いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2012年12月

かみさんが元気だった頃から、かみさんと俺は、毎年必ず、北海道にあるかみさんの実家で年末年始を過ごしていた。

その習慣は、かみさんが亡くなった後も変わっていない。

年末が近づくと、かみさんの実家から電話がかかってくる。
「独りぼっちで正月を迎えるのは寂しいだろう。だから北海道においで。容子のお位牌も連れておいで」と連絡をくれる。

今回で、かみさんが亡くなってから3回めの年末年始。
今年も俺は、義親から電話をもらい、12月29日の土曜日、北海道にやって来た。
もちろん、かみさんのお位牌も一緒だ。

・・・

かみさんの実家にいるとき、俺は物理的には孤独ではない。
義親もいる。
義弟も遊びに来てくれて、俺に元気な顔を見せてくれる。
物理的には決して孤独ではないはずだ。

だが、孤独なのだ。
寂しいのだ。
誰が傍にいてくれても、心理的には孤独で、寂しくて、哀しいのだ。

理由は、かみさんがいないから。

俺の傍に義親がいてくれようと、義弟がいてくれようと、俺は寂しくて、悲しいのだ。

理由は、かみさんがいないから。

・・・

これを本当の孤独というのだろう。

最愛の人が傍にいない。
その事実は、誰が俺に寄り添ってくれていようと変わらない。

その「最愛の人が傍にいない」ということが、俺を「本当の孤独」に突き落とす。


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俺は最愛のかみさんを癌から救い出すことができなかった。

かみさんには、まだまだやりたいことがいっぱいあっただろう。
行きたい所、食べたい物、観たい映画…。
たくさんあっただろう。

やりたいことがどれ程あっても、もうやることはできない。
かみさんは無念だっただろう。
かみさんが可哀想だ。

そして、かみさんがやりたいことをできずに亡くなったことには、俺にも責任がある。
俺は激しい罪悪感と後悔の念に取りつかれている。

・・・

俺たち夫婦は、毎年の夏休み、海外旅行に行った。
かみさんは海が大好きだった。
子供の頃から海が好きだったらしい。

旅行先は海で泳げる場所ばかりだった。
ニューカレドニア、ハワイのオアフ島、ハワイのマウイ島、フィリピンのセブ島、インドネシアのバリ島、タイのプーケット島…

必ずと言っていいほど、プライベートビーチのあるホテルに宿泊し、かみさんと二人、海で楽しく過ごした。

海外旅行と言えば、海で泳げる場所、そう決まっていた。

・・・

それにも関わらず、かみさんは突然、「台湾に行きたいな」と言った。
癌が発覚する数か月前のことだった。
「台湾の屋台で美味しいもの食べたいんだよね」と言った。

台湾はそう遠くはない。
行こうと思えばすぐにでも行ける。
だが、俺はその時期、仕事が忙しく、有給休暇を取ることが難しかった。

いや、これは言い訳に過ぎないかもしれない。
「台湾に行きたい」というかみさんの気持ち。
俺は真剣に受け止めてあげなかったんじゃないか。

多少の無理をすれば、数日間の有給休暇くらい取れたはずだ。
だが、俺はその多少の無理をしようとはしなかった。
行こうと思えばいつでも行ける場所なんだから、今無理をしなくてもいい、そんな風に考えていたんだと思う。

・・・

その後、かみさんの癌が発覚した。
結局、かみさんを台湾に連れて行ってあげることはできなかった。

・・・

平成22年4月の終わり、かみさんが癌だと分かった日、かみさんは言った。
「私、まだ死にたくない。やりたいことだって、いっぱいあるし。まだ台湾にも行ってないし…」

・・・

かみさんを台湾に連れて行ってあげれば良かった。

かみさんを台湾に連れて行ってあげなかった俺。
かみさんの思いを真剣に受け止めてあげなかった俺。

俺は今、激しい罪悪感に襲われている。
だが、後悔しても、もう遅い。


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平成22年5月25日の火曜日。

昨日、かみさんが入院した。
かみさんを病院まで送り、その後、面会時間の終了過ぎまで、かみさんに付き添っていた。

その後帰宅。
俺は一人で床に入った。

寝室で独りぼっちで眠ること。
今のマンションを購入してから、俺にとっては初めての経験だった。

・・・

相変わらず俺は、熟睡できない。
1時間ごとに目を覚ましてしまう。

嫌な夢を見た。
その夢の内容には、前日のO医師との面談の内容が反映していたように思う。

癌研有明病院では、先進医療の一環として「抗がん剤感受性試験」を実施している。
摘出した癌細胞に数種類の抗がん剤を投与し、どの抗がん剤が効くかを調査するものだ。

昨日のO医師との面談の際、俺はこの試験を受けたいと申し出た。
だがO医師からの返答は、意外なものだった。
「仮に感受性試験を受けても、治療の方法は変わらない」
そう言われ、感受性試験を断られた。

俺は食い下がった。
感受性試験を受けても治療の方法は変わらない理由は何なのか?

