いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2013年07月

このブログのメインは、あくまでも「闘病記」だ。
それにもかかわらず、普段は自分の感情を吐き出してばかりいて、闘病記を書くことをさぼっている。

と言うよりも、闘病記を書くことが辛いのだ。
かみさんと俺とが、必死で闘ってきた日々を振り返ることが辛いのだ。

でも、「闘病記」を書くこと、かみさんがどれだけ毅然として病と闘ってきたのかを書き残すことは
俺の義務だと思っている。

・・・

平成22年6月8日の火曜日。

かみさんを喪ってしまうかもしれない。
そう思うと、俺は緊張と不安で熟睡することができない。
この日、俺は朝5時30分に目覚めた。

もう一度、眠ろうか。
身体も心も疲れきっている。

だが、ふと思い出した。
昨晩、かみさんが、アセロラ100%のドリンクを飲みたがっていた。

俺は疲れ切った身体と心に鞭を打ち、早朝にコンビニに行った。
そこでアセロラのドリンクを買った。

午前6時半に病院を訪れた。
アセロラドリンクを渡すと、かみさんは喜んでくれた。

昨日に比べ、かみさんの体調は良さそうだ。
だるさや腰の痛みは、昨日より回復している。

かみさんが言っていた。
「頭の中で、『私は絶対に癌では死なない!』って唱えていたら、元気になったんだよ」

かみさんの言葉を聴いて、俺も少しだけ元気が出た。
かみさんが元気なら、俺も元気。
かみさんが辛いと、俺も辛い。
かみさんは俺のエネルギーの源だ。

・・・

いくつかのHPで調べた機能性食品「アラビノキシラン」の販売店に連絡を取った。
資料とサンプルをすぐに送ってくれるとのこと。

また、6月10日の午後9時、電話でのカウンセリングをしてくれることになった。

・・・

かみさんにアセロラのドリンクを渡し、アラビノキシランの販売店に連絡を入れた後、
俺はいったん、会社に行った。

昼過ぎ、会社からかみさんにメールを送った。
すると、昼食を食べた後、吐いてしまったと返信があった。

俺は、「吐いて疲れちゃったね。モーツァルトの音楽でも聞きながら、リラックスしてたらいいよ」とメールした。
メールはさらりと返信したものの、心の中で、俺は動揺していた。
日々、食欲が落ちているだけでなく、胃が食べ物を受け付けなくなりつつある。

胸が苦しかった。悲しくて、辛くて、胸が張り裂けそうだ。

医師によれば、癌細胞は多くのエネルギーを消費するのだそうだ。
せっかく食事をしても、そのエネルギーの多くが癌細胞に奪われてしまう。
正常な細胞にエネルギーが行かなくなっている。
そのため、ここ最近、衰弱してきている・・・

その対策としては、正常な細胞にエネルギーが行くように、「プロシュア」という機能性食品を摂取すると良い。
主治医からは、そのように言われた。

かみさんは吐いてしまった。
わずかな食事をしたものの、そのエネルギーは癌細胞に奪われてしまう。
正常な細胞にエネルギーを与えるためには、かみさんに「プロシュア」を飲ませてあげないといけない。

この「プロシュア」、病院の売店に売っているのだが、
今のかみさんには、自分で買いに行く体力はないだろう。

俺が終業時間まで会社にいて、それから病院に向かっても、売店は閉店している。
かみさんに「プロシュア」を飲ませてあげるためには、
俺が休暇を取得して、すぐに病院に行き、売店で「プロシュア」を購入しなければならない。
俺は休暇を取り、病院に向かった。

・・・

病院に到着するなり、看護師から呼び止められた。
主治医のO医師が、明日、俺に話したいことがあるとのことだった。

恐らく、悪いニュースだろう。

・・・

以前、このブログの「闘病記」の中で書いたが、
俺とO医師は、ある約束をしていた。

かみさんに余命は伝えないで欲しい。
どんなに病状が厳しくても、かみさんには伝えないで欲しい。
どんなに辛い話でも、どんなに厳しい話でも、その話をしなければならない時は、俺にしてくれ。
かみさんには希望を持ち続けて欲しい、決して絶望させたくない。
だから、余命や病状などの辛い話は、かみさんにはしないでほしい。
俺とO医師は、そんな約束をしていた。

