いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2014年03月

かみさんが元気だった頃。
俺は朝目覚めた直後の感覚が好きだった。

かみさんの生前、俺は寝起きが良かったらしく、目覚めた後、すぐに活動的になる。
朝目覚め、バルコニーに出て太陽の光を浴びる。
「今日も充実した一日になるかな・・・」なんて気障なことを考えたりもした。

・・・

かみさんの闘病中。
目覚めた直後の爽快な気分は消えた。

だが、一分でも早くかみさんの傍に行ってあげたい。
かみさんに俺の顔を見せてあげたい。
俺もかみさんの顔が見たい。

そう思えば、爽快な気分は無くても、目覚めた後、すぐに活動的になれた。
着替えを済ませ、すぐに病院に向かった。

・・・

かみさんが亡くなった。

亡くなった直後、よく見ていた夢がある。
今でもかみさんが生きていて、闘病している夢だった。
俺はかみさんを助けたい、何が何でも助けたい。
そのために俺にできることは何だろうか。
かみさんのために俺がしてあげられることは何だろうか。
俺にできることを必死で模索しては焦っている、そんな夢ばかり見た。

そして目が覚める。

「ああ、夢だったんだ・・・」
「もう、かみさんは死んじゃったんだ・・・」

そう思った瞬間、涙が噴き出してくる。
身体の中心から涙が噴き出してくる。
俺は文字通り、泣きじゃくった。

そんな日々が数か月続いた。

・・・

そうした日々が過ぎた後。

俺の脳は、「かみさんが亡くなった」という事実を受け入れたらしい。
「今でも闘病している」という夢は見なくなった。

だが、目覚めた直後の絶望感というか、虚無感は、以前より大きくなっている。
「ああ、そうか・・・。もう、かみさんはいないんだっけ・・・」
「今日もかみさんのいない一日が始まっちゃったんだな・・・」
そう気づいた途端、俺の心は暗闇に落ち込む。

毎日毎日、そうやって一日が始まる。
一応、抗鬱剤は飲んでいるのだが、薬を飲んでも、この感覚は消えない。

・・・

「ああ、そうか・・・。もう、かみさんはいないんだっけ・・・」
この感覚。
俺が死ぬまで付き合っていく感覚なのかもしれない。

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かみさんの気持ちに想いを馳せる。
「自分は死ぬかもしれない」、そう思っている人の気持ちを想像すると
あまりにも可哀想で、身体が引きちぎられるような感覚に晒される。
涙無しで想像することなんてできない。
かみさんの想いを想像するたび、涙が溢れてくる。

闘病中の一時期、かみさんを「死の恐怖」が襲った。
「プーちゃんを残して死ねない…」
「プーちゃんを残して死ぬのは嫌だ…」
そう言って、かみさんは泣きじゃくった。

かみさんが「死の恐怖」に怯えたのは、ほんの数回に過ぎないが
その時、かみさんはどんな想いを抱いていたのだろう。

自分がこの世界から消えてしまうかもしれない。
肉体も意識も消滅してしまうかもしれない。
そんな風に考えたら、
怖かっただろう、苦しかっただろう、悲しかっただろう、痛かっただろう。
かみさんの気持ちを想像するだけで、俺の心の傷から涙が噴き出してくる。

・・・

逝く人、逝かざるを得ない人の気持ち。
それはどんなものなのだろうか。

普通に幸せな暮らしをしている人たちには想像もできないことだろうし、
そもそも関心さえ無いだろう。
俺だって、かみさんが元気だった頃は、想像することさえ稀だったし、
仮に想像しても、そこにリアリティは無かった。

だが最愛の人を喪うと、人は変わる。
かみさんを亡くしてから、俺は逝く人の気持ちを頻繁に想像するようになった。
実際に自分が逝くわけではないので、リアルな想像かどうかは怪しいものだが
かみさんの想いを想像するとき、
さぞ怖かっただろう、さぞ悲しかっただろうとは思うのだ。
心が痛いのだ。胸が張り裂けそうになるのだ。

