いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2017年01月

かみさんが元気だった頃、
俺はいわゆる「唯物論者・唯脳論者」だった。

人間は死んだら灰になる。
人間は死んだら無になる。
死後の世界など無い。
「あの世」など無い。

そう信じていた。

一方で、かみさんは、スピリチュアルなことに多少の興味を持っていたようだ。

江原啓之氏が頻繁にテレビに出ていた頃、かみさんが俺に言ったことがある。
「私、スピリチュアル・カウンセリングに興味があるんだよねぇ」
今振り返って思えば、
かみさんは、亡くなった父親の「魂」との対話を望んでいたのかもしれない。

・・・

かみさんが亡くなった直後から、
俺はかみさんの気配を探し求めるようになった。

だが、俺の脳に染み付いた「唯物論者」としての癖が、
一朝一夕で消せるはずも無い。

かみさんの気配を求めつつも、
一方では、やはりかみさんは無になってしまったんだと感じて絶望していた。

・・・

俺が「唯物論」の拘束から少しずつ自由になっていったのには、
いくつかのきっかけがある。

きっかけのひとつは、夢だ。

俺のブログの中に、「夢の話」というカテゴリーがあるが、
その中の記事で書いたような、リアルで、かつ不思議な夢が、俺を「唯物論」から少しずつ解放してくれた。

とりわけ、「かみさんの気配」というタイトルで書いた記事の夢、
そして、「かみさんの出現」というタイトルで書いた記事の夢。

これらの夢を見ているとき、確かに俺は、かみさんの気配を感じていた。

こうした夢を通じて、少しずつではあるが、俺は「唯物論」から自由になっていった。

・・・

もうひとつのきっかけは、
元福島大学教授 飯田史彦氏の著書、
東京大学医学部附属病院の救急部・集中治療部部長 矢作直樹氏の著書、
及び、跡見学園女子大学名誉教授 武本昌三氏のホームページ
に出会ったことだ。

これらの内容について、ここで触れるつもりはない。
だが、世の中には、「あの世」はある、肉体は死んでも「魂」は生き続けるという考え方があることを知って、少しばかり心が軽くなった。

・・・

今回このような記事を書いたのには、理由がある。

このブログにコメントを書いてくださる方々、
某NPOが主催する「配偶者を亡くした人の分かち合いの会」で出会った方々、
某SNSでお付き合いしている方々、
死別のブログを書いていらっしゃる方々、
みなさん、最愛の伴侶やお子さん、ご両親などを喪った人ばかりだが、
その中には、亡くなった人の気配、死者の「魂」を探し求めている方がとても多いことに気づいたからだ。

