いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2013年05月

「独りぼっちは寂しいな・・・」
俺が義親や義弟の前で言った言葉だ。

俺の言葉を聞いて、義母は言った。
「プーちゃん。今すぐにとは言わなくても、いずれは再婚したらいいんじゃないかね・・・」

俺には再婚するつもりがない。
かみさんと添い遂げるつもりでいる。

だが、義母は言った。
「いずれは再婚したらいいんじゃないかね・・・」

義母に悪意はない。
今後、俺は独りぼっちで生きていかなくてはならない。
義母は、俺のことを心配してくれている。
独りぼっちで生きていくのは寂しすぎる。
だから、再婚したらいいんじゃないか。
義母はそう言った。

俺は義母に聞いた。
「もし、俺が再婚したら、どうする?」

すると義母は、しばらく考えた末に言った。
「容子が可哀想だ。もしプーちゃんが再婚したら、容子のお位牌と遺骨はうちで引き取る。
亡くなったお父さんと同じ墓に入れてやる」

義母の言葉を聞いた瞬間、俺の身体の中心から涙が噴き出してきた。
そして、俺は言った。
「容子だけは誰にも渡さない。俺の遺産はくれてやる。でも、容子だけは絶対に渡さない!」

そうだ。
容子だけは誰にも渡さない。

かみさんだけは絶対に誰にも渡さない。
容子は俺のものだ。
かみさんは俺のものだ。

俺がかみさんのものだったように、かみさんも俺のものだったんだ。
容子だけは絶対に、誰にも渡さない。


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あなたは・他人を・殺したいと思ったことが・ありますか?

僕には、あります。

殺したいのは実の母。
自分の母を殺したい。自分の母に死んでほしい。

心の底からそう願っています。

・・・

これまで幾度も書いてきたが、俺の母は毒親だ。
俺は母と絶縁したため、今後、母の撒き散らす毒に冒されることはないと思う。
そう願いたい。

だが、俺の妹は絶縁まではしていない。
そのため、妹夫婦は、いまだに母の毒に冒されている。

妹に子供ができた。男の子だ。俺の甥っ子だ。

母は、妹に子供ができたことが面白くないらしい。
母は俺の妹を、「自分の思い通りになる道具」にしておきたい、
俺と絶縁した以上、俺を頼ることはできない、
それなら妹を「自分の道具」にしたい、俺の妹に自分の老後の面倒を看させたい。
母は、そう思っていたようだ。

それなのに、俺の妹が子供を産んだ、
妹の愛情は子供に向けられた、そのことが母には気に入らなかったらしい。
勝手に子供を産んだ妹を、母は責めた。

そもそも「勝手に子供を産む」のは夫婦の自由だ。
俺の妹夫婦が自由に選択することだ。

だが、母はそれさえも許せなかったらしい。

・・・

母はキチガイだ。
過去のブログに何度も書いているが、母は、故意に人を傷つけることに快感を感じる異常者だ。
こういう行為を、心理学の世界では「モラル・ハラスメント」というらしい。
俺が高校生の時に亡くなった父親も、俺の妹も、そして俺も、母親のモラル・ハラスメントに苦しめられた。
追い詰められた。

・・・

これも過去のブログに書いたが、
かみさんの告別式の日、かみさんの棺の横で泣いている俺に向かって、母が言った。
「あんた、そんなに悲しいなら、さっさと再婚すればいいじゃない!」
俺は、母に対し、殺意を抱いた。

それだけじゃない。
かみさんが亡くなった日、母は俺の自宅に来たのだが、
その時の母の振舞いを思い出しても殺意が芽生える。

かみさんの遺体の横で泣き崩れる俺と義親。

その時、母もかみさんの遺体の横で泣いていた。いや、泣き真似をしていた。
母が泣いている時、俺は母の顔を見た。
母の目からは、涙が出ていなかった。
単に、泣いている真似をしていただけだ。

