いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2013年06月

テレビを見ていると
芸能人の結婚だの熱愛だの、あるいは誰かが出産をしただのという
話題がやたらと目につく。

そんなニュースを見るのは、伴侶を喪った俺にとって辛いことだ。

一方では幸せを掴む人々、そして、ますます幸せになって行く人々。
その一方で、たった一人の大切な家族を喪い、独りぼっちになった俺。

多くの人々が幸せになり、そしてさらに幸せになっていく姿を見るのは辛い。
自分が惨めに思えてくるのだ。

・・・

俺の心は醜い。
かみさんを喪ってから、他人の幸せを心から喜んであげることができなくなってしまった。

・・・

かみさんを亡くした直後のこと。

俺は当時、課長補佐だった。
本当は課長に昇進しているはずの時期だったが、
かみさんが癌だと分かった日、俺は人事担当の課長に「俺の課長昇格を無期限で延期して欲しい」と願い出た。
理由は単純だ。
かみさんの看病に専念したかったからだ。

俺が傍にいることで、かみさんが安心するならと、
俺はほぼ毎日仕事を休んで、かみさんの入院している病院に通った。
ある時期からは、俺は病院に寝泊まりし、24時間体制でかみさんの傍にいた。

かみさんが安心するなら。
それだけが理由じゃない。
俺がかみさんの傍にいたかったことも大きな理由だ。

限られた二人きりの時間が愛おしくて、俺は毎日、かみさんの入院する病院に行った。
早朝に病院に行き、面会時間が終了しても、かみさんの傍にいた。

ある時期からは、付き添い用のベッドを借りて、病院に泊まり込んでかみさんの看病をした。

・・・

かみさんが亡くなった後も、
しばらくの間、とてもじゃないが管理職(課長以上)など勤まる精神状態じゃなかった。
俺はしばらくの間、課長補佐として職場に残留させてもらった。

・・・

かみさんが亡くなった直後、俺の部下の女性が結婚した。

その部下は上司としての俺をとても慕ってくれていた。
事実、職場のみんなと飲みに行くと、彼女はよく言った。
「私、係長(職場では課長補佐のことを係長と呼んでいる)のこと大好きです!」

俺を慕ってくれた部下たちでさえも、かみさんを亡くした俺の気持ちは分からなかったらしい。
その部下は、結婚披露宴の翌日、披露宴の様子を撮った写真を職場に持ってきた。
俺の課の職員全員、俺を除く全員が、その写真を見ながら皆で盛り上がっていた。

俺はそんな様子を眺めているうち、言いようのない怒り、やるせなさ、激しい悲しみに襲われた。
俺は席を外し、しばらく職場から遠ざかった。

その後しばらくの間、俺がどこで何をしていたのか、まったく記憶にない。
俺はあの時、明らかにパニック状態だったんだと思う。

・・・

こんなことを考えるのは醜いということは自覚している。
だが俺の心の中には、職場の同僚たちに対する怒りが渦巻いていた。

「俺の気持ちを少しは慮ってくれてもいいんじゃないか!?」
口には出さなかったが、俺はやり場のない怒りに襲われた。

職場の皆は、当然のことながら、俺がかみさんを亡くしたことを知っていた。
だからこそ、皆、かみさんの通夜に参列してくれたし、香典も出してくれた。

そして、俺が落ち込んでいること、かみさんを喪って悲しんでいることを知っていたはずだ。

なのに職場の同僚たちは、俺のことなど忘れ、部下の結婚披露宴の話題で盛り上がっていた。

疎外感と言えばいいだろうか。
それとも怒りと言えばいいだろうか。
あるいは、やるせない気持ち、とてつもなく悲しい気持ちと言えばいいのだろうか。

何とも表現しようのない、負の感情に襲われた。

・・・

今でもこの時のことを思い出すと、激しい怒りと、とてつもない悲しみに襲われる。
職場の上司や部下たちに対する激しい憎しみ。

かみさんが元気だった頃、
あんなに仲が良かった上司や部下たちに対する激しい憎しみは、いまだに拭い去ることはできない。

あんなに仲が良かったのに…

・・・

伴侶や子供との死別の辛さは、実際に経験した者でなければ分からない。
当時の上司や部下たちが、俺の気持ちを共有してくれなかったからと言って、責めるのは筋違いというものだ。
それは分かっている。

