いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2013年04月

先日、「遺骨ペンダント (1) ~巡り会えてよかった~」というタイトルでブログを書いた。

その際、俺は次のように書いている。

> かみさんの49日法要が終わった頃だろうか。
> 俺は「手元供養」という言葉を知った。
> 遺骨の一部をペンダントなどに入れて、
> 常に身に付けていることを「手元供養」というそうだ。

> 俺は遺骨ペンダントを入手した。
> チタン製、円筒形の小さなペンダントだ。

> そのペンダントには、
> 俺からかみさんへのメッセージが彫ってある。
> 「巡り会えてよかった。ずっと横にいるよ」

この記事の中で、
遺骨ペンダントに「巡り会えてよかった」という言葉を刻印した理由を述べた。

今回の記事では、ペンダントに刻んだもうひとつの言葉、
「ずっと横にいるよ」の背景について書きたい。

・・・

かみさんが癌研有明病院に入院していたある日のこと。
俺は病院からの帰り道、かみさんにメールを送った。
「病気が治ったら、どんな生活をしようか?」

するとすぐに、かみさんからメールが返ってきた。
そこには「プーさん、横にいてね!」と書いてあった。

・・・

「プーさん、横にいてね!」

この言葉には、
病気が治ることを信じ、未来があることを信じていたかみさんの、
俺に対する想いがたくさん詰まっている。

ずっと自分の傍にいて欲しい、
ずっと自分と一緒にいて欲しい、
ずっと自分の横にいて欲しい。

そういうかみさんの想いが詰まった言葉だ。

俺はかみさんの想いに応えてあげたかった。
だから俺は、遺骨ペンダントに刻んだ。
「ずっと横にいるよ」と。

かみさんが望んだとおり、
俺は残りの人生の全てにおいて、かみさんの横にいる。
俺が死ぬまで、かみさんと一緒にいる。

そういう誓いの気持ちを込めて、ペンダントに「ずっと横にいるよ」と刻印した。

これも「巡り会えてよかった」と同様、天国にいるかみさんへのメッセージのつもりだ。


�����祉�������㏍�井�� 絎倶�������㏍�� 罩糸�ャ��
←いつもありがとうございます。ポチッとクリックお願いします。
にほんブログ村

かみさんの49日法要が終わった頃だろうか。
俺は「手元供養」という言葉を知った。
遺骨の一部をペンダントなどに入れて、
常に身に付けていることを「手元供養」というそうだ。

俺は遺骨ペンダントを入手した。
チタン製、円筒形の小さなペンダントだ。

そのペンダントには、
俺からかみさんへのメッセージが彫ってある。
「巡り会えてよかった。ずっと横にいるよ」

・・・

この言葉の背景には、今でも忘れられない光景がある。

俺のブログには、「闘病記」というカテゴリーがある。
今までに、
「平成22年4月26日のこと ~最愛のかみさんが癌だと分かった日~」から
「平成22年6月2日のこと ~状況の悪化~」
までの、
かみさんと俺との闘病の様子を綴って来た。

その他に、
「俺の命を半分あげよう」
「いつだって、奇跡を信じてた」という2本の記事で、闘病期間全体を通じての俺の想いを書いた。

今後、「闘病記」のカテゴリーの記事の中で、
「巡り会えてよかった」という言葉と、
「ずっと横にいるよ」という言葉の背景を詳しく書くつもりだ。

・・・

「巡り会えてよかった」

この言葉は、癌研有明病院に入院していた頃に、
かみさんの口から出た言葉だ。

かみさんはベッドに座り、俺の顔を見ながら、突然言った。
「巡り会えてよかった」
その時、かみさんは、満面の笑顔を浮かべていた。

今振り返れば、
「俺も、容ちゃんに巡り会えてよかった」と答えてあげればよかったと後悔している。

だが、かみさんの口からこの言葉が出たとき、
俺は何も言い返してあげられなかった。

理由は、かみさんの言葉が、まるで別れの言葉のように聞こえたからだ。
俺が「容ちゃんと巡り会えてよかった」と言ってしまったら、
それっきりで別れになってしまうように感じたからだ。

「巡り会えてよかった」と言ってあげられなかったことが悔やまれる。

だから俺は、遺骨ペンダントに「巡り会えてよかった」と刻んでもらった。
天国のかみさんへのメッセージのつもりだ。

・・・

癌だと分かった日から、かみさんはたくさんの印象的な言葉を遺した。

それらの言葉は、生涯忘れることはできない。
俺の宝だ。


�����祉�������㏍�井�� 絎倶�������㏍�� 罩糸�ャ��
←いつもありがとうございます。ポチッとクリックお願いします。
にほんブログ村

昨日4月27日は、かみさんの月命日だった。
あれから2年10ヶ月が過ぎた。

あと2ヶ月もすれば、丸3年を迎える。

・・・

2年10ヶ月と言えば、それなりに長い時間だ。

かみさんが元気だったなら、仕事も余暇も充実していて、中身の濃い時間だったに違いない。
様々な思い出を作るには、十分な時間だっただろう。

・・・

だが、この2年10ヶ月は空っぽだった。
中身の無い空虚な時間。

ただ涙を流し、あまりの寂しさに途方に暮れるだけの時間。
かみさんを守れなかった罪悪感、病気に気づいてあげられなかった罪悪感に囚われ、自分を責め続ける時間。
激しい悲しみに襲われ、号泣する時間。

それが、この2年10ヶ月だった。

・・・

時間が止まってしまった。
かみさんが亡くなってから2年10ヶ月も経ったという実感が無い。
そんなに長い時間が経過したという実感が湧かない。

まるで昨日のことのようだ。

かみさんの死とともに、俺の時間は止まってしまったのだろう。

・・・

「配偶者を亡くした者は、現在を失う」という言葉があるそうだ。

「現在」という時間の連続が、時間の経過を実感させるのだろうが、
「現在」を失った者にとっては、時間の経過自体がなくなるのかもしれない。

・・・

2年10ヶ月。

かみさんが亡くなった直後は、2年も経てば涙も涸れるだろうと思っていた。
だが違った。

時間が止まってしまった俺にとっては、2年であろうと、5年であろうと、あるいは10年であろうと、かみさんの死は、今、目の前にある現実なのだろう。


�����祉�������㏍�井�� 絎倶�������㏍�� 罩糸�ャ��
←いつもありがとうございます。ポチッとクリックお願いします。
にほんブログ村

以前、ご主人を亡くしたある女性が、棺の横で泣き崩れていたとき、
葬儀に参列した人から言われたそうだ。
「旦那さんは神様のところに行ったのだから、祝福してあげなきゃだめでしょ」

ご主人を亡くした女性は、一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

だが我に返り、激しい口調で言い返した。
「もし、亡くなったのがあなたのご主人だったら、あなたは祝福できるの!?」

「祝福してあげなきゃ」と言った人は、ほんの一瞬沈黙した後、「ごめんなさい・・・」と謝ったそうだ。

こういう場面では、頭の中が真っ白になり、何も言い返せないケースが多いと思われる。
この話を聞いたとき、俺は「言い返すことができて、本当に良かった」と思った。

・・・

死別を合理化する言葉は、世間に氾濫している。
伴侶との死別を体験した者に対して、「悲しむな!」と強制する言葉が氾濫している。

俺も先日、このブログに、次のようなコメントを書き込まれた。

「あなたと同じように悲しい思いをされている方は、この世にたくさんいます。
 あなた以上に悲しい思いをされている方も、この世界にはたくさんいます。
 あなたが理解しようとされていないだけです」

自らが伴侶と死別した経験の無い人は、雄弁だ。
くどくどと、押し付けがましい正論を語る。
「自分の正論を拝聴しなさい」と言わんばかりだ。

・・・

「もう一年も経ったんだから、さっさと奥さん離れしろよ!」
かみさんが亡くなって半年を迎えようとしていた頃、俺が部長から言われた言葉だ。

俺は「まだ半年も経ってません」と答えた。
だが部長は逆ギレして、「四捨五入すれば一年だろ!」と言った。

俺の会社は社員4万人程度だが、俺の勤める支店には150人程度の社員がいる。

そのトップは部長。
その下に3人の課長がいる。
その3人の課長のうちの1人が俺だ。

部長はそういう状況を踏まえて、俺に言ったのだろう、
「職場の指揮官が暗い顔をしてると、部下の士気を落とすんだよ!」

正論だ。
確かに正しい。

だが、伴侶を亡くしたのが俺ではなく、部長だったとしたら、
部長は悲しみを抑圧し、明るい表情で職場にいることができただろうか。

たぶん無理だろう。
かみさんを亡くした後の俺がそうであるように、
部長は暗い表情をし、周囲に負のオーラを放ち、廃人と化していただろう。

・・・

自分自身が伴侶と死別したわけではない人々。
こういう人の言うことは、大体決まっている。

「この世に悲しい人はいくらでもいる、アンタだけが悲しいわけじゃない」
「さっさと元気を出せ!暗い顔をしていると鬱陶しい」

正論だ。
だが、伴侶を喪うという悲しみを知らない人だからこそ吐ける正論だ。

・・・

よく聞くセリフがある。
「神様は堪えられない試練をお与えにならない」
こういうセリフを雄弁に語る人々、例外なくキリスト教徒だ。

だが、もし自分が伴侶と死別したら、
「神様は堪えられない試練をお与えにならない」と自分に言い聞かせることができるのだろうか。
こんな言葉で、自分の伴侶の死を納得することができるのだろうか。

・・・

いずれにしても、
死別を体験したことのない人は、やたらと口数が多い。
余計なことをベラベラと、雄弁に語りまくる。

まるで正論を吐く自分に酔っているかのようだ。

・・・

かみさんを喪って2年10ヶ月になろうとしている。
2年10ヶ月も経つと、雄弁な正論を聞かされる機会が多くなっていく。

それでも俺は、雄弁さを誇りたがる人々が吐く正論を受け容れることはできない。
俺は日々、悲しくない人々が語る正論と闘い続けなければならない。


�����祉�������㏍�井�� 絎倶�������㏍�� 罩糸�ャ��
←いつもありがとうございます。ポチッとクリックお願いします。
にほんブログ村

俺にとって決して忘れることのできない日、
決して忘れてはいけない日がある。

・・・

毎年の6月27日。
かみさんの祥月命日である。

かみさんが逝った日。
俺がかみさんを看取った日。
俺が最愛の人を喪った日。
事実上、俺の人生が終わった日。

俺にとって、人生で最も哀しい日だ。

この日はお寺でお経をあげてもらう。
そして、かみさんの仏前には、普段より豪勢なお供えをすることにしている。

・・・

毎年の12月1日。
かみさんの誕生日である。

俺はもう二度と自分の誕生日を祝うことはないだろう。
だが、かみさんの誕生日だけは大切にしてあげたい。
愛した人の生まれた日だけは、心の中に留めておきたい。

この日は必ずケーキとワインを買ってきて、
かみさんの仏前にお供えをする。

・・・

毎年の4月8日。
かみさんと俺の結婚記念日だ。

かみさんの生前、
かみさんも俺も、結婚記念日には無頓着だった。
取り立ててお祝いをするわけでもない。
そもそも、かみさん自身が結婚記念日を覚えていなかった。

だが、かみさんの死後、俺はこの日を決して忘れてはならない日のひとつに加えた。

この日もケーキとワインを買ってきて、
かみさんの仏前にお供えをする。

・・・

そして、もう一日、どうしても忘れられない日がある。

それは4月26日。
俺が地獄に落とされた日。
かみさんが癌だと分かった日だ。

平成22年の今日、かみさんと俺は、地獄に突き落とされた。

今年の4月の初旬から、カレンダーを見るたびに、
「もうすぐ4月26日がやってくる。あの日がやってくるんだな・・・」と感じていた。
そのたびに、俺は胸が抉られるようで苦しくなった。

・・・

かみさんが亡くなって以来、毎年の4月から6月末にかけて、鬱が酷くなる。
平成22年の4月26日から6月27日にかけての、地獄の日々が蘇ってくる。

恐らく、俺が死ぬ日まで、4月から6月末にかけては激しい鬱と闘わなくてはならないのだろう。


4月26日。
それは地獄の入り口を覗いた日。

俺にとって、生涯忘れられない日となるだろう。


�����祉�������㏍�井�� 絎倶�������㏍�� 罩糸�ャ��
←いつもありがとうございます。ポチッとクリックお願いします。
にほんブログ村

このページのトップヘ