いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2017年05月

かみさんも俺も、自宅のトイレに入る時には鍵を掛けない。

どうせ夫婦二人っきりの家族だ。
誰かが間違って、
トイレのドアを開けてしまい、用を足しているところを見られてしまうなんてことはあり得ない。

その上、かみさんも俺も、「ちょっとオシッコしてくるね~」
といちいち相手に報告してからトイレに行くので、オシッコの最中、トイレを覗かれてしまう心配もない。

そんなわけで、俺たち夫婦には、
トイレの鍵を閉める習慣がなかった。



ある日のこと。
いつものように、俺はかみさんに「オシッコしてくるね~」と言ってからトイレに向かった。
そして普段どおり、
鍵を掛けずに用を足していた。

その時だ。
突然トイレのドアが「
ガバッ!」と開いた。
かみさんがドアを開けたのだ。
俺はびっくりして、「ギャ~!」だか「ワァ~!」だか忘れたが、悲鳴をあげたことは覚えている。

俺がトイレにいることを知らなかったわけではない。
かみさんは、
俺がオシッコしているのを覗きに来たのだ。

焦った俺は、「
ドア閉めてよ~!」と叫んだが、かみさんはドアを閉めずにじっくり観察していた。
なぜだか楽しそうに、「オチンチンからオシッコ出てる~!」とはしゃぎつつ、「パチパチパチ!」と拍手をしていた。



その数日後。
覗かれた「しかえし」に、今度は俺が覗いてやるぞと意気込んでいた。

かみさんはいつものとおり、「オシッコしてくるね~」
と言ってからトイレに行った。
俺は自分の意図を悟られないよう平静を保ち、「行っておいで~」と応えた。

忍び足でトイレに近づく俺。
トイレのドアノブに手を掛ける。
そして思い切りドアを開けた。

いや、開けようとした。
だが、ドアは開かなかった。
かみさんは俺の意図を察し、あらかじめドアに鍵を掛けておいたのだ。

いくら引っ張ってもドアが開かない。
トイレの中から、
かみさんの勝ち誇ったような、「ワハハハハ!」という高笑いが聞こえた。

俺はかみさんに敗北した。



かみさんはよく、「私たちってさぁ、
他人から見たらバカ夫婦だよね~」と言っていた。
かみさんの口癖みたいなものだ。

確かに俺たちは、
バカ夫婦だった。
楽しかった。

かみさんがいてくれて幸せだった。


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昨日はかみさんの月命日だった。

俺は朝6時過ぎに目覚めた。
就寝したのが遅かったので、多少の寝不足を感じたが、いわゆる「命日反応」はなさそうだ。

俺は重たい身体を起こし、
かみさんの仏前に座った。
線香をあげ、朝のお供えを済ませた。

その後ひととおりの家事を終えると、俺は久しぶりに酒を飲んだ。
肝硬変になる前のような「ムチャ飲み」ではない。
ウィスキーをストレートで1合ほどだ。

それだって、
普通の人から「ムチャ飲みじゃん!」と言われそうな量だが、たまに飲むくらいなら構わないだろう。



ほろ酔いと寝不足がたたり、俺はいつの間にか眠ってしまった。
目覚めた時には午後3時を過ぎていた。

かみさんの月命日だ。
かみさんのために特別なお供えをしてあげたい。

俺はお供え物を準備して、かみさんの仏壇の前に座った。

その時だ。
闘病中の記憶が、次から次へと蘇ってきた。
俺はその記憶に打ちのめされた。

俺は容ちゃんを守ってあげられなかったんだ。
俺は容ちゃんを助けてあげられなかったんだ。
やれることは全てやったのに、俺は容ちゃんを死なせてしまったんだ。

後悔と罪悪感で、
表情は大きく歪み、全身が震えた。
心臓をわしづかみに
されているみたいだった。

堪えられなかった。
俺は久しぶりに泣いた。
声を殺し、全身を震わせながら、
咽び泣いた。

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今日はかみさんの月命日だ。
そんな日に、こんな記事を書くのは気が引けるのだが…


目覚めた瞬間の気分は最悪だ。

容ちゃんがいない。
そうだ、
容ちゃんは死んじゃったんだっけ…
容ちゃんはいなくなっちゃったんだっけ…

とても哀しい。
あまりにも重たくