いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2014年07月

容ちゃん。
容ちゃんがあちらに逝ってから、4年が経ったね。

4年も容ちゃんと会っていないね。
4年も容ちゃんとおしゃべりしてないね。
4年も容ちゃんに触れていないね。
哀しくて、寂しい4年間でした。

20年間、容ちゃんはいつでも俺の隣にいてくれたよね。
容ちゃんはとてもおしゃべりで、いつでも笑ってたね。
楽しくて、幸せな20年間でした。

容ちゃんが傍にいてくれて、俺は生まれて初めて生きることに歓びを感じることができました。
容ちゃんも知ってるとおり、容ちゃんに出会う前は辛くて苦しい人生だったけど、
容ちゃんと一緒に日々を過ごす中で、俺は初めて幸せを知ることができました。
容ちゃんが俺の横にいてくれたから、俺は生きる力を与えられてきました。

容ちゃんと一緒にいること、爺さん婆さんになっても二人で寄り添って生きていくこと。
それが当たり前のことだと思っていたので、いまだに容ちゃんがいないことに慣れることができません。

容ちゃんは俺にとって、奥さんであるだけじゃなく、可愛い娘でもあったし、優しい母でもあったし、最高の親友・戦友でもありました。
そんな容ちゃんがあっちに逝っちゃったので、俺はすべてを失ったような気持ちです。

これから何十年か分かりませんが、俺は独りで生きていかざるを得ません。
哀しくて、寂しい数十年だと思いますが、容ちゃんの面影を胸に秘めて、日々を何とかやり過ごしていくつもりです。

俺は決して容ちゃんのことを忘れないよ。
いつだって、どこだって、容ちゃんのことを想っています。
これからもずっと、容ちゃんのことを想っています。

そしていつの日か、もう一度、二人で手をつなごうね。
あのお墓は、容ちゃんと俺の安息の場所。
容ちゃんと俺が、永遠に寄り添っていられる場所。

俺もいずれ、そっちに逝くからね。
そしたら永遠に寄り添っていられるね。
永遠に一緒にいられるね。
もう二度と、俺は容ちゃんの手を離さないからね。

その日が来たら、また二人で手をつなごうね。
手をつないだまま、永遠に眠ろうね。

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先日、「ずっと会いたかった。」というタイトルでブログをアップした。
この記事の中で、俺は次のように書いている(一部抜粋)。

かみさんを亡くし、俺は哀しくて、寂しい日々を送っている。
きっと、このままいつまでも、哀しみと同居し、寂しさに押し潰されそうになりながら、中年期を終えるのだろう。

そしていずれは老年期を迎える。
老年期は、それまで以上に寂しい日々になるだろう。

でも俺には希望がある。
老年期になって初めて見えてくる光があると信じている。

それは「もうすぐ、かみさんが迎えに来てくれる」という想いだ。

俺が死ぬ瞬間、かみさんは俺を迎えに来てくれるだろう。

・・・

かみさんが元気だった頃、かみさんも俺も信じていた。
二人が爺さん、婆さんになっても、一緒に散歩をしたり、バルコニーでお茶を飲んだりしながら
穏やかで、幸せな老後を過ごしていくのだろう。
そう信じて疑わなかった。

手を繋いで歩く老夫婦を目にすると、
かみさんは「私たちも将来、あんな感じになるんだろうね~」なんて言っていた。

・・・

そんな暖かくて優しい老後は、俺には無い。
かみさんが亡くなってしまった以上、俺は孤独と戯れながら死を待つしかない。

だが、それも仕方がない。
仕方がないと言うより、避けられない。
「俺が死ぬ瞬間、かみさんが俺を迎えに来てくれるだろう」と信じ、死の瞬間を心待ちにしつつ生きていく。
そういう生き方もあるだろう。