だが、この翌日、O医師はこの約束を反故にする。
O医師は、俺がいない時を見計らい、かみさんを地獄に突き落とした。
詳しいことは、いずれ「平成22年6月9日のこと ~医師がかみさんを地獄に落した日~」というタイトルの記事で書くつもりだ。

俺はこの日以来、医師、医療というものに対する不信感が拭えない。
医師という名の死神は、この日(平成22年6月8日)の翌日、かみさんを地獄に突き落とす。

そして、かみさんを地獄から救ってあげられたのは、俺の存在だ。

結局、医師は患者を守ってくれない。
患者を守ってあげられるのは、他ならぬ、患者を愛する人だけなのだ。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

昨日、『死別の「二次被害」 (2)』というタイトルでブログを書いた。

この記事にもたくさんのコメントを頂いた(リコメできなくてすみません・・・)。
みなさん、伴侶を亡くされた後、様々な「二次被害」を受けていることを知って
心を痛めた。

・・・

多くのコメントの中に、一つだけ、かなり毛色の異なるコメントがあった。

そのコメントの主(仮に、Hさんとしておく)には、伴侶や子どもとの死別体験はない。
それどころか、両親との死別体験もない。
あるのは祖父との死別体験だけだ。

伴侶と死別したわけでもないのに、
「私もアナタの気持ち、とてもよくわかります」と言う人が、今までにも何人かいた。
Hさんも、そんな人の一人だ。

かつて「かあちゃん」と名乗る人が、同じようなことを言っていた。
そのことは、かつてこのブログを騒がせたので、ご存じの方も多いだろう。

そういう人のコメントは、どこかトンチンカンだ。

・・・

Hさんは次のように言っている。
昨日の記事を参照して頂きたい)

「①~⑤の言葉を発する人ですべてが『他人の不幸は蜜の味』と思ってるわけではないはずです。
言葉の奥には、程度の具合はありますが、それぞれ亡くなった方への思いがあります。
その気持ちを汲み取れないと、自分も他人に同じことをしてしまうのではないでしょうか。」

Hさんは、①から⑤のような言葉を発する人にも、亡くなった人への思いがあると言っている。

このHさんの言葉を聞いて、みなさんはどう思いますか?
実際に「二次被害」に苦しんでいる人たちは、Hさんのコメントを読んで、どう感じますか?

そもそも埼玉医科大学国際医療センターが、この調査を行った理由は、
①から⑤までの言葉に傷つけられる遺族がとても多いことを問題視したからだ。
遺族に対して①から⑤の言葉を掛けないように警鐘を鳴らしているのだ。
つまり、医療機関は、①から⑤の言葉が、遺族をとても苦しめていると認識しているのだ。

また、Hさんのコメントの前後には、たくさんの死別体験者のコメントが綴られている。
いずれも、伴侶を喪った後に、さまざまな「二次被害」を受けた人の実体験だ。

そういう背景があるにも関わらず、Hさんは、
①から⑤の言葉が、亡くなった人への思いやり(あるいは、遺された者への思いやり)だと解釈している。

俺は呆れた。

Hさんには読解力がない。想像力もない。

だが、Hさんに想像力がないことを責めようとは思わない。
なぜなら、Hさんは「最愛の人」との死別を体験したことがないからだ。

Hさん自身が、自分は「最愛の人」と死別した体験があると思いこんでいるだけのことだ。

Hさんは若い人なのだろう。
「最愛の人」というのがどういう人なのか、「最愛の人」と死別することがどういうことなのか、
まったく分かっていない。

・・・

Hさんは、こうも言っている。

「プーちゃんさんは『たかが』祖父母が、友人が死んだから何だ、両親がいるじゃないかということですが、
誰と暮らそうが祖父母であれ親友であれ唯一無二の存在で、最愛の人です。」

確かに祖父母であろうと、親友であろうと、その人が「唯一無二の存在」であることは否定しない。
祖父母であろうと、親友であろうと、はたまた両親であろうと、
その人はその人以外に存在しないし、
遺される者にとって、その人たちが大切な存在であることも否定しない。

