いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2013年09月

眠っている間だけは、
かみさんが死んだという事実から目を反らすことができる。

眠っている間だけは、
かみさんのいない虚しい世界、寂しさと絶望に充たされたこの世界から逃避することができる。

唯一、俺に許された安息は、眠りの中だけにある。

・・・

かみさんが亡くなってから、俺はずっと死にたかった。
今だって、後を追いたい。

あと何十年も独りぼっちで生きていく自分を想像すると、暗澹たる気持ちになる。
未来にも、寂しさと絶望だけが待っている。

俺は死に安息を見ている。
俺が死んだら、この苦しみから解放される。
かみさんのいないこの世界から解放される。
絶望と虚無から解放される。

死こそ我が救いなのだ。

・・・

先ほど、眠りの中にだけ安息があると書いた。
「死」という根本的な安息とは違うものの、眠りの中にもわずかな安息がある。
恐らく、眠りは「小さな死」なのだろう。

だが、「死」と「眠り」とでは絶対的に異なることも事実だ。
なぜなら、「眠り」は、目が覚めた瞬間に、再び絶望が襲ってくるからだ。
目覚めた瞬間、「ああ、そうだ…。かみさんはもういないんだ…」と気づき、絶望に包まれるからだ。

俺が本当の安息を得る日。
それは、俺が死を迎える瞬間なのだろう。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

今日(正確には昨日の9月27日)は、かみさんの月命日だ。

39回目の月命日。
あれから3年3か月が経った。

もう3年以上、かみさんと会っていない。
もう3年以上、かみさんと話をしていない。
もう3年以上、かみさんと触れ合っていない。

きっと、来年の今頃は、「もう4年以上も…」なんて考えているんだろう。
きっと、再来年の今頃には、「もう5年以上も…」なんて考えているんだろう。

10年経とうが、20年経とうが変わりはしない。
俺はきっと、10年経とうと、20年経とうと、
「もうずっと、かみさんと会ってないな…」なんて思っているんだろう。

・・・

「もう3年以上も会ってない」という想いの中にあるのは、
「もう二度と会えないんだ…」という感覚ではない。

むしろ、「いずれはまた会えるんじゃないか」という感覚が潜んでいる。

いずれはまた会える。

その時を心待ちにしながら、「もう3年以上も会ってないな…」なんて思っている。
「もう3年以上も会ってないな…」なんて思いつつ、「早く会いたいな…」なんて考えている。

俺は、かみさんと再会する日を待ち望み、
寂しい余生をやり過ごしている。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

これまでにも、このブログに書いて来たが、
かみさんと俺は、毎年の年末年始とゴールデンウィークをかみさんの実家(北海道)で過ごし、
夏休みは、海外旅行をした。

”海外旅行”なんて言うと、まるで”国内旅行”はしたことがないの?と思われるかもしれないが、
そんなことはない。

暦の上で、3連休などがあれば、かみさんと俺は、”国内旅行”をした。

・・・

たしか、平成18年のことだったと思う。
この年は忙しかった。

年末年始はかみさんの実家(北海道)、
ゴールデンウィークもかみさんの実家、
夏休みはプーケット(タイ)に遊びに行った記憶がある。

その他に、11月の文化の日を挟んで、かみさんと俺は、お伊勢参りをした。

お伊勢参り。
三重県にある”伊勢神宮”に、かみさんと俺はお参りをした。

・・・

東京駅から新幹線に乗って名古屋へ。
名古屋から特急に乗って伊勢へ行った。

まずは、伊勢神宮の”外宮”をお参りした。
”外宮”は参拝者も少ない。
自然に溢れた”外宮”をお参りしていると、まるで森林浴をしてるかのようだった。

その後、伊勢神宮の”内宮”をお参りした。
”内宮”は参拝者で溢れている。

なにせ、”内宮”の周囲は、伊勢うどんの店や、あの有名な「赤福」の店など、観光地と化している。
”外宮”と違い、”内宮”は人だらけ。
あまりの混雑ぶりに驚いたものだ。
かみさんと俺は、たくさんの観光客に混じって、”内宮”をお参りした。

