いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2014年12月

街中では、笑顔の家族連れが幸せそうに歩いている。

かみさんの生前、かみさんと俺も、そんな幸せそうな光景の一部に溶け込んでいた。
かみさんと俺は、他愛ない話をしながら、街中を歩くことが好きだった。

会社では、部下たちが雑談に花を咲かせ、笑っている。

かみさんの生前、俺もそんな雑談の輪の中に入っていた。
輪の中に入るどころか、先頭を切って、職場の雰囲気を盛り上げることが好きだった。

・・・

かみさんが亡くなってから、俺はすっかり変わってしまった。

周囲の世界を拒絶し、真っ暗で静かな家の中に引きこもっていたい。
誰とも関わりたくない。
ただひたすら、喪に服していたい。

俺は今、精神的な引きこもりの状態にある。

・・・

周囲の人々が醸し出す、明るくて幸せそうな雰囲気は、まるで鋭利な刃物のようだ。
人々の笑顔は容赦なく、俺の心に突き刺さり、俺の心を抉り取る。
人々の幸せそうな笑顔を見ていると、心が痛いのだ、辛いのだ、苦しいのだ。

ここは俺の居場所ではない、俺の居場所はどこにもないと、俺の心が叫ぶのだ。

・・・

俺の居場所はどこだ?

言うまでもなく、かみさんの隣だ。
だが、かみさんはもういないのだ。

ならば、どこが俺の居場所だ?
俺はどこに居ればいいのだ?
どこに居れば落ち着けるのだ?

落ち着ける場所なんて、ありはしない。
俺の居場所なんて、どこにもない。

どこに居たって、心が痛いのだ、辛いのだ、苦しいのだ。

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かみさんが亡くなって数か月後のこと。
俺は救いを求め、死別関連の本を読んでいた。

その本には次のように書いてあった。
「配偶者を亡くした人は、立ち直るのに3年かかる」

著者が葬儀会社の経営者である以上、一応は経験則のようなものなのだろう。
だが、本当に3年で立ち直るのだろうか。

俺のブログのリンク集に、ある男性のブログのリンクが貼り付けてある。
この方は、奥様を亡くされて7年が経っているが、いまだに立ち直ってはいらっしゃらない。

俺もかみさんが亡くなってから、4年以上が過ぎたが、いまだに立ち直る気配が感じられない。

・・・

そもそも3年で立ち直ることが望ましいのか疑問だ。

以前、俺は「心の空洞に棲むもの」というタイトルでブログを書いた。
この記事の中で、俺は言った。

> なぜ哀しみから解放されたくないのだろう。
> なぜ大きな傷を抱えて生きていきたいなどと考えるのだろう。

> 何となくだが、理由がわかったような気がする。
> 大きな哀しみに打ちひしがれながら生きていくこと。
> 心の空洞を埋めることなく生きていくこと。

> それは、俺がかみさんを愛してた証だからだ。
> そして、今でもかみさんを愛している証なのだ。

> そしてもうひとつ。
> 俺は、哀しみという感情を、かみさんと同一視しているのかもしれない。
> 哀しみと共に生きるということは、かみさんと共に生きることと同義なのかもしれない。

> 言い換えれば、
> 俺が抱える哀しみの中に、かみさんが存在するのかもしれない。

> 俺が抱える心の空洞の中に、かみさんは棲んでいるのかもしれない。

・・・

要するに、そういうことだ。

3年で立ち直るということは、3年で「哀しみ」を手放すということだ。
言い換えれば、俺が抱える心の空洞、「哀しみ」の中に棲んでいるかみさんを手放すことだ。

それは耐えがたい。

例え「哀しみ」に打ちひしがれ、もがき苦しんでいても、その「哀しみ」を手放すことは悲しすぎる。
それは、かみさんを手放すことと同義だからだ。

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かみさんの仏壇の前で泣いているとき、激しい悲しみが俺の全身を駆け巡っている。
一日の中で唯一、俺が感情を剥き出しにする瞬間だ。

激しい悲しみは苦痛ではあるものの、
その苦痛に身を任せ、翻弄されているときだけは、「鬱(うつ)」から解放される。
悲しみがあまりにも大きすぎると、確かにそこに「在る」はずの「鬱」を意識しなくて済むのかもしれない。

だが、仏前で泣きじゃくっているときを除けば、いつでもひどい「鬱」に悩まされている。

気分は常に沈み込んでいて、高揚するということがない。
重たい鉛のような気分が、腹の中に居座っている。
真っ暗で深い井戸の底から這い上がることができない。

笑えない。
せめて無表情でいようと思うのだが、鏡を見れば、そこには哀しみを湛えた表情がある。

明るい光が疎ましい。
他人の明るい笑い声や、明るい気配が疎ましい。
すべての明るさから逃げ出して、真っ暗闇のなかで蹲っていたい。

食事をするのも鬱陶しい。
会話をするのも億劫だ。
風呂に入るのも面倒だ。

まるで、周囲の世界と俺との間に厚い壁があるかのようだ。
その壁は透明で、こちらからあちらの世界を見ることはできるのに、
こちらからあちらに関わることはできないし、あちらからこちらに関わってくることもない。

俺は世界から孤立した。

俺はもはや廃人だ。

・・・

そんな状況にありながら、俺は抗うつ剤の服用をやめようかと考えている。
薬なんかで「死別による鬱」が改善するわけがないんじゃないか、なんて考え始めている。

鬱の正体。
それは、かみさんを喪った哀しみだ。
かみさんに逢えない寂しさだ。
そして、余生への絶望だ。

哀しみも寂しさも、そして絶望も、俺が死ぬ瞬間まで抱えていかざるを得ないものだ。

だとすれば、薬なんか効くわけがないじゃないか。
そんな風に考えている今日この頃だ。

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かみさんと死別して数年。
最近、周囲からの「いいかげんに立ち直れ!」という圧力が強くなってきた。