母らしいなと思った。
自分を「良い人」だと思わせたい。
そのためにはどんな演技でもする。
それが母の正体だ。

この時も、母は泣き真似をしていた。
自分を優しい人、良い人と思わせたかったんだろう。

ひとしきり、泣き真似が終わると、本性が顔を見せ始めた。

母は、俺の幼馴染の近況報告をし始めた。
かみさんが亡くなって悲しんでいる俺、かみさんが亡くなって悲しんでいる義親の前で、
母ははしゃぎながら、俺の幼馴染の近況を報告し始めた。
近況報告に飽きた頃、母は自分の自慢話をし始めた。

正直言って辟易した。
俺も、義親も、かみさんを亡くして悲しみに暮れている。
半身をもぎ取られ、途方に暮れている。
そんな俺や義親の前で、母は一人はしゃいでいた。

・・・

この時のことを時々思い出す。
思い出すたびに、母に対する殺意が芽生える。

そして何よりも・・・
かみさんは良い奴だった、友達にも、同じマンションの住人にも、近所の団地の人たちにも、親戚にも愛されていた。
そして誰よりも、俺が愛したかみさんだ。
そんなかみさんが死んだ。

なのに、子供に嫌われ、近隣の住民に憎まれ、親戚に憎まれている母が生きている。
そのことに対して、俺は世界の不条理を感じざるを得ない。

世界は母を殺さず、かみさんを殺した。
それは許せない。
だったら俺が、母を殺してやりたい。

誰からも憎まれ、嫌われている母。
周囲の人々を悩ませ、苦しませる母。

あいつが、のうのうと生きていて、何でかみさんが死ななければならないのか。

世界は不条理で充ちている、


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「プーちゃんって、寂しがり屋だもんね」
この言葉は、かみさんの口癖だった。

当初、俺には、自分が寂しがり屋だという自覚は無かった。

初めて自覚したのは、平成6年12月の末から平成7年の正月明けにかけてだった。
この期間、かみさんは、俺と結婚することを自分の両親に報告するため、北海道の実家に帰った。

その間、俺は、かみさんと同棲していた千葉県浦安市のアパートに独り残された。
かみさんと俺は、平成2年の夏から半同棲状態、平成3年からは本格的に同棲していたため、俺が独りぼっちになるのは、本当に久しぶりだった。

かみさんが実家に帰っていたのは、ほんの数日に過ぎない。
それなのに、俺は寂しくて仕方がなかった。

俺はかみさんの言うとおり、「寂しがり屋」なんだと知った。

・・・

次にかみさんと離れ離れになったのは、平成8年9月中旬から平成9年5月中旬にかけてだった。
「食道癌」と診断された父親の看病をするため、かみさんは北海道に帰っていた

この8ヶ月間、俺は寂しくてどうしようもなかった。
かみさんは毎日電話をくれたが、それでも寂しくて仕方がない。

電話で話をしている時の俺の様子から、何か感じることがあったのだろう。
このときから、かみさんは以前にも増して、「プーちゃんって、寂しがり屋だもんね」と言うようになった。

かみさんから何度も言われているうち、自分でも「俺は寂しがり屋なんだろうな」という自覚が芽生えた。

・・・

平成22年4月29日のこと
この日は、かみさんが「転移性肝臓癌」だと診断された翌日だ。

この日、かみさんと俺は、次のようなやり取りをしている。

> 夕食後、かみさんは突然思い立ったように、
> 俺に洗濯機や食器洗浄機の使い方を教え始めた。
> なぜ今、そんなことを教え始めるのだろう。
> まるで自分がいなくなっても、俺が困らないようにしておこうとするかのようだった。

