いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2016年04月

かつて、かみさんが俺に聞いた。
「プーちゃん、私がもし先に死んじゃったらどうする?」

俺は応えた。
「仕事、やる気無くなっちゃって、廃人になっちゃうかもね」

この会話については、以前にも、このブログで触れた。

・・・

かみさんは俺を置いて、先に逝ってしまった。
もし先に死んじゃったら…という仮定が、現実になってしまった。

案の定と言うべきだろうか、俺は廃人になってしまった。
今の俺は「ろくでなし」だ。

・・・

悲嘆や鬱、不安感、睡眠障害などが原因で、通算
3年以上も会社を休職してしまった。
その間、俺は酒に溺れた。
仏壇の前に座り、朝から晩まで酒を飲み続けた。
飲み続けては嘔吐し、それでも飲み続けた。
ろくに食事も取らず、一週間に一度くらいしか風呂に入らず、最低限の外出しかしなかった。
一日中、誰とも会話をしない日々が続いた。

そんな生活を続けた結果、全身の筋肉は落ち、肝機能や腎機能は低下し、精神の運動(心の躍動感みたいなもの)も鈍くなってしまった。

会社に復帰してからは、毎日風呂に入るようにはなったし、食事も一日に二回は取るようになったが、明らかに以前の俺とは違う。
笑えないのだ。
しゃべれないのだ。
心が弾まないのだ。

かみさんが元気だった頃は、いつでも笑っていたはずだ。
おしゃべりだって大好きだったはずだ。
心はいつでも躍動していたはずだ。

だが、かつての俺は、もういない。

・・・

朝起き上がり、かみさんのいない現実に向き合うのがつらい。
スーツに着替えるのも億劫だ。
このまま一日中ひきこもっていたい、現実に関わりたくないという衝動を抑えきれず、会社を休んでしまったことも何度かある。

今の俺は、単なる「ろくでなし」だ。
そんな自分が嫌になる。
この自己嫌悪とともに、心身が消滅してしまえばいい。
本気でそう願うものの、そんな望みがかなうはずもない。

・・・

闘病中、かみさんが言った。
「プーちゃんを遺して死にたくない!」
「プーちゃんを遺して死ぬのは嫌だ!」

かみさんの言葉は、死の恐怖から出たものではない。
俺を独りぼっちにするわけにはいかない、独りぼっちになったら俺が「ろくでなし」になってしまう、だから、俺を独り遺して死ねない、そういう想いを表現してくれたんだと思う。

人間の死後も、魂が生き続けるのかどうかはわからない。
だが、もしも魂が生き続けているのだとしたら、かみさんは俺を見て心配していることだろう。
かみさんは心を痛めていることだろう。

こんなんじゃダメだ。
いつまでも「ろくでなし」でいるわけにはいかない。

かみさんを安心させてあげるため、かみさんの笑顔を取り戻すため、俺は「ろくでなし」から脱け出さなくてはならない。


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どうしてだろう。
毎朝同じことの繰り返しだ。
朝が来て、目覚めた瞬間、俺は落ちる。

就寝前には少しばかり気分が楽になっていたとしても、翌朝目覚めれば、俺は真っ暗闇の、深い穴の中にいる。

かみさんが死んじゃって悲しい。
かみさんがいなくて寂しい。
生きていることが虚しい。

かみさんが亡くなって数年が経つ。
それにもかかわらず、毎朝同じ気分が、判で押したように俺を襲う。

これらのことについては、何度かこのブログに書いてきた。

・・・

このブログにコメントを下さる方々の中にも、朝が一番つらいという人は少なくない。
SNSや掲示板等でも同じような書き込みを見つけることがある。

だとすれば、朝目覚めた直後の「この感覚」は、伴侶やお子さんを亡くした人々が、必ず経験するものなのかもしれない。
この世界で一番大切な人を喪った人々が、みんな「この感覚」に苦しみつつ生きているのかもしれない。

「この感覚」に苦しみながら、それでも歯を食いしばって生きている人々。
それらの人々が、どうやって「この感覚」をやり過ごしているのか、どうやって人生をやり過ごしているのか、生の声を伺ってみたい気がする。

・・・

悲しみや寂しさを抱えていても、それらと共存しながら生きていくことはできるのかもしれない。
悲しみや寂しさに押し潰され、ごく普通の日常を送ることさえ辛いと感じつつ、それでも必死で一歩を踏み出すことはできるのかもしれない。

もちろん、悲しみや寂しさが湧き上がる中、それでも普通の暮らしをするのは容易なことではない。
悲しみや寂しさは、心を重くする。
その重たい心が、身体の動きを封じてしまうことだってあるだろう。

だが、それでも。
悲しみや寂しさを大切にしつつ、人生を全うしようとすることだってできるのかもしれない。

だが、虚しさは、悲しみや寂しさとは質が違うような気がする。
自分が生きていることに対する虚しさ、余生に意味が見いだせない虚しさは耐えがたい。

それに抗うには膨大なエネルギーを必要とするのだ。
ただでさえ枯渇したエネルギーを絞り出し、悲鳴をあげる心と身体に鞭を打って、日々の生活を送らなければならない。

あまりにも苦痛だ。

悲しくてもいい、寂しくてもいい。
だがせめて、この虚しさだけはどうにかならないものだろうか。


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426日の午後10時ごろ。
俺はいつもの通り、睡眠薬を飲み、早めに床に就いた。

