いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2016年09月

今の会社に入って3年目以降、俺はいつも疲れていたような記憶がある。
とりわけ、平成
9年度から16年度までと、平成19年度から21年度までは、毎日の仕事が辛くて疲れ切っていた。
半端じゃなく残業の多い部署、困難業務をこなさなければならない部署、そんな部署ばかりにいたせいで、俺は毎晩、疲労困憊で帰宅していた。

それでも俺は、耐えてくることができた。頑張ってくることができた。
耐えること、頑張ることに生きがいを感じたりもしていたものだ。

それはみな、かみさんのおかげだ。
かみさんがいてくれたから、俺は頑張ってくることができたのだ。

かみさんが俺を支えてくれた。
疲れ切って帰宅する俺を気遣って、あらかじめ風呂を入れておいてくれたり、入浴後にマッサージをしてくれたり、昼休みに少しでも昼寝ができるよう、毎日“愛妻弁当”を持たせてくれたりした。
土日や祭日、俺は自宅で仕事をすることもあったが、そんなとき、かみさんは俺が仕事をしながら食事ができるよう、サンドイッチを作ってくれたり、さりげなくコーヒーやハーブ・ティーを淹れてくれたり、俺が休憩しやすいように、ソファに枕やクッションを山積みにしておいてくれたりした。
そして何よりも、かみさんの笑顔が俺を癒してくれた。

それだけじゃない。
かみさんの存在自体が俺に力を与えてくれたのだ。
かみさんがいる、ただそれだけの事実が俺に力を与えてくれたのだ。
かみさんが俺を守ってくれたように、俺もかみさんを守りたい、その想いが俺に訳の分からない力を与えてくれていたのだ。

守りたいモノがある人間は強い。
俺はかみさんを守りたかった。
だからこそ、あれだけの力を発揮することができたんだろうし、耐えること、頑張ることに生きがいを感じることさえできたのだろう。

・・・

ここ最近、体調が悪い。
アルコール性肝障害の症状が悪化しているんだろうか、疲労感・倦怠感が半端じゃない。
まるでインフルエンザで高熱を出した時みたいだ。
朝目覚めた瞬間から全身がダルい。

そんな重たい身体を引きずって出社するのは、とてもしんどい。
会社を休んでしまおうか…と思うことも頻繁にある。
それでも俺は、フラフラになりながらも出勤している(当たり前か…)。

だが、頑張って耐え続けることが虚しい。
俺は何のために耐えているんだろう、何のために頑張っているんだろう。
かみさんはもういないんだ。俺には守るべきモノ、守りたいモノなんて何もないんだ。

そんなことを考えていると、自分が馬鹿に思えてくる。
あまりにも虚しい作業を繰り返す自分が馬鹿みたいだ。

・・・

守るべきモノがないのに頑張り続けること。
守りたいモノがないのに、ただ独り、自分のためだけに耐え続けること。
人間にとって、これほど難しいことはないんじゃないだろうか。
人は決して自分だけのために生きているわけじゃないんだから。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

昨日の記事に書いた通り、927日はかみさんの月命日だった。
この日、会社から帰宅した俺は、いつものとおり、かみさんにお供えをし、線香を手向けた。

その直後、俺は鬱と無気力に襲われた。
身体を動かすことができなくなってしまったのだ。
仏壇の横にノート・パソコンを置き、メールを読んだり、ブログの記事を書きつつも、俺は茫然として座り込んでいた。

仏壇の前から動けない。
夕飯を食べる気力も無く、せめてシャワーを浴びたいとは思うものの、風呂場に行く気力も無い。
俺はパソコンの画面を眺めつつ、焼酎を浴びるように飲んでいた。

ひょっとすると、「命日反応」だったのかもしれない。

・・・

俺は睡眠導入剤を飲んで床に就いた。
焼酎を大量に飲んでしまったせいだろうか、薬はすぐに効いて、俺は眠りに落ちた。

いつものことだが、この日も夜中に目が覚めた。
時計を確認すると、日付は変わって
928日、午前257分だった。
俺はトイレで用を足し、再び床に就いた。

次に目が覚めたのは、午前
511分。
夜明けが近づいている。
だが、出勤の準備をするには早すぎる。
俺はもう少しだけ寝ようとし、目を閉じた。

その後は熟睡できなかった。
半分覚醒していているような、半分眠っているような、ぼんやりとした意識の中にいた。

その半覚醒状態の中。
俺はかみさんを見た、かみさんに会った。
いや、「見た」とか「会った」というのは正確ではないかもしれない。
かみさんとひとつになった、と言えばいいだろうか。
あの不思議な感覚をどう表現したらいいのか分からない。

