いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2015年09月

あまりにも醜い内面を吐露するのは、多少気が引ける。
だが俺は、
このブログに嘘を書くつもりはないし、本音だけを綴りたい。

とは言っても、今回の記事は醜すぎるかもしれない。



誰かと誰かが熱愛中だとか、誰かと誰かが結婚したとか、
誰かと誰かの間に子どもができたとか、そんな話題を聞かされるのが辛い。
心がかき乱される。
他人が幸せになるのを見るのが大嫌いだ。

家族みんなで旅行に行ったとか、
夫婦で一緒に買い物に行ったとか、そんな話題もしんどくて、胸が切り刻まれるような気分になる。

これらは恐らく妬みであり、
嫉みなのだろう。
俺がもう二度と手に入れることができないもの、
かつて俺も持っていたはずなのに、今は失ってしまったもの。
それらを持っている人々のことが妬ましい。

この世界のすべてが疎ましくて、妬ましい。
俺は自分を取り巻く世界が大嫌いだ。
幸せを謳歌する人々が大嫌いだ。

そして、
こんな醜いことを考えている俺自身のことが大嫌いだ。



妬みは俺を蝕む。
あまりにも苦しい。
消えたい。
死んじゃいたい。

だけどね…
死にたい奴は死ねないんだ。
なのに、
死にたくない人は死んじゃうんだ。

あまりにも理不尽だ。
だが、
世界は理不尽なのだ。

俺はそのことを知っている。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

喜びがない。
楽しみがない。
怒りもない。

あるのは、哀しみだけだ。
深くて大きな哀しみだけだ。

哀しみ以外の感情はすべて失った。

気分はいつも沈んでいる。高揚することがない。
何を見ても、何を食べても、何をしても、そこに喜びや楽しみはない。
いつだって哀しい。
いつだって塞ぎ込んでいる。

救いは眠りの中にしかない。
眠っている間だけは、かみさんのいない現実から目を反らすことができる。
24時間ずっと眠っていられたら、どんなに楽だろう。

生きていることが苦痛だ。
独りぼっちが苦痛だ。
かみさんのいないこの世界で生きていくことが苦痛だ。

俺はただ、時が過ぎるのを待っている。
いつか迎えに来てくれる日まで、時が過ぎるのを待ち続けている。

にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

昨日27日は、かみさんの月命日だった。

朝から焼酎を飲み、
すっかり酔っ払ってしまった。
眠気に耐えられず、
13時半から16時まで眠ってしまった。

その間、
俺はかみさんの夢を見た。
かみさんはうつ伏せに寝転んでいた。
そして俺は、かみさんを背後から抱きしめた。

かみさんの身体の凹凸まではっきり感じることができた。
やわらかかった。
あたたかかった。

俺の全身を安らぎが包んだ。



夢はそこで終わったわけじゃない。
続きがある。
だが続きを書くのは憚られる。

以前の記事にも書いたが、
俺はこのブログをエロサイトにするつもりはない。
夢の続きを書いたら、このブログはエロサイトになってしまう。
それは避けたい。

なので夢の続きはナ・イ・ショ。



これだけははっきり言える。
かみさんは温かかったのだ。
やわらかかったのだ。

やっぱり俺は、かみさんのことが大好きだ。
この世界で一番大好きだ。

これからもずっと、一緒にいよう。
ずっと一緒にいれば、俺が死ぬ寸前、かみさんの笑顔を見ることができるだろう。
かみさん亡きあとも、
かみさんはずっと、俺の傍にいたのだということに気づくだろう。

にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

最近、悲しいニュースが多すぎる。

フリーアナウンサーの黒木奈々さんは32歳。
胃癌で亡くなった。

女優の川島なお美さんは54歳。
肝内胆官癌で亡くなった。

タレントの北斗晶さんは48歳。
現在、
乳癌と闘っている。



癌に冒されるということが、
患者の家族にとって、それ以上に患者本人にとって、どれほど恐ろしいことなのか、どれほど悲しいことなのか、俺は知っている。

それまでの平穏な日々は崩壊する。
この世界で一番大切な人を喪ってしまうかもしれない恐怖、絶望、悲しみに打ちひしがれる。

それでも愛する人を守りたい。
そのためなら全てを捨ててもいい。
自分の体力の限界を超えてでも、自分の精神力の限界を超えてでも、愛する人のために尽くす。
川島なお美さんのご主人も、佐々木健介さんも、
そんな日々を過ごしている。