・・・

今年、伊勢神宮は「式年遷宮」を迎える。

「式年遷宮」。
簡単に言えば、神様のお引越しの年だ。

平成18年、かみさんと俺が伊勢神宮をお参りした時のこと。
かみさんが言っていた。
「式年遷宮の年には、また二人でお参りしようよ」
俺は答えた。「そうだねぇ」

かみさんと二人、伊勢うどんを食いながら、そんな話をした事を覚えている。

・・・

今年は平成25年。
20年に一回行われる「式年遷宮」の年だ。

本当なら、かみさんと俺は、伊勢神宮をお参りしていたはずだ。

だって、平成18年の11月、
かみさんと俺は、「式年遷宮の年に、もう一度、伊勢神宮をお参りしよう」と約束していたのだから。

・・・

かみさんは3年前に逝った。
結局、平成18年の約束は守られることは無かった。

平成18年のお伊勢参り。
これが、かみさんと俺にとって、初めての、そして最期のお伊勢参りになった。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

平成25年9月23日の月曜日。
菩提寺で、彼岸会法要が行われた。
俺はお寺に行き、かみさんのためにお経をあげてもらい、お焼香をしてきた。

・・・

この日、午前7時半に起床。

昨晩、睡眠導入剤を飲んだのは、いつものとおり、夜の10時。
眠剤の効果は無く、なかなか眠れない。
その後、しばしの間、ウトウトとするが、すぐに目が覚めてしまう。
深く眠れたという実感が無い。
眠れないのは、法要に遅刻してはならないという緊張感からだろうか。
それとも、前日、かみさんの仏前で泣きじゃくったために精神的に不安定だからだろうか。
分からない。

・・・

起床後、かみさんの仏前に線香を供え、手を合わせる。
その後、シャワーを浴び、着替えを済ませ、午前9時半にはタクシーでお寺に向かう。

お寺には、全部で99人の檀家さんが集まっていた(人数は俺が数えたわけではない。ご住職から聞いた)。

まずは、ご住職の法話。
それが終わると、ご住職とお弟子さんが、お経をあげてくれる。
檀家さんたちは、順番にお焼香をしていく。
それだけで約1時間かかる。

その後、99人の檀家さんたちが、一斉に墓地へ行き、墓参りをする。
その時だ。
孤独を感じるのは。

俺は墓地全体を見回した。
ほとんどが、家族連れ、あるいは夫婦二人で墓参りをしている。

みんな笑顔だ。
家族のいる人にとっては、墓参りでさえ”イベント”に過ぎないのだろう。

独りぼっちで墓参りをしているのは3人だけ。
1人は高齢の男性。恐らく、奥様に先立たれたのだろう。
もう1人は高齢の女性。ご主人に先立たれた方なのだろう。
そして、もう1人は俺。かみさんに先立たれ、独りぼっちでかみさんの墓参りをした。

俺は独り、墓前で手を合わせた。
その後ろには、5人の家族連れ。
談笑しながら墓参りをしている。
正直言って、賑やかでうるさい。
俺は、かみさんの墓前で、かみさんに想いを馳せたい。
静かにして欲しい。
だが、後ろの5人は冗談を言いながら、楽しそうに墓参りをしている。

こんな時、俺は本当に孤独なんだと感じる。

・・・

お寺から、「神谷バー」に向かった。
東京にお住まいの方は、ご存じの方も多いだろう。
台東区浅草一丁目1番地1号にある「バー」だ。
かみさんの生前、かみさんと俺は、ここで何度も一緒に飲んで、食った。

お寺から「神谷バー」までは近い。
かみさんにお供えしてあげたい、かみさんに「神谷バー」で食事をさせてあげたい。
そんな気持ちで、かみさんのお位牌を連れて、「神谷バー」に向かった。