そんな風に考えて、自分を鼓舞している。

だが、鼓舞するのも難しい。
死ぬ瞬間に希望があるとは言っても、それまでの余生があまりにも長すぎるからだ。
孤独と戯れる時間が長すぎて、俺の心は折れそうになる。

・・・

かみさんが亡くなった直後から、俺は「早く死にたい」と思うようになった。
かみさんの後を追いたいと思うようになった。

かみさんと一緒に過ごしたのは約20年。
一方、俺が男性の平均寿命まで生きたとすると、余生の期間は約40年。

俺の人生において、最も輝いた時間は「かみさんと一緒に暮らした20年」だ。
その時間より、「かみさんが亡くなって、独りぼっちになってしまった後の時間」の方が長くなってしまうかもしれない。
それは俺にとって、恐怖以外の何物でもない。

・・・

そうだ。
長いのだ。長すぎるのだ。
俺が死ぬ瞬間、かみさんと再会できると信じていても(信じたいと思っていても)、
また会えるまでの時間が長すぎるのだ。

かみさんと共に暮らした20年でさえ、今振り返れば、それなりに長い時間だった。
40年と言えば、その2倍だ。
そんな長い時間を独りぼっちで孤独に震えながら生きていかなければならない。

その長すぎる時間に思いを馳せる時、気が遠くなるのだ。

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先日、「5年経っても、10年経っても、あるいは30年経っても、悲しみ続ける」というタイトルの記事を書いた。

この記事では、死別体験者が集まるネット上の掲示板について触れた。
その掲示板には、伴侶と死別してから何十年経っても悲しみ続けている人々の姿があった。

ごく稀にだが、この「何十年経っても悲しみ続ける」ということが、死別体験の無い人を不愉快にするらしい。
実際、会社では、一部の人からの「さっさと元気を出せよ」、「いいかげん、立ち直れよ」という無言の圧力を感じたりもするし、このブログにも、そういう趣旨のコメントが書き込まれることがある。

死別体験の無い人からすれば、
「何十年も悲しみ続ける人々」を見ることは、不愉快で鬱陶しいようだ。

転んだことのない人には、転んだ時の痛みは分からないだろう。
それと同じだ。

伴侶と死別した体験の無い人には、
伴侶を喪う悲しみが、どれほど大きなものなのか、
独りぼっちで残される寂しさが、どれほど大きなものなのかは分からない。

俺だってそうだった。
かみさんが元気だった頃、「もしかみさんが俺より先に死んじゃったら、とても悲しくて寂しいだろうなぁ」程度の想像はできた。
だが実際に死別してみると、その悲しみ、寂しさは、想像を絶するほど大きくて、激しいものだった。

かみさんが亡くなって4年が経ったが、
悲しみはその姿を変えつつも、いまだに俺の中で暴れている。
寂しさは時間の経過とともに大きくなっていく。

たぶん上記の掲示板に書き込んでいた人たちのように、
俺も10年経っても、30年経っても、悲しみ続けるんだろう。
そして、そのことを鬱陶しいと感じる人、不愉快に思う人は、今後も増えていくことだろう。

だが、悲しみ続けることは罪悪ではない。
単に、亡くなった人を愛している証だ。
愛している人と触れ合えない、語り合えないことに苦しんでいるだけだ。

悲しみ続ける人を鬱陶しがり、不愉快に思っている人たちでさえ
もしも自分たちが伴侶と死別すれば、この気持ちが分かるだろう。

転んでみれば、転んだ時の痛みを理解できるだろう。

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かみさんが元気だった頃。
俺にとって時間は、「過去」から「未来」へと一直線に流れるものだった。

毒親に育てられた俺にとって、「過去」は悪夢の対象でしかない。
思い出したくもないし、できることなら「過去」のすべてを否定したい。
俺にとって「過去」は、消し去ってしまいたい記憶でしかない。

だが、そんな俺も、かみさんとの「現在」の暮らしに幸福と安心を感じる中で、ある程度なら「過去」を受容し、「過去」を肯定することができるようになっていったような気がする。

