いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2012年11月

平成22年5月20日の木曜日。

俺は相変わらず熟睡できない。眠りが浅い。
俺は午前3時ごろ、午前5時ごろの2回、目を覚ました。
午前5時以降は一睡もできなかった。

やはり心労と緊張とが、俺の神経を蝕んでいるのだろう。

・・・

先日の記事に書いた通り、かみさんは5月26日に入院する予定だ。
この日、5月20日、俺は久しぶりに出勤した。
かみさんの入院後のために、有給休暇を残しておきたかったからだ。

毎朝、俺がが出勤する時、かみさんはマンションのエントランスまで見送ってくれた
俺がエントランスを出る寸前、
かみさんはいつも「車にひかれないこと!電車にひかれないこと!痴漢に間違われないこと!」と声を掛けてくれた。
そして、かみさんと俺は「ハイタッチ」をする。
その後、俺は、かみさんの姿が見えなくなるまで、何度も振り返り、かみさんに向かって手を振る。
かみさんも手を振り返してくれる。
俺は毎朝、そんな風にして出勤した。

だが、この日の朝、俺はかみさんに見送ってもらうことを断った。
理由はかみさんが疲れている様子だったからだ。
ひょっとすると、肝機能が低下しているため、熟睡しているようでいても、疲労が取れていなかったのかもしれない。
俺は「見送りはしなくていいよ」と言った。

一緒に暮らして20年間、かみさんは一日も欠かさず、出勤する俺の見送りをしてくれた。
出勤直前に他愛ないケンカをしたとしても、かみさんは必ず俺を見送ってくれた。
そんな日は、俺が通勤電車の中から、かみさんにメールを送ったものだ。
「さっきはゴメンね・・・」
すると、かみさんからメールが返ってくる。
「別に気にしてないよ~。私こそゴメンね~」

出勤の際のそんな風景が、この日初めて壊れた。
20年間で初めて、かみさんに見送られることなく、俺は出社した。

そして俺は思った。
「ひょっとすると、もう二度と、かみさんに見送ってもらって出勤することはないかもしれない・・・」
胸が苦しい、切ない、やるせない。

・・・

通勤電車の中、俺は色々なことを考えた。

かみさんと俺は、いつも一緒だったな、とか。
二人でいろんな所に旅行に出掛けたな、とか。
一緒に散歩ばかりしてたな、とか。
二人で何度も美味しいモノを食べに行ったり、映画を観に行ったりしたよな、とか。
休日はよく二人で買い物に行ったよな、とか。

かみさんが俺に向かって「ねえ、プーちゃん」と声を掛けてくると、俺は「何、容ちゃん?」と返事をしたな、とか。
俺がかみさんに「ねえ、容ちゃん」と声を掛けると、かみさんが「何、プーちゃん?」を返事をしてくれたな、とか。

どうでもいい話だが、かみさんは普段、俺を「プーちゃん」と呼んだ。
だが、たまに「プー子」とか「ブタ子」と呼ぶことがあった。

ケンカをした時に「プー子」とか「ブタ子」と呼ばれたわけではない。
かみさんの気分次第で、俺は「プーちゃん」になったり「ブタ子」になったり、はたまた「プー子」になったりした。

子どものいない二人きりの家族だ。
「プー子」と呼ばれようと、「ブタ子」と呼ばれようと、俺が呼ばれているということに気づかないはずは無い。
だから俺は、「プーちゃん」と呼ばれようと、はたまた「ブタ子」とか「プー子」と呼ばれようと、「ん?」とか「な~に?」と返事をしたものだ。

通勤電車の中、俺は二度と「プーちゃん」と呼んでもらえない日が来るのかもしれないと感じた。
この世でたった一人、俺のことを「プーちゃん」と呼んでくれる人がいなくなる日が来るのかもしれないと感じた。

