いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2016年11月

かみさんのお通夜の日。
かみさんの親族、俺の親族のほか、かみさんの友人や俺の会社の同僚など、大勢の人が参列してくれた。

その中に、Kさんという男性がいる。
Kさんは俺の会社の同僚で、俺と同じ年齢、同じ大学の出身、しかも俺と同様、会社では課長を務めている。
俺が既婚者であるのに対し、彼は独身だったが、いろんなところが似ているので、多少の親近感を覚えなくもない相手だった。

彼は同期入社の数名と一緒に参列してくれた。
その数名の前で、俺はつぶやいてしまった。「俺、もうだめだ…」

かみさんが亡くなった直後で頭の中は混乱していた。
「最愛の人との死別」という現実に直面し、初めて味わう「心にポッカリと穴が開いたような感覚」や、「自分の半身がもぎ取られてしまったような感覚」、「心が抉り取られてしまったような感覚」に当惑してもいた。
そして何よりも、あまりにも悲しかったのだ。
そんな気持ちが混ざり合い、俺は無意識に、「もうだめだ…」と言ってしまった。

その言葉を聞いたKさんは、「プッ!」と笑った。
その「プッ!」という笑いは、周囲で聞いていた人たちを戸惑わせ、その場の空気を凍りつかせた。

かみさんの49日法要の数日後、Kさんからメールが来た。
そのメールには、「奥さまのことは残念です。ただ、今は悲しいかもしれないけど、人間って忘れる動物ですから(笑)」と書かれていた。
(笑)って何だよ!と俺は怒りに震えた。

前述のとおり、当時、Kさんは独身だった。
伴侶のいない人が、伴侶と死別することの悲しみの激しさ、大きさ、深さを想像するのがいかに難しいかの証左だろう。

だが最近、Kさんが結婚したと、風の噂で聞いた。
意外だった。Kさんは生涯、結婚しないだろうと思っていたからだ。
俺がかみさんを喪って、「もうだめだ…」と言ったとき、「プッ!」と笑ったKさん、「人間って忘れる動物ですから(笑)」と言ってのけたKさんだ。
Kさんには人を愛する能力が根本的に欠如していると思っていたのだ。

しかし、Kさんは結婚した。
今ならKさんにも想像ができるんだろうか。
伴侶を喪う悲しみ、心にポッカリと穴が開いたような「あの感覚」、自分の半身が引きちぎられてしまったような「あの感覚」、世界が足元から崩れたような「あの感覚」を想像できるんだろうか。

やっぱり無理だろう。
「あの感覚」は、実際に伴侶と死別してみなければわからない。

・・・

このKさんの言葉、「人間って忘れる動物ですから(笑)」が忘れられない。
あまりにも酷薄な言葉だ。
伴侶を喪った直後の人間に、「人間って忘れる動物ですから(笑)」と言って捨てるような人間に、伴侶を得る資格があるのか疑問だ。

だが、実際のところ、どうなのだろう。
人間って、最愛の人のことを、この世界で一番大切な人のことを、忘れることなんてできるんだろうか。
伴侶やお子さんを喪った人が、亡くなった人のことを忘れることなんてできるんだろうか。

たぶん、忘れることなんてできない。
生前と、死別から数年間と、そしてそれ以降と、伴侶との絆のあり方は変わっていくのかもしれない。
だが、決して忘れることなんてできはしない。

俺は絶対に、かみさんを忘れない。
なんて宣言しなくても、忘れられるわけはないんだけどね。。


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土日や祭日、俺はほとんど外出をしない。
かみさんが元気だった頃なら、二人で散歩に行ったり、買い物に行ったりするのが休日の習わしだったが、かみさんが亡くなってから、休日は自宅にひきこもるようになった。

とりわけ、最近のひきこもりは酷い。
かみさんが亡くなって2年後くらいまでの間は、毎週土曜日、かみさんのお位牌と写真、財布だけを持って、午前中から飲める居酒屋やバーで酒を飲み、”現実逃避”をしていたのだが、ここ最近は、ほとんど外出しなくなってしまった。

自宅にひきこもっていれば、俺は「一人ぼっち」だ。
一日中、誰とも会話をしない。
テレビの音声が虚しく響いているだけで、誰の気配も感じない。

だが、自宅にひきこもり、早朝から酒を飲んでいると、「一人ぼっち」のはずなのに、孤独感が薄まるのだ。
誰もいない自宅の中で蹲っていると、「一人ぼっち」のはずなのに、「独りぼっち」じゃなくなるのだ。