だが、「祖父母であれ親友であれ唯一無二の存在で、最愛の人です」ってどういう意味だ?
Hさんには、そんなにたくさん「最愛の人」がいるのか?
自分と親しい人のすべてが「最愛の人」なのか?
明らかに、Hさんは、「最愛の人」という言葉を間違って使っている。
あるいは、「最愛の人」という言葉の意味を知らないのかもしれない。

そもそも、「最愛の人」というのは、「最も愛している人」と言う意味だ。
「最も大切な人」という意味だ。
自分の自我と相手の自我とが溶け合い、一心同体になっている。
「最愛の人」という言葉は、そういう相手に向かって使う言葉だ。

言うまでもなく、俺にとっては、亡くなったかみさんだ。

「最愛の人」が亡くなれば、遺された方も崩れ去る。
「最愛の人」を喪えば、遺された者は生きる気力を失う。

「最愛の人」を喪うというのは、そういうことだ。
観たい映画のDVDなど検索しているような心の余裕は無いのだ。
(Hさんは、観たい映画のDVDを検索しているうちに、たまたまこのブログに行き当たったそうだ)

・・・

「最愛の人」。これはとても貴重な言葉だ。
自分が最も愛している人に対してだけ使ってよい言葉だ。

「最愛の人」と言う言葉。Hさんのように、安易に使って欲しくはない。

なぜ安易に使って欲しくないのか。

それは、「最愛の祖父母を亡くしました」とか、「最愛の親友を亡くしました」と言う人に限って、
「でも私は立ち直れました。なのになぜ、あなた(俺のこと)はいつまでも立ち直れないんですか」という趣旨のことを言うからだ。
いつまでも塞ぎ込んでいる俺を責めるからだ。

死別したのに、そんなに早く立ち直れたのは、亡くなった人が「最愛の人」では無かったからじゃないのか?
「本当の最愛の人」が亡くなったら、そんなに簡単に立ち直れるものじゃない。

「最愛の人」という言葉。安易に使って欲しくない。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

以前、このブログの中で、
死別の「二次被害」』というタイトルの記事を書いた。

この記事の中で、俺は次のように書いた。

> 愛する人と死別した人が
> 必ずと言っていいほど体験する「二次被害」と言われるものがある。

> 大切な人と死別をした後に、周囲の人から掛けられる言葉に傷つくこと。
> 男性の場合、家事労働や育児などの負担が増えること。
> 女性の場合、経済的に非常に困難な状況に置かれること。

> 数え上げればキリがないのだが、これらを「二次被害」と言うそうだ。

・・・

先日、某新聞紙上に出ていたが、
埼玉医科大学国際医療センターの調査によれば、
遺族は周囲からの心無い言葉に傷つけられることが、本当に多いのだそうだ。
(なお、この調査は、癌で家族を亡くした人だけを対象にしている)

