いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2015年04月

ゴールデンウィーク。
かみさんと俺は、毎年、北海道にあるかみさんの実家に遊びに行った。

今年のゴールデンウィークは、ゴージャスだ。
暦通りに休んでも5連休、5月7日と8日を休みにすれば9連休。

かみさんが生きていたならば、俺は5月7日と8日に休暇を取り、かみさんと一緒に北海道に遊びに行っただろう。

かみさんと一緒に札幌の街を散策したり、大通公園の芝生に座って他愛ない会話をしたり、美味しい寿司やラーメンを食べに行ったりして過ごしたことだろう。

・・・

夏休み。
かみさんと俺は、毎年、海外旅行に行った。

今年は夏休みもゴージャスだ。
暦の上では、9月19日から23日まで5連休。会社からもらえる5日間の夏休みを加えれば12連休にすることもできる。

かみさんが生きていたならば、例年通り、かみさんと俺は海外旅行を楽しんだことだろう。

かみさんと一緒に、どこかの国で、マリンスポーツを楽しんだり、様々なオプショナルツアーに参加したり、現地を散歩したりして、のんびりと過ごしたことだろう。

・・・

今でもかみさんが生きていたなら、二人で一緒にこんなことをしていただろうな…とか、あんなことをしていただろうな…と考えてしまうことが多い。
そのたびに切なくなる。哀しくなる。

旅行に行くどころか、他愛ない会話をすることも、触れ合うこともできないのだ。
かみさんの笑顔を見ることも、かみさんの声を聞くこともできないのだ。

別に旅行なんか行かなくたっていいんだ。
せめて、かみさんの笑顔が見たい、かみさんの陽気な声が聞きたい、かみさんの髪に触れたい。

贅沢なんかしなくたっていい。
ただ、かみさんに傍にいて欲しい。
それだけなのだ。

だが、たったそれっぽっちの些細な願いさえ、もはや叶うことはないのだ。

あらゆる煩悩を捨て去って、唯一残された物。
それは、かみさんに会いたいという想いだ。

だが、その唯一の願いさえ、もはや叶えられることはないのだ。

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つい先日、「職場復帰に向けて」というタイトルでブログを書いた。
そこに書いたとおり、職場への復帰に当たり、いくつかの不安材料がある。

不安のひとつめは「アルコール性肝障害」による「倦怠感、疲労感」だ。
ふたつめは「睡眠障害の悪化」、みっつめは「気力の欠如」だ。

・・・

伴侶と死別した人々には、睡眠障害が起こりやすいという説がある。
俺も現在、睡眠障害に悩まされているところからすると、この説は正しいのかもしれない。

睡眠薬を飲まなければ朝5時過ぎまで眠れない、その後眠れても1時間半ごとに目を覚ましてしまう、熟睡感がまったくない。睡眠薬を飲めば熟睡はできるが、目覚まし時計をかけていても、12時間近く眠ってしまう。

そのような状況については、職場の同僚にも伝えたし、職場の臨床心理士にも伝えた。
すると、「今は無理に復職を考えないで、もうしばらく休職するという選択肢もあるんじゃないか」と言われてしまった。

それでも俺は、5月7日に職場復帰するつもりでいた
職場の同僚や臨床心理士が何と言おうと、俺は復職するぞ! 強行突破だ! と意気込んでいた。

・・・

そんな中、4月27日、俺は精神科のクリニックに行った。
主治医には、睡眠障害の状況だけを話し、疲労感や倦怠感を抱えていること、鬱に苦しんでいること、希死念慮があること等については話さなかった。

それなのに、主治医から「休職した方がいい」と言われてしまった。
希死念慮だの、疲労感が酷いだの、そんな重たい話は避けて、睡眠障害の現状についてだけ話したのに、医師からは「医学的には復職を勧められる状況ではない」と言われてしまったのだ。

精神科医や会社の産業医によれば、夜眠れること、朝7時には起きられること、昼間に活動できることが、復職のために必要な条件だとのことだった。

その条件のすべてが満たされていない俺は、休職せざるを得ないということらしい。
主治医から休職の継続を勧められ、俺は愕然としてしまった。

・・・

かみさんの死を哀しんでいてもいい、かみさんがいないことが寂しくてもいい。
鬱が酷くてもいい、疲労感や倦怠感に悩まされていてもいい。
ただ、睡眠障害だけは克服しないと、復職は認めてもらえないようだ。

俺は自分を立て直さないと! と自分を鼓舞した。

こんな俺を見ていて、かみさんが哀しんでいるだろう。
いつまでも社会復帰できない俺を見て、かみさんは心配しているだろう。

亡きかみさんを安心させてあげるためにも、俺は自分を立て直さなければならない。

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かつて俺の隣には、いつだって容ちゃんがいた。
俺はいつだって、容ちゃんの醸し出す空気に包まれていた。
その空気は、とても暖かくて、やわらかで、
優しかった。

