いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2014年04月

先日の4月26日、「かみさんと俺が地獄を覗いた日」というタイトルでブログを書いた。
この記事に書いた通り、平成22年の4月26日、かみさんは癌と診断された。
かみさんと俺が、地獄の井戸の底を覗いた日だ。

・・・

4日前の4月26日午前0時、俺はあの記事をアップした。
そして眠りに就いた。

この日は土曜日、会社は休みだ。
朝9時過ぎに目が覚めて、寝床の周囲を見回す。
ひょっとしたら、かみさんが俺の傍にいるんじゃないか、かみさんが俺の横で寝てるんじゃないかという仄かな期待を抱き、周囲を見回す。
だがやはり、かみさんはいない。
かみさんが亡くなったという事実を改めて突き付けられて、俺は奈落の底に突き落とされる。
酷い鬱が襲ってくる。

しばらくして、鬱に抗いつつ身体を起こし、かみさんの仏壇の前に座る。
そして線香を供え、手を合わせ、かみさんの遺影をしばし見つめる。

その後、バルコニーに出てタバコを吸う。
タバコを吸っている間も鬱が酷い。

その時だ。
突然、フラッシュバックが襲ってきた。

俺はある光景を見たのだ。
その光景とは、かみさんの遺体が火葬される場面だ。
告別式の日、かみさんの眠っている棺が火葬される場面、それがリアルに頭に浮かんだ。

俺は狂った。
全身が震えだした。
頭を掻き毟った。
声を殺しながら泣いた。

・・・

しばらくして落ち着くと、俺は部屋に戻った。
そして嗚咽した。

涙が止まらない。
2時間近くもの間、俺は嗚咽しつつ、涙を流し続けた。

何とかこの状況から逃げ出したい。
俺は浴びるように焼酎を飲んだ。

酒に酔い、眠気が襲ってくる。
俺は抗うことなく、眠りに落ちた。

・・・

3時間ほど眠り、洗面所で顔を洗った。
ひどい顔だ。目が腫れている。恐らく泣き過ぎたためだろう。

その後も涙が溢れては止まり、また溢れては止まりを繰り返した。

・・・

4月26日は、かみさんと俺が地獄を覗いた日だ。
4年経っても変わらない。やはり俺は、普通ではいられなかった。

俺は4日前のあの日、明らかに狂っていた。

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かみさんが亡くなって以来、悲しみや寂しさ、大きな喪失感など、
さまざまな負の感情を抱いている。
かみさんが亡くなった日から3年10ヶ月が経過したが、それらの感情はいまだに消えることはない。

ただ、少しずつ、それらの感情の「質」が変化してきたのは実感している。
例えば「悲しみ」だ。

かみさんを亡くして数年の間、「激しい悲しみ」は俺の心身を引き裂いた。
これまでに感じたことのない、あまりにも「激しい悲しみ」に、俺の心と身体はボロボロになった。
俺は毎日のように、大声を張り上げながら、号泣し、暴れ、全身を掻き毟った。

この「激しい悲しみ」は、時の経過と共に、「激しさ」を失っていったように感じる。

だが本当は、「激しさ」を失ったのではないかもしれない。
恐らく「激しい悲しみ」が、時間の経過によって心の奥底に沈潜していき、やがて俺の心身の一部となったのだ。
いまや「悲しみ」は、俺のアイデンティティを形成する不可欠な要素になった。
「悲しみ」無しでは、俺という人間は存在しないんじゃないかとさえ感じている。
「悲しみ」が心身の一部になると、その「激しさ」を自覚することができなくなる、そういうことなのかもしれない。

「激しさ」を自覚できなくなる代わりに、「深くて大きな哀しみ」が生まれた。
「激しい悲しみ」と「深くて大きな哀しみ」との違いを表現するのは難しいのだが、これは俺の実感なのだ。

