いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2016年08月

かみさんが元気だった頃、俺は仕事が好きだった。
まるでゲームを楽しむかのような感覚で仕事をこなしてきた。

だが、かみさんが亡くなってから、あれほど好きだった仕事もやる気が起こらない。
課長として最低限の仕事を機械的にこなすだけだ。
面白くもなければ、楽しくもない。

会社にいて、大勢の幸せそうな人々に囲まれている、そのことが苦痛で仕方がない。
周囲の人々の楽しそうな笑顔や声が、俺の胸を抉るのだ。
世界と調和している人々の、憂いのない表情が俺の心を抉るのだ。

早く仕事から解放されたい、早く退社時間になって欲しい、そればかり考えて一日を過ごしている。

だからと言って、自宅なら居心地がいいというわけでもない。
家に帰ったって、かみさんはいない。
家に帰ったって、かみさんが俺を待っているわけじゃない。

玄関を開けた瞬間、家の中が真っ暗であることに気づく。
家の中に、人の気配がないことに気づく。
そのたびに、かみさんの不在を再確認し、とてつもない悲しみに襲われる。

かみさんのいない自宅に帰っても、やりたいことがあるわけでもなく、他愛ない会話をする相手がいるわけでもなく、一緒に食事をする相手がいるわけでもない。
あまりにも寂しい、あまりにも虚しい。

会社にいても苦痛だが、自宅にいたって苦痛なのだ。

・・・

俺にはもはや、安息の場所はない。
どこにいたって、そこは自分のいるべき場所ではないと感じる。
ここは違う、ここは俺の居場所じゃない、俺の心がそう叫ぶ。
どこにいたって、何かがズレているのだ。

俺はいつだって悲しいし、いつだって寂しい。
俺はいつだってかみさんを探している。

だが、どこを彷徨っても、かみさんはいないんだ。
この世のどこを探しても、かみさんはいないんだ。

俺にとっての安息の場所。
それは、かみさんのいる世界だ。

もう手に入らないことは理解している。
だが、それでも。
俺は、かみさんを探し続けるんだ。
かみさんのいる世界を探し続けるんだ。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

そうだ。
俺はずっと夢を見てたんだ。

かみさんと俺との暮らし、永遠に続くと思っていた。
いつかは死別するとしても、それは遠い将来のことだと思っていた。

幸せで、穏やかで、笑顔の絶えない暮らしが続くんだと信じて疑わなかった。
かみさんは、ずっと俺の横にいてくれると信じて疑わなかった。
じいさん、ばあさんになるまで寄り添って生きていくんだと信じて疑わなかった。

だが、その確信は、何の根拠もない夢に過ぎなかった。

・・・

かみさんが癌と診断された日
、その夢に亀裂が入った。
それでも俺たちは、平穏だった日々を取り戻そうとした。
できることは何でもした。
癌を克服し、幸せで憂いのない日常を取り戻そうとした。
かみさんは、「プーちゃん、これからもずっと横にいてね」、「これからもずっと一緒にいてね」と言ってくれた。

それなのに。約
2か月後の2010627日。
かみさんは逝った。
俺が
20年以上にわたって見ていた夢は、その日、終わりを遂げた。

・・・

俺は、ずっと夢を見てただけなんだ。
ずっと夢を見て、安心してただけなんだ。

かみさんと一緒にいた頃、俺は自分の将来に、こんな「生き地獄」が待っているなんて思ってもいなかった。

かみさん亡き後の俺の余生、これこそが夢であって欲しい。
そうだ。
今見ているのは悪夢だ。
とても長い悪夢だが、それもいつかは覚めるだろう。

この悪夢が一日でも早く覚めてくれることを願う。



にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

俺が16歳の時、父親が死んだ。
突然死だった。

その時、俺は泣いた。
父親の亡骸の傍で泣いた。
通夜で泣いた。
告別式で泣いた。
父親の亡骸が火葬炉に入った瞬間、泣いた。

かみさんと出会う前、俺が泣いたのは、この時が最後だった。
だから俺は、かみさんに涙を見せたことが無かった。

一方で、かみさんはよく泣いた。
悲しい映画やドラマを見ると、かみさんはいつも泣いていた。

そんなかみさんを見た俺は、「よし、よし」と言いながらかみさんの髪を撫でた。
するとかみさんは、「うん、うん」と頷いていた。
そして照れくさそうに、「えへへ。プーちゃん、ありがと…」なんて言っていたものだ。

・・・


俺が初めてかみさんに涙を見せたのは、平成
22515日のこと

かみさんの闘病中だった。
かみさんの腫れた肝臓を見て、俺はたまらず泣いてしまった。

俺は今でも、あの時の涙を後悔している。
俺が泣いたら、かみさんを不安にさせてしまう。
かみさんを死の恐怖から守り、必ず病気は治るんだと信じてもらうには、俺が涙を見せてはいけなかったのだ。
俺は馬鹿野郎だ。

・・・

かみさんが亡くなった日。
俺は泣かなかった。

急性パニック障害だったのかもしれないし、たくさんの弔問客の応対に忙しかったからかもしれないし、葬儀会社との打ち合わせに時間を取られたからかもしれない。

その日の晩、俺はかみさんの亡骸の横に布団を敷き、かみさんに添い寝をした。

・・・

翌日。
目覚めると、俺の横にかみさんがいた。
かみさんの顔には白い布が被せられていた。
その布を取ると、かみさんの死に顔があった。

かみさんは笑顔を浮かべていた。
あまりにも神々しい笑顔だ。

その笑顔を見た瞬間だった。
俺はとうとう耐えられなくなった。
号泣した。
泣きじゃくった。
「容ちゃん!一緒に逝こう!一緒に逝こう!」と叫び、かつ泣きじゃくった。

