いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2015年08月

ときおり俺は、「容ちゃん…」とつぶやく。
天井を見上げながら、仏前に座りながら、遺影を見つめながら、あるいは、バルコニーでタバコを吸いながら、「容ちゃん…」とつぶやく。

単なる「ひとりごと」なのか。
それとも、目に見えないが、俺の傍にいるかみさんに声を掛けているのか。
自分でも分からない。

ただ、「容ちゃん…」と声に出すたびに、涙が溢れてくる。

涙を流すたびに想うことは、「かみさんに会いたい」ということだ。
会いたくて、会いたくて、会いたくて、それなのに、会えない。
哀しい。

・・・

「容ちゃん…」というつぶやきは、無意識に出てくる。
ふとした瞬間、心の奥底から自然と出てくる。

意識してつぶやいているわけではないので、止めようがない。
止めることができれば、余計な涙を流さずに済むのだろうが、自然と出てくるつぶやきと涙とは、止めることができない。

・・・

ただ、想うのだ。
「容ちゃん…」というつぶやく瞬間、俺の心は温かい。
涙を流していながら、心は温かい。

かつては何気なく、かみさんに「ねぇ、容ちゃん」と呼びかけていた。
その頃の幸せな記憶が蘇るからかもしれない。
あるいは、「容ちゃん…」という言葉の響きに、俺の幸せのすべてが詰まっているからかもしれない。

・・・

涙を流すことには苦痛が伴う。

だが、たとえ涙が流れようと、俺は「容ちゃん…」とつぶやきたいし、呼びかけたい。
かみさんに声を掛けること。
それだけが、俺の唯一の幸せの源かもしれないのだから。

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ある歌手が「くも膜下出血」で倒れた。
倒れているところを知人が発見し、緊急手術が行われたそうだ。
その結果、その歌手は一命をとりとめた。

その後、その歌手は「
水頭症」を発症した。
二度目の手術が行われた。

その歌手は二度にわたって死に直面したにもかかわらず、
現在は復帰に向けてリハビリ中だ。

その歌手が嬉しそうに語っていた。
自分は神様から生きることを許された」



この言葉を聴いたとき、
複雑な気持ちになった。
悔しかったのだ。

この歌手は生きることを許されたのに、
何故かみさんは、生きることを許されなかったんだ?
何故かみさんは、死なねばならなかったんだ?
かみさんが何をしたというのだ?

自分は神様から生きることを許された」という言葉。
本人にとって、大病から生還したことが、嬉しいことだったということは理解できる

だが、この歌手の視界の外には、
最愛の人を喪ってしまい、哀しんでいる人々だっているのだ。
そして何よりも、無念を遺し、
若くして死ななければならなかった人々だっているのだ。

この歌手の言葉には、
そんな悲しい体験をせざるを得なかった人々への配慮はない。
自分が生き残ったことを誇り、まるで自分が神から選ばれたと言わんばかりだ。



生還した者の傲慢さ。

病気を乗り越え、
生き残ったことを誇るがいい。
自分は神に選ばれたと誇るがいい。

だが、あなたの知らないところには、最愛の人を亡くし、
哀しんでいる人々がいるのだ。
そして何よりも、
若くして死ななければならなかった人々の無念を知ってほしいのだ。

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このブログに何度も書いたとおり、
かみさんと俺は、
二人で一緒に散歩をするのが好きだった。
平成2年に付き合い始めて以来、20年間、散歩ばかりしていたような気がする。

散歩と言っても、いわゆる「
ウォーキング」のように高速で歩くわけじゃない。
二人で他愛ない話をしながら、のんびりと歩く。

きれいな景色があれば、立ち止まって眺めたり、
かわいい花が咲いていれば、しゃがみこんで花を眺めたりもする。
おしゃれなカフェがあれば入ってもみるし、腹がへれば食事をしたりもする。
そんなふうにして、
ダラダラと散歩するのが好きだった。

散歩をするときは、
いつだって、かみさんが俺の横にいた。



かみさんが亡くなってから、俺は散歩をしなくなった。

独りで散歩してもつまらない。
虚しくて寂しい。

かつて、
かみさんと一緒に歩いた道。
それらの道を独りぼっちで歩いたりしたら、哀しみに押し潰されてしまう。

だから俺は、可能な限り、
かみさんと二人で歩いた道を避けるようになった。



昨日 (
8月27日) はかみさんの月命日だった。

かみさんのお位牌を連れて「神谷バー」に行き、「二人」で食事をした。
かみさんへのお供えだ。

食事を済ませたあと、
俺はかみさんの墓参りに行った。
普段なら、
神谷バーから墓地まではタクシーに乗るのだが、昨日は歩いて墓地に向かった。

だが、歩いている途中で気づいた。
気づいてしまったのだ。
この道は、いつか容ちゃんと一緒に散歩したことがある道だ…」
いつもどおりタクシーに乗っていたら、気づかずに済んだだろう。

