いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2015年12月

今回の記事は、支離滅裂だ。
文章の構成なんてメチャクチャだ。

ただ、かみさんに伝えたいことがあって、想いつくままに書きなぐった。

・・・

俺は生まれてからずっと、真っ黒で、真っ暗な世界を生きてきた。
生まれた時からずっと、世界が嫌いで、人間が嫌いで、人生が嫌いだった。

周囲の人々と自分の境遇とを比べると、あまりにも違いすぎる。
なんで俺だけ、こんな目に遭うんだろう。
周りのみんなは幸せなのに、なんで俺だけがこんなに苦しいのだろう。

俺は世界を呪い、人間を呪い、人生を呪った。
俺はすべてを破壊したい衝動を抱えつつ、その衝動をひた隠して生きてきた。

友人のうち何人かは、俺がどういう環境で育ってきたのかを知っている。
その人たちが、口をそろえて言う。
「よく、グレなかったね…」
「よく、親を殺さなかったね…」
「よく、マトモな大人になれたね…」

確かにそうだと思う。
よくもグレなかったものだ、よくも親を殺さなかったものだ、よくもマトモな大人になれたものだ。

その理由ははっきりしている。
俺に「人生の転機」があったからだ。
かみさんに出会ったのだ。

・・・

平成2年の春、突然、かみさんは俺の前に現れた。
かみさんと俺が出会う可能性なんて、ほとんど無かったはずなのだ。
他人(ひと)はそれを「偶然」と言うだろう。
だが「偶然」と言い切るには、あまりにも奇跡的な出会いだった。

かみさんとの出会いは俺を変えた。

天真爛漫で、いつでも元気なかみさん。
自分の気持ちに素直で、物怖じせず、何事にも前向きなかみさん。
包容力が豊かでありながら、甘えん坊でもあるかみさん。
世界が大好きで、人間が大好きで、人生が大好きなかみさん。

そんなかみさんが、俺に「光」を見せてくれた。
俺は生まれて初めて「光」を見た。

俺はかみさんの影響を受けたのだろう。
俺も世界が大好きで、人間が大好きで、人生が大好きになった。
かみさんと出会うことが無ければ、俺は今でも真っ暗で、真っ黒な世界を這いずり回っていたに違いない。

かみさんは、俺が世界を、人間を、人生を肯定し、
すべてを受け容れることができるようになったのを見届けた後、死んだ。

・・・

かみさんに伝えたい言葉がある。

容ちゃん、ありがとう。たくさん優しくしてくれて。
まるで母のように、姉のように。

容ちゃん、ありがとう。たくさん甘えてくれて。
まるで娘のように、妹のように。

キミに出会えてよかった。

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12月29日の未明。
俺はかみさんの夢を見た。
残念ながら、夢の内容は覚えていない。

目覚めた瞬間に覚えていたのは、「容ちゃんの夢を見た」、「容ちゃんに逢えた」という記憶だけだった。
たったそれだけのことなのに、俺の心はほのかに暖かかった。



時折、かみさんの夢を見る

そのたびに、俺は暖かく、やわらかく、幸せな気持ちに包まれる。
かみさんの夢を見ただけで、暖かい気持ちになれるなんて、やっぱり俺は、容ちゃんのことが大好きなんだな…と想う。



できることなら、毎日、かみさんの夢を見たい。
できることなら、毎日、かみさんに逢いたい。
それができたら、俺も少しは前向きに生きていけるような気がする。
それができたら、鬱も不安も吹き飛んで、少しは明るい日々を過ごせるかもしれない。

だが、かみさんにだって、都合というものがあるんだろう。
毎日夢に出てきてくれって言われても、かみさんは困ってしまうに違いない。

だから俺は、かみさんが夢に出てきてくれるのを待とう。
たとえ毎日ではないとしても、俺がかみさんを想い続ける限り、かみさんは夢に出てきてくれるだろう。

そして、夢の中で再会したとき、二人は寄り添って、触れ合って、語り合って、笑顔になれるんだ。

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12月28日の昼過ぎ。
俺はメールのチェックをした。
驚いたことに、40通近いメールが送られてきていた。

いたずらか?と思ったのは一瞬のこと。
よく見ると、メールのうち1通は上司(部長)が、その他のメールは俺の部下たちが送ってくれたものだった。

メールには、「課長、お元気ですか?」とか、「課長の職場復帰を心待ちにしています」とか、職場の近況とか、そんなことが記されていた。

会社は今日が御用納め。
きっと、俺へのサプライズとして、会社の部下たちが企画してくれたのだろう。



ふと、気になることがあった。
40通のメールの大半の末尾には、判を押したように、同じことが書かれていたのだ。
「課長も良いお年をお迎えください」

良いお年?
良いお年って、何だ?