だが、失敗だった。と言うか、何とも辛い気持ちになった。
「神谷バー」の客は、夫婦連ればかりだ。

それはそうだろう。
なにせ、暦の上では3連休だ。

夫婦二人連れで「バー」を訪れる。
そんなお客さんが多いのは当然だ。

そんな中で、カバンの中に隠したかみさんのお位牌を撫でながら独りぼっちで飲むのは辛い。

こんな時、俺は本当に孤独なんだと感じる。

・・・

「神谷バー」で飲んだ後、東京メトロ・銀座線の「浅草駅」から地下鉄に乗る。
「浅草駅」から「銀座駅」まで行くのだが、その間はマシだった。

独りぼっちは、俺だけじゃない。
東京メトロ・銀座線の沿線は、どういうわけか、仏具店のある駅が多い。
そのせいか、独りぼっちで地下鉄に乗ってくる高齢者が多く、「俺は本当に孤独なんだ」と感じることはなかった。

・・・

銀座線の「銀座駅」から、東京メトロ・有楽町線の「銀座一丁目駅」までは歩かなければならない。
これは、なかなか辛い道程だ。

夫婦二人で手をつないで歩く人々、家族連れで買い物に来た人々。
視界に入ってくるのは、そんな人たちばかりだ。

大勢の家族連れが歩く中、俺はそんな人々から目を反らすため、俯いて歩かざるを得ない。

こんな時、俺は本当に孤独なんだと感じる。

・・・

豊洲駅前で、かみさんに供える花を買った。
そして家路を急ぐ。

駅前も楽しそうな家族連ればかりだ。
楽しい3連休を過ごす家族や夫婦。

そうした中、俺は、かみさんはどこにいるんだろう・・・なんて考えながら、空を見上げる。

独りぼっち。

こんな時、俺は本当に孤独なんだと感じる。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

寿命は自分で決められない。
かみさんが亡くなった後、俺は嫌というほど思い知らされている。

・・・

かみさんと俺は、何度も話し合った。
「80歳になっても、90歳になっても、二人で仲良く暮らしていこうね」
「爺さん、婆さんになっても、二人で一緒に散歩をしようね」
「そして、いつの日か、一緒に死ねたらいいね・・・」
一緒に暮らした20年間、折りに触れて、そんなことを話し合っていた。

俺は信じて疑わなかった。
かみさんも俺も、80歳、90歳まで生きるだろう。
二人で一緒に年を重ねていくんだろう。
穏やかで幸せな老後が待っている。
そう信じて疑ったことなど無かった。

それにも関わらず、かみさんは逝った。
43歳という若さで、この世を去った。

寿命は自分では決められない。
そう思い知らされた最初の出来事だった。

・・・

俺はそろそろ会社へ復職しようと考えている。
復職を決断したのには、それなりの理由がある。

当初、休職を決断した時、俺は「休職中に死のう」、「休職中に死ねるだろう」と思っていた。
休職を決めた当初、俺の中には「いずれ復職する」というビジョンは無かった。
酒に溺れる日々。薬に溺れる日々。
こんな生活をしていれば、きっと俺は、近い将来、死ねるだろう。
そう思っていた。

2年近く、酒に溺れ続けたが、死ねない。
死ねないとすれば、生きざるを得ない。
生きざるを得ないのなら、守っていかなければならないものがある。
かみさんの供養を続けること。
かみさんの愛したマンションや遺品を守っていくこと。

死ねないのなら、せめて、かみさんの遺した痕跡を守っていかなければならない。
そのためには、稼がなくてはならない。
俺は復職を決断した。

だが、気持ちは複雑だ。
繰り返すが、俺には「将来、復職しよう」という気持ちは無かった。「休職中に死のう」と思っていた。
それにも関わらず、死ねなかった。

寿命は自分では決められない。
そのことを再び痛感させられた。

・・・

うちのマンションの近所には、区が運営する「高齢者在宅サービスセンター」がある。
そのセンターの通称は、「長寿サポートセンター」。
その名称を見て、俺は複雑な気分になった。

「長寿をサポート?」
長寿って、ありがたいものなんだろうか。
誰かにサポートされてまで、長寿でいたいものなんだろうか。

その施設でサポートされている高齢者には、配偶者に先立たれた人も多かろう。
本当は、早く逝きたいと思っている人も多いんじゃないだろうか。

だが逝けないのだ。
お迎えが来るまで生きざるを得ないのだ。
生きたくないと思っていても、命ある限り生きざるを得ないのだ。

寿命は自分では決められない。
俺がいわゆる「高齢者」になった時、再び、同じことを痛感することだろう。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

このページのトップヘ