・・・

あの日以来、俺の涙腺は決壊した。
ふとした瞬間に涙がこぼれてしまう。

かみさんを想って泣くときもある。
寂しくて泣くときもある。

だが、それだけじゃない。
ドラマを見ていたり、ニュースを見ていたり、きっかけは様々だが、突然涙腺が緩んでしまう。
誰かが事故や虐待などで死んだとか、あるいは人の優しさに触れたとか、たぶん、そんな時に涙が出るんだろう。

まあ、どうでもいい。
どんなきっかけで涙を流そうと、そこには必ずかみさんの影がある。
かみさんの気配のないところに涙は無いのだ。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

俺はいつだって悲しいし、いつだって寂しい。
かみさんが亡くなってから、俺はかつてとは別人になってしまった。
あんなに明るかったのに、あんなに元気だったのに、今の俺はいつだって鬱状態だ。

そんな俺でも、会社にいるときくらいは“仮面”を被る。
心も身体も重たくて、頭の片隅ではいつでもかみさんを想って悲しんでいるが、会社にいるときくらいは「明るい課長さん」、「元気な課長さん」のフリをする。

この“仮面”は俺を疲弊させる。
本当は悲しいのに、本当は心が重たいのに、無理して被っている“仮面”だ。
仕事を終えて会社を出た瞬間、“仮面”を脱ぐと、ドッと疲労が襲ってくる。
帰宅すると、その日一日「明るい課長さん」を演じたことに疲れ切ってしまい、しばらく動くこともできない。

この疲労感は耐えがたい。
激しい運動をしたわけでもないのに、呼吸は乱れ、全身から力が抜けてしまう。

本当は“仮面”なんか被りたくはないが、死にたくても死ねないなら、人と関わっていかなければならないし、他人と関わる以上、“仮面”は必要だ。

・・・

8
25日の木曜日。
会社での仕事中、何のきっかけもないのに、突然、“仮面”に亀裂が入ってしまった。

かみさんに会いたくて、無性に泣きたくなったのだ。
かみさんに会いたくて、無性に寂しくなったのだ。

だが、部下の前で泣き叫ぶわけにもいかないし、寂しがっている姿を見せるわけにもいかない。
俺は抗鬱剤を飲み、席を外し、喫煙室に逃げ込んだ。
タバコを
1本吸ってみたが、泣きたい衝動、寂しい想いは治まらない。
俺は本社ビルの中をうろうろと徘徊し、寂しさが治まるのを待った。

結局この日、帰宅するまで、泣きたい、寂しいという気持ちが治まることはなかった。

・・・

伴侶やお子さんと死別した方々の話を聞いていると、「仕事に集中している間だけは多少、気が紛れた」という言葉を耳にすることが多い。
本来はそうあるべきなのだろう。

だが、俺はダメな奴だ。
会社にいても、仕事に集中していても、俺の頭の中は、かみさんでいっぱいだ。
かみさんがいなくて悲しいし、寂しい。
その想いが他人からは見えないよう、必死で抑圧するのだが、ときおり“仮面”に亀裂が入ってしまう。

ほんと…
俺ってダメな奴だ。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

先日、“KAZU爺”さんという方からコメントを頂いた。
KAZU爺さんは、今年の
215日に最愛の奥様を亡くされた。
奥さまとの死別から、まだ半年ちょっと。
日々、涙を流しつつ暮らしていらっしゃるそうだ。

あの止めどもなく流れる涙、身を引き裂かれるような激しい悲しみ、最愛の人に遺されてしまった深い孤独感、守ってあげられなかった後悔や罪悪感…
最愛の伴侶を喪った直後のあの感覚は、俺もよく知っている。

そのKAZU爺さんが、このブログのコメント欄に次のような句を書き込んでくださった。

君が亡き
明日はいらぬと 眠れども また目が覚めし 暁のころ

・・・

毎晩、眠りに落ちる前、俺は死を願う。
かみさんが亡くなって以来、一日も欠かすことなく、俺は死を願いつつ眠りに落ちる。

明日の朝、目が覚めないでほしい。
眠ったまま死んでしまえたら楽になる。
俺は強く死を願いつつ、床に入る。
明日なんかいらない、未来なんかいらない。かみさんのいない世界なんかいらない。

だが、明日は必ず来てしまう。
心の底から死を願っているのに、朝は必ずやってくる。

そして絶望するのだ。
眠っている間に死ねなかったことに絶望するのだ。
希望もない、意味もない、価値もない朝を迎えて絶望するのだ。
かみさんの不在を確認し、かみさんのいない世界で、いまだに俺が生きていることに絶望するのだ。

こんなに悲しいのに、こんなに寂しいのに、こんなに苦しいのに、朝は必ずやってくる。
そして朝は、俺を奈落の底に突き落とす。

毎朝この繰り返しだ。
いくらなんでも辛すぎる。
もういいかげん、解放してほしい。

かみさんのいない世界で朝を迎えるのは、俺にとって辛すぎて、苦しすぎるのだ。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

このページのトップヘ