電車の中、俺は胸が張り裂けそうな激しい悲しみを感じた。

・・・

会社からの帰宅途中。
俺は、かみさんの携帯に電話をした。
20年間にわたって続けてきた「帰るコール」だ。
かみさんはお袋さんと一緒に散歩をしている途中だった。

元気で明るいかみさんの声。

ひょっとすると未来はないかもしれない。
俺は医師にそう聞かされていたにも関わらず、それでも「今、ここ」にかみさんがいる、かみさんが生きていることが嬉しい。
何をしてくれなくてもいい。
ただ、かみさんが存在している、それだけのことが嬉しくて有難い。

かみさんの声を聞くたびに、俺の身体と心にエネルギーが充たされる。

その一方で、ひょっとすると、いずれはかみさんの声を聞くことができなくなると思うと激しい悲嘆に襲われる。

・・・

俺は早くかみさんの顔が見たいという一心で、自宅の最寄り駅から走って帰った。汗でびっしょりになった。

走りながら気づいた。
今は「逢いたい」と思えば、いつでもかみさんに逢える。
だから幸せ。
例え地獄のような日々であっても、かみさんの声を聞くことができ、かみさんの笑顔を見ることができるのであれば、俺は幸せになれる。
だが、逢いたくても逢えない、声を聞きたくても聞くことはできない、そんな日が近づいているのかもしれない。
そう気づいた途端、走り続けていた俺の全身から血の気が引いて、俺は道端で立ち止まってしまった。

・・・

帰宅後。
かみさんのお袋さんが、夕食の準備をしてくれた。
かみさんと俺は、ソファに座り、「ぐるナイ」を観ていた。

かみさんはこの番組が大好きだ。
この番組の「ゴチになります!」のコーナーが大好きだった。
この番組を観て、かみさんが「このレストランに行きたい!」と言うと、週末に二人で食事に行ったりしたものだ。

この日も「ぐるナイ」を観ながら、かみさんは「美味しそう!」、「病気が治ったら、このお店に行こうよ!」とはしゃいでいた。

・・・

かみさんのお袋さんが、夕飯に「カニ・チャーハン」を作ってくれた。
最近、食欲の落ちていたかみさんも、「美味しい!」、「美味しい!」と言う言葉を繰り返しながらたくさん食べていた。
癌と告知されたことが、嘘のような穏やかで明るい時間が流れた。

・・・

数日前から、俺の時間に対する感覚が壊れている。
何と表現したらいいのか、どう表現したら伝わるのか分からないのだが。

ここ数日、俺は「今、ここ」という意識になることが多い。
「今、ここ」にかみさんがいる。
だから嬉しい。だから幸せ。だから有難い。

かみさんと俺に未来があるのかどうかは分からない。
だが「今、ここ」にかみさんがいることは事実。
俺の隣にかみさんがいることは事実。
それだけで、俺は幸せだ。

「今、ここ」
その一瞬一瞬が愛おしい。
こういう不可思議な時間感覚の時、未来のことは考えないものらしい。
ただ単に、俺と時間を共有し、居場所を共有してくれるかみさんがいる。
「今、ここ」にかみさんがいる。
一瞬一瞬を共有してくれるかみさんがいる。

そのことだけで、俺は充たされていた。

�����祉�������㏍�井�� 絎倶�������㏍�� 罩糸�ャ��
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

かみさんが亡くなってから、俺は、自分の身体の半分を削ぎ落されたような感覚を抱えている。
かみさんが亡くなって2年5カ月。
この間ずっと、この感覚が消え去ることは無い。

身体の半分をもぎ取られたような感覚。
心にポッカリと穴が開いたような感覚。
自分の身体にも、自分の周囲の環境にも、現実感が感じられないというような感覚。

この感覚を言葉で表現することは難しい。
いくら言葉で表現しても、「伴侶を喪う」という経験をした事のない人には「実感」することのできない感覚だろう。

だが、同じ経験をした人々、「伴侶や子どもを喪う」という経験をした人には「実感」できるはずだ。

俺だって、かみさんを喪う前は、こんな感覚が存在することなど想像することさえなかった。
かみさんを喪って初めて、人間にはこういう感覚が存在するのだということを「実感」した。

