いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2016年06月

627日の月曜日。
かみさんの祥月命日だった。

俺は事前に有給休暇の申請をしておいて、この日は会社を休んだ。
何ものにも邪魔されず、すべての雑音を排除し、あらゆる雑事から解放されて、俺はかみさんに想いを馳せていたかったのだ。

友人の中には、「他の日に休んでもいいけど、かえって祥月命日は出社した方がいいんじゃないかな…。そのほうが心が乱れずに済むんじゃないかな」という趣旨のことを言ってくれる人もいたし、それも一理あるかな…とも思ったが、やはり俺は、かみさんを想って一日を過ごしたかったのだ。

・・・

朝起きて、俺はかみさんに線香を手向け、お供えをした。
そして、仏壇の前に座り、焼酎をチビチビと飲みながら、かみさんの遺影をぼんやりと見つめていた。

すると、俺の意思とは無関係に、様々な想い出が蘇ってきた。

想い出そうとしていたわけじゃない。
なのに、たくさんの想い出が、次から次へと脳裏に浮かんでくる。

闘病中の、悲しくて、辛くて、怖かった想い出ではない。
かみさんと俺が過ごしてきた、楽しくて、やわらかくて、あたたかい日々の想い出ばかりだ。

出会ったときのこと、
一緒に暮らし始めた頃のこと、
日常の他愛ない会話と笑顔、
旅行に行ったり、散歩をしたりしながら二人で見た風景、
二人で一緒に囲んだ食卓、
出会ってから一緒に暮らした
20年余りの想い出は、数え上げればキリがない。

走馬灯のように蘇ってくる想い出に、俺は身を委ねていた。
想い出しているのは過去の記憶のはずなのに、まるで、今ここにある現実であるかのような感覚だった。

ふとした瞬間、俺は自分が笑顔になっていることに気づいた。
今ここにある現実と錯覚してしまうほどのリアルな想い出は、あまりにもあたたかい。

俺は幸せだった。
かみさんが、今ここにいると感じた。


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先日の記事に書いた通り、625日の土曜日、かみさんの七回忌法要を終えた。

法要が終わって数日が経ち、俺は自分自身の変化に気づいた。
どうやら俺は、燃え尽きてしまったらしい。

何もやる気がしない。
何もかもが億劫だ。
会社に行く気もしない(行くけど)、食事をするのも面倒だし、風呂に入るのも鬱陶しい(入るけど)。

今年の
1月から七回忌の準備をしてきたが、その間、それなりに気が張っていたのだろうか。
自分では気づかなかったが、それなりに緊張もしていたのだろうか。

振り返ってみれば、毎年かみさんの命日が過ぎた頃になると、俺は燃え尽きてしまう、そんなことを繰り返してきた。
一周忌や三回忌だけでなく、毎年かみさんの命日には法事をしてきたが、それが過ぎると気が抜けてしまうのだ。

たぶん、やるべきことをやり終えたという安堵の想いとともに、もう俺のやるべきことなど何もないという、ある種の絶望的な気持ちになるのだ。

そうだ。
もう俺のやるべきことなど何もない。
やらなきゃならないことなど何ひとつない。

もちろんこれからも、毎日かみさんにお供えをしてあげたいし、線香を手向けてあげたいし、かみさんの好きだったテレビ番組は、かみさんの写真をテレビの画面に向けて見せてあげたい。
月命日には、かみさんのお位牌と一緒に食事に出かけたりしたい。
俺が生きている限り、かみさんに想いを馳せ、かみさんを供養してあげたい。

だけどさ。
もういいかげん、お迎えに来てくれてもいいんじゃないか。
かみさんを想うこと以外に何もやるべきことがない、あまりにも空虚で、あまりにも張り合いがなくて、あまりにも悲しいのだ。

