いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2014年09月

会社からの帰り道。
俺はいつでも俯いていて、地面を見つめながら、とぼとぼと歩いている。
かみさんが亡くなってから、地面は俺の友だちだ。
あまりにも深い哀しみと、押し潰されそうな寂しさで、
心と体が重たくて、俺の視線は自然と地面に吸い寄せられる。

かみさんが元気だった頃の俺、颯爽と足早に歩いていた俺、いつでも前を向いて笑顔で歩いていた俺は、
もうこの世には存在しない。

だが時折、俺は何気なく視線を上げる。
そこには、かつて、かみさんと二人で一緒に見た風景が広がっている。

・・・

かみさんと一緒に歩いた道、かみさんと一緒に入った店、かみさんと一緒に立ち止まって眺めた場所。

それらの風景を見た瞬間、かみさんと俺の、暖かくて幸せな想い出が、走馬灯のように蘇ってくる。

あの時、この店でビールを買ったっけな…
あの時、かみさんと並んで歩きながら、あんな会話をしたっけな…
あの時、かみさんと一緒に散歩をして、あそこの道を歩いたっけな…

たくさんの想い出が、俺の頭の中を駆け巡る。

そして気づくのだ。
かみさんと俺は、いつでも一緒だったんだな…と。

・・・

そうだ。
かみさんと俺は、いつでも一緒だったんだ。
かみさんの横には俺がいて、俺の横にはかみさんがいる。
ごく普通の日常の風景でありながら、その普通の風景の中にこそ、たくさんの幸せが詰まっていたのだ。

それなのに、かみさんは今、俺の横にいない。
かつて、かみさんがいたはずの空間は、もはや空っぽだ。

その空っぽの空間に、かみさんの姿を想い描く。
そこにはいないかみさんの姿を、まるで今でもいるかのように想い描く。

そんなとき、涙がこみ上げてくる。
その場で泣けたら、どんなに楽だろうとは思うものの、
さすがに中年の親父が泣きながら歩いていたら不気味だろう。

だから俺は、歯を食いしばり、空を見上げ、涙が溢れるのを堪える。
想い出の風景を眺め、亡きかみさんに想いを馳せつつ、俺は家路を急ぐ。

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以前、闘病記の中に「平成22年6月9日のこと ~医師がかみさんを地獄に落とした日~」というタイトルの記事を書いた。
この記事にある通り、平成22年6月9日、「癌研有明病院」の医師は、かみさんを地獄に叩き落とした。

かみさんを死の恐怖から守りたい。
かみさんにだけは、絶対に死の恐怖を味わわせたくない。

その一心で、俺は医師に「どんなに厳しい病状だったとしても、かみさんには言わないでほしい」とお願いしていたし、
医師もその約束を守ると言ってくれていたのに、
この日突然、何の断りもなく、医師はその約束を反故にした。

俺が病室にいない時を見計らって、医師はかみさんに病状を伝え、「抗がん剤が効いてないので病院から出ていってください」と言い放った上、死の恐怖に震えるかみさんを独り残し、病室から去って行った。

その直後、かみさんが言った言葉が忘れられない。
「もう病院はいいや。お家に帰りたい…」

・・・

「癌研有明病院」が「標準治療」では治せないと判断したのであれば、あとは「代替治療」に掛けるしかなかった。
そこで、アラビノキシランや、その他のサプリメントを服用すること、そして「帯津三敬病院」に転院することを決断したのだが、かみさんの言葉を思い出すたび、「本当にその選択は間違っていなかったんだろうか…」という想いが俺の頭を掠める。

「お家に帰りたい…」
この言葉を口にした時、かみさんは何を考え、何を想っていたのだろう。

自宅はかみさんにとって、一番安心できて、一番落ち着ける場所だった。
お気に入りのベッドでゆったりしながら、アラビノキシランやその他のサプリメントだけで治療しようと想っていたんだろうか。