平日、会社に行けば、周囲には部下や同僚がいて、休日、外出すれば、街中は人であふれている。
周囲にたくさんの人がいるとき、俺は「一人ぼっち」ではないはずなのだが、どういうわけか、強い孤独感に苛まれてしまう。
周囲に人がいる以上、俺は「一人ぼっち」ではないはずなのに、「独りぼっち」であることを痛感する。

自宅にひきこもり、周囲から孤立してしまえば、この世界が「幸せ」で満たされていることを忘れることができる。

一方で、周囲に大勢の人がいれば、それらの人々が持つ「幸せ」な背景を考えてしまう。
笑顔の家族づれはもちろんのこと、一人で歩いている人を見ても、「この人も、家に帰れば家族がいるんだな…」、「この人にも暖かい家庭があるんだな…」と考えてしまう。

もう俺には縁のない「幸せ」だ、縁のない「家庭」であり、縁のない「家族」だ。
それらを自分の視野から遠ざける、それによって自分が「独りぼっち」であることを忘れることができる、そのためには、自宅にひきこもり、「一人ぼっち」になってしまうのが一番いい。

だが、1127日の日曜日、俺は久しぶりに(本当に久しぶりに)外出した。
先日の記事に書いた通り、121日はかみさんの誕生日だし、そもそも1127日はかみさんの月命日でもある。
かみさんにいろいろとお供えしてあげたい、ケーキやワイン、その他いろいろとお供えしてあげたい。

その気持ちが「自宅にひきこもっていたい」という欲求に勝った。
俺は買い物に出かけた。
休日に外出するのは本当に久しぶりだった。

久しぶりに見た休日の街。
そこには、俺が恐れていたとおりの光景が広がっていた。
家族づれの笑顔で溢れていた。
俺は自分が「独りぼっち」であることを痛感し、歯を食いしばりつつ、買い物を済ませて帰宅した。

月命日と誕生日を兼ねたお供えを済ませ、かみさんの仏前で酒を飲んだ。
やはり、「一人ぼっち」の方がいい。
「一人ぼっち」になってしまえば、「独りぼっち」であることを忘れることができる。
改めてそんなふうに感じた一日だった。


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今年のゴールデンウィーク明けくらいだっただろうか。
俺は直属の上司(部長)に呼び出された。

俺はちょっぴり不安だった。
いつまでも悲しんでるんじゃない!と言われるんだろうか…とか、
いいかげん立ち直れ!と言われるんじゃないか…とか、
下手をすれば、お前に「課長」の資格はない!と言われるんじゃないか…とか、
最悪の場合、会社を辞めろ!なんて言われるんじゃないかと不安だったのだ。

だが、部長との面談は予想外の展開だった。
部長はまるで良質なカウンセラーのように、俺がかみさんを亡くした悲しみを吐き出しやすくなるよう誘導してくれたのだ。
そして、俺が吐露する悲しみや寂しさに耳を傾けてくれたのだ。
本当にありがたかった。

残念ながら、この部長は夏の人事異動で重役になり、俺の直属の上司ではなくなってしまったが、部長への感謝の気持ちは忘れていない。

・・・

その面談の際のこと。
部長が俺に「泣きたくなったら泣いてもいいんだぞ」と言ってくれた。
まさか職場で泣くわけにはいかないとは思ったが、この言葉は今でも忘れられない。

実際問題として、会社で泣くわけにはいかない。
課長の俺が職場で泣いたら、部下が動揺するだろうし、下手をすれば部下から軽蔑されてしまう。

そもそも会社にいるときは、それなりに緊張感もあるし、悲しみを抑圧するために被っている仮面だって、その役割を十分に果たしてくれるだろう。
だとすれば、会社にいるときは「泣きたくなる」なんてこともないだろう。

だが部長は、「泣きたいときは、トイレに隠れて泣けばいいんだぞ」と言ってくれた。

・・・

なぜだろう。
先日、会社での仕事中、俺は無性に泣きたくなってしまった。
とても悲しかったのだ、とても寂しかったのだ。
必死で悲しみを抑圧しようとするものの、仮面がひび割れていく。

俺の心の中で、いったい何が起きているんだろうか。
まったく分からない。
身体が震える。寒気がする。心が凍える。

俺は部長の言葉を思い出し、トイレの個室に駆け込んだ。
そして歯を食いしばりつつ声を殺し、全身が震えるままに任せた。
だが、涙が噴き出すことはなく、少しばかり目が潤んだ程度だった。