ふと思う。「かみさんは、そんな気持ちを味わわなくてはならなかったんだ…」
そんな時、俺は「かわいそうに…」とつぶやきながら、泣くのだ。

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平成22年6月16日の水曜日。

俺の人生の半分、約20年の間、かみさんはいつだって俺の横にいた。
買い物をする時だって、散歩をする時だって、映画を観に行く時だって、旅行をする時だって
かみさんは、いつでも俺の傍らにいた。
食事をする時も、テレビを視る時も、いつだって、かみさんと俺は一緒だった。
他愛ない話、どうでもいいような会話のできる相手がいてくれること、それがどれほど幸福なことなのかを教えられた。
二人で過ごす時間と空間は、いつだって楽しくて、幸せで、暖かくて、安らぎに満ちていた。

毒親に育てられ、歪んでいたはずの俺を受け容れてくれたかみさん。
俺が「ただ、そこにいる」という事実だけで、幸せを感じてくれたかみさん。
俺を愛し、俺を許し、俺が存在することを肯定してくれたかみさん。

俺が、生まれて初めて知った「人の愛」。
その優しさによって俺は目覚め、癒された。

何もかもが、かみさんのおかげだ。

・・・

この日も俺は、早朝に病院に到着した。
病室に入ると、かみさんの目には、力がみなぎっていた。

いつもどおりの明るいかみさん。
「アラビノキシラン、買ってもらって良かった~」
「これが無かったら、このまま、どうにかなっちゃいそうだったよ」
笑顔で口数も多く、元気そうに見える。

元気で明るいかみさんの姿が、俺には何よりも嬉しい。
そんなかみさんの姿を見ていて、俺は決意を新たにし、希望を持った。
「絶対に諦めない」
「これからも厳しい状況は続くだろうし、病状が悪化するかもしれないが、それでも絶対に諦めない」
「いずれは絶対に完治する。俺が完治させてみせる」

・・・

午前11時ごろ、かみさんは突然、眠気に襲われた。
かみさんは眠気に抗い、無理をして起きていようとしていたが、そんな姿を見ているのは辛い。

俺は「眠いときは、眠っちゃいな」と言った。
その言葉を聞いたかみさんは、「うん」と応え、安心して眠りに就いた。

俺は眠っているかみさんの髪をなでたり、脚をさすったりして過ごした。
やはり、かみさんのことが愛おしい。
愛おしくて愛おしくて、そして切ない。
早く元気になれ、そう祈りながら、俺はかみさんの寝顔を見つめていた。

・・・

午後1時ごろ。2時間ほどで、かみさんは目を覚ました。
「スッキリした~」というかみさん、よほど昼寝が気持ち良かったようだ。

その後、かみさんは病院の昼食を食べた。
だが、吐いてしまった。

最近、かみさんは吐くことが多くなっている。
食事のたびごとに吐いてしまう。
かみさんが吐くのを見るたびに、俺は悲しい。辛い。胸が苦しい。
やはり体調は良くないのだということを痛感させられるのだ。

だが、それでも…
それでも俺は、「絶対に諦めない」と誓うのだ。「俺が完治させてみせる」と誓うのだ。
そして俺は祈るのだ。「容子の病気が治りますように…」

かみさんは吐いた後、果物が食べたいと言った。
俺が自宅から持参したスイカとサクランボを美味しそうに食べてくれた。

・・・

かみさんが吐いてしまったとは言っても、この日は比較的平穏な一日だったかもしれない。
医師や看護師から、「検査の結果は良くない」だとか、「黄疸がますます酷くなっている」だといった辛い話を聞かされることもなく、
かみさんと俺が、濃密な時間を過ごすことができた日、穏やかに笑顔で過ごすことができた日だったと想う。