O医師からの回答は、のらりくらりと逃げているような、よく分からないものだった。

夢の内容には、そのO医師とのやり取りが反映されていたと思う。
製薬会社には、自らが売りたい抗がん剤がある。
医師は製薬会社からリベートをもらっており、製薬会社が売りたい抗がん剤だけを患者に対して使用する。
O医師は、製薬会社が売りたい抗がん剤をかみさんに投与するため、感受性試験の実施を妨害した。
そんな内容の(荒唐無稽な?)夢だった。

・・・

夢から覚めて、俺は枕もとの携帯電話を見た。
すると着信記録があった。
発信者は不明。

かみさんに何かがあったのだろうか。
かみさんの身に何かが起こり、俺が寝入っている間に、かみさんの入院先の病院から電話があったのだろうか。

俺は激しい恐怖と不安に襲われた。
俺は寝室を飛び出し、インターネットで癌研有明病院の電話番号を調べた。
携帯電話の着信履歴にある電話番号とは違った。
単なる間違い電話だったのだろう。

俺は安堵して、再び寝室に戻った。

・・・

俺は午前中出勤し、午後は休暇を取得した。
まず、かみさんに頼まれていた用を足すために、銀行や郵便局に行った。

銀行や郵便局での用事を終えた後、俺は病院に向かう。
病院に向かう電車の中、かみさんとの20年間の思い出が頭に浮かぶ。
本当にいろいろなことがあった。

二人の出会い、
二人が初めて会話をした時のこと、
初めてのデート、
同棲し始めてからのこと、
結婚してからのこと・・・

いろいろな思い出が頭に浮かんでくる。

病院に向かう電車の中で思った。
「早く容子に会いたい。早く容子の顔が見たい」

・・・

そして思った。
「容子は俺のたった一つの光だ」

決して幸福とは言えない家庭で育った俺。
かみさんと出会う前の人生は暗くて辛い、重苦しいものだった。

かみさんと出会って、初めて俺の人生に光が差した。
かみさんのお陰で俺の人生が輝いた。

かみさんは俺の人生にとって唯一の光。
その光を失ってしまうかもしれない。

・・・

病院に到着。
二人の和やかな時間。
かみさんは元気で明るい。よくしゃべる。

俺が唯一明るくなれるかみさんとの時間。
今、ここにかみさんがいる。
俺の傍らにかみさんがいる。
そのことが、俺に力を与えてくれる。

かみさんが明るくて元気だからだろう、かみさんと一緒にいると、「かみさんは大丈夫。絶対に治る」、そういう気持ちになれる。

今、ここに容子がいて、俺とともに時間と空間を共有している。
それだけで嬉しい。

かみさんが生きている。
ただそれだけのことが嬉しい。


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平成22年5月24日の月曜日。

昨晩の就寝前、俺は1時間ほど掛けて、かみさんにゆっくりとマッサージをしてあげた。
手のひらや腕、ふくらはぎや足の裏・・・。

かみさんは気持ち良さそうに笑顔を浮かべ、目を瞑ったまま俺のマッサージを受けていた。

俺もかみさんの穏やかな笑顔を見ることができて嬉しい。

・・・

かみさんは最近、食欲が落ちている。
昨晩は何も食べることができなかった。

午前4時ごろ、かみさんは空腹で目を覚ました。
ほぼ同時に、俺も目を覚ます。

かみさんと俺は、一緒に寝室を出てリビングに向かった。
二人で並んで食卓に座った。

かみさんは、かみさんのお袋さんが作り置きしておいてくれたオニギリを食べた。
俺はかみさんの横に座り、かみさんが食べ終わるのを待っていた。

何気ない夫婦の会話。
とても穏やかな時間が流れる。

かみさんと俺が、時間と場所を共有している。
たったそれっぽっちのこと。
かみさんが癌だと発覚する前には、当たり前すぎた事実。

だが、今はたったそれっぽっちのことが嬉しい。
二人で並んで座っていられる。
たったそれだけのことが、どれほど幸せなことなのか思い知らされる。

・・・

かみさんは背中が痛いと言う。
腰骨への転移の影響だろうか、背中が痛くて仰向けに寝ることができないと言う。
かと言って、右を向いて寝ても、左を向いて寝ても、腹部が腫れていて辛そうだ。
肝臓が腫れているだけではなく、腹水が溜まっていることも原因かもしれない。