しばらくすると、かみさんは俺から離れていった。
だが、今度は俺の方からかみさんに近づいていき、再びひとつになった。

俺は深く癒されて、慰められた。
幸福感が心の底から湧き上がってくる。
かみさんとの一体感に身を任せ、俺は至福の中にいたのだ。

永遠に、この至福の中にいたい。
永遠に、かみさんとの一体感に身を任せていたい。
この時間がいつまでも続けばいいと願った。

だが無情にも、午前
6時、目覚まし時計が鳴った。

・・・

かみさんとの一体感。
あの一体感に伴う至福。
なぜ半覚醒状態の時ばかりに起こるのだろうか。

あの至福をいつでも感じていることができたなら、俺はかみさんの魂の存在を確信することができるだろう。
かみさんの魂が今でも生きていると信じることができたなら、俺は世界を肯定しつつ、いつかお迎えが来るのを待つことができるだろう。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

927日の火曜日は、かみさんの月命日だった。

毎月の命日には、かみさんの写真やお位牌と一緒に食事に行く。あるいは、寿司や鰻重などを出前してもらって、かみさんの仏前にお供えをする。
毎月の命日、かみさんとどうやって過ごそうか、何をお供えしてあげようかと考えるのは、俺にとって、とても大切な儀式だ。

今回はどうしよう。
どうしてあげたら、かみさんが喜んでくれるだろう。
かみさんの想いや願いを直接聞くことができないので、俺は毎月、悩んでしまう。

だが今回は、あっさりと決まった。
なぜだか分からないが、俺は無性にかみさんを「神谷バー」に連れて行ってあげたくなったのだ。
東京都台東区の浅草一丁目にある「神谷バー」、ご存知の方も多いだろう。

かみさんが大好きだった「神谷バー」なのに、ここ数か月間、訪れていない。
今回は絶対に、かみさんを「神谷バー」に連れて行ってあげたい。

だが、
927日は平日だ。
会社帰りに電車を乗り継いで行ったとしても、アフターファイブのサラリーマンで満席になっているだろう。

どうしたらいいだろうか。
シルバーウィークに入る数日前から、俺は考え込んでいた。
数日悩んだ末、
922日の彼岸会法要の帰り道、かみさんと一緒に「神谷バー」に行くことにした。

本当なら月命日の当日に連れて行ってあげたいのだが、満席では仕方がない。
今回は、“月命日の当日にデートをする“ことよりも、”かみさんを「神谷バー」に連れて行ってあげる“ことを優先させた。

・・・

当日は雨が降っていたせいか、祝日でありながら満席ではなかった。
ただ、周囲を見回すと、一人ぼっちで来店している客はほとんどいない。
ほとんどの客は、夫婦づれ、あるいはカップルばかりだ。
そんな雰囲気の中、一人で酒を飲み、一人で食事をするのは寂しいものだ。

かみさんと一緒に食事をしている“つもり”になっていても、かみさんの姿が見えるわけではないし、かみさんの楽しそうな声が聞こえるわけでもない。
やはり俺は独りぼっちなんだな…と自覚せざるを得ない。
周囲の人々の笑顔が羨ましかった。

そんな想いを秘めつつも、何を食べさせてあげたら、かみさんが喜んでくれるかな…と考えた末、俺は「ビーフシチュー」、「舌平目のカツレツ」、「サワラの竜田揚げ」を注文した。

かみさんは「神谷バー」の「ビーフシチュー」が好きだった。
かみさんと俺が、最期に二人で「神谷バー」を訪れたのは、確か平成
21年の秋だったと記憶している。
その時も「ビーフシチュー」を注文し、かみさんと俺は、二人でシェアして食べたことを覚えている。

俺は「ビーフシチュー」を食べながら、あの頃の記憶を辿った。
あの時は、容ちゃんと一緒だったな…
容ちゃんと一緒にこの「ビーフシチュー」を食べてから
7年が経つのか…

なんだか無性に悲しかった。
独りぼっちで食事をしている寂しさも手伝って、俺は無性に悲しかったのだ。

あんまりにも悲しくて、俺はトイレの個室に駆け込んだ。
ほんのひと時、店内の喧騒から離れたかったのだ。
涙が溢れることはなかったが、悲しくて、寂しくて、苦しかったのだ。

俺はやっぱり、かみさんに会いたい。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

人間は、最愛の人のためなら、いくらだって頑張れる。
自分の持てる力の限界を超えてでも、最愛の人のためなら頑張れる。
自分の身が削られようと、心がズタズタに引き裂かれようと、世界で一番大切な人のために尽くすことには歓びさえ感じることができる。
自分のために頑張るには限界があるのに、愛する人を守るためなら、無限に頑張ることができる。