遺族がどんな言葉を掛けられているのか。

① 興味本位の詮索
 ・ 「一緒に住んでいたのに何で病気に気づいてあげなかったの?」
 ・ 「癌の家系なの?」
 ・ 「健康診断、受けてなかったの?」

② 遺族が無理をして頑張っていることに気づかない言葉
 ・ 「意外に元気だね」
 ・ 「もう、そんなことができるくらい元気になったんだね」

③ 価値観を押し付ける言葉
 ・ 「もっと辛い人が他にもたくさんいます」
 ・ 「辛いのはアンタだけじゃない」

④ 死別による良い面(?)を強調するような励ましの言葉
 ・ 「自由になって良かったね」

⑤ 金銭面の質問
 ・ 「保険金はいくらもらえた?」
 ・ 「遺族年金はいくらぐらいなの?」
 ・ 「生活費はどうしてるの?」

周囲の言葉は、本当に残酷だ。

・・・

大切な人を喪って苦しんでいる人々、悲しんでいる人々を
好奇の目で見ている周囲の人々の残酷さ。
「他人の不幸は、蜜の味」なのだろう。

俺は幸い、②、④、⑤のような言葉を掛けられたことはない。

だが、①と③には身に覚えがある。

・・・

①については、数人の人から直接言われた。

「健康診断、受けてなかったの?」
かみさんは、末期癌だと診断される9か月ほど前(平成21年7月)、健康診断を受けていた。
だが、異状はなかった。

健康診断が間違っていたのか、それとも、健康診断の後に発症したのか。
それはわからない。

だが、「健康診断、受けてなかったの?」と聞かれるたびに、
俺は俺自身を責めた。

平成21年11月に、再度、健康診断を受けるチャンスがあった。
俺の会社から、かみさん宛てに、健康診断の案内が来ていた。

その時、健康診断を受けていたら・・・
面倒くさがるかみさんを、俺が無理やりにでも健康診断に連れて行っていたら・・・
かみさんは、今でも俺の横で笑っていたかもしれない。

俺は俺自身を責めた。
「俺のせいだ!俺のせいで、容ちゃんは死んじゃったんだ!」
そう言いながら、かみさんの遺体の横で泣きじゃくった。

・・・

③については、このブログのコメントに、時折書き込まれる。

「自分だけが辛いと思うな!甘ったれるんじゃないよ!」
「世の中にはアンタなんかより、もっと辛い人がいます」

こういうコメントを書く人の共通点は、伴侶やお子さんとの死別体験の無い人だ。
せいぜい「祖母を亡くした」とか「友人を亡くした」とか。

伴侶を喪うことの痛み、苦しみ。
これは経験した者でなければわからない。

わからない人たち、伴侶やお子さんと幸せに暮らしている人たちは、
死別体験者の心に土足で踏み込む。
そんな自分を善人だとでも思ってるんだろうか。

・・・

もう一つ。
①から⑤までには、無いのだが、もう一つ、俺が深く傷つけられる言葉がある。
それは、「最愛の人」との死別体験がない人から掛けられる、「アナタの気持ち、よく分かりますよ」という言葉だ。

俺がこのブログで問題にしているのは、
単なる「死別」ではない。
祖父母や友人、親戚との死別など、俺の眼中にはない。

俺が問題にしているのは、「最愛の人」との死別だ。

俺がこのブログで綴っているのは、
「最愛の人」との死別がどれほど辛いのか、どれほど悲しいのか、どれほど苦しいのかということだ。

俺の気持ちが分かるとコメントする人。
俺がどんなに苦しんでいるか分かるとコメントする人。

「最愛の人」と死別した人に言われるのなら、かまわない。
だが、そういう体験がないのに、「アナタの気持ちがわかります」と言いたがる人がいる。
伴侶やお子さんと死別したわけでもないのに、「アナタの気持ちがわかります」などと言う人がいる。

繰り返すが、俺は「最愛の人」との死別を問題にしているのだ。
伴侶や子どもがいるのに、祖父母や両親と死別したからと言って、それが何だというのだ。
両親と暮らしているのに、祖父母が亡くなったからと言って、それが何だというのだ。

そういう人に言いたい。
「最愛の人」との死別と比べないで欲しい。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

人間は「光」が無ければ生きていけない。

自分も幸せになれるんだ。この世界には改善の余地がある。
そう信じさせてくれる「光」が無ければ、人間は生きていけない。

・・・

かつて、「共産主義」という「光」があった。
行き過ぎた資本主義経済は、人々の間に大きな経済的な格差を生みだした。
その中で、虐げられた者、押し潰された者たちは、「共産主義」という「光」を見出した。
自分にも幸せになれる可能性がある、そう思わせてくれる「光」を「共産主義」に求めた。

念のために言っておくが、俺は別に共産主義者ではない。

「光」が無くても生きていける。
そんな人はよほど今の自分の境遇や生活に満足している人なんだろう。

・・・

以前の日記にも書いたが、俺の生育環境は滅茶苦茶だった。

父親はサラ金で借金をしてでも酒を飲み続ける人だった。
時には俺に暴力を振るった。
冷蔵庫に貼り付けにされ、ボコボコに殴られたことは忘れられない。

母親はそれ以上に酷かった。
言葉の暴力。
俺自身の存在や性格を否定する言葉をぶつけられた。
母の言葉の暴力は、父親、俺、俺の妹にぶつけられた。
母親は言葉で他人を傷つけることに快感を感じるような人だった。
その言葉の暴力に対して怒りを感じるのは当然だ。
だが、怒りを見せると逆切れして、家を出て行ってしまう。
そんな母親だった。

