いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2013年01月

昔から知ってる歌だったけど…

死別の歌だとは気づかなかった。

気づいたのは、かみさんが亡くなってからだ。

・・・

かみさんはラジオが好きだった。

専業主婦だったかみさんは、一日中、ラジオをつけっ放しにして、音楽を聴きながら。家事をしてくれていた。

そんなかみさんのために、俺は外出する時、今でもラジオをつけっ放しにしている。

ある日、帰宅すると、この曲がラジオから流れていた。

その時、初めて、俺はこの曲が死別の歌だと気がついた。

・・・

この曲の歌詞。

あまりにも、俺の気持ちとオーバーラップしている。

この曲が死別の歌だと気づいた日、俺は、この曲を聴きながら、かみさんの仏前で泣いた。




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かみさんの祥月命日(6月27日)や、毎月の命日(毎月27日)の前後、俺の気分は普段以上に落ち込む。

涙はいつも以上に溢れてくる。

だが、今月の月命日(1月27日)は、比較的、無事に通過することができた。
(とは言っても、明るく元気に過ごせたということではない。落ち込んでいるのは事実だし、時折涙が出ることも事実だ)

「比較的」というのは、夜10時くらいまでは、安定した気分で過ごすことができた、ということだ。
そのことは、昨日のブログに書いた。

月命日を無事に乗り切って安心していたところ、翌日の1月28日から反動が来た。

心が鉛のように重くなってしまった。

何もする気が起きない。

・・・

まず、食欲がない。

一日に一食がやっと。

その一食でさえ、無理やり口の中に詰め込むという感じだ。

食べている間に吐き気がしてくる。

俺の身体が食べ物を拒絶しているのだろう。

・・・

また、風呂に入る気力がない。

シャワーを浴びる気力もない。

会社は休職しているので、誰にも迷惑は掛らないのだが…

・・・

外出する気にもなれない。

やむを得ず、29日の通院(精神科のクリニック)はさぼってしまった。

そもそも酒を買いに行く気力さえない。

休職に入ってから、俺は一日中、酒を飲んでいる。

酔えないのだが、酔うために。

かみさんがいない寂しさを紛らわすために酒を飲んでいる。

その酒さえ買いに行く気力がない。

・・・

さらに、眠りたくて仕方がない。

夜寝て、7時間ほどの睡眠で目が覚める。

だが、目が覚めても、目を開けたくないのだ。

目が覚めても、目を閉じ続ける。

目を閉じ続けているうちに、再度眠りの中に落ちる。

かみさんが死んだという現実と向き合いたくない。

かみさんがいないという悲痛な現実から目を反らしたい。

そういう気持ちが、俺を長くて深い睡眠の中に誘う。

・・・

鉛のように重くなってしまった心。

こんなことを言うと叱られるかもしれないが、正直に言ってしまえば、生きていることが苦痛なのだ。

かと言って、かみさんの「後を追う」勇気があるわけじゃない。

だが、苦痛なのだ。生きていることが苦痛なのだ。

「いつか迎えに来てくれる日まで」

「いつか」って、いつなんだろう。


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過去のブログにも書いた通り、かみさんの「祥月命日」は6月27日だ。
したがって、毎月27日は、かみさんの「月命日」である。