いつだって、心の底から「深くて大きな哀しみ」が噴き出してくる。
俺の皮膚のあらゆる部分から「哀しみ」が噴き出し、俺の全身にコールタールのように纏わりつく。

俺はいつだって哀しい、どこにいても哀しい、誰といても哀しい。
「深くて大きな哀しみ」から逃れる術はない。

いずれにしても「かなしみ」は、「激しい悲しみ」から「深くて大きな哀しみ」へと、質を変化させたことは事実のようだ。

・・・

「寂しさ」や「喪失感」も少しずつ変化していった。

これらの感情は、日を追うごとに大きくなっていく。
そして、俺を暗闇の中に引きずり込む。

心にポッカリと大きな穴が開いてしまった。
その穴はいつまで経っても埋まることはない。
むしろ、その穴の存在感は、日々強くなっていき、俺が独りぼっちであることを自覚させようとする。

自分の一部、自分の半身を無理やり引きちぎられたような感覚から抜け出せない。
かつてはそこにあったモノ、確かに存在したモノが奪われてしまい、
それでも「そこにあった」という感覚を捨てきれず、俺は自分の一部、自分の半身を探し続けている。

・・・

他人(ひと)は「時間が解決してくれる」と言う。
死別による悲嘆も、時間が経てば薄れてくるということだろう。

だが、かみさんが亡くなって3年10ヵ月、俺は「時薬」の効用を実感したことが無い。
本当に「時薬」なんてあるんだろうか。

そう思う一方で、「時薬なんか、いらない」という気持ちも捨てられない。
俺は「哀しみ」を抱えて生きていく。「寂しさ」と「喪失感」に押し潰されそうになりながら余生を過ごす。

それは、俺がかみさんを愛した証だからだ。
その証を大切にしていきたいと思うのだ。

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先日の夕方、独りで近所の居酒屋に行った。
かみさんのお位牌も一緒だった。

この店には、かみさんと二人で来たことはない。 
かみさんが亡くなって1年数か月後、土曜日や日曜日に独りで飲める店を物色していて見つけた店だ。

たぶん、かみさんが生きていたら、生涯、入ることはなかった店だろう。
店構えは小さくて、汚い。
そんな店は、かみさんの好みではない。
だから、かみさんが生きていたら、決して入ることはなかった。

だが、料理は美味い。
家からそう遠くない場所には築地市場がある。
そこで仕入れをしているのだそうだ。

・・・

常連客たちから離れた席に座り、独りで酒を飲んでいると、ふと頭に浮かんだ。
かみさんが亡くなってから、俺の人生は一変してしまったな、と。

どんな風に変わったのだろう…
一言では表現できないくらい、あらゆること、全てのことが変わってしまった。

このブログの中で、何がどう変わったのか、その全てを列挙しようとは思わない。
そもそも言語で表現することが不可能なくらい、あらゆることが変わってしまった。

ただ、独りで居酒屋で飲んでいる時に頭に浮かんだのは、「笑い」が無くなったということだった。

・・・

かみさんと出会う前、俺はあまり笑わない人間だった。
口数も少ない、あまり話をしない人間だった。

かみさんと出会う前、何人かの女性と交際していたことがあるが
無口な俺、あまり笑わない俺を見て、「私と一緒にいても、つまらないの?」と聞かれたことは、一度や二度ではない。

恐らく、笑わない俺は、交際していた女性たちを不安にさせていたのだろう。

・・・

大学3年生の時。
かみさんと出会い、付き合うようになってから、俺は変わった。
よく笑うようになった。
饒舌にもなった。

かみさんはよく笑う女性だったし、とてもおしゃべりな女性だった。
恐らく俺は、そんなかみさんの性格に引きずられたのだろう。

かみさんの良い影響を受けて、話すこと、笑うことを覚えた俺は、
かみさん以外の人たちとの関係も良好になっていった。

・・・

かみさんの笑い方は尋常ではない。
顔だけで笑うのではなく、全身で笑う。
クスクス笑うのではなく、大声で笑う。

俺が深夜に会社から帰宅して風呂に入っている。
かみさんはテレビで「アメトーーク!」を視ている。
かみさんの「キャハハハハ!」という笑い声が、風呂場にまで聞こえてくる。

かみさんと俺が二人で外食に行く。
焼肉屋、居酒屋、中華料理屋、イタリアン、何でも構わないが、
食事中に俺が冗談を言う。
その冗談がかみさんの「ツボ」にハマると、かみさんは全身を捩らせながら、大声で笑う。
静かな店内にかみさんの「キャハハハハ!」という笑い声が響き渡り、周囲の視線がこちらに集まる。