だが少しでもいい、俺の気持ちに配慮して欲しかったという醜い想いが、俺の中に残っている。

・・・

誰かが結婚したと聞いては憎んだり、俺の気持ちに配慮してくれなかったと言っては同僚を恨んだり。

俺は最低だ。

俺のココロは醜い。


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ある日のこと。
かみさんがいずれ癌になって死んでしまうなどとは想像したこともなかった日のこと。

俺はベッドに横になり、本を読んでいた。

突然、かみさんが寝室に入ってきた。
俺が「どうしたの?」と聞くと
かみさんは応えた。「プーちゃんの丸焼きを作ろう!」

「えっ!? 俺の丸焼き?」と戸惑う俺を尻目に、かみさんは作業を始めた。

何をするんだろうと見ていると、まず、俺の足元にあった掛け布団を俺にかぶせた。
次にかみさんは、自分のベッドに置いてあった掛け布団を俺にかぶせた。

2枚の掛け布団をかぶせられた俺。
まるで蒸し風呂のようだ。
「暑いよ~!」と悲鳴を上げる。

悲鳴を上げつつも、かみさんのやることを最後まで見てみたい。
俺は抵抗もせず、「暑いよ~、暑いよ~」と叫び続けた。

すると、最後に、かみさんは俺の上に覆い被さってきた。

ベッドの上に俺。その上に2枚の掛け布団。そしてその上にかみさん。

楽しそうなかみさん。
「えへへへへ」と笑うかみさん。

一方、俺は「暑いよ~、暑いよ~」と悲鳴を上げ続ける。

すると、かみさんが言った。
「プーちゃんの丸焼きでごじゃ~る。まっ黒け~。アチー!」

かみさんの茶目っ気を示すエピソードのひとつだ。

・・・

この日のことは忘れたことがない。
かみさんの生前から、時折、この日のことが頭に浮かんでは、思い出し笑いをしていたものだ。
かみさんの死後も、この日のことが忘れられない。

かみさんの茶目っ気と可愛らしさ。
今でも俺は、かみさんのことが愛おしい。


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昨日(平成25年6月27日)は、かみさんの祥月命日だった。
あれから3年が経った。

平成23年は一周忌、平成24年は三回忌。

去年の三回忌の際、「次は七回忌まで法事がないのか・・・」と思ったら
なんだか悲しくなった。

「年忌法要の年でなくても、祥月命日にお経をあげてもらうことはできないだろうか・・・」
菩提寺のご住職に伺ったところ、年忌法要ではなくても、俺が希望するならお経をあげてくださるとのことだった。

俺は決めた。
これからも毎年、祥月命日にはお経をあげてもらおう。

そのことを義母と義弟に話すと、
義母たちも毎年、かみさんの祥月命日には上京して、一緒にお参りをしてくれると言ってくれた。
義母や義弟のかみさんに対する想い、本当に有難かった。

6月27日は平日だ。義弟たちは仕事で忙しい(俺は休職中だけど・・・)。
祥月命日当日に義弟に上京してもらうのは難しい。

そこで、祥月命日直前の土曜日、6月22日にお経をあげてもらうことにした。

・・・

これまでにも、ご住職のお経は何度も聴いた。
春のお彼岸、施餓鬼会、年忌法要、お盆、秋のお彼岸。
それらの行事の際には、いつでもご住職のお経を聴いている。

何度お経をあげて頂いても、不自然に感じることがある。
それは、「俺の隣にかみさんがいない」ということだ。

かみさんは、祭壇にいる。
正確に言えば、かみさんの位牌が祭壇の上にある。

俺も、義母も、義弟も、祭壇の上の位牌を眺めながらお経を聴く。
祭壇の上の位牌を眺めながらお焼香をする。

かみさんが俺の隣にいない。祭壇にいる。
そのことが不自然なのだ。

「なんで容ちゃんは俺の横にいないんだろう・・・。なんで祭壇の上なんかにいるんだろう・・・」
そのことが不自然なのだ。

俺はいまだに慣れていない。
俺はいまだに、かみさんがいないという事実に慣れることができない。


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今日、平成25年6月27日は、かみさんの祥月命日だ。
あれからちょうど3年が経った。