その後、俺はかみさんの夢を見た。

夢から覚めて、時計を確認すると、午前
03分。
日付が
426日から27日に変わった直後だった。

4
27日。
かみさんの月命日だ。

・・・

夢の中、かみさんと俺は「追いかけっこ」をしていた。

かみさんは俺の右斜め前を走っていた。
遠く離れた場所を走っているのではなく、俺のすぐそばにかみさんがいた。
俺が軽く手を伸ばせば、かみさんの肩に触れることができるほどの距離だ。

かみさんは楽しそうに笑っていた。
かみさんは俺から逃げているというよりも、俺に追いかけられることを楽しんでいるかのようだった。

俺もかみさんを追いかけていることを楽しんでいた。
かみさんが俺のすぐそばにいること、そして何よりも、二人が同じ方向に向かっていること、そのことが嬉しくて、楽しかったのだ。

夢の中、俺は思った。
いつか絶対に、かみさんをつかまえてみせると思ったのだ。

同時に俺は、いつか絶対に、かみさんをつかまえることができると確信していたのだ。

目覚めた直後、とても穏やかで、温かな気持ちだった。

・・・

俺は今でもかみさんを追い求めている。
かみさんを探している。

想い続ければ、いずれきっと、また会える。

夢の中で抱いた確信、「いつか絶対に、かみさんをつかまえることができる」という確信。
この確信は間違っていないのかもしれない。

想い続ければ、いつの日か、必ず会えるんだ。
そう想いたい。


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今年もまた、426がやってきた。

2010年の4
26日。
かみさんが癌と診断された。

そして、わずか
2か月後の2010627日。
かみさんは息を引き取った。

この
2か月間。
かみさんを喪ってしまうかもしれないという予期悲嘆に押し潰されそうだった。
だが、かみさんを不安や死の恐怖から守りたくて、無理やり笑顔を作り、予期悲嘆を抑圧し続けた。

かみさんを安心させてあげたくて、かみさんの傍に寄り添い続けた。
たぶん、一緒に暮らした
20年あまりの中で、かみさんと俺との関係が、最も濃密になった日々だ。

俺にとって、この世界で一番大切なものは、かみさんなんだと改めて認識した。
俺たちは夫婦なんだということを再確認した日々だった。

怖かった。つらかった。
だけど、愛おしかった。
そんな
2か月間だった。

あれ以来、毎年
426日から627日まで2か月間、俺の心はザワつく。
この
2か月間に限らず、いつだってザワついてるじゃん!と突っ込まれそうだが、この2か月間はやはり特別なのだ。

つらかった。怖かった、だけど、愛おしかった
2か月間。
この
2か月間の記憶は俺の心身に深く刻み込まれている。

その記憶が俺の心をザワつかせる。
心臓が早鐘を打つ。脂汗が出てくる。身体が震える。不安が蘇ってくる。

だけど、こんなことじゃダメだ!とも思うんだ。

あの
2か月間、かみさんは病と闘ってくれた。
俺のために、かみさんは頑張ってくれた。

俺を遺して死ねないと言ったかみさん。
俺のために生きようとしてくれたかみさん。

その強い意志を想うとき、俺もかみさんのために頑張らなきゃいけないな…と思ったりもするのだ。

昨日は
426日だった。
この特別な
2か月間が、また始まった。

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かみさんが元気だった頃。
俺はかみさんのことを、ほんの一瞬忘れることができた。
会社で仕事に集中しているときや、会社の同僚や部下と飲み会をしているときなどだ。

とは言いつつも、仕事に集中しながら、ふとかみさんのことを想い出し、「容ちゃん、今頃何してるかなぁ…」なんて考えることもあったし、飲み会の場で、ふとかみさんのことを想い出し、「容ちゃんに叱られないように飲みすぎないようにしなきゃ」なんて思ったりもしたのだが、それでもほんのわずかな時間、かみさんのことを忘れることができた。

だが、かみさんが亡くなって以来、俺はかみさんを忘れることができない。
眠っている間以外、四六時中かみさんのことを想い、かみさんのことを考えている。
かみさんのことを考えれば寂しいし、かみさんのことを想えば哀しいのだが、それでもかみさんを想わざるを得ない。

なんで俺は、こんなふうになってしまったんだろう。

・・・

かみさんが元気だった頃、「家に帰れば、容ちゃんが待ってる」という確信が、俺に安心感を与えてくれた。
その安心感のおかげで、俺は自由に飛び回ることができた。
まるで、かみさんに糸の端をしっかりと握ってもらっている凧(タコ)のように、俺は自由に飛び回ることができたのだ。

家庭がある、家族がいる、俺にも愛する人がいるという確信があれば、人は自由に飛び回ることができる。
逆説的だが、自分にも帰れる場所がある、待ってくれている人がいるという確信があれば、人はほんの一瞬、自分の家庭のことを忘れ、仕事や友人との付き合いに集中できるものなのかもしれない。

・・・

今の俺には家庭が無い、家族がいない。
かみさんは死んじゃった。

まるで糸の切れた凧みたいだ。
帰れる場所が無い、待っていてくれる人がいないという事実。

おそらく、いつでも、どこでも、かみさんのことを考えているのは、世界中のどこを探しても、かみさんがいないからだ。
かみさんがいてくれたからこそ、かみさんのことを忘れることもできたのに、今ではかみさんがいないから、かみさんのことをいつでも考え、想っている。

なんだか意味不明な文章になってしまったが、かみさんがいないから、いつでもかみさんのことを想っているという考え方は、妙に俺を納得させるのだ。


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