標準治療が効かないのであれば、代替治療も試してみたい。
藁にもすがる思いというのは、こういうことだ。

俺は「余命は年単位ではない」と言われた日から、インターネットでたくさんの代替治療について調べた。

もちろん標準治療を否定するつもりはない。
ただ、標準治療を行っても「余命は年単位ではない」のだとすれば、何が何でも完治させてあげたいと思う俺にとって、代替治療は最後の望みの綱だ。

俺は標準治療と代替治療の併用を認めてもらうべく、医師たちを説得することにした。

・・・

平成22年5月11日の火曜日。

前日に生体肝検査を終えたため、この日、かみさんは退院することになっている。

俺は仕事を休んだ。
一秒でも早く、かみさんの顔が見たくて、タクシーに乗って「癌研有明病院」に向かった。
病院に着いたら、荷物をカバンに詰めてあげなきゃいけないな、などと考えながらタクシーに乗っていた。

だが、病室に入ると、かみさんは既に荷造りを終え、着替えも済ませ、一人でのんびりとテレビを見ていた。
正直言って、元気そうなかみさんを見て安心した。

・・・

俺は、検査入院の際の主治医に「丸山ワクチンを使ってみたい」と相談した。
誤解があったようで、医師から怒鳴られた。
「病状を可能な限り正確に把握して、最も適切な治療法を検討しているところなのに、丸山ワクチンだけで治療するなどもってのほかだ!」

俺は丸山ワクチンだけでしたいなどと言ったわけではない。
医師に対して、標準治療と丸山ワクチンの併用を望んでいると説明した。

すると、医師は態度を一変させ、俺の主張を理解してくれた。
たまに、丸山ワクチンだけで治療したいという患者の家族がいるので、俺もそういう類の人かと誤解してしまったとのことだった。

ただ、丸山ワクチンを使用できるかどうかは、治療にあたる主治医の裁量に任されているそうだ。
この時に相談に乗ってくれた医師は、「私は丸山ワクチンの使用は否定しません」と言ってくれた。

だが、まだ確定診断が下っていない。
確定診断の後に、治療にあたる主治医が決まる。
その主治医が丸山ワクチンの併用を認めるかどうかは、今の段階では分からない、治療にあたる主治医が決まったら、その人と相談して欲しいと言われてしまった。

俺だって、丸山ワクチンが効くと確信しているわけじゃない。
だが、効く可能性が少しでもあるのなら試してみたい。
その結果、かみさんの癌が完治したら、こんなに嬉しくて、有難いことはないじゃないか。

・・・

かみさんと一緒に帰宅した。
かみさんのお袋さんが出迎えてくれた。

かみさんは4時ごろ、昼寝をした。
しばらくして、俺は寝室を覗いて見た。
かみさんは眠っていなかった。

俺もかみさんの隣に横になり、かみさんとおしゃべりをする。
かみさんは相変わらず、元気でおしゃべりだ。
昨日と同じく、生体肝検査の際に「医者に乳、見られちゃったよ」と言いながら、ゲラゲラと笑っていた。

かみさんが元気だからこそ、俺も耐えられる。
元気なかみさんの傍にいるから、俺も自分自身を鼓舞できる。

かみさんから離れて会社に行くと、一日中、憔悴して、職場全体に負のオーラを放っている。

・・・

かみさんと何気ない会話をしながら、俺は時折、「愛してるよ」、「大好きだよ」とかみさんに告げた。

そして言った。
「二人が爺さん、婆さんになっても、二人で手を繋いで散歩をしようね」。

俺の言葉の一つ一つに、かみさんは満面の笑顔を見せてくれた。

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平成22年5月10日の月曜日。

この日の午前中、かみさんの生体肝検査が行われる。

前日の午後8時過ぎ、俺が病院から出る直前、かみさんが言った。
「明日は検査で病室にいないから。会社に行っていいよ」。
俺は答えた。「じゃあ、検査が終わったくらいの時間に病院に来るよ」。
かみさんは「午後3時頃でいいや」と答えた。

そういうわけで、俺は久しぶりに出勤した。

会社にいると、俺はかみさんのことが気掛かりで、職場全体に負のオーラを放ってしまう。

かみさんと一緒にいても、かみさんのことが気掛かりであることに違いはないのだが、やはり傍にいないと、不安が大きくなる。
傍にいないというだけで、不安で、寂しくて、いたたまれない。