俺の心の中は、いつだって、幸せと癒しで満たされていた。

俺は生気に満ち溢れていた。
生きることの歓びが全身から溢れ出ていた。

俺は容ちゃんが大好きだった。

大好きな容ちゃんを生み出してくれたこの世界、
大好きな容ちゃんを存在させてくれたこの世界、
大好きな容ちゃんと俺を巡り合わせてくれたこの世界を俺は愛した。
容ちゃんを愛し、容ちゃんに愛されることで、俺は人生を愛し、世界を愛することができた。

だが、容ちゃんはもういない。

人生なんて、世界なんて、大嫌いだ。


人生を、世界を愛していた頃が懐かしい。

あの暖かくて、やわらかで、優しい空気に包まれていた頃が懐かしい。

今一度、あの空気に包まれたい。

あの頃に還りたい。

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先日は、職場に復帰したいという気持ちをブログに綴ったのに、俺の中にはその想いと正反対の気持ちも蹲っている。

我ながら矛盾していると思う。



できることなら隠棲したい。
俗世間から離れ、誰とも関わらず、独り静かに余生を過ごしたい。
それができるなら、多少は心穏やかに暮らしていくことができるだろう。

隠居してしまえば、人々が浮かべる笑顔や、人々が振り撒く「
幸せそうなオーラ」に心をかき乱されることもなくなる。
心の傷に塩を塗り込まれることもなくなる。

あらゆる義務や責任から解放され、死ぬまで喪に服したい。
かみさんを想い、かみさんを供養することに余生のすべてを捧げたい。

だが現実はそれを許してはくれない。
それが許されるのは、
年金生活者と蓄えの十分ある人だけだ。

俺の蓄えなんて微々たるもの。
蓄えだけで暮らしていくことができるのは、せいぜい2年か3年だ。
だから会社を辞めるわけにもいかず、
隠居したいという想いは夢のまた夢、結局は現実と関わっていかざるを得ない。



早く時間が経って欲しい。
早く年金生活者になりたい。
早く老人になりたい。

老人になって、隠棲して、
周囲の世界から自分を隔離する。
そして、
かみさんの菩提を弔いながら、静かに死を待つ。
早くそんな生活ができる年齢になりたい。

職場に復帰したいという想いと同時に、
そんな気持ちが俺の中に蹲っている。

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ごく稀にだが、テレビでこのCMを見かける。
このCMが始まると、俺はテレビに釘付けになってしまう。

このCMに出てくる夫婦。
夫役はリリー・フランキーさん、妻役は深津絵里さん。

この夫婦、まるで、かみさんと俺みたいだ。



夫は会社員。会社では、職場のリーダー、管理職を務めているように見える。
一方、家では妻が家事をこなしてくれている。
俺たち夫婦と同じだ。
CMの中の妻が仕事を持っているのに対し、うちのかみさんは専業主婦だったが、その程度の違いはどうでもいい。

この夫婦、どうやら子どものいない、夫婦二人きりの家族らしい。
それも、俺たち夫婦と同じだ。

そして何よりも。

夫が「天ぷら」を食べたいと言うのに、妻は「おでん」が食べたいと言う。
夫が「海」に行きたいと言うのに、妻は「山」に行きたいと言う。
夫が「黒いソファ」を買いたいと言うのに、妻は「白いソファ」が欲しいと言う。

二人の意見はことごとく対立するが、結果としては、妻の言いなりになってしまう夫。
しかも夫は、天ぷらが食べたいと言っていたのに、「おでんで正解だったな」とか、
海に行きたいと言っていたのに、「山、最高」とか言っている。
そんなところも、俺たち夫婦と同じだ。

夫婦の関係は、夫の言葉、「俺は家では野党だ。なんだかんだ言っても、政権は与党が握っている」に象徴されているが、そんなところも、かみさんと俺にそっくりなのだ。

最後のシーンでは、夫婦が並んで歩いている。
夫の右側には妻がいる。
それも、俺たち夫婦と同じだ。


・・・

何から何まで、かみさんと俺にそっくりだ。

そのせいか、俺はこのCMを食い入るように見てしまう。
そして、切なくなるんだ。やるせなくなるんだ。哀しくなるんだ。

かみさんがいた頃は幸せだったな…と過去を振り返り、ほんの一瞬、心が温かくなったりもする。
だが、あの幸せだった日々は、もう二度と還って来ないんだとも想う。

そう想った瞬間、何とも切なくて、やるせない。
そして、哀しいのだ。

・・・

CMの最後に夫が言うセリフ。「これからも、こうやって歩くぞ」

かみさんの闘病中、かみさんと俺は誓い合った。
これからも一緒にいようと誓い合った。

なのに、この誓いを果たせなかった俺にとって、このCMはやるせなくて、切ないのだ。

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