・・・

俺がそういう状態になってしまうこともあり得ると、部長は予想していたのだろうか。
分かる人には分かるんだな…と思う出来事だった。

いつまでも悲しみ続ける人に対し、苛立ちをぶつける輩も多い中、寄り添ってくれる人がわずかでもいることは本当にありがたい。


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時折かみさんが夢に出てきてくれる。
かみさんの気配を感じ、かみさんと語り合い、かみさんと寄り添い、かみさんと触れ合い、かみさんとひとつになる。
そのたびに、俺は深く癒されて、とても幸せで、大きな安らぎを感じる。

毎晩かみさんの夢を見ることができたなら、俺はほんの少し、生きやすくなるだろう。
かみさんと夢の中で再会するためだけに生きる。
自分が死ぬまで、かみさんの夢を見るためだけに生きる。
それは決して健全な姿とは言えないが、それでも俺は、生き続ける意味を見いだすことができるだろう。

だが、思い通りにはいかないものだ。
就寝前には必ず祈る。
容ちゃんの夢を見られますように…、夢の中で容ちゃんに逢えますように…と祈るのに、その祈りはかなわないことの方が多い。

たいていの場合、かみさんの夢を見ることができずに朝を迎える。
あまりにも落胆が大きくて、仏壇の前に座り、深いため息をつく。
かみさんの遺影を見つめつつ、「今日も逢えなかったね…」とつぶやいてみたりもする。
みっともない話だが、かみさんに逢えなかったことが哀しくて、自暴自棄になってしまい、会社を休んで朝から焼酎に溺れてしまったことも数回あった。

こんな経験を何度も重ねた結果、やはり期待しすぎてはいけないのだろうと気づいたが、それでも俺は期待せざるを得ない。
かみさんに逢いたい、それは俺のたったひとつの願いだからだ。
他には何も望んでない、他には何も残されていない。
たったひとつの俺の望み、それはかみさんと再会することだけだからだ。

俺はいつでも、かみさんの気配を探している。
俺はいつでも、かみさんの影を追っている。
だが見えないのだ、聞こえないのだ、触れることができないのだ。

だからこそ、せめて夢の中で逢えたなら…と願わざるを得ないのだ。


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東京都板橋区常盤台の駅に近い住宅街。
そこに97歳の夫と93歳の妻が住んでいた。
二人の間には子どもがいなかったが、とても仲睦まじい夫婦だったのだそうだ。
90歳を超えていながら介護サービスを受けることもなく、二人とも元気だったらしい。

夫が会社を退職した後は、夫婦でゆったりとした日々を送っていた。
夫は大きな風呂が好きで、夕方になると、近くの銭湯に行くのが日課だった。
妻は近所の喫茶店の常連客で、店のマスターに、「うちの旦那は掃除や洗濯も手伝ってくれるの」なんて嬉しそうに話をしていた。

・・・

11
21日の午後4時すぎ。
二人の遺体が2階のリビングで見つかった。
ここ数日間、2階の電気がついたままで、二人の外出が途絶えていたことから、近所の住民が「何かおかしい」と感じ、民生委員やケア・マネージャーを通じて交番に届け出たのだ。

警視庁板橋署は、二人の遺体を司法解剖。
その結果、二人は病死したと判断された。
死後4日ほどが経っていた。

板橋署の幹部によれば、「朝か夜かは分からないが、二人はほぼ同じころに亡くなったのではないか」と話している。

・・・

90
歳を超えた二人。
たとえ90歳を超え、いつ死んでもおかしくない年齢だったとしても、いずれか一方が先立てば、遺された方は大きな悲嘆に苦しめ続けられることになっただろう。
そんなことにならなくて良かったと思う。

いや、ひょっとすると、夫か妻か、どちらかが先に病死し、遺された方があまりにも激しい悲嘆に打ちひしがれて、後を追うように病死したのかもしれない。

いずれにしても、伴侶を喪い、その後、長きにわたって悲嘆に押し潰されつつ生きていく、そんなことにならなくて良かったと思う。

・・・

俺もこんなふうに死にたかった。
かみさんと一緒に死にたかった。
たとえ同時に死ぬことは無理だとしても、かみさんが息を引き取った直後、悲しみが俺の心臓を潰してくれればよかったに…と想う。

かみさんはいつも言っていた。
「一緒に死ねたらいいね」
「死ぬときは二人一緒がいいね」

それなのに。
なぜ俺は死ねなかったんだろう。
なぜ俺は今でも生きているんだろう。

俺はやっぱり、かみさんと一緒に死にたかったんだ。


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