多くの人が、「死後の世界」があって欲しい、「あの世」があって欲しいと願っていることに気づいたからだ。

多くの方々が、『自分が死んだら、また「あの世」で再会したい』と願っていることに気づいたからだ。

・・・

俺も、かみさんの「魂」を探し求めている。
かみさんの気配を探している。

俺が死んだら、またかみさんに会えるんだと信じたい。
「死後の世界」があって欲しい。

かつてはガチガチの「唯物論者・唯脳論者」だった俺が、
今では「死後の世界」があって欲しいと願っている。


愛する人を喪うということは、そういうことなのかもしれない。

遺された者が渇望するもの。
それは、愛する人の「魂」の気配だ。

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夜、眠っている間は、現実から逃避することができる。

過酷で悲痛な現実。
かみさんがいない、寂しい現実。

眠っている間だけは、そういう現実から目を逸らすことができる。

一日のうちで、最も安堵できる時間、過酷な現実を忘れることのできる時間。
それは眠っている時間だ。

・・・

だが、眠りはいずれ覚める。
眠ったまま逝ってしまえれば楽になるとは思うものの、やはり眠りは覚めてしまう。

眠りから覚めると周囲を見渡す。

そして気づく。
「ああ、そうか…。もう、かみさんはいないんだっけ…」

その瞬間、俺の心は奈落の底に突き落とされる。
かみさんがいない現実に直面し、絶望する。

毎朝、その繰り返しだ。

一日の中で最も哀しい瞬間。
それは、朝目覚め直後の一日の始まりの瞬間だ。

俺の一日は、かみさんのいない哀しみと絶望とともに始まる。

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かみさんはいつも俺の右側にいた。

ソファーに座って二人でテレビを視ているとき。
二人で並んで散歩をしているとき。
カウンターに座って寿司や天ぷら、ラーメンなどを食べるとき。

かみさんはいつも俺の右側にいた。

・・・

もともと俺は、誰かと二人で並んで歩くとき、相手の右側を歩く習性があった。
この習性は、俺が大学3年生のとき、かみさんと付き合い始めても変わらなかった。

だが、かみさんにも同じ習性があったようだ。
誰かと二人で歩くとき、相手の右側を歩く。

だから、付き合い始めた当初、かみさんと俺が二人で散歩をしていると、相手の右側の「取り合い」になった。

別に喧嘩をしたわけじゃない。
「お前、俺の左側を歩けよ!」、「あんたが私の左側を歩きなさいよ!」
そんなやり取りをしたわけではない。

ただ、俺が右側を歩いているとき、どこかの交差点や曲がり角に差し掛かったときなどに、かみさんはさりげなく俺の右側に出る。

そのまま歩き続け、また別の曲がり角に差し掛かると、今度は俺がさりげなく、かみさんの右側に位置を取る。

そんな散歩の仕方をしているうち、数ヶ月経って、俺は気づいた。
「彼女は俺の右側を歩きたいんだ」

気づいて以来、俺は自分の右側をかみさんに譲ることにした。

・・・

その後、いつでもかみさんは、俺の右側にいた。

散歩をするとき、
二人で並んで食事をするとき、
映画館で映画を観るとき、
自宅のソファーでテレビを視るとき、
かみさんはいつも俺の右側にいた。

俺の幸せの源泉は、いつだって俺の右側にあった。
俺を照らす光は、いつだって俺の右側にあった。
俺の安心の源は、いつだって俺の右側にあった。

・・・

かみさんを亡くして以来、俺の右側は空虚だ。

何もない空間。
そこにあるはずのものが、今はない。

幸せの源が俺の右側にあったという曖昧な痕跡だけが、今はある。

俺は時折、自分の右側を見つめる。
そして、かみさんの気配を探す。

だが、俺の右側の空間は空虚だ。
その空虚な空間を手で探り、涙を流す。

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かみさんの49日法要の日のこと。
読経の後、お坊さんにかみさんの闘病中の写真を見てもらった。

明るい笑顔のかみさん、俺に向かってVサインをするかみさん。
そんな写真ばかりだ。

お坊さんは聞いた。
「入院中の写真ですか?」

俺は答えた。
「ええ。癌だと分かっていたのに、明るい表情でしょう?」

お坊さんは答えた。
「それはね。絆です」

このことは以前のブログに書いたかもしれない。

・・・

「それはね。絆です」
この言葉の意味するところ。
それは、かみさんと俺との絆が、
かみさんの笑顔、かみさんの明るさ、前向きさを支えているということだ。

俺との絆があるからこそ、
かみさんは病気に対して前向きに立ち向かうことができる、
笑顔を絶やさず闘病することができる、
大きな不安を感じることなく、明るい気持ちで闘病することができる、
そういうことだ。

俺との絆があるからこそ、
かみさんは安心を得ていたのだろう。

・・・

「絆」とは何だろう。
心と心のつながりのことだろうか。

そもそも、「絆」は目に見えない。
だが、かみさんが元気だった頃から、
俺は確かに、かみさんとの間の「絆」を実感していた。

そして、かみさんが癌だと診断され、
かみさんを守りたい、俺がかみさんを守るんだと誓った瞬間から、
その「絆」はさらに強く、太くなったという実感がある。

もちろん、その「絆」が目に見えたわけじゃない。
ただ「実感」があっただけだ。

・・・

かみさんが亡くなった直後、その絆が断ち切れてしまったような感覚を抱いた。
そのことが辛かった。

哀しくて、寂しくて、毎日号泣していた。
毎日、かみさんの仏前で、大声を張り上げて泣いた。

・・・

時間の経過とともに、哀しみの質が変わっていった。
「強くて、激しくて、身を引き裂かれるような哀しみ」に翻弄されていた時期が過ぎると、
「穏やかだけど、深くて、大きな哀しみと、日々募る寂しさ」を感じるようになった。

そう感じるようになってからだったと思う。
再び、かみさんとの絆を感じるようになった。
その絆が、日々強くなっていくような気もする。
気のせいかもしれないが・・・

「絆」と言えば、一本の糸の端っこをかみさんが握り、もう一方の端っこを俺が握っているというイメージがある。

かみさんの姿は目に見えない。
だが今でも、かみさんは糸の片一方を握り続けてくれているのかもしれない。

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