「自分の身体の半分を削ぎ落されたような感覚」。
これは決して比喩ではない。
確かに現存する身体感覚。
だが、同じ経験をした人でなければ、「実感」することはできないであろう感覚。
そういう感覚を抱えている。

まるで自分一人が周りの世界から切り離されてしまったような。
心に空洞ができてしまって、その空洞をいつでも見つめているような。

やはり言葉で表現することは難しい。

だが、この感覚は確かに現存する。
「伴侶や子どもを喪う」という経験をした人であれば分かるだろう。

この感覚を抱えたまま生き続けなければならないのか。
それはとても辛いことだ。
まさに「生き地獄」だ。

寂しいとか、悲しいとか、ひと言で表現することさえできない感覚。
これを抱えたまま生きていかなければならないという宿命。

この感覚に耐えられない。

だからこそ、生きることを投げ出したくもなるのだ。

この感覚から解放される瞬間。
それは恐らく至福の瞬間だろう。

それは俺が死ぬ瞬間に訪れるのかもしれない。


�����祉�������㏍�井�� 絎倶�������㏍�� 罩糸�ャ��
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

かみさんが「癌研有明病院」に入院中のこと。

他の患者さん達の多くが、死の恐怖に怯えていた。
泣き叫ぶ人、鬱状態になる人、見舞いに来た家族に八つ当たりをする人。
多くの患者さん達が「死の恐怖」と闘っていた。

そんな中、どういうわけか、かみさんは明るさを失うことはなかった。
よく話し、よく笑った。
まるで何事もないかのように、自分が癌であることなど忘れているかのように、かみさんは笑顔を絶やさなかった。

自画自賛するようで嫌なのだが、かみさんが明るく元気でいられたのは、俺がいつも傍にいたからだと思う。
俺自身、かみさんの傍にいない時は消沈し、悲しみ、愛する人を喪うかもしれない恐怖に怯えていた。
だが、かみさんの前では違った。
俺もかみさんと一緒に居る時は、かみさんと同様、まるで何事もないかのように、かみさんが癌であることなど忘れているかのように、笑顔を絶やさなかった。 

・・・

明るく元気だったせいか、かみさんは医師や看護師さん達にはとても好かれていた。
医師や看護師さん達から、俺は何度も言われた。「奥さんは明るいですね」

何故、かみさんは最期まで明るさを失わなかったのだろう。
かみさんに付き添いをしていた俺にとっても、かみさんの明るさが唯一の癒しだった。

・・・

49日法要の時、お坊さんに、入院中のかみさんの写真を見てもらった。
笑顔のかみさん、俺に向かってVサインをするかみさんの写真。

俺はお坊さんに言った。
「癌だと分かっていたのに明るい表情でしょう?」

お坊さんは答えた。
「それはね、絆です」

俺とかみさんとの絆。
お坊さんの言葉を聞いて、俺は泣いた。

お坊さんは続けて言った。
「容子さんはあなたの傍にいますから。夫婦は特別です。また会えますから」

その言葉を聞いた俺は、涙を止めることができなかった。

・・・

かみさんの明るさ、癌だと分かっていたのに明るさを失わなかったかみさんを思い出すと、俺は自分が死に直面した時に、明るく元気でいられるのだろうかと疑問に思う。

俺が死に直面したら、泣き叫び、醜態をさらすのではないか。

かみさんのように、毅然とした態度で死に直面することができるのだろうか。

・・・

そんなことを考える一方で、俺は死が楽しみでもある。
ひょっとしたら、お坊さんの言う通り、またかみさんに会えるかもしれない。

「癌研有明病院」に見放され、その後に転院した「帯津三敬病院」の名誉院長、帯津良一氏がMSN産経ニュースのインタビューに答えてこう言っている。

「死は楽しみ。
例えて言えば、スペースシャトルに乗るような気分。
ちょっぴり不安はあるけれど、全体としては楽しみ」

・・・

俺の一番の関心事は「死」だ。

俺はかみさんのように、明るさを失わず死んでいくことができるのだろうか。
そのことが俺の一番の関心事。

ひょっとすると、俺が死んだら、またかみさんに会えるかもしれない。
そういう意味でも、「死」は俺の一番の関心事。

そしてもう一点。
いずれ「闘病記」のカテゴリーの記事で書くつもりだが、かみさんは亡くなる直前、何かを見た。
人は死ぬ瞬間、何かを見る。
人が死ぬ瞬間見るモノ、それは何なのだろう。
俺はそれが知りたい。
そういう意味でも「死」は、俺にとって一番の関心事だ。