それとも…
もう自分は治らない、死が迫っている。
それならいっそのこと、俺に看取られながら、一番安心できる場所で死にたいと想っていたんだろうか…

いずれにしても、かみさんは家に帰りたかったのだ。
だが、その願いをかなえてあげることはできなかった。
かみさんの心からの願いを、俺はかなえてあげることはできなかった。

結局、かみさんが家に帰ってきたのは息を引き取った後だった。

・・・

今の我が家は、平成22年5月24日で時間が止まっている。
この日は、かみさんが自宅で過ごした最期の日だ
その日から、家の中の様子は、ほとんど変わっていない。

唯一変わったことと言えば、
かみさんの仏壇がリビングに置かれていること、
リビングの壁一面に、かみさんの写真がたくさん貼ってあること、
それだけだ。

かみさんが「帰りたい…」と言っていた家だ。
いつでも、かみさんが帰ってこられるようにしておいてあげなくてはならない。
かみさんがいつ帰ってきてもいいように、俺はこの家を守らなければならないのだ。

「お家に帰りたい…」と言っていたかみさんのためだ。
俺はこの家を、かみさんが元気だったころと同じように、守り続けなくてはならないのだ。

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9月22日の月曜日のこと。

会社からの帰宅途中、俺は行きつけの花屋に寄った。
かみさんの仏前に供える花を買うためだ。

かみさんが亡くなってから、二週間に一度は立ち寄る花屋だが、
この日は普段とは様相が違った。
いつもは俺以外に客がいないことが多く、他の客がいたとしても、せいぜい一人か二人というところだが、
この日がお彼岸の中日(なかび)の前日ということもあったのだろう、大勢のお客さんが花を見繕っていた。

俺以外のお客さんは、全員が女性だった。
俺は大勢の女性客に混じって、花を選んだ。

かみさんにお供えする花を選ぶのは一苦労だ。
前にも書いたが、かみさんは「菊の花」が嫌いだったので、いわゆる「仏花」を買うわけにはいかない。
若い女性が歓んでくれそうな、かわいらしい、明るい雰囲気の花束を作らなければならない。
センスの無い俺にとって、この作業はなかなか困難だ。

その上、この日は店内が混雑していて、他の客を避けながら花を選ばなければならない。
結局、かみさんが歓んでくれそうな花束を作るのに、30分近くもかかってしまった。

・・・

他のお客さんたちにとって、俺は目立つ存在だったようだ。
大勢の女性客に混じって、中年の男が一人、花を選んでいる。
お彼岸で花を買いに来たのなら「仏花」を買って帰るだろうが、
この男性は、試行錯誤を重ねてかわいらしい花束を作ろうとしている。
きっと奥さんへのプレゼントなのだろう…
どうやら、そんなことを考えながら、俺を観察していたらしい。

花を選び終わり、俺はレジに並んだ。
ふと振り返ると、俺の後ろには数人の女性客が順番待ちをしていた。
俺のすぐ後ろには、俺より10歳ほど年上と思われる女性がいた。
その女性と目が合った瞬間、女性が笑顔で俺に聞いた。
「奥さまへのプレゼントですか?」

その言葉を聞いた瞬間、俺は凍りついてしまった。
心の準備ができておらず、不意を突かれてしまい、俺は女性の言葉を真正面から受け止めてしまったのだ。

その結果、俺の口からとっさに出た言葉は、「え…?あ…」だけだった。
おそらくその女性は、俺が照れくさがっているだけだと思ったのだろう。
「奥さまと仲良いんですね。うふふふ」と言った。

そのやり取りを見ていた花屋の店員さんが言った。
「こちらのお客様、いつもお花を買いに来て下さるんですよ」
ここで言う「こちらのお客様」というのは俺のことだ。

すると、俺の後ろに並んでいた女性が、「奥さまのこと、大切になさってるんですねぇ」と言った。

・・・

見ず知らずの人に本当のことを言っても仕方がない。
かみさんが亡くなったとは言えない。
いつも買いに来ているのは、かみさんへのプレゼントではなく、かみさんへの供花だなんて言えない。