病気が治らなくても、どんなに体調が悪くても、
かみさんが生きてさえいてくれれば、平穏な日々が続くのだ。
癌を抱えたままでは、かみさんも辛くて不安だろう。
看病を続ける俺も、体力・精神力ともに限界を超えている。

だがそれでも、かみさんが生きてさえいてくれればいい。
かみさんの不安は、俺が傍にいてあげれば払拭できる。
俺の体力や精神力など、どうなろうと構いはしない。

そうだ。かみさんが生きてさえいてくれればいい。
かみさんさえいてくれれば、どんな不安や試練も乗り越えられるのだ。

「この平穏な日々が永遠に続けばいい」
俺はそう祈った。

・・・

だが、この日を境に、
かみさんの体調は、急速に悪化していった。

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浅草には「神谷バー」という有名なバーがある。
所在地は台東区浅草一丁目1番1号。
営業時間は午前11時半から午後10時まで。
昼間から飲める貴重な店だ。
土日や休日に行くと、昼間から満席の状態だ。

生前、かみさんは「神谷バー」がお気に入りだった。
さすがに昼間から飲んだことは無かったが
土曜日の夕方、かみさんと俺は、二人で「神谷バー」に行き、他愛ない会話をしながら食事とお酒を楽しんだ。

・・・

かみさんと一緒に「神谷バー」に行ったのは、平成21年の秋が最期だったと思う。
「生ハム」だの、「ビーフシチュー」だの、「串カツ」だのに舌鼓を打ちながら、二人で美味しいお酒を飲んだ。
かみさんはよほど楽しかったのだろう、「また近いうちに来ようねぇ~」と言っていたことを覚えている。

店を出た後は、有名な「仲見世通り」を散歩した。
夜も更けていたので、開いている店はほとんど無かったが、それでもかみさんは楽しそうだった。

「仲見世通り」を歩いていると、どこかからお囃子の音が聞こえてくる。
かみさんと俺は、その音のする方向に歩いて行った。
すると神輿が出ていた。
たくさんの見物人の群れに混じって、かみさんと俺は、しばらくの間、神輿を眺めていた。

俺は途中で飽きてしまい、「もう帰ろうよ」と言おうとしたのだが、かみさんの表情を見て躊躇ってしまった。
かみさんは、本当に楽しそうだったのだ。
せっかく楽しんでいるのに、無理やり連れて帰るわけにもいくまい。
仕方が無いので、かみさんが飽きるまで、俺たちは神輿を眺めていた。

その後、「浅草寺」の中を散歩した。
夜8時を過ぎていたと記憶しているが、浅草寺の境内には、まだパラパラと人がいた。
かみさんと俺も、そんな人々に混じって境内を見物して周った。

この日の一連の行動、かみさんにとっては、よほど楽しかったのだろう。
帰りのバスの中でも、かみさんは同じことを言った。「また近いうちに来ようねぇ~」

結局この約束を果たしてあげることはできなかった。
無念でもあり、不憫でもある。

・・・

かみさんは「神谷バー」が大好きだ。
俺は、かみさんを「神谷バー」に連れて行ってあげたい。

でも、かみさんはもういない。死んじゃった。
それでも連れて行ってあげたいという気持ちは抑えられない。

だから俺は、かみさんのお位牌と財布だけを持って、時々「神谷バー」を訪れる。
つまみも酒も、かみさんへのお供え物のつもりだ。

・・・

3月21日の彼岸会法要のあと。
俺は、かみさんのお位牌をつれて、「神谷バー」に行った。
ほとんどのお客さんが家族づれの中、独りぼっちで飲むのは寂しいものだ。
だがそれでも、俺はかみさんを「神谷バー」に連れて来てあげたかったのだ。

独りで飲んでいると、俺の斜め向かいに高齢の男性が座った。
その人も独りぼっちだ。
本を読むわけでもなく、新聞を読むわけでもなく、ただチビチビと酒を飲み、つまみを食べている。