悲しくて、怖くて、
それでも愛する人を守りたい。
愛する人と過ごす一瞬一瞬が愛おしい。
そんな濃密な時間のことは、俺もよく知っている。



テレビのニュースでは、
川島さんと北斗さんのことが頻繁に報じられている。
アナウンサーは悲痛な表情を作っている。

だが、次の瞬間には、
グルメ情報だの、芸能人の熱愛だのを、明るい表情で報じるアナウンサーたち。
誰が癌になろうと、
誰が死んでしまおうと、しょせんは「他人事」なのだろうが、かみさんを亡くした俺は、違和感というか、ある種の「異常さ」を感じざるを得ない。



かみさんが息を引き取った日。
病室の窓から外が見えた。

そこにはジョギングをしている男性の姿が見えた。

かみさんが死んじゃったのに、世間は何事もなかったように、
平穏な日常を送っていた。
俺は思った。
かみさんが死んじゃったのに…
なんで皆、普通に生きてるんだ?
なんで皆、幸せそうに生きてるんだ?

あまりにも理不尽じゃないか。

あの日以来、俺は世界を呪っている。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

9月23日の秋分の日は、お彼岸の中日だ。
例年どおり、
菩提寺で彼岸会法要が行われた。

午前10時からの会、
午後1時からの会。
それぞれに約100人の檀家さんが集まる。

俺はいつものとおり、午前の会に参列した。



正直言って、
法要に参加するのは苦痛だ。
俺を含めた数人を除き、
ほとんどの参列者が「家族づれ」だからだ。

夫婦づれはもちろんのこと、中には二世代の「家族づれ」や三世代の「
家族づれ」も少なくない。
彼らにとっては、法要も墓参りも、「
家族団らん」の一環に過ぎないのたろう。
そこには寂しさも感じられないし、哀しみも見て取ることもできない。
楽しそうに笑っている。

小さな子どもははしゃいだり、駆け回ったり。
親たちは日常の他愛ない会話に華を咲かせる。
法要も墓参りも、
家族で楽しむイベントなのだ。

彼らと俺との落差。
あまりの落差に愕然とする。



お彼岸やお盆のたびに法要に参詣しているせいか、
檀家さんたちの顔もだいたい覚えた。
だが今回、
今までに見かけたことのない参列者がいた。

一人は俺と同世代の男性 (Aさん) 。
両親はおろか、
奥さんもお子さんも同席していない。
独りぼっちの男性だ。

もう一人は女性 (Bさん) 。
おそらく70歳前後だろう。
この人も独りぼっちで参列していた。



Aさんは俺の左斜め前に座っていた。
したがって表情を見て取ることはできなかった。
だが、ご住職がお経をあげている間、Aさんは震えていた。
耳が真っ赤になり、涙を流している様子が、俺の座っている位置から見えた。

Bさんは俺のすぐ左に座っていた。
ご住職がお経を詠んでいる間、Bさんは声をあげて泣き続けていた。
ハンカチで涙をぬぐい、声を殺そうと努めてはいたが、どうしても嗚咽を止めることはできなかったらしい。



おそらく、AさんもBさんも、伴侶を亡くした直後の方なのだろう。
だからこそ、独りぼっちで法要に参加し、泣きながらお経を聴いていたのだろう。

二人を見て、俺は胸が痛くなった。
かみさんが亡くなった直後の俺自身と重なったのだ。



法要やお墓参りでさえ「家族団らん」に過ぎない大多数の人たちの中に、AさんやBさん、そして俺のような「独りぼっち」で伴侶の死を悲しんでいる人がいる。

亡くなった人に想いを馳せ、最愛の人がもうこの世にはいないのだという事実と向き合う。
法要はそういう場であって欲しいと思うのは、俺のワガママなんだろうか。
家族団らんを楽しむ場にして欲しくないというのは、俺のワガママなんだろうか。

そうかもしれない。

だが、あまりにも切ない。
かみさんを想いたい、そういう場で家族の団らんを見せられるのは、本当にやるせない。

伴侶やお子さんを喪えば、遺された者は、どこに行っても孤独にならざるを得ない。
せめて菩提寺での法要の場くらいは、亡くなった人に、心から想いを馳せる場であって欲しいと思っている。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

このページのトップヘ