かみさんが亡くなってから、毎月の命日ごとに欠かさない習慣がある。

・・・

ひとつ目の習慣。
それは、花を買ってきてお供えすることだ。

仏前には、常に花をお供えしてあるのだが、月命日には、必ず新しい花を買ってくることにしている。

かみさんが亡くなってから2年7か月。
月命日に花を買いに行くだけではなく、花が枯れれば新しい花を買ってくる。

そんなことを続けた結果、俺は花屋さんにとって、すっかり「お得意さん」になってしまった。

また、かみさんが好きだったカサブランカを必ず買うのだが、カサブランカという花は、ユリ系の花の中でも値段が高いということを知った。

さらに、切り花というモノは、夏は1週間くらいで枯れてしまう、一方で、冬場は2週間くらい保つということも知った。

・・・

ふたつ目の習慣。
それは、普段より豪華なお供えをしてあげるということだ。

かみさんの仏前には、ご飯のほか、かみさんの好きだったスタバのコーヒー、三ツ矢サイダー、アサヒビールのスーパードライなどをお供えしている。

また、かみさんのお気に入りだった縫いぐるみや本、DVD、写真集なども供えてある。

だが、月命日は「ご飯」ではなく、もっとしっかりとした食べ物をお供えしてあげたい。

そこで、かみさんが生前に大好きだった寿司屋から出前を取り、かみさんの仏前にお供えする。

時には、かみさんのお位牌を連れて、ちょっと豪華な居酒屋に行く。
かみさんが食べたそうなものを注文して、お供えの代わりにする。

・・・

みっつ目の習慣。
それは、思いっきり泣くことだ。

正直に言えば、月命日でなかろうと、いつでも泣いている。
とりわけ、夜になると、かみさんを想って泣いている。

だが、月命日は特別だ。
いつも以上に涙が溢れてくる。
留めようのない涙が、次から次へと溢れてくる。

泣いては泣きやみ。また泣いては泣きやみ。
それを繰り返していると、就寝前にはすっかり目が腫れあがっている。

・・・

先日の1月27日は、かみさんの月命日だった。
かみさんが亡くなってから2年7か月。

俺は夕方、花屋に行き、カサブランカのほか、数種類の花を買ってきた。
そして仏前にお供えをした。

次に寿司屋から出前を取った。
かみさんが大好きだった寿司屋の特上寿司。
2人前取って、1人前をかみさんに、もう1人前は自分で食べた。
さらには、かみさんの大好きなビール・アサヒのスーパードライをお供えした。