気づいたとたん、
かみさんと一緒に歩いた時の記憶がよみがえってきた。
記憶がよみがえってきた」というより、「記憶の嵐に襲われた」と言った方が正確かもしれない。

暖かくて、楽しくて、
幸せだった頃の記憶なのに、悲しくて、切なくて、苦しかったのだ。



もう一度、かみさんと一緒にこの道を歩きたい。
だが、
どんなに願っても、決してかなうことはないのだ。

その過酷な現実に押し潰されそうになりながら、
涙を必死で堪えつつ、俺はお墓への道を急いだ。

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以前、「絶対的な不在」というタイトルの記事を書いた。
そこに書いたとおり、平成8年9月中旬から平成9年5月中旬まで、俺は東京の自宅に、かみさんは北海道旭川市の実家に住んでいた。

別にケンカをしたわけではないし、離婚を考えていたわけでもない。
平成8年8月に食道癌と診断され、入院していた義父(かみさんの親父さん)の看病をするため、かみさんは北海道旭川市の実家にいた。

その約8ヵ月間、俺は何度も旭川を訪れている。
義父のお見舞いに行くため、そして何よりも、かみさんの顔を見たかったからだ。

・・・

あれは平成8年11月の初めのこと。
俺はかみさんに会いたくて、北海道に行った。
確か、11月3日の文化の日を挟んで、3泊4日の旅程だったと記憶している。

俺は羽田空港から飛行機に乗り、旭川空港に向かった。
旭川空港の周辺は大吹雪。激しい風が吹き、横殴りの大雪が降っていた。

俺は旭川空港からリムジンバスに乗り、約40分かけて、JR旭川駅前に向かった。
バスの中では、JR旭川駅からかみさんの実家まで、どうやって行こうか考えていた。
タクシーで行こうか、それとも路線バスに乗るか、そんなことを考えながらリムジンバスに揺られていた。

・・・

リムジンバスが街中に入る頃、ようやく吹雪は収まってきたが、道端にはたくさんの雪が積もっていた。

そして、リムジンバスがJR旭川駅前の停留所に到着する寸前のこと。
俺が窓の外を見ると、停留所には、かみさんが立っていた。
実家か、義父が入院中の病院か、そのどちらかにいるはずだと思っていたのに、
かみさんは停留所で俺を待っていてくれたのだ。

久しぶりにかみさんの姿を見ることができたこと、
そして、わざわざ駅前まで俺を迎えに来てくれたこと、
それらのことが、とても嬉しかった。

・・・

雪の中に佇みながら、バスの中を覗き込み、俺を探しているかみさんの姿が
とても印象的だった。

真っ白いセーターに黒いジーンズ、脚には茶色いショート・ブーツ。
頭には、真っ白な毛糸の帽子を被っていた。

かみさんの姿が雪景色に映えて、とてもきれいだった。
なんてきれいなんだろう…
なんてかわいらしいんだろう…

夫の欲目かもしれないし、こんなにストレートに書くと気恥ずかしくはあるのだが、
本当に、本当に、きれいだったのだ。

俺はあのとき確かに、雪の中に咲く華を見たんだ。

・・・

ある日突然、俺はこの時のことを想い出した。
ずっと忘れていたことなのに、ある日突然、想い出したのだ。
それは、かみさんの告別式が終わって数日後のことだった。

想い出したら居ても立ってもいられなくなり、あの時かみさんが被っていた毛糸の帽子を必死で探した。
まるで、帽子を探しているのではなく、
かみさんの姿を求めて彷徨うかのように、泣きじゃくりながら、家の中を徘徊し、毛糸の帽子を探した。

だが結局、あの帽子を見つけることはできなかった。

・・・

平成8年11月の初旬。
俺はあの時、あの場所で、雪の中に咲く華を見た。
今でも時折、あの光景を思い出す。

想い出すたび、俺の心が叫ぶのだ。
あの頃に還りたいと叫ぶのだ。



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もう容ちゃんは、どこにもいない。

朝目覚めて周りを見回しても、容ちゃんはいない。
ふと玄関が開いて、容ちゃんが笑顔で帰ってくるんじゃないかと待ち望んだりもするが、容ちゃんは帰ってこない。

夜、布団に入り、
すべては悪い夢だ、目が覚めたら、容ちゃんはスヤスヤと俺の隣で眠っているはずだ、
朝になったら、長い悪夢も終わっているはずだと言い聞かせて眠りにつく。

だが、
朝目覚めれば、再び悪夢の一日が始まる。
容ちゃんのいない虚しい一日が始まる。

この5年間、
毎日そんなふうにして過ごしてきた。



容ちゃんのいない世界は、空っぽだ。
容ちゃんのいない世界には色彩がない。

そこに独りで佇んでいるのは、かなしい。
そこに独りでしゃがみこんでいるのは、さみしい。
死んじゃえば楽になれるのに…とは思うものの、
そんな勇気もない。

それなら生きなければならないのか。
生きていかなければならないのか。

こんなに哀しいのに、
こんなに寂しいのに、こんなに苦しいのに、それでも生きていかなければならないのか。



この世は地獄だ。
生きることは苦しみだ。
残されたのは絶望だけだ。

いったい、
この人生は何なんだ?


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