こうした環境で育った結果、俺は自分を「肯定」することができなくなった。

自分自身を「否定」している人間が発する負のエネルギーは凄まじい。
歪んだ俺は、苛めの対象になった。

俺は「光」を求めていた。
どんなに不幸な人生を歩んできた者であっても幸せになれる可能性がある、俺も幸せになれる、生きることが苦しくなくなる日が来る。
そう信じることで、自殺を回避してきた。
未来に望みをつないだ。

・・・

大学1年生の時、俺は家を飛び出した。
新聞奨学生になった。
午前2時過ぎに起床し、朝刊を配達し、その後大学に行って講義を聴く。
3限の講義が終わったら夕刊を配達し、その後、翌日の朝刊に入れる折り込み広告の準備をする。
代わりに学費とわずかな給料をもらう、そんな生活に入った。

母親から毒づかれることは無くなったが、辛い日々だった。
まるで奴隷労働のようだった。

それでも。
それでも俺は「光」を求め続けた。
俺だって幸せになれる日が来る。
そう信じることで今の苦痛を忘れようとした。

・・・

大学3年生の時、かみさんに出会った。
それまで付き合った女性たちとは何かが違った。大きく違った。
歪んでいるはずの俺。
その歪んだ部分も含めて、彼女は俺を受け容れてくれた。
俺を肯定してくれる人、あるがままの俺を受け容れてくれる人、本当に愛し合える人。
そう感じた。

俺は「光」を見つけた。
かみさんという「光」を見つけた。
かみさんが俺に、生きる希望をくれた。

・・・

4年間の同棲生活。
そして入籍してからの16年間。
本当に幸せだった。

俺にも人並みに幸せになる権利があるんだ、俺だって幸せになれるんだ、かみさんは俺にそう信じさせてくれた。

かみさんが俺のたった一つの「光」だった。

明るくて、元気で、前向きで。
屈託が無くて、さっぱりしていて。
無意識に自分を放り出しているような女性だった。

生まれて初めて、俺は「光」を見た。

・・・

そのかみさんを癌で喪った。
20年間、俺を照らし続けてくれた「光」を、俺は失った。

・・・

また、真っ暗闇の人生に逆戻りだ。
かみさんを喪った今、あとは余生、消化試合に過ぎない。

こんな人生なら、いらない。

�����祉�������㏍�井�� 絎倶�������㏍�� 罩糸�ャ��
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

かみさんの生前、
俺にとって一番落ち着ける場所は、自宅のリビングか寝室だった。

俺の隣には、いつだってかみさんがいた。
そんな時、俺は心の底からリラックスすることができた。

・・・

かみさんが亡くなってから、俺は落ち着ける場所を失った。
自宅のリビングにいても、寝室にいても、落ち着かない。

「ここは俺の居場所じゃない」
そんな感じがするのだ。

落ち着かない気分を少しでも抑えるため、俺は家の中を徘徊する。
しばらく徘徊した後に、リビングに戻る。

だが、再度、落ち着かない気分に襲われて、再び家の中を徘徊する。
それでも落ち着かない。リラックスすることができない。
酒を飲んで誤魔化そうともするのだが、それでも落ち着かない。

そうこうしているうちに夜を迎え、睡眠薬を飲んで眠りにつく。

翌朝、目が覚めると、まず襲ってくるのは孤独感と喪失感。
「ああ、そうか。もう、かみさんはいないんだっけ・・・」
その孤独感を抱えたまま、かみさんの仏前に手を合わせ、お供え物をする。

そして再び、落ち着かない気分に襲われる。
その気分を少しでも和らげようと、家の中を徘徊し、酒に溺れる。
時には泣きながら、家の中を徘徊する。

・・・

かみさんのいない今、俺が落ち着ける場所はどこにあるのだろう。
かみさんがいない今、俺の居場所はどこにあるのだろう。

この世にはない。
それだけは確かだ。

俺の居場所は、かみさんの隣。
そこにしかないのだ。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

このページのトップヘ