突然、その男性が俺に話しかけてきた。「お一人ですか?」
その後、その男性と俺との会話が始まった。

その男性は74歳。2年前に奥様を癌で亡くされたそうだ。
家に独りぼっちでいるのは寂しい。だから毎週の土曜日と日曜日、必ず「神谷バー」に飲みに来るのだそうだ。
その男性は、そんな話をしながら、うっすらと涙を浮かべていた。

「2年前に妻が亡くなった」と聞いた時、俺はほんの一瞬、「僕も3年半ほど前に、妻を癌で亡くしたんです…」と言いそうになった。
だが、やめた。

抵抗があるのだ。
「かみさんは死んだ」、「かみさんは、もういない」。
そういうことを他人に伝えることに対し、俺は強い抵抗を感じるのだ。

この種の抵抗は、今に始まったことではない。
行きつけの飲み屋や料理屋で、「奥さんは?」と聞かれることも多々ある。
あるいはタクシーに乗っているときに運転手さんから聞かれたこともある。
様々な場面で「奥さんは?」と聞かれるのだが、「死んだ」とはどうしても言えないのだ。

結局そういうことかもしれない。
俺は「かみさんが死んだ」という事実をいまだに受け容れていないのだ。

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3月21日の春分の日は、お彼岸の中日だ。
菩提寺で、彼岸会の法要が営まれた。

法要は朝10時からの回と、午後1時からの回の2回に分けて行われ、
それぞれ100名程度の檀家さんがお寺にやって来る。

俺はいつもの通り、朝10時からの回に出席した。

・・・

法要では、まずご住職の法話が行われる。
その後、ご住職がお経をあげてくれて、参列者は順番にお焼香をしていく。
その間、1時間程度だろう。

かみさんが亡くなってから、俺はかみさんの祥月命日、春・秋のお彼岸、お盆には、必ずお寺に行く。
そのたびにご住職の法話を聴くのだが、話の中身は毎回異なる。
仏教の教えだったり、遺族がどう生きていくべきかだったり。
話の内容によっては、それなりに心が暖かくなったりもしたものだ。

・・・

だが今回の法話は、様子が違った。
100名程度の参列者の一部を除き、法話の内容を不快に感じたようだ。
不快に感じたというより、「大切な人を亡くした悲しみを新たにした」、「周囲の人々と比べて、自分がいかに不幸なのかを思い知らされた」と言った方がいいかもしれない。

ご住職の法話は、「法話」と呼べるようなものではなかった。
「法話」の内容は、ご住職の息子さんが結婚した、というものだった。
ご住職は嬉しそうに、息子さんとそのお嫁さんの馴れ初めから、結婚に至るまでの経緯、その後の暮らしぶり等について、延々と語り続けた。
しかも、俺たち参列者に対し、「あなたたちも一緒に祝ってくれ」と言わんばかりに「赤飯」を配ったのだ。

・・・

参列者の多くが、今でも悲しんでいる(悲しみから立ち直った人は、墓参りには来ても、法要には参加しない人が多いそうだ)。
とりわけ伴侶を亡くした人は、独りぼっちで悲しみに耐えている。
他人の「幸せ話」なんて聞きたくない。
誰と誰が結婚したとか、誰々夫婦に子供ができたとか、そんな話は伴侶を喪った人々の胸を抉る。
「一緒に祝ってくれ」、「あなたも喜んでくれ」と言われても、困惑するだけだし、むしろ反発さえ覚えるのだ。

事実、俺の側に座っていた喪服姿の男性は、ご住職の「法話」を聞きながら、歯を食いしばって泣いていた。
奥様を亡くして初めてのお彼岸だったのだそうだ。

参列者の中には、今でも悲しみ続けている人がたくさんいる。
それなのに、そんな人々の気持ちを察することなく、自分の幸せを語り続けるご住職。

ご住職の「幸せ話」が終わると、参列者のごく一部が拍手をしていたが、
大多数の参列者は、ただ俯いていただけだった。

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