�����祉�������㏍�井�� 絎倶�������㏍�� 罩糸�ャ��
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

このブログを書き始めたのは9月の終わり頃。
それ以前は某SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に日記を書いていた。

そのSNSで親しくして頂いている人たちは、全員が死別体験者である。
その多くは伴侶(夫や妻、恋人)を喪った人たちだ。
中にはお子さんを亡くされた人もいる。

両親や祖父母、兄弟や友人を喪った人と違い、
伴侶や子どもを喪った人の多くは、絶望の「井戸」の中に突き落とされている。
みんな、その「井戸」の中でもがいている。

そうした人達の中には、「伴侶や子ども」の後を追いたいと考えている人がとても多い。
長生きしたくない。
先立った愛する人の元へ、早く逝きたい。
あるいは、伴侶や子どものいない現実に絶望して、自分も早く逝きたい。
そう考えている人がとても多い。

実は俺もそうだ。
今まで、このブログの記事には書いてこなかったが、実は俺も、かみさんの後を追いたいと思っている。

苦しいのだ。
最愛の人のいないこの世界で、独りぼっちで生きていかなければならないという現実が辛いのだ。

未来には絶望しかない。
もう俺には何も残されていない。
独りぼっちで生き続けることよりも、死ぬことで残酷な現実から逃避できることの方が救いだ。

愛する人のいないこの世界で生きていくこと。
それは「生き地獄」だ。
死は救いであり、生は地獄だ。

・・・

それでも。
俺は、俺と関わった人たちには生きて欲しい。
某SNSやこのブログにコメントを下さっている方々には生きて欲しい。

伴侶や子どものいないこの世界。
その世界で生きていくこと。
それがどれほどの地獄なのかは、俺もよく知っている。

その地獄の中を「生き続けろ!」というのは残酷な言葉なのかもしれない。

でも俺は、俺と関わってくれた人たち、俺に声を掛けてくれた人たちには生き続けて欲しい。

例え無為な人生であっても、歯を食いしばって生き続けて欲しい。

・・・

これは単なる俺のワガママに過ぎない。
だって、俺自身が死にたい、かみさんの後を追いたいのだから。

それでも。
それでも、みんなには生きて欲しい。


�����祉�������㏍�井�� 絎倶�������㏍�� 罩糸�ャ��
←ポチっとクリック、お願いします。
にほんブログ村

平成22年5月19日の水曜日。

前日の18日までは、「癌研有明病院」の「内科」で診察をしてもらっていた。
この日、19日には、同病院の「化学療法科」から治療方針が示される予定になっている。

俺はこの日も有給休暇を取得し、かみさんと一緒に病院に行った。

・・・

http://blog.livedoor.jp/youchan1201/archives/20266645.html

↑ これは先日書いた記事。テーマは「平成22年5月18日のこと ~確定診断~」
この日の診断の結果は、俺にとって相当なショックだったらしい。
この日の晩も、俺はろくに眠れなかった。