愛する人には笑っていて欲しい、愛する人に歓んでほしい。
愛する人の悲しむ顔は見たくない、愛する人を苦しみから救ってあげたい。
愛する人を守りたい。

その強い想いが、人間のリミッターを解除する。
今振り返れば、俺にあれほどの力を与えてくれたのは、かみさんへの想いだ。
かみさんのためなら、いくらだって頑張れた。
かみさんを守るためなら、俺は自分の限界を超えることができた。

仕事であろうと、家族サービスであろうと。
あるいは闘病中の看病であろうと。
俺には愛する人がいる、その愛する人を守りたい、その愛する人を守ることが、俺の生きる意味であり、生きがいであり、生きる力を与えてくれる源泉だったんだろう。

だが、かみさんはいなくなってしまった。
俺に「守りたい」という気持ちを教えてくれたかみさん、俺に力を与えてくれたかみさん、俺だって自分の限界を超えることができるんだということを教えてくれたかみさんは、いなくなってしまった。

愛する人のためにではなく、自分自身だけのために頑張るというのは本当に難しい。
まぁ、いいや…とか、この程度でいいや…とか、どうでもいいや…とか、すべてにおいて適当で、いいかげんで、投げやりだ。

そんな自分を見ていて、改めて分かったことがある。
人間は自分のために生きているのではないということだ。
人間は自分が愛する人のために生きているということだ。

俺にはもう、何もない。
何も残されていない。

俺が世界でたった一人、愛した人は死んでしまった。
俺が世界でたった一人、自分の限界を超えてでも守りたい人はいなくなってしまった。

もう二度と、俺は自分の限界を超えることはできないだろう。
限界を超えるどころか、自分の本来の力さえ出すことはできないだろう。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

922日の秋分の日、お彼岸の中日だ。
例によって、菩提寺で合同法要が行われた。
俺は菩提寺を訪れ、ご住職にお経をあげてもらい、お焼香をし、墓参りをした。

法要に参加した檀家さんたちは、概ね
100人程度だろうか。
大多数の人は夫婦や家族連れで参加していた。
亡くなった両親や祖父母、あるいはご先祖様のために法要に参加したのだろう。

ごくわずかだが、一人ぼっちで参列している人もいた。
一人ぼっちで参加している人は、ほぼ例外なく老人だ。
伴侶に先立たれ、ご主人や奥様のためにお焼香に来たのだろう。

例年であれば、俺以外、一人ぼっちで参列している中年の男女はいない。
若年で伴侶と死別してしまう人が、いかに少ないかの証左だろう。

あんなに若い人が一人で法要に来てる…、若いのに奥さんを亡くしちゃったのね…、だから一人ぼっちで法事に来てるのね…、なんて思われているのかどうかは定かではないが、他の参列者たちの好奇の目に曝されているのを感じる。
ご住職が、「この中には若くして伴侶を亡くされた方もいて…」と言ったことがあるが、その瞬間、周囲の視線が俺に集中したりもした。
だから俺は、合同法要が苦手だ。

だが今回は違った。
一人ぼっちで参列している人の中に、俺と同年代(若干、俺より年下か?)の女性がいた。
ご住職がお経をあげている間、その女性は泣いていた。
俺はその女性を横目で見ながら、この人も一人ぼっちか…、ご主人に先立たれちゃったんだな…、俺と同じ立場の人もいるんだな…なんて考えていた。

その女性と俺の目が合った。
その瞬間、俺は気づいた。
俺はこの女性と会ったことがある。

・・・

かみさんが亡くなって
1年後くらいの頃だったと思う。
かみさんの墓参りに行ったときのことだ。

納骨していない
のに墓参り?と突っ込まれそうだが、墓石を見ていると落ち着くのだ。
かみさんの戒名と俗名、俺の生前戒名と俗名が、並べて彫られている墓石を見ていると、少しばかり気持ちが落ち着くのだ。

その墓参りの際、ご住職が中年の女性と一緒に墓地にやってきた。
女性は墓を買いに来た。
買おうとしているのは、うちの墓と同じ「夫婦墓」だった。
その女性がご住職の説明を聞きながら泣いていた。
そんなことがあったため、その女性のことは印象に残っていたのだ。

・・・

先日の秋季彼岸会法要の際、お経を聞きながら泣いていた女性。
その女性は、あのとき、「夫婦墓」を買いに来た女性だった。

初めて会ったのは、かみさんが亡くなってから
1年後くらいの頃。
だとすれば、この女性はご主人と死別してから
5年以上が経っているということになる。

5
年以上が経っても涙を流しながらお経を聞いていた、その姿が痛々しかった。
きっと自宅では独りぼっち、法要の場とは違い、誰にも遠慮することなく泣きじゃくっているんだろうな…と想った。


にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
←いつもありがとうございます。ポチっとクリックお願いします。
にほんブログ村

このページのトップヘ