そのように想像しただけで、俺は胸が苦しくなる。
苦しい、苦しい、苦しい。

俺は、腰骨や肺などにも転移していることをかみさんには伝えていない。
伝えることなどできるものか。
伝えないこと、知らないことが、かみさんの前向きな気持ち、「絶対に病気を治すんだ」という気持ちを支えている。
その気持ちを砕くことなどできない。
これ以上、辛い事実を伝えて何になるのか。

かみさんは確信している。
「自分は決して死なない、大丈夫だ」と。
だから俺も信じる。
「かみさんは絶対に死なない、俺が治してあげるんだ」と。

だが、この日は、かみさんが自宅で過ごした最期の日になった。

・・・

この日、入院した。
俺はかみさんのパジャマや洗顔用具等をカバンに詰めて、病院までかみさんに付き添った。

入院手続きを終えると、病室に案内された。
同室の入院患者に挨拶を済ませ、かみさんはパジャマに着替えた。

かみさんのベッドは窓際、外の景色が良く見える。
そこから見える景色は、かみさんが元気だった頃、二人で散歩をした場所ばかりだ。

かみさんと散歩をしながら、楽しい気持ちで観た風景。
それが今は、「かみさんは癌だ」という事実がフィルターとなり、今では悲しみを伴って俺の目に迫ってくる。

・・・

かみさんがシャワーを浴びている間、俺は主治医のO医師から呼び出された。
そして、医師から、厳しい現実を突き付けられた。

「半年の延命を図ることを目標にしましょう」

何だって?
半年の延命?

信じられなかった。
かみさんは癌だと宣告される半年ほど前、健康診断を受けていた。
その時の結果は「異状なし」。
なのにわずか半年後に「半年の延命」などと言われることが信じられなかった。

俺は、大きなハンマーで頭を殴られたような、全身から血の気が引くような感覚に襲われた。

「ターミナルケアをしてくれる病院を自宅の近所に探しておいた方がいいでしょう」とも言われた。

・・・

俺は医師に伝えた。

「かみさんが知っているのは、肝臓に癌が転移していることだけ。
肺やリンパ節、腰骨などに転移していることは伝えていない、俺の心の中にだけ留めてある。
肝臓以外にも転移していることは、今後も伝えるつもりはない。
知らないことが、かみさんの気力と前向きさを支えている。
かみさんは、自分が治る、自分は大丈夫だ、絶対に完治すると思っている」

そして医師にお願いをした。

「病院側からも、かみさんには病状が厳しいということを伝えないで欲しい」

O医師は了解してくれた。
傍で俺の話を聞いていた看護師は、泣いてくれた。

「かみさんには病状が厳しいということを伝えないで欲しい」
この約束。
O医師も了解してくれた。
だがO医師は、後日、この約束を反故にする。


・・・

かみさんと俺は、外の景色を見ながら他愛ない会話をしていた。

すると、先日、治療方針を示したS医師と、先ほどのO医師が病室に現れた。
二人とも、かみさんに笑顔で話しかけてくれた。

S医師がかみさんに聞く。「運動はできる?」
かみさんは答えた。「できます」
するとS医師は、「それはとってもいいことだよ。抗がん剤治療では、すごく重要なことだから。ただ、ちょっぴり肝機能が落ちてるから、薬を調整しておきますね」と言った。

「病状が厳しいということを伝えないで欲しい」
この願いを受け容れてくれたのだろう。
S医師は、厳しい事実を上手に伏せて、かみさんの前向きさを支えてくれた。

ありがたかった。
俺は二人の医師に、深く深く、頭を下げた。


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かみさんが荼毘に付されて以来、俺には欠かすことのない日課がある。

それは、かみさんの仏前に、食事と飲み物(コーヒーやワイン、ビールなど)、そして線香を供えることだ。

お供えをする時、蝋燭を灯し、線香に火をつける。
そして「りん」を鳴らす。
その後、俺はかみさんの位牌と遺影を見つめる。

だが、手は合わせない。
手を合わせると、涙が溢れてどうしようもなくなることが、これまでの経験から分かっていたからだ。

・・・

今日、夕食のお供えをした。
いつもの通り、蝋燭を灯し、線香に火をつけて供えた。

俺は今日、久しぶりにかみさんの位牌に向かって手を合わせた。
やはりと言うか、案の定、涙が溢れて来た。
中年の薄汚いオヤジが泣くのもどうかとは思うが、涙が溢れて止まらなかった。

泣きながら、俺はかみさんに呼び掛けた。
「また会おうね」

何の根拠もないのだが、そう呼び掛けた瞬間、俺は、いずれまた、かみさんに逢えるんじゃないかという気がした。

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