あまり深く考えても仕方のないことなのかもしれない。
事実、かみさんが元気だったころは、俺も何気なく「良いお年をお迎えください」という言葉を使っていた。

だが、かみさんが亡くなってから、「良いお年を…」という言葉に軽い反発を覚えてしまうようになったのだ。



良いお年って、何だ?
「来年も良いお年を…」という意味なのだろうか。

だとすれば、俺は反感を覚えざるを得ない。
「来年も」だとしたら、「今年も良い年だった」という意味になってしまうからだ。

かみさんが亡くなってから、「今年は良い年だったなぁ」なんて感じたことは一度だってない。
毎年、哀しい一年を、哀しい一日一日を過ごしてきたからだ。



良いお年をって、何だ?
ひょっとすると、「来年こそは」良い年になりますように…という意味なのだろうか。

年が明けたら、かみさんが生き返っている。
もしそんなことでもあれば、「来年こそは」良い年になるだろう。

だが、そんなことはあり得ない。
来年だって、哀しい一年を、哀しい毎日を過ごすことになるのだ。



あまり深く考えても意味はないのだろう。
部下たちは、何の気なしに「良いお年をお迎えください」と言ってるだけなのだろう。

その何気ない言葉は、ひょっとしたら、俺に対する思いやりの言葉なのかもしれない。
だが、そんな思いやりの言葉さえ、俺の中に素直に入ってこなくなってしまったのだ。

俺はそんな自分が嫌いだ。

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かみさんが俺を迎えに来てくれる日まで、あと何年あるのだろう。
俺の寿命は、いつ尽きるのだろう。

独りぼっちは辛い。
本当に辛い。
寂しくて、悲しくて、どうしようもない。

日本人男性の平均寿命まで生きてしまったとしたら、俺はあと40年近く、独りぼっちで生きていかなければならない。
想像しただけで気が遠くなる。

かみさんと一緒なら、40年なんて、あっという間だったかもしれない。
楽しくて、明るくて、幸せな時間は早く過ぎるからだ。

だが、悲しくて、寂しい時間は、長く感じるものだ。

俺が何より恐れているのは、独りぼっちの暮らしが20年を超えてしまうことだ。
かみさんと一緒に暮らしたのは20年ほど。
二人で一緒に暮らした時間より長く、独りで生きるのは絶対に嫌だ。

20年以内にかみさんは迎えに来てくれるのか。
それとも、男性の平均寿命まで生きてしまうのか。
いずれにしても、長くて虚しい時間だ。

長く辛い旅路。
何もない。
何も見えない。
何も聞こえない。
そんな長い道のりが、俺の前に開けている。

・・・

以前、番外編のブログに「天国からの”お迎え” ~NHKクローズアップ現代より~」という記事を書いた。
人が死に瀕した時、先立って亡くなった人が迎えに来てくれる。
そういう事例について、東北大学社会学部と東北地方の医療チームが研究を進めているそうだ。

この研究結果が本当なのであれば、俺が死ぬ時、かみさんが迎えに来てくれるかもしれない。
俺にとって唯一の希望、それは俺が死ぬ瞬間、かみさんに迎えに来てもらうことだけだ。
他には何一つ望むことなど無い。

だが、それまでには長い時間が待っている。
寂しくて、悲しくて、虚しい時間が待っている。

長くて辛い旅路の果て。
その瞬間、俺にとっての死の瞬間が、至福の瞬間であることだけを望んでいる。

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次の動画は、忌野清志郎の有名な歌 「デイ・ドリーム・ビリーバー」だ。



かみさんが亡くなってから、俺は頭の中で、何度もこの歌を歌っている。
風呂に入っているとき、皿洗いをしているとき、道を歩いているとき…
この歌は、時と場所を選ばず、俺の頭の中に飛び込んでくる。

歌詞の内容が、かみさんとの温かい日々を想い起させるからだろう。
同時に、この歌詞が、俺の心情と一致しているからだろう。

俺の中では、いつでもこの歌が流れている。

・・・

『もう今は 彼女はどこにもいない。朝はやく 目覚ましが鳴っても』

目覚めた瞬間、「あぁ、そうか…。容ちゃんはもういないんだっけ…」と気づき、絶望的な気持ちになる。
そして、「今日も容ちゃんのいない一日が始まるのか…」と想うと、押し潰されそうになる。


『そう いつも彼女と暮らしてきたよ。ケンカしたり、仲直りしたり』

かみさんと俺も、多少のケンカはした。
だが、30分もしないうち、すぐに仲直りした。
そんな風にして、かみさんと俺は一緒に暮らしてきた。


『でもそれは 遠い遠い想い出 日が暮れてテーブルに座っても… ああ今は 彼女 写真の中で 優しい目で僕に微笑む』

孤独なのだ。
日が落ちてテーブルに座り、あまりの静けさに孤独を感じるのだ。
その孤独は耐えがたく、孤独から逃げるため、かみさんの笑顔の写真を見つめながら語りかけたりもするのだ。

・・・

この歌の中では『夢』という言葉が何度も使われている。
『ずっと夢を見て 安心してた』
『ずっと夢を見て 幸せだったな』
『ずっと夢を見て 今も見てる』

最初の『夢』と二番目の『夢』は同じものだろう。
ずっと一緒にいられる、この幸せはずっと続く。
そう信じて疑いもしなかった。
お互いがお互いを必要とし、二人で一緒に年をとっていくことができる。
じいさん、ばあさんになっても笑って生きていける。
その確信が『夢』に過ぎなかった。
そんな意味だろう。

だが三番目の『夢』は何だろう。
二人の幸せだった日々はもう無い。
だったらこの三番目の『夢』は何を意味しているんだろう。

俺の勝手な解釈だが、「また会えると信じること」なんじゃないだろうか。
俺が死んだら「また会えると信じること」、それが心の拠りどころになっている。

そうだ。
この歌は俺の心の拠りどころなのだ。
だからこそ、俺はこの歌を歌い続けるのだ。

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