こんな余生がまだまだ続くことを想像すると、暗澹たる思いがする。

だからさ。
もうそろそろ、お迎えに来てくれてもいいんじゃないか。
俺はもう、やるべきことは、すべてやり終えたはずなんだ。


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今日627日は、かみさんの祥月命日だ。
一昨日の土曜日には、七回忌の法要も無事に終わらせることができた。
参列してくれた義母や義弟たちも北海道に帰って行った。
俺は今、ひとりパソコンの前でこの記事を書いている。

あの日から、今日で満
6年。
もう
6年も経つんだね…と言われることが多い。

だが俺には、
6年も経ったという実感がない。
あっという間の
6年だった。

6
年前と比べれば、白髪が増えたし、ずいぶんと痩せた。
激しい悲しみが心身の中心から噴き出し、夜から朝まで一晩中、泣き叫び続けるということはなくなった。
また、泣きながら自宅の中を徘徊したり、かみさんの遺品が目に入った瞬間、涙が溢れてしまうということもなくなった。
確かに時間は経過しているということだろう。

なのに、「
6年も」という言葉には違和感を覚えざるを得ない。
まるで何もかもが昨日のことのようだ。

これから
10年が経っても、20年が経っても、かみさんの死は、「今ここにある現実」なのだと想う。
たぶん、あの瞬間、俺の中の時間の感覚が狂ってしまったんだろう。

この
6年間。
悲しくて、寂しいだけだった。
悲しみや寂しさ以外の感情に触れることがなかった。
最愛の人を喪う悲しみには、大きな質量があり、その重さに苦しめられてきた。
心にポッカリと開いた空洞や、周囲の世界に対する現実感の無さに当惑し続けた。
人生に絶望し、お迎えを待ち続けた。
もう二度と、この世では会えないと分かっていながら、それでもずっと、かみさんのことが大好きで、かみさんを求め続けた。

本当に、あっという間の
6年だった。

・・・

6
年前の今日。

息を引き取る少し前、かみさんは朦朧とした意識の中で、「みんな、みんな一緒」とつぶやいた。
そして、にっこりと笑った。

かみさんはあの時、何を見ていたのだろう。
誰と誰が「一緒」なのだろう。「みんな、みんな一緒」って、どういう意味なんだろう。

その後、かみさんは息を引き取った。
かみさんは神々しい笑顔を浮かべていた。
かみさんの全身が透きとおり、全身が輝いているように見えた。
美しかった。

ときおり、あの光景を想い出す。
そのたびに、俺はまた、かみさんに会えるだろうと想うんだ。
何の根拠もありはしないのに、あの光景を想い出すたび、かみさんは今でも生きていると想うんだ。


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かみさんが入院中、
俺は看護士さんたちから頻繁に言われた。

「旦那さん、頑張りすぎないでください」
「そんなに無茶をしてると、旦那さんが倒れちゃいますよ」

・・・

俺はほとんど毎日、早朝から夜9時頃まで、かみさんに付き添っていた。

かみさんと他愛ない会話をしたり
病院内の庭園を二人で散歩したり、
かみさんの食事の手伝いをしたり、
かみさんのパジャマや下着を洗濯したり、
かみさんが食べたがっている物を買いに行ったり。

かみさんが眠っている間は、
かみさんの髪を撫でたり、
かみさんの手を握ったり、
浮腫みが酷くなってきたかみさんの脚をマッサージしたり。

ある時期からは、かみさんを個室に移してもらい、
俺は24時間、かみさんに付き添い、
夜中に目を覚ますかみさんをウチワで扇いであげたり、
冷たいお茶を飲ませてあげたり。

常に緊張に晒され、精神的にも肉体的にも、疲労は極限に達していた。
今振り返って思えば、よくも倒れなかったものだと思う。

だが、かみさんの傍にいてあげること、
かみさんに寄り添い続けてあげることが何よりも大切なことだったのだ。

俺が傍にいれば、かみさんが安心する。
俺は、かみさんを安心させてあげたかったのだ。

・・・

不思議なもので、かみさんのためなら、いくらでも力が湧いてきた。
俺自身のためだったら、俺はあんなに頑張ることはできなかったはずだ。

自分自身のためだったら、「この程度でいいか…」なんて思ったりして、
中途半端に投げ出していたかもしれない。

かみさんのためだ、かみさんを守りたい。
その想いが、俺に限界を超える力を与えてくれた。

人間って、そんなものなんだろう。
愛する人のためなら、自分の限界を超えた力を出すことができる。
自分の精神力や体力の限界も顧みず、
ただ愛する人のために力を振り絞ることができるものなんだろう。