・・・

「過去」を受容できるようになったのは、他ならぬ、かみさんのおかげだ。
かみさんが「現在」の俺、あるがままの俺を肯定してくれた、あるがままの俺を受け容れてくれたからこそ、俺も自分自身を肯定できるようになった。

かみさんと暮らした20年間。
幸せと安心を感じて生きてきた20年間。

幸せにどっぷりと浸かっていた時間は、俺の心に安定をもたらした。
安定した「現在」という時間が、連綿と、淡々と続いて行った。

・・・

かみさんと出会う前、俺は不安定な「現在」を生きてきた。
一寸先は闇。
未来の自分など想像もできない。

自分がどんな仕事に就くのか想像もできない。
かみさんと出会う前にも何人かの女性と付き合ったことがあるが、その人と結婚するだろうなどと想像することもできない。
ましてや、自分がどんなふうに死んで逝くのか想像もできない。

・・・

だが、かみさんと出会ったことで、俺の心が安定してきたのだろう。
「現在」が安定して見えてきた。

「現在」が安定してくると、ある程度「未来」を予測することもできる。
予測というのは正確ではないかもしれない。
むしろ希望というのだろうか。

そう。
俺はかみさんと一緒に暮らす中で、初めて「未来」への希望を持つようになった。

・・・

俺の描いていた未来。

「平日は仕事を頑張ろう。そしてこのまま順調に昇進しよう」

「土日や祭日は、かみさんとたっぷり遊ぼう。二人で散歩をしたり、映画を観に行ったり、買い物に行ったり、美味い物を食べに行ったり…」

「ゴールデンウィークと年末年始は、必ずかみさんの実家に遊びに行こう。かみさんや、かみさんの親兄弟と楽しい時間を過ごそう」

「夏休みは毎年、海外旅行に行こう。かみさんの大好きな海で泳げる場所に行こう」

「俺が定年を迎えたら、二人でゆったりと散歩をしたり、旅行に行ったりして、穏やかな老後を過ごそう」

「そして最期には、かみさんに看取ってもらって死んで逝こう。かみさんに『ありがとう』と言いながら、笑顔で死んでいこう」

かみさんとの出逢い、かみさんとの暮らしは、俺に未来を見通す力を与えてくれた。

ある程度「過去」を受け容れ、「現在」を楽しみ、「未来」を見通すことで、時間は「過去」から「未来」へと一直線に流れているという実感を得た。

・・・

「直線としての時間」という感覚が崩壊したのは、かみさんの癌が発覚した時だった。

かみさんが癌だと診断された時、(かみさんには内緒にしておいたが)医師からかみさんの余命を告げられた。

その瞬間、俺の時間に対する感覚は、「直線としての時間」から「今、ここ」という時間、言い換えれば「点としての時間」に変わった。

かみさんの闘病中、俺はかみさんの看病をするため、毎日かみさんの傍にいた。
かみさんの寝ているベッドの横で、かみさんと他愛ない会話をしていた時に感じていたのは、「今、ここ」としか表現しようのない時間の感覚だった。

「今、ここ」というのは「現在」とは似て非なるものだ。

これは実感した者でなければ分からないだろう。
言語表現の限界だ(いや、俺個人の表現力の限界かもしれない)。
言語では、「現在」と「今、ここ」は同じもののように受け取られるだろう。

だが実感として、「今、ここ」と「現在」とは似ても似つかない。
「今、ここ」は「点としての時間」。幅を持っていない。
一方で、「現在」は「今、ここ」と比べれば大きな幅を持っている。