そして、泣いた。
その日は朝から気分は低位安定。
ひょっとしたら、涙の出ない日になるかと思っていた。

だが、違った。

かみさんの仏前に花をお供えし、次にかみさんに寿司を供えた。
夜10時までは涙も出ず、落ち込んではいるものの、激しい悲しみは襲って来ない。

だが、10時を過ぎると、激しい悲嘆とかみさんへの想いが押し寄せてきた。
涙が溢れて来た。

泣いては泣きやみ。また泣いては泣きやみ。
結局2時間、泣き続けた。
いつもの月命日と同様、泣きやんだ時には目がすっかり腫れていた。

・・・

毎月27日は、かみさんの月命日。
毎月の命日、俺はそんな風にして1日を過ごす。

これからも、毎月の命日にはそんな風にして過ごすのだろう。
辛いと言えば辛い。

だが、それも、かみさんを愛した俺の義務だ。
かみさんを愛した証だと思って受け容れていきたい。

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平成22年5月28日の金曜日。

この日、俺は朝から定時まで会社にいた。

本当は、かみさんとずっと一緒にいたい。
かみさんの明るい笑顔を見ていれば、俺も少しは安らげる。
そして、俺が傍にいれば、かみさんも安心した表情を見せてくれる。

ずっと一緒にいたい。
ひょっとすると、一緒にいられる時間は、残りわずかかもしれない。
一緒にいることのできる時間が、とても貴重に感じられる。

だが、かみさんは自分の余命や病状を知らない。
自分は完治すると信じている。

だからこそ、かみさんは「ずっと付いていてくれなくても大丈夫だよ」と言う。

俺がずっと一緒にいようとすると、かみさんに「自分の余命が短いのではないか。自分の病状はとても悪いのではないか」と心配させてしまう。

ずっと一緒にいたい。
だが、「ずっと一緒にいる」という行為は、かみさんに病状に対する疑念を抱かせかねない。

俺はこの日、ジレンマを抱えたまま、一日職場にいた。

・・・

会社に到着すると同時に、かみさんにメールを送った。
だが、返信がない。

何か起こったのだろうか。
俺は不安でいたたまれなくなる。

すぐ休暇を取って病院に行こう。

そう決心した時、かみさんから返信があった。
「いや~、具合、体調は良いよ~。ただおねむ~」

要するに、眠かったので返信が遅れたらしい。
体調は良いとの言葉に、俺は心から安堵した。

・・・

会社にいる間も祈り続ける。
「癌細胞が減って行き、いずれはすっかり治る」、そう祈り続ける。

治ったら、これからもずっと、二人で一緒に散歩をしよう。
60歳になっても、70歳になっても、80歳になっても、二人で一緒に散歩をしよう。
そう祈った。

・・・

定時で会社を出て、午後6時15分に病院に到着。
面会時間は午後8時まで。

その間、
食事の世話をしたり、
かみさんがリラックスできるようにマッサージをしてあげたり。

かみさんと一緒にいられる時間は、あっという間に過ぎてしまう。

・・・

この日の朝から抱えていたジレンマを解消したい。

そこで、俺は思い切って、かみさんに言った。
「介護休暇を取って、ずっと一緒にいようか」

かみさんは応えた。
「介護休暇って有給なの?」

俺は言った。
「無給だよ」

かみさんは応えた。
「じゃあ、いいよ。ちゃんと仕事行って。私は大丈夫だから」

今振り返って思えば、このとき、俺は「馬鹿正直」だったと思う。
いや、正真正銘の「馬鹿」だった。

「介護休暇は有給だよ」と嘘をついてしまえば良かったのだ。
そうすれば、何の懸念も無く、ずっとかみさんに寄り添っていてあげることができたのに…

・・・

午後8時過ぎ、俺は病院を出た。
わずか2時間ほどしか一緒にいられなかった。

「ゆりかもめ」の有明駅で電車を待つ間、俺はかみさんにメールを送った。
「70歳、80歳になっても二人でウォーキングしようね」

その直後、かみさんから返信があった。
「じじばばウォーキングたのしそう!! いいねー

かみさんの天真爛漫さに癒された。


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かみさんが亡くなって以来、俺は仲睦まじい夫婦を見ると、複雑な気持ちになる。

俺だって、少し前までは、かみさんと寄り添って散歩をしていたのに・・・

俺だって、かみさんがいた頃は、笑顔が絶えなかったのに・・・

いつだって、かみさんの温もりを感じて、幸せに生きてきたのに・・・

何で俺ばかりがこんな目に合わなくちゃならないんだろう・・・
(もちろん、世の中には、大切な伴侶と死別した人はたくさんいるだろう。だが、俺の周囲にはいない)

寂しい。寂しい。寂しい。

そんな負の感情に襲われる。

その一方で、仲睦まじい夫婦を見ると、微笑ましくも感じる。

これからもずっと仲良く支え合って生きていって欲しい。

心の底からそう思う。

恐らく、仲睦まじい夫婦を見ると、かみさんと俺にダブって見えるのだろう。

仲良さそうに歩いている夫婦を見ると、その姿に、かみさんと俺との姿を重ね合わせているのだろう。

だから、仲の良い夫婦を見ると、暖かい涙が出ることも頻繁にある。

・・・

テレビを見ていると、「仲睦まじい夫婦」が目につく。

とりわけ天皇陛下と皇后陛下の仲の良さは、俺の目を引く。

お互いに支え合い、ちょっとした仕草に伴侶への愛情が見てとれる。

自宅でテレビを見ている時、天皇陛下と皇后陛下が出てくると、俺は涙が止まらない。

両陛下の仲睦まじい様子に、かみさんと俺の姿を重ね合わせているのだろう。

・・・

伴侶が傍にいること。
最愛のパートナーが傍に居てくれること。

かみさんが癌だと診断される以前は、当たり前のことだった。
当たり前すぎて、その事実に感謝の気持ちを持つことなど無かった。

だが、伴侶が寄り添ってくれること、それは奇跡なのだ。

かみさんを喪って思った。
最愛のパートナーが自分に寄り添ってくれること、それは奇跡なのだ。

伴侶と幸せに暮らしている人たち。
伴侶が隣にいてくれることに感謝して欲しい。
その奇跡に感謝をして欲しい。

伴侶が傍に居てくれることは、「当たり前」ではないのだから。

伴侶が寄り添ってくれていることは、奇跡なのだから。


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