・・・

かみさんは朝6時頃、目を覚ました。

かみさんと俺の目が合う。
そして二人がお互いに、自然と笑顔になる。
「おはよう」という意味の笑顔。

俺はかみさんにマッサージをした。
かみさんは目をつぶったまま、笑顔を浮かべ、「ん~、気持ちいい~」と言った。

マッサージを受けながら、かみさんが言った。
「夏になったらさ、浅草に美味しい『かき氷屋さん』があるから、二人で行こうよ」

かみさんは、自分に未来があると信じている。

・・・

かみさんは、相変わらず明るくて元気。
医者からの説明を聞いても、どこか他人事のような気がするそうだ。

かみさんの明るい表情や楽しく賑やかに話をする姿。
この地獄のような日々の中で、かみさんの笑顔だけが俺の唯一の救いだ。

・・・

かみさんに付き添って、「癌研有明病院」の「化学療法科」に向かった。

そこで示された治療方針。
5月26日に入院手続き。抗がん剤治療を行うとのことだった。
抗がん剤が効いて癌が小さくなり、それを手術で取るという可能性も皆無ではないとのことだった。

・・・

前日まで診察してくれた「内科」の医師とは違う。
「化学療法科」の医師は、患者やその家族から見ると、とてもドライな印象の人だった。

かみさんの伯母が癌になった時、某病院で医師から、「あんたは来年の桜は見れないよ」と言われたことがある。
患者を前にして、医師は平然とそう言ってのけたそうだ。
そんなことを言われた患者やその家族が、どんな思いをするのか。
患者や家族の気持ちに配慮することなく、平然と地獄に突き落とす。
まるで工場の中で、一つ一つの部品を流れ作業で組み立てるように、医師たちは一人一人の患者とその家族を、まったく無表情に、まったく無感動に、地獄に突き落としていく。

「化学療法科」の医師の態度は、昨日までの「内科」の医師と違い、とても事務的だ。
患者や家族が持つ不安や悲嘆に対する思いやりが全く無い。
優しさや同情心など欠片も持ち合わせていない。
事務的で機械的な態度の医師。
「化学療法科」の医師には、そんな危うさを感じた。

・・・

「化学療法科」の医師は言った。
「病状や病気の進行状況など、厳しいことを説明しなきゃいけないときは誰に話したらいいの?」
こんなことをかみさんを前にして言えば、かみさんがどれだけ不安になるのか想像もできないのだろうか。

かみさんは迷った挙句、「私は聞きたくありません。主人にも聞かせたくありません」と毅然とした態度で答えた。

・・・

いったん、診察室を出た。
かみさんは看護師に呼ばれ、今後の予定について説明を受けることになった。
その間、俺は再び診察室に入り、医師と話した。

かみさんが聞きたくないような厳しい話。
医師の立場から見て、そういう話をどうしても患者もしくは患者の家族にしなければならない事態になった時には俺が聞く、と申し出た。
かみさんには、決してそういう話はしないで欲しいとお願いした。
医師は了解してくれた。

だが、先日の記事でも書いた通り、後日、医師はこの約束を反故にして、かみさんを地獄に突き落とすことになる。

・・・

俺は医師に向かって、抗がん剤治療と丸山ワクチンの併用を認めて欲しいとお願いした。
だが医師は、「丸山ワクチンを使いたいなら、他の病院に行ってください」と答えた。

同じ病院であっても、「内科」の医師は「丸山ワクチンの使用を否定しない」と言っていた
だが「化学療法科」の医師は、「丸山ワクチンを使いたいなら、他の病院に言って下さい」と言った。

当初から調べてあった通り、丸山ワクチンの治験を認めるかどうかは、主治医の裁量に任されているという事実に愕然とした。

俺は「癌研有明病院」で抗がん剤治療を行い、通院治療をするようになってから、別の病院で丸山ワクチンの治験を受けるしかないと覚悟した。
治験を引き受けてくれる病院を事前に探しておいて本当に良かった。

・・・

病院からの帰り道。
「ゆりかもめ」に乗って帰った。

かみさんは言った。
「万が一、自分が余命3か月だとしても自分は知りたくない。プーちゃんにも知って欲しくない。お母さん達にも知って欲しくない。だって、みんな心配するでしょ?」

自分が窮地に立たされているのに、家族を気遣うかみさん。
こんな時にまで、自分のことよりも俺や家族を気遣うかみさん。

俺はこういう女性と20年以上、一緒に生きてきたのだ。



�����祉�������㏍�井�� 絎倶�������㏍�� 罩糸�ャ��
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

このページのトップヘ