かみさんの死期が迫っているのを知りながら、心に深い悲しみと恐怖を抱えていながら、それでも、かみさんと過ごす一瞬一瞬の時間が愛おしい。

かみさんと、「今」という時間を共有し、「ここ」という場所を共有していること。
そのことが、とても愛おしく感じられた。

「今、ここ」を大切にしよう、「今、ここ」を愛そう。
「今、ここ」にかみさんがいる、そのことに精一杯、感謝をしよう。

そう表現するしかないような感覚を持ち続けた。

・・・

かみさんの死と同時に、この「今、ここ」という感覚は消えうせた。
そして、俺の時間に対する感覚は狂った。 

言葉で表現するのは難しい。
かみさんと出会う前と同じような、一瞬先は闇の時間。
「未来」の予測、希望は消えうせた。

俺の「未来」には何が待っているのだろう。
まったく想像がつかない。

一直線に流れると感じられていた時間の感覚は無くなり、多くの分岐点が見えるようになった。
まるで、植物の根っこのような時間感覚。

・・・

そしてもう一つ。

かみさんが亡くなって以来、時間の流れる早さが変わってしまった。
と言うよりか、時間の流れる早さが、分からなくなってしまった。

かみさんが亡くなって4年が過ぎた。
この時間は、あっという間に過ぎたような気がする。
その一方で、物凄く長かったような気もする。

あっという間に過ぎたのか、それとも物凄く長かったのか。
まったく実感が無い。
分からない。

あえて言えば、時間が止まってしまったと言ってもいいかもしれない。

時間の感覚が壊れた、狂ってしまったらしい。

・・・

そんな俺でも、たった一つだけ確信している「未来」がある。
それは、俺が孤独死をするだろうということだ。
それだけは、俺の確実な「未来」だ。

その孤独死の瞬間までの未来が想像できない。
かみさんを喪って、真っ暗闇のトンネルの中に入り込んでしまったらしい。

・・・

最愛の人と死に別れると、みんな、こういう感覚を抱くのだろうか。
それとも俺個人に特有の感覚なんだろうか。

愛する人と死別した時、すべての人がこういう感覚に陥るのだとすれば、俺の抱いている感覚は、正常な(?)死別反応ということだろう。

もし俺だけが抱いている感覚なのだとすれば、かみさんを喪ったことをきっかけに、俺が狂ってしまったということだろう。

いったいどちらなのか。
いくら考えても答えは出ない。

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かみさんが亡くなってから4年が経過した。
4年が経ったのに、俺は今でも哀しい。
時には身を引きちぎられるような激しい悲しみに襲われ、泣き叫ぶことだってある。
会社ではふさぎ込み、いつでも哀しそうな表情をし、寂しげなオーラを放っている。
要するに、俺は暗いのだ。

そんな俺に対する周囲の反応は、なかなか厳しい。
義母や義弟を除けば、周囲の人々は、
「もう4年も経ったのに…」、
「いまだに哀しんでるなんて、おかしいんじゃないの?」、
「暗い表情ばかりで鬱陶しいな…」
という冷たい反応を示す。

だが、俺にとっては「もう4年」ではない。
「まだ4年」なのだ。
朝、目が覚めるたびに哀しみを新たにし、俺は暗い奈落の底に引きずり込まれる。
最愛の人の死は、過去の出来事なのではなく、いつだって、現在進行形の出来事なのだ。

そんなことを話したところで、誰にも理解はしてもらえない。
周囲の「冷たい視線」が俺に突き刺さる。

当事者である俺にとっては「まだ4年」。「つい最近」のこと。
甘えたことを言えば、「暖かい視線」で見守ってほしいとは思う。

だが、当事者でない人々にとっては「もう4年」。
「冷たい視線」を送るのが当然なのだろう。

「冷たい視線」は辛いものだ。
かみさんを亡くして、ただでさえ苦しくて仕方がない。
ただ生きていることだけで辛いのに、「冷たい視線」がさらに俺を追いこむ。

「暖かい視線」とまでは言わない。
せめて「生ぬるい視線」で見守ってくれないだろうか。

放置しておいてくれてもいい。俺と関わりたくないのなら、それでも構わない。
ただ、俺をこれ以上、追い込まないで欲しいのだ。

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