毎年6月27日は、生涯忘れ得ぬ日。
一年の中で、俺が最も厳粛な気持ちで臨む日だ。

・・・

昨日、「命日前日のフラッシュバック」というタイトルでブログを書いた。
あの記事を書いた後も、俺は震え続けた。

全身の震えが止まらなかった。
気持ちも落ち着かない。

早く夜になって欲しい。
夜になれば睡眠薬を飲んで、眠りの中に逃げることができる。

だが、一分一秒が長く感じられる。
時間の経過が遅く感じられる。

・・・

そんな中、俺は、
「震えやパニックに翻弄されたまま、かみさんの命日を迎えてはならない」と思った。
「かみさんが亡くなった時間には、仏前で手を合わせなくてはならない」と思った。

かみさんが亡くなったのは平成22年6月27日の早朝だ。
その時間に仏前で手を合わせるためには、午前6時には起床したい。

それには睡眠薬を飲まずに眠らなくてはならない(睡眠薬を飲んで寝ると、午前9時前後まで目が覚めない)。
睡眠薬無しで眠るためにも、俺は自分を落ち着かせる必要があった。

・・・

どうすれば落ち着けるだろうか。

俺が選んだ手段は、「一日中、線香を絶やさないこと」だった。

かみさんの仏前に線香を手向ける。
線香が燃え尽きたら、再び線香に火を灯す。
そうやって、一日中、仏前の線香を絶やさなかった。

そして、線香を供えるたびに、心の中で、かみさんに語りかけた。

「世界で一番キミが好きだよ」
「俺がキミを守るから」
「忘れないよ」
「これからも一緒にいようね」
「愛してるよ」・・・

まるで何かの儀式のように、一連の動作を繰り返しているうちに、少しずつ震えが治まってきた。

そんな風にして、祥月命日前日が過ぎた。

・・・

明日(正確には今日、6月27日)も同じようにして過ごそう。

かみさんに線香を手向け、手を合わせ、伝えたい言葉を心の中で語りかける。
そうやって一日を過ごそう。

俺にとって、6月27日は、一年で最も大切な日なのだから。


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この記事は、6月26日午前9時15分に書いている。

明日6月27日は、かみさんの3回目の祥月命日だ。

明日が命日だと思っただけで、俺は今、大きな不安に襲われている。

身体が震える。心臓が早鐘を打つ。落ち着かない。

亡くなる前日のことを頭の中で追体験したり。

亡くなる直前のかみさんの言葉を思い出したり。

「もうすぐ容ちゃんは死んじゃうんだ・・・」と思っただけで、大きな不安に襲われる。

「もうすぐ容ちゃんは死んじゃう。何とかしてあげなきゃ・・・」と思ったりもする。

そして少しばかり冷静になると、
「ああ、容ちゃんはもう死んじゃったんだ・・・。俺にはもう何もできることはないんだ・・・」と気づく。

・・・

こういうのをフラッシュバックというのだろうか。
一周忌の日も、三回忌の日も同じ感覚を味わった。

今年も一日、この不安に振り回されるしかない。

この不安を受け容れるしかない。

・・・

大きな不安感とは別の感情も抱えている。
それは、普段から感じている悲しみ、寂しさとは違う感情だ。

悲しいとか寂しいというものではない。

かみさんが不憫なのだ。
若くして逝かなければならなかったかみさんのことが、可哀想なのだ。

かみさんの無念さを想うと涙が噴き出す。

・・・

全身の震えと噴き出す涙。
今日一日、これらに堪えて、時間をやり過ごすしかないだろう。


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