さすがに義母や義弟(かみさんのお袋さんや弟たち)は、
俺を強引に立ち直らせようなんてしないし、
かみさんと俺が仲の良い夫婦だったことを知っている親友たちも、
無理やり立ち直らせようなんてことはしない。

だが、事情をよく知らない人たちから、「立ち直れ!」という圧力を感じるようになってきた。
とりわけ、会社の上司(部長)や同僚(課長たち)からのプレッシャーが大きい。

「なにか、夢中になれる趣味でも探したらどう?」
「ゴルフでもやってみない?」
「陶芸教室にでも通えば?」
「英会話学校に通うのもいいんじゃない?」

みんな、俺を気遣ってくれているのはありがたいのだが、
こういう言葉を聞かされたとき、俺は苦笑せざるを得ない。

かみさんを亡くした哀しみで、心の中がいっぱいなのだ。
残念ながら、今の俺には、何かに夢中になれるような心の余裕はない。

でも、いつの日か、哀しみを抱えながらも何かに夢中になれる、
そんな時期が来るのかもしれないと思いたい。

・・・

上司や同僚からの圧力。
それを最も象徴しているのは、ある人から言われた「変わらなきゃダメだ」という言葉だ。

「変わる」って、どういう意味なのだろう。

もう哀しむなってことか?
もう寂しがるなってことか?
それは俺にとって、あまりにも残酷な言葉だ。

哀しむのをやめる、あるいは寂しがるのをやめる。
まるで「かみさんを忘れろ」と言われているような気がするのだ。

かみさんはもういない。
想い続けても還ってくるわけじゃないんだから忘れるべきだ。
そんな風に思う人がいても不思議ではない。

だが俺は、今でもかみさんのことが大好きなんだ。
たとえこの世にいない人であろうと、俺はかみさんのことが大好きなんだ。

伴侶との死別を体験したことのない人にとっては、
亡き伴侶をいつまでも想い続ける俺が異常に見えるのかもしれない。

だが別に、俺は異常だと思われたって構わない。

俺はかみさんを忘れない。
これからもずっと、かみさんを想い続けていく。

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かみさんが他界してから数年が経つ。
その数年の間に、「かなしみ」は、「激しくて身を引き裂かれるような悲しみ」から、
「深くて大きな哀しみ」へと、少しずつ姿を変えていった。

もちろん、「激しくて身を引き裂かれるような悲しみ」が消えて無くなったわけじゃない。
一日に一度はこれに襲われ、俺はかみさんの仏前で泣きじゃくる。

だが、一日の大半は、「激しくて身を引き裂かれるような悲しみ」ではなく、
「深くて大きな哀しみ」が俺を満たしている。

・・・

「かなしみ」の質が変わってくるにつれて、俺の中に、今までとは別種の「罪悪感」が生まれてきた。

今まで抱いていた罪悪感は、
かみさんを守ってあげられなかったこと、
かみさんを助けてあげられなかったこと、
かみさんを若くして死なせてしまったこと、
そして、かみさんが亡くなったにも関わらず、俺が生き残ってしまっていることに対するものだった。

もちろん、これらの罪悪感が消滅したわけじゃない。
今でもドッカリと、俺の中に居座っている。
だが、「かなしみ」の質の変化とともに、別種の罪悪感が加わってきたのだ。

それは、「俺は、かみさんがいない現実に慣れつつあるんじゃないか…」というものだ。
俺は、かみさんの死を受け容れ、かみさん不在の世界に適応しつつあるんじゃないか。

それが新たな罪悪感の源になっている。

・・・

俺は今だって、かみさんが大好きだ。
今だって、かみさんに逢いたい。
かみさんが生き返るなら、すべてを犠牲にしたって構わない。
いつだって、かみさんを求めている。
かみさんに逢えないことが寂しい。

だが、そういう気持ちを抱えつつも、俺はかみさんのいない「日常」に慣れつつあるんじゃないだろうか。
慣れつつあるからこそ、「悲しみ」が「哀しみ」へと変質してきたんじゃないだろうか。

・・・

かみさんがいないことに慣れてしまうこと。
それは、一日一回、「激しくて身を引き裂かれるような悲しみ」に翻弄されることも、
眠っている間以外、いつでも「深くて大きな哀しみ」に包まれていることも、
あるいは、四六時中、押し潰されそうな寂しさを抱えていることも、
いずれも「日常」と化してしまうということだ。

言いかえれば、「かみさんがいない」という事実は「非日常」であり、「異常事態」であったはずなのに、
時間の経過とともに「日常」になってしまったのかもしれない。

かみさんがいないことを「日常」の風景としてとらえること。
そのことが罪悪感となり、俺を蝕んでいる。

・・・

かみさんがいないことに慣れてしまうこと。
そのこと自体が、とても「かなしい」。
かみさんが、どこか遠くに行ってしまうような気がする。

慣れたくなんかない。
俺はいつまでも、「激しくて身を引き裂かれるような悲しみ」を手放したくないのだ。

「激しくて身を引き裂かれるような悲しみ」が影を潜めるにつれて、かみさんが遠くに行ってしまう。
そのことが、とても「かなしい」のだ。

「深くて大きな哀しみ」は、俺が死ぬまで抱えていかざるを得ないだろう。
「かみさんに逢いたいのに逢えない寂しさ」も、生涯抱えていかざるを得ないだろう。

ただ、「激しくて身を引き裂かれるような悲しみ」を失ってしまうことが「かなしい」。
そのこともまた、事実なのだ。

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