・・・

「頑張りすぎないでください」
看護士さんたちは、そう言った。

だが「頑張りすぎ」て良かったと思う。

もし「頑張りすぎ」ていなかったら…
中途半端に投げ出していたら…
俺はきっと、今でも後悔に苛まれていたことだろう。

かみさんの病気に気づいてあげられなかったこと、
かみさんを守れなかった、助けてあげられなかったこと、
様々な後悔を抱えてはいるが、
少なくとも、「もっと頑張ってあげていたら…」という気持ちを抱くことはない。

「頑張りすぎて良かったんだ…」
そう思えることは、わずかながら救いになっている。

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かみさんが亡くなって以来、一周忌や三回忌の年忌法要はもちろんのこと、毎年の祥月命日(627日)には法事を行ってきた。
参列者は、義母と
2人の義弟、そして俺の4人だけだ。
一周忌法要の際、義母が「
4人だけで寂しいねぇ…」と言ってはいたが、俺はこの4人でかみさんを偲びたい。

理由は二つある。

ひとつは、かみさんの親戚に上京してもらうのが申し訳ないのだ。
かみさんの親戚は、ほとんどが北海道に在住している。
みんな優しい人たちなので、容子の法事をするから東京に来てくださいとお願いすれば、東京に来てくれるだろう。
だが、高齢の人も多いし、仕事を休んでまで来てもらうのは申し訳ないような気がするのだ。

もうひとつの理由は、俺の親戚を呼びたくないのだ。
俺の親戚は、全員関東地方に住んではいるし、容子の法事をするから…と言えば来てはくれるだろう。
だが、俺の親戚は、誰一人として、かみさんの死を悼んではいない。
事実、かみさんの通夜や告別式の時も、俺や義母たちが悲しんでいる横で、俺の親戚たちはドンチャン騒ぎをしていた。
あのときの不快な気持ちが忘れられないのだ。

かみさんの死を、本気で悲しんでくれる人だけ参列してくれればいい。
そんな俺の気持ちを分かってくれた義母と義弟。
4人でお寺に行き、お経をあげてもらい、お焼香をし、墓参りをする。
そんな法事のあり方も、今ではすっかり板についた。

・・・

一周忌の法要以来、毎年
627日に法事をしてきた。
だが、今年の七回忌法要は、今日
625日に行うことになった。
627日は平日で、義弟が会社を休むことができなかったのだ。

俺は今日この日のために、
1月の中旬から時間をかけて準備をしてきた。
ご住職の日程の確保、お塔婆を作ってもらうようお願いすること、喪服のクリーニング、祭壇にお供えする花や果物等を買うこと、法事の後の会食の場の予約などなど…
624日の金曜日には、義母や義弟が上京してくれた。
これで準備は万端だ。

・・・

かみさんが元気だった頃。
俺よりも、かみさんの方が長生きすると信じていた。
俺がかみさんを看取るなんて想像したこともなかった。
かみさんの告別式の喪主になり、かみさんを荼毘に付すことになるなんて想像したこともなかった。
かみさんの法事の施主になるなんて思ってもみなかった。

毎年の法事の際、必ず想い出すことがある。
荼毘に付された後、骨壺に収められ、小さくなってしまったかみさん。
俺は小さくなってしまったかみさんを抱きしめた。
まだ温かかった。
あのときの何とも言えない切ない気持ち、かみさんがかわいそうで、かわいそうで、俺は泣いた。

そのときのことを想い出すのだ。

・・・

6
25日の七回忌。
2日後の627日で満6年になる。

俺は今でも、かみさんのことが忘れられない。


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