訳のわからない涙が溢れそうになった。
俺はカネを支払い、花束を受け取って、逃げるように花屋を出た。

・・・

自宅への帰路。
真っ暗な道を、俺はうつむきながら歩いた。

先ほどの花屋での出来事を想うと、なんだか無性に哀しかった。
もしこの花束が、かみさんへのプレゼントならば、どれほど俺は幸せだろうか。
花束を持って帰って、かみさんにプレゼントしたら、かみさんはどれほど歓んでくれるだろうか。

だが、これは供花なのだ。
かみさんの仏壇に飾られる花なのだ。

そう想うと無性に哀しくなって、涙が込み上げてきた。
俺は唇を噛みしめて涙を抑えようとしたのだが、身体の中心から噴き出してくる涙は押し殺しようがない。

この花束が、かみさんへのプレゼントだったら、かみさんも俺も幸せだっただろうに…

俺は涙を流しながら、足早に歩いた。
うつむいて顔を隠し、すれ違う人々の視線を避けながら家路を急いだ。

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「課長…。なんだか、すごく疲れてらっしゃいませんか?」
「具合悪そうですね…」
「身体、だるそうですね…」
ここ数カ月、会社の部下から頻繁にそんなことを言われる。

周囲の人たちから見ると、俺はとても体調が悪く見えるらしい。
人に心配してもらわなければならないほど具合が悪いわけではないのだが、
外見上はとても体調が悪そうに見えるようだ。

確かに疲労感や倦怠感は感じているし、全身が気だるくて重たいのも事実だが、
別に耐えられないほどでもない。

体調不良とは全く別のことが、俺の内面で起こっている。

・・・

俺の心の中では、いつだって、激しい「悲しみ」が暴れてる。
俺の身体は、いつだって、深くて大きな「哀しみ」で満たされている。

だが、「悲しみ」も「哀しみ」も、抑圧されなければならない。
会社にいる時や通勤途上など、人前にいる時は、いずれの「かなしみ」も押し殺されなければならない。

無理やり押し潰し、蓋をしたところで、「かなしみ」が消えて無くなるわけではない。
精神分析学の創始者であるフロイトの指摘を待つまでもなく、
抑圧されて、押し殺された感情は、心の中で増幅する。

抑圧されたことで増幅された「かなしみ」は、俺の内面を傷つける。
抑圧されることを嫌い、「表に出たい」と叫び、暴れまわる。

俺の体調が悪く見えることの背景には、そうした事情があるのだろう。

・・・

朝から晩まで抑圧され続けた「かなしみ」は、
会社から帰宅して、かみさんの仏壇の前に座った瞬間に破裂する。

かみさんの仏前に座り、線香を供えて手を合わせる、
そして、かみさんの遺影を見つめた瞬間、抑圧され続けた「かなしみ」が全身の毛穴から噴き出す。

ひとしきり泣いたあと、身体がわずかに軽くなるのを感じる。

そして気づくのだ。
体調が悪いわけじゃない、「かなしみ」が俺の中で暴れていただけだ、
「かなしみ」が外に出たがっていただけなんだと気づくのだ。

・・・

「課長…。具合悪そうですね…」と気遣ってくれる部下は多い。
だが、そんな時、「具合が悪いわけじゃないよ…。ただ哀しいだけ…」なんて言えない。
「かみさんが死んじゃったから悲しいだけ…。ただ、それだけだよ…」なんて言えない。
そんなことを言えば、相手を戸惑わせてしまうだけだ。

そもそも、最愛の伴侶を喪った「かなしみ」が、どれほど激しくて、大きくて、深いのか、
経験のない人には絶対に理解できない。
残された者が背負っていかなければならない物の重さも、それを背負い続けることの辛さも、
経験のない人には絶対に理解できない。