> なのに、教える間もかみさんは、明るくて元気で茶目っ気たっぷりだ。
> 俺は堪らない気持ちになって、かみさんを抱き締めた。

> かみさんは俺に抱き締められながら言った。「寂しがり屋さん」。
> そしてもう一言。
> 「私は幸せだよ」、かみさんはそう言った。

かみさんは俺に抱き締められながら、俺に向かって「寂しがり屋さん」と言った。

俺がかみさんから「寂しがり屋」と言われた最期の日、それが平成22年4月29日だった。

・・・

今までは、たとえかみさんと離れていようと、話そうと思えば話せたし、会おうと思えば会うことができた。
だが今は、声を聞きたくても聞けない、顔を見ることもできない、触れることもできない。
寂しくてどうしようもない。

俺は、かみさんが言っていた通り、「寂しがり屋さん」なんだろう。


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昨日5月27日は、かみさんの月命日だった。
かみさんが亡くなってから2年11カ月。
もうすぐ3年が経とうとしている。

この3年間、俺は泣き続け、悲しみ続けた。

かみさんが亡くなった当初は、「1年もすれば、涙も涸れるだろう」と思っていた。
だが、1年経っても、2年経っても、3年が経とうとしている今でも、涙は涸れない。

それどころか俺は、自分が徐々に壊れているような気がしている。
激しい抑鬱状態。
現実逃避による過剰な睡眠。
ひきこもり。
この前の日曜日からは食事さえしていない。

何とか普通の社会生活ができるようにならなければ、とは思うのだが、
身体と心が思い通りにならない。

・・・

月命日には必ず、普段より豪勢なお供えをしている。
かみさんが好きだった寿司を出前してもらったり。
寿司ばかりだとかみさんが飽きるだろうと思い、お位牌を連れて、高級志向の居酒屋に行くこともある。

昨日はそれさえもできなかった。
かみさんに申し訳ないと思いつつ、身体が動かなかった。

昨日は会社の臨床心理士と面談する予定もあった。
それもキャンセルした。
身体が動かなかった。

・・・

かみさんが亡くなって1年半、俺は会社を休職していなかった。
休みがちではあったが、それでも何とか騙し騙し仕事をこなしていた。

かみさんが亡くなった直後の1年半。
心に大きな空洞を抱えつつ、半身を削ぎ落されたような感覚を抱えつつ、
それでも何とか社会生活を送っていたのだ。

かみさんが亡くなって1年半が過ぎた頃。
会社を休みがちだったこともあり、上司から休職を勧められた。

「管理職が頻繁に仕事を休んでいるようじゃ困るんだよ!」
そう言われた。
俺はやむを得ず休職することにした。

・・・

休職するようになってから、睡眠時間が長くなった。
1日12時間も眠っていることも稀ではない。

最初は睡眠薬が強すぎるんだろうと思っていたが、
通院している精神科の医師からは
「1日12時間も眠ってしまうような薬は処方していない。恐らく、心が深く傷ついていて、現実から逃げているんじゃないか」と言われた。

そうかもしれない。
かみさんのいない現実から逃げている。
かみさんのいない現実を見たくなくて、眠りの中に逃げているのかもしれない。

その現実逃避が、日を追うごとに酷くなっている。
今までは、月命日のお供え、病院への通院、会社の臨床心理士との面談など、何とかこなしてきた。
だが、昨日は、会社の臨床心理士との面談もキャンセルしてしまった。
それどころか、月命日のお供えもしてあげられなかった。
かみさんに申し訳なくて仕方がない。

・・・

何とか自分を立て直したい。
まともに社会生活を送れるようになりたい。
焦りの気持ちばかりが先走っているが、身体と心が動かない。

俺は徐々に壊れていく。
俺は徐々に崩れていく。
何とか立て直したいのだが・・・


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平成22年6月4日の金曜日。

この日は、頭部のCTスキャンが予定されている。

前日の晩、かみさんが梅干しを食べたがっていた。
俺は出勤するつもりでスーツに着替え、早朝6時50分頃、梅干しを瓶に詰めて病院に行った。

かみさんの病室に入る直前、看護師に呼び止められた。
「昨晩、奥さんが旦那さんの名前を呼びながら泣いてましたよ」と言われた。

かみさんは泣いていた。
看護師に背中をさすってもらったらしい。

俺は激しいショックを受けた。
かみさんのことは俺が守る、かみさんを死の恐怖から守ってあげなきゃいけない、
そう誓っていたのに、かみさんは死の恐怖に怯えて泣いていた。