かみさんと俺が旅行に行く。
飛行機や新幹線、特急の中。
かみさんと俺は他愛ない会話をしている。
俺が冗談を言う。
かみさんが突然、大声で笑い出す。
機内、車内にかみさんの笑い声が響き渡る。

・・・

自意識過剰という言葉があるが、かみさんの性格は、自意識過剰の正反対だった。
あまり、と言うか、全く他人の目を気にしない。
他人に自分がどう思われようと全く気にならない。

だからこそ、衆人環視の前で、あれだけ大声を出しながら全身を捩らせて笑うことができたのだろう。

そんなかみさんに、俺も引きずられた。
俺もよく笑う人間になった。
また、他人を笑わせることが好きな人間になった。

全部、かみさんの影響だろう。

・・・

かみさんの生前、家の中は常に笑いに充ちていた。
賑やかなかみさんのおかげで、家の中はいつも明るくて、楽しい笑いに溢れていた。

家の中は、かみさんの笑い声が作り出す、良い「気」に満たされていた。

・・・

かみさんが亡くなって以来、家の中から「笑い」が消えた。
かみさんの笑い声が作り出す、良い「気」も消えうせた。


かみさんが亡くなって3年10か月。
その間、俺は二度しか笑っていない。

一度目は、かみさんの実家にいた一昨年の5月。
義親や義弟と俺とですき焼きを食べた時。
その時、俺は、かみさんが亡くなって以来、初めて笑った。
俺が久しぶりに笑ったのは、かみさんが亡くなって、1年11か月後のことだった。

二度目は、3回忌法要の前日。
義母や義弟と俺とで焼肉を食べに行った時。

この二回しか笑っていない。

いつ、どこで笑ったのかを思いだせるくらいだから、俺はよほど笑わなくなったのだろう。

・・・

二回ほど笑ったとは言いつつも、腹の底から笑うという感覚とは無縁だった。
心の底から笑うという感覚とは違った。
笑いの背後には、哀しみや虚無感が纏わりついていた。

「笑った」というよりも、「笑顔を作ることができた」と言った方が正確だろう。
心底笑うという感覚とは無縁だった。

・・・

結局、俺が「笑い」を覚えたのは、かみさんのおかげだったのかもしれない。
かみさんの存在が、俺に「笑い」を与えてくれたのだろう。

かつて、かみさんの笑顔と笑い声で溢れていた家の中は、 今は静寂に包まれている。
この静寂の中、「笑い」を忘れた俺は、この先どうやって生きて行ったらいいのだろう。

もう二度と、我が家の中が「笑い」で充たされることはない。
もう二度と、俺が心の底から笑うこともないだろう。

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かつてこのブログに、『俺は「プーちゃん」』というタイトルの記事を書いたことがある。

生前、かみさんは俺のことを「プーちゃん」と呼んでいた。
なぜそう呼ぶようになったのかについても、この記事の中で触れた。

・・・

俺は「プーちゃん」と呼ばれることが好きだった。
かみさんに「プーちゃん」と呼んでもらえることが大好きだった。

かみさんに「プーちゃん」と呼ばれると、暖かい気持ちになれる。
かみさんと俺との間に、しっかりとした、強い絆があることを実感することができる。
かみさんのいる場所が俺の還る場所、「俺にも還れる場所があるんだ」と確信することができる。

かみさんと俺との間でだけ通じる秘密のニックネーム。
その秘密を、かみさんと俺が共有していることが嬉しかった。

かみさんが「プーちゃん」と呼んでくれるたび、幸せや安らぎ、絆や一体感、様々な感情に包まれた。
様々な感情…
それは、一言で言ってしまえば、「愛」そのものだったのだと思う。

・・・

かみさんが亡くなってから3年10ヶ月が過ぎた。

かみさんが息を引き取る日の前日まで、俺はかみさんに「プーちゃん」と呼んでもらってきた。
それなのに、ここ3年10ヶ月、かみさんは一度も「プーちゃん」と呼び掛けてくれない。

そのことが、とてつもなく寂しい。
とてつもなく切ない。

・・・

俺は時折、かみさんの仏壇の前に座り、心の中でかみさんの声を聴く。
かみさんが「プーちゃん」と呼び掛けてくれる、その声を想像する。
その時、わずかだが、安らぎを感じる。
ふと考えてみたりもする。
かみさんの魂は、今でも生きていて、俺の傍で「プーちゃん」と呼び掛けているんじゃないかと。

