いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2014年10月

自宅の最寄り駅(豊洲)の近くに、牛丼の「吉野家」がある。

先日、会社帰りに「吉野家」の前を通りかかった時のこと。
店の中から一人の老婆が出てきた。
おそらく、独りで牛丼を食べて、家に帰ろうとしていたのだろう。

その老婆は、腰が曲がり、足元はおぼつかない。
杖をついて、ヨボヨボと歩いていた。

周囲を歩く人々は、その老婆に無関心だ。
むしろ、ヨボヨボと歩いているせいか、「障害物」とみなされているかのようにも見えた。

独りぼっちで牛丼を食べていた老婆。
寂しそうな、侘しそうな、何とも言い難い姿だった。
見ていて、とても切なくなる、何ともやるせない光景だった。

きっと、ご主人に先立たれ、独りぼっちで寂しく暮らしているのだろう。

・・・

我が家のマンションの周囲には、都営団地が多い。
都営団地というのは、低所得者向けの公営住宅だ。

そういう環境だからだろうか、豊洲という街には、独居老人(おそらく少額の年金だけで暮らしている方々)が少なくない。
一方で、豊洲は新築マンションも多いため、ファミリー世帯も多い。

そのせいか、独居老人たちは、大勢の若年者たちの陰に隠れてしまい、よほど注意してみなければ、実は独居老人がたくさん棲んでいる街だということに気づかない。

俺だって、この街に独居老人がとても多いと気づいたのは、かみさんが亡くなった後だった。

・・・

俺にとって、「吉野家」から出てきた老婆は「知らない人」だ。
なのに、なぜだか可哀想で仕方がない。
悪い言い方をすれば、とても惨めに見えたのだ。
目を覆いたくなるような、目を伏せたくなるような老婆の姿。

だが、これは「自己憐憫」なのかもしれない。
老婆と俺の姿がタブって見える。
あの老婆は、未来の俺の姿だ。

そう想っただけなのかもしれない。

・・・

夫婦はいずれ死別する。
同時に死ねるような夫婦は、ごく稀だ。
どちらか一方が先に亡くなり、もう一方が遺される。

かみさんは若くして亡くなってしまった。
俺は独り遺されてしまった。

だが、かみさんが今でも元気に暮らしていたとしても、
いずれ俺とかみさんは、死別したはずだ。
いずれは俺か、かみさんか、どちらかが、あの老婆のようになっていたのだろう。

あんな姿になったかみさんを想像するのは、あまりにも苦しい。
切なくて、やるせない。身体がちぎれそうだ。

あんな姿になってしまうのが俺でよかった…そんな風にも想うのだ。

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かみさんが息を引き取ったのは、2010年(平成22年)6月。
まだ43歳だった。

友だちからは「30歳前後にしか見えない」と言われるなど、
かみさんは実年齢よりもはるかに若く見られていた。

年齢よりも若く見えるかみさんだ、
俺は、「きっと容ちゃんは、長生きするだろうなぁ…」なんて思っていた。

だが43歳で亡くなってしまった。
若すぎる。
日本人女性の平均寿命を考えれば、まだまだ「人生の折り返し地点」に差し掛かるかどうかというところだ。

だが、普通の人々にとっての「人生の折り返し地点」は、
かみさんにとって、「人生の終焉の場所」だった。

かみさんは無念だっただろう。
まだまだ、やりたいことが山ほどあったはずだ。

・・・

いずれ自宅をリフォームしたいと言っていた。
バルコニーにウッドデッキを作りたいとも言っていた。
あじさいの植木鉢を買って、バルコニーに飾りたいとも言っていた。
そろそろカーテンを買い替えようかな…とも言っていた。

自宅の近所にできた新しいラーメン屋で、ラーメン食べたいと言っていた。
栃木の宇都宮に行って、餃子を山ほど食べたいとも言っていた。
銀座にある美味しいイタリアンのレストランに行った、今度はプーちゃんと一緒に行きたいとも言っていた。
また二人で神谷バーに行って、浅草を散歩しようね、とも言っていた。

俺と二人っきりで、カラオケに行ってみたいと言っていた。
雪が積もった日にスタバでコーヒーを買って、プーちゃんと一緒に雪の中で温かいコーヒーを飲みたいとも言っていた。
プーちゃんと一緒にPerfumeのライブを観に行きたいとも言っていた。

近いうちに台湾に行こうと言っていた。
もう一度インドネシアのバリ島に行きたい、ハワイのマウイ島にも、もう一度行ってみたいと言っていた。
フランスのニースに行って、俺と一緒にゆっくりと過ごしたいとも言っていた。

そして…
かみさんは俺に、「プーちゃん、これからもずっと一緒にいてね」と言った。
さらには、
「二人で一緒に死ねたらいいねぇ…」、「死ぬときは二人一緒がいいよねぇ…」と言っていた。

かみさんの望み。かみさんの願い。かみさんの想い。
いっぱい、いっぱいあっただろう。

・・・

なのに、かみさんは43歳で死んでしまった。

かわいそうだ。
容ちゃんがかわいそうだ。

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配偶者と死別した人。

いつでも哀しそうな顔をしている。
いつでも寂しそうだ。
いつでも重たい空気を放っている。
生きていること自体が辛そうだ。
なんだが絶望感が漂っている。

そんな人には近づきたくもないし、話しかけたくもない。
そんな人は傍に近づいて欲しくないし、話しかけられたくもない。
そんな人の声が聞こえてくると耳を塞ぎたくなるし、そんな人の姿が視界に入って来ることさえ不愉快だ。
そんな人が傍にいるだけで、こちらも暗い気分になる。
そんな人が放つ暗いオーラはウザいのだ。