だから、心の中でつぶやくことしかできないのだ。
「ただ哀しいだけ…。それだけだ…」

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あまりにも鬱(うつ)がひどい。
激しい疲労感・倦怠感も重なって、いつも以上に鬱が辛く感じられる。

この鬱から逃れたい。
逃れるためには、現実から逃避し、世界を拒絶しなければならない。

現実から逃避するためには、眠ってしまうのが一番いい。
それができなければ、せめて目を瞑り、世界を拒否するしかない。

だが、出家しているわけでもなく、隠棲しているわけでもない俺は、
一日中眠っているわけにはいかないし、ずっと目を瞑り続けているわけにもいかない。

結局は、過酷な現実と対峙せざるを得ない。

・・・

なぜ鬱がこんなにひどいのか。
あることがきっかけで、俺の頭の中に、ある観念がこびりついてしまったからだ。

もう二度と、かみさんに会えないのではないか。
俺が死ぬ瞬間、かみさんが迎えに来てくれるなんてことはないんじゃないか。

かみさんは、やっぱり「無」になってしまったんじゃないか。
かみさんの肉体はおろか、心も、意識も、魂も、この世界から消えて無くなってしまったのではないか。

それらの観念が頭の中に居座り、俺を鬱のどん底に突き落とした。

・・・

俺はいまだに、かみさんの死を受け容れていない。
かみさんが亡くなったことを「知ってはいる」のだが、「受け容れてはいない」のだ。

俺は、かみさんを看取った。
通夜・告別式の喪主も務めた。
かみさんが眠る棺の横で、全身を震わせながら、声を殺して慟哭した。

その後、毎日仏前にお供えをしている。
毎日、かみさんの位牌や遺影に向かって手を合わせている。
仏壇には、かみさんの遺骨の入った骨壷が置いてある。

いつだって哀しくて、寂しくて、毎日のように涙を流す。

それらの事実を見れば明らかだ。
俺は、かみさんが亡くなったことを「知っている」のだ。

それにもかかわらず、俺はかみさんの死を「受け容れていない」のだ。
かみさんの魂は、今でも生きている。
肉体は無くなったが、魂は今でも生きていて、俺が死ぬ瞬間、かみさんが迎えに来てくれる。

そして…。
かみさんと俺は、永遠に寄り添い続ける…。

そんな風に考えること自体、かみさんの死を受け容れていない証拠だ。

でも、そんな風に考えなければ、俺は生きていけない。
かみさんの死を受け容れてしまえば、俺の中にわずかに残った「生きる気力」さえ消滅してしまう。

希望もなく、癒しもない。
絶望しか残されていない余生には耐えられない。

・・・

そんな状況の中で、俺の中に突然生まれた観念。
かみさんは、やっぱり「無」になってしまったんじゃないか。
肉体だけでなく、かみさんの心も、意識も、魂も、この世界から消えて無くなってしまったのではないかという観念。

この観念が、俺に重く圧し掛かってきた。
あまりにも重たくて、抱えきれない。
身動きすることもできず、ただ茫然とせざるを得ない。
深くて真っ暗な井戸の中。
出口も見えず、光もなく、ただ深い哀しみに包まれる。

こんなに深い絶望感を味わうのは、久しぶりのことだ。

・・・

こんなどん底の状態の時、夢でいいから、かみさんに会いたいと渇望する。

夢でいい。かみさんに触れたい、かみさんの魂に触れたい。
かみさんの夢を見られれば、「何か」を感じることができるかもしれない。

だが残念なことに、8月23日の土曜日を最後に、俺はかみさんの夢を見ていない。

あまりにも大きな悲しみ。あまりにも大きな絶望。
それらが俺を、深い鬱へと落とし込む。

そんな時、想うのだ。
せめて夢の中で逢えたなら…

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