だが次の瞬間、我に返る。
かみさんの「プーちゃん」という声、それは俺の頭の中で作り上げた想像に過ぎないじゃないか。
そのことに気づき、やはり、かみさんの不在を認識せざるを得ない。

・・・

時には、小さな声で「プーちゃん」とつぶやいてみたりもする。
やはりその瞬間、かみさんの声を聞いたような錯覚に陥り、暖かい、包まれたような気持ちになれる。

だが、錯覚は錯覚に過ぎない。
安らいだ気持ちは一瞬にして消え去り、かみさんの死という事実に目を向けざるを得ない。

・・・

俺はもう二度と、「プーちゃん」と呼んでもらえることはない。
ひょっとしたら偶然にも、誰かから「プーちゃん」と呼ばれることはあるかもしれないが、
それで暖かい気持ちになれるわけでもなければ、かみさんとの絆を実感できるわけでもない。

もう二度と、俺はかみさんから「プーちゃん」と呼ばれることはない。

だが、それでも。
俺は「プーちゃん」だ。「プーちゃん」なんだ。

俺が「プーちゃん」と呼ばれていたこと。
かみさんが20年間、俺をずっと「プーちゃん」と呼んでいたこと。
そのことは、生涯決して忘れはしない。
それが俺のアイデンティティを支えている、俺が俺であることを支えているのだ。

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かみさんを亡くしてから感じていることがある。
俺は独りぼっちだということだ。
いつでも、どこでも、誰といても、俺は孤独だということだ。
かみさんのいないこの世界では、俺はいついかなる時も、独りぼっちだということだ。

・・・

いつでも、どこでも、誰といても孤独。

そのことに気づいたのは、俺が会社を休職していた時(平成23年10月末から平成26年1月末まで)のことだ。
俺は休職中、何度か北海道にあるかみさんの実家を訪れた。
かみさんへの想いを語り合い、あるいは涙を流しながら、義母や義弟たちと過ごした。

義母や義弟たちは俺にとって、かみさんを喪った悲しみを共有できる数少ない相手だ。
そういう人たちと過ごしている時、俺は物理的には孤独ではない。
だが心理的には孤独なのだ。
義母や義弟たちと共に過ごしているにもかかわらず、孤独感が拭えない。
一緒に過ごす相手がいるにも関わらず「寂しさ」が拭えないのだ。

・・・

精神科のクリニックに行っても同じだ。
45分間のカウンセリングを受け、その後、医師の診察を受けるのだが、
カウンセラーと話をしていても、医師と話をしていても、「寂しい」のだ。

会社に復帰してからも同じだ。
同僚の課長と話をしたり、部下と話す時間はたくさんある。
それでも「寂しい」のだ。

・・・

俺はいつでも「寂しい」。どこにいても、誰といても「寂しい」。
たった一人の最愛の人を喪うと、人間はこんなにも「寂しい」ものなんだろうか。

俺の心と身体の中は、かみさんを喪った「悲しみ」とともに、かみさんのいない「寂しさ」で満たされている。
その大きくて激しい「寂しさ」は、心と身体の中に滞留しているだけでは事足りず、俺の皮膚の表面から噴き出す。
皮膚の表面から噴き出す「寂しさ」という感情は、俺の全身を覆い、「負のオーラ」とした纏わり着く。

それは仕方がないことなのかもしれない。
かみさんと俺との一体感は、20年という長い時間を掛けて作り上げられたものだ。
20年間、お互いに慈しみ合い、お互いを支え合い、お互いに依存し合ってきたからこそ出来上がった一体感。
俺はかみさんであり、かみさんは俺。
俺はかみさんの一部であり、かみさんは俺の一部。
そういう一体感が、引きちぎられてしまったのだ。

俺は自分の半身を失ったのだ。
自分の心の半分をもぎ取られてしまったのだ。
寂しくて当たり前だ。

いつでも孤独、どこでも孤独、誰といても孤独。
この何とも表現し難い「寂しさ」、そこから解放されるのは、恐らく「お迎え」の瞬間だ。
その瞬間を心待ちにしつつ、歯を食いしばって生きていかなければならない。
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