そんな俺の様子を敏感に察してくれるのは、俺の部下の中でも、特に女性に多い。
やはり男性に比べて女性は繊細なのか、俺に優しい言葉を掛けてくれる。
「顔色が悪いですよ」とか「奥様のことも大変だと思いますけど、係長も身体、お大事にしてくださいね(職場では「課長補佐」のことを「係長」と呼んでいる)」とか。

そういう女性たちの優しい心遣いを見て気づいた。
かみさんもずっと、こういう優しくて、繊細な心遣いで俺を支えてくれてたんだなということに。

・・・

かみさんとは、午後3時ごろに病院に行くと約束していた。

だが、早くかみさんの顔が見たい、そして、かみさんを喜ばせてあげたいと思い、午後12時には職場を出て病院に向かった。

午後1時過ぎ、病院に到着。
病室に入ると、かみさんは左側を向いて寝ていた。
俺の座っている場所からは、かみさんの背中しか見えない。

だが、かみさんは眠っていなかった。
イヤホンを付けてラジオを聴いていたため、俺に気づかなかったらしい。

俺がベッドの横に座っていることに気づくと、かみさんは嬉しそうだった。
その笑顔を見た時、やはり早めの時間に来て良かったなと心底思った。

かみさんの話を色々と聞いた。

昨日の夜、俺が病院を出た後、右の肋骨の下が痛かったのだそうだ。
夜中に目が覚めて、30分ほど痛みを我慢していたが、その後、歩いてナース・ステーションに行き、痛み止めを処方してもらったのだそうだ。
その後は朝まで眠れたとのことだった。

その話を聴いている間、俺は辛かった。
きっと、かみさんは不安だっただろう。
病院には俺がいない、かみさんは独りぼっち。
不安で怖かっただろう。
その時のかみさんの気持ちに思いを馳せると、俺は胸が張り裂けそうな気持ちになった。

その話の後、かみさんは生体肝検査の様子を面白おかしく話してくれた。
「乳、見られちゃったよ(笑)」とか、「思わずお医者さん達に突っ込み入れたくなってさ。おいおい!乳、見えてる!って(笑)」。

・・・

俺は主治医に呼ばれた。
5月6日の検査結果について告げられた。

胆のう、胆道、膵臓には癌は無さそうだ。
ただし大腸に腫瘍が見つかった。それが癌であるかどうかについては、今後精査するとのことだった。

そしてもう一点。
4月30日に医師から告げられた言葉、「余命は年単位ではないということを患者本人に伝えた方がいい」。
この点について、俺の考えを医師に告げた。

俺は余命について、かみさんに伝えるつもりはない。
例えば高齢者が癌になり、余命5年と告げられたのであれば、その患者は徐々に時間を掛けて死を受け容れていくことができるかもしれない。

でも、かみさんはまだ若い。
過酷な現実を受け容れていく、自分が来年にはこの世にいないという事実を受け容れていく、そんな時間は与えられていない。
そんな状況で余命を告げられても、前向きになれるはずが無い。
だから、かみさんには余命を伝えない。

これに対して医師は言った。
「前にも言いましたけど、独りで抱えていると、あなたがストレスに耐えられなくなりますよ。その点についてはどうお考えですか?」

俺は答えた。
「この際、俺のことはどうでもいい。俺のことは問題じゃない」。

医師は理解してくれた。
かみさんに対して余命は伝えない。
ありがたかった。

だが後に、別の医師によって、この約束は反故にされることになる。

・・・

病室に戻って、かみさんと何気ない会話をした。

「今、ここ」にかみさんがいる。かみさんとの濃密な時間。
20年も一緒にいて、これほど濃密な時間を過ごしたこと、一瞬一瞬がとても愛おしく感じられたことなど、今までにあっただろうか。

今までには体験したことのないような、不思議な時間の感覚。
「今、ここ」という一瞬一秒が愛おしい。

かみさんが愛おしい。

・・・

面会時間は午後8時まで。
この日、初めての面会時間無視。
俺は結局、8時半近くまで、かみさんと他愛のない会話をして過ごした。

昨晩と同じく、かみさんがエレベーター・ホールまで見送ってくれた。
ドアが閉まった瞬間に俺の心が挫けたのも昨晩と同じ。

ドアが閉まる直前までは、かみさんも俺も、相手に笑顔を向けていた。
だが、ドアが閉まった瞬間、俺の心が挫けた。
涙が溢れだした。

このブログを書いている今、気づいたことがある。
ひょっとすると、あの日、かみさんも泣いたのではないか。
エレベーターのドアが閉まった瞬間、泣いたのは俺だけじゃない、かみさんも泣いていたのではないか。

今になっては確認しようもないが、そんな想像をすると胸が痛む。

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