挨拶をされても無視しておこう。
せめて、目を合わせないでおこう。
近くにいても、気づかないフリをしておこう。

でも、ちょっと興味はあるな…
どんな表情をしているんだろう?
気づかれないように、こっそりと上目づかいで覗いてみるか…
うわ~、暗い顔してるな~
あ!やばい! 目が合っちゃった…

みんな幸せに楽しく暮らしているんだ。
僕たち・私たちは、自分が幸せであるかどうかを考える必要もないほど、幸せであることが当然なんだ。
なのになぜ、死別体験者はその幸せに泥を塗ろうとするのだろうか?
せっかくの楽しい、充実した一日が台無しになってしまうじゃないか。
死別体験者はいつでも哀しそうで、寂しそうで、苦しそうだ。
そんな奴が傍にいると、こちらまで暗い気分になってしまう。

ああ、うっとうしい。
どうせなら、会社を休んでくれればいいのに…
あの人さえいなければ、僕たち・私たちは楽しい一日を過ごすことができるのに…
みんなで談笑しつつ充実した仕事をし、家に帰れば大切な家族が待っている。
そういう人生を謳歌したいのだ。

グリーフ・ケア?
死別体験者を支える?
冗談じゃないよ、めんどくさい。
哀しい話は聞きたくないし、重たい話も聞きたくないよ。
こっちまで暗い気分になっちゃうじゃないか。
聞いたところで、配偶者と死別した体験のない自分には、あの人の気持ちなんて分からないし、そもそも、分かりたくもない。

あれ? なんだ?
あの人、ペンダントを身に着けてるじゃないか…
え? 奥さんの遺骨を入れたペンダント? 手元供養?
やだなぁ…、辛気臭い…
奥さんが亡くなったのに、いまだに結婚指輪もはめてるし…
ああ、やだやだ、辛気臭い…

まあ、何にしろ、配偶者と死別するのが自分じゃなくて良かったなぁ。
ああ… なんて僕だち・私たちは幸せなんだろう…
不幸になるのが自分じゃなくて良かったな…

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自宅から歩いて数分のところに、「朝凪橋」という橋がある。
会社からの行き帰りには、必ず通る橋であり、
また、かみさんと一緒に散歩や買い物に行くとき、何度も二人で通った橋でもある。

橋の下には運河が流れているためだろうか、橋を渡るとき、いつも涼しさを感じる。
他の場所に比べ、心なしか空気も清々しい。

かみさんも生前、そのことに気づいていた。
いつものように、かみさんと俺が二人で散歩に出かけたときのこと。
この橋を渡るとき、かみさんが言った。
「この橋を渡る時って、いつも涼しく感じるよね」
「やっぱり、水の上だからかな~」

かみさんは、運河を眺めながら「朝凪橋」を渡るのが好きだった。

・・・

かみさんの生前。
俺にとって、「朝凪橋」は特別な意味を持った場所だった。

出勤する際、必ずこの橋を渡る。
そして、毎朝同じことを考える。
「涼しいな~」
「空気がきれいだな~」
「気持ちいいな~」

そして次の瞬間、俺はかみさんを想いながら、
「今週の土曜日も、容ちゃんと一緒に散歩をしよう」、
「きっと、楽しいだろうな…」
「きっと、容ちゃんも喜んでくれるだろうな…」

そんなことを考えながら、週末に想いを馳せ、楽しい気持ちになる。
それが俺にとっての「朝凪橋」だった。

・・・

今でも俺は、毎日「朝凪橋」を渡る。
周囲の風景も、橋の下に流れる運河も、吹く風も、かみさんの生前と同じものだ。
同じものであるはずなのだ。

だが、かみさんが生きていた頃とは明らかに違うのだ。
涼しいとか、空気がきれいだとか、そんなことを感じることは無くなってしまった。
かみさんとの楽しい週末を想い描きながら、ウキウキした気持ちになるなんてことも無くなってしまった。

かみさんが亡くなってから、「朝凪橋」は、ただの「障害物」に成り果ててしまったのだ。

「週末、容ちゃんと一緒に散歩しよう」
「朝凪橋を渡って、二人で遠くまで行こう」
そんな空想を巡らせる場所だった「朝凪橋」は、かみさんの死とともに、
ただの無機質な物体に成り果ててしまったのだ。

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オスカー・ワイルド。
アイルランド出身の詩人、劇作家だ。

彼はこんな言葉を遺している。
「男は愛する女の『最初の男』になることを願い、女は愛する男の『最後の女』になることを願う」

これが事実なのかどうかは知らないが、先日テレビで心理学者が同じようなことを言っていたことからすると、
かなり有名な言葉ではあるようだ。

「女は愛する男の『最後の女』になることを願う」

この言葉を目にしたとき、俺はかみさんの心の声を聴いたような気がした。
この言葉を聴いたとき、かみさんが心から願っていること、それが何なのか分かったような想いがした。

かみさんもきっと、俺の『最後の女』になることを願っているはずだ。

俺は、そのかみさんの想いを受け止めよう。
かみさんは俺の生涯における『最後の女』だ。

これからも、かみさんのことだけを愛し、かみさんのことだけを想って生きていく。
それは、かみさんに対する俺の義務であり、責任だ。
いや、義務や責任と言うよりも、俺自身の中から湧きあがる衝動だ。

俺を精一杯、愛してくれたかみさんへの感謝の気持ち、
そして、俺の想いを精一杯、受け入れてくれたかみさんへの感謝の気持ちを表現していきたい。

そのためにも、かみさんには、俺の『最後の女』でいてほしい。

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