看護師から話を聞いた時、胸が苦しくなった。胸が引き裂かれるようだった。
かみさんが死の恐怖に怯えている。
俺はかみさんを守ってやれなかった。
かみさんを泣かせてしまった。

俺のいない、暗い病室の中でたった一人、死の不安や恐怖と闘いながら、
かみさんは泣いていた。

俺にとって、かみさんが泣いていたという事実は、本当に辛かった。
自分の愛する人が、死の恐怖に襲われて泣いていた。
かみさんの気持ちを想像しただけで、胸が苦しい。

かみさんが泣いている。
そんな時にこそ、俺はかみさんの傍にいてあげなくてはならない。
かみさんを抱き締めて、不安から守ってあげなくてはならない。

だが、それができなかった。
俺は悔しくて、苦しくて、胸が痛くなった。

・・・

俺は病室に入った。
かみさんに「泣いてたんだって?」と聞いた。
かみさんは「・・・うん。看護師さんに背中をさすってもらっちゃった」と応えた。

かみさんは泣き腫らした目で俺を見た。
だが、俺の顔を見た瞬間、笑顔を見せてくれた。

やはり俺が傍にいてあげなきゃいけない。
不安や恐怖から救ってあげられる唯一の方法は、俺がかみさんの傍にいてあげることだ。

かみさんを放置して出勤することなどできない。
俺はこの日も会社を休むことに決めた。

・・・

かみさんと二人で病院内5階の庭園を散歩した。

ふたりでベンチに座る。
かみさんは何度も泣いた。

俺も泣いた。
かみさんを抱き締めながら、あるいはかみさんの手を握りながら、泣いた。

・・・

午前10時。俺はいったん帰宅した。
目的は二つ。
スーツを脱いで、楽な服装に着替えること。
もう一つは、補完代替医療で有名な帯津三敬病院に連絡をすること。

かみさんは「疲れてるだろうから寝てきてね」と言ってくれた。
もちろん俺には、かみさんを放置して寝てしまうことなどできない。

帯津三敬病院には、5月31日に診療申込書を送っておいた。
病院に連絡したところ、診療日はまだ決まっていないとのことだった。

着替えを済ませ、帯津三敬病院に連絡を取った後、
俺は再び病院に向かった。

・・・

午後2時。かみさんは検査。
吐き気が止まらないため、脳への転移を疑われていたため、頭部のCTスキャンを撮った

・・・

検査終了後、再び、かみさんと俺は5階の庭園に行った。
二人でゆっくりと散歩をした。

なんて愛おしい時間なんだろう。
今、ここにかみさんがいる。
たったそれだけのことが奇跡のように感じられる。
かみさんと共有できる時間が愛おしい。

かみさんはストレッチやスクワットなど、軽い運動をした。
「良い汗かいて、お腹すいちゃった」

二人で院内の喫茶室に入った。
何気ない会話をしながら、サンドイッチを食べ、クリームソーダを飲んだ。

食欲が落ちてきているかみさんだったが、サンドイッチもクリームソーダもたいらげた。
そんな些細なことが、俺にはとても嬉しい。

久しぶりのデートらしいデート。
これが最期のデートになるかもしれない。
そう思うと、心が痛む。
思わず、かみさんを抱きしめたくなる。

・・・

病室に戻ると、俺の携帯に電話が掛ってきた。
帯津三敬病院からだった。
6月14日、セカンドオピニオンのために来院するようにとの指示だった。

・・・

午後6時頃、O医師が病室に入ってきた。
CTスキャンの結果は「異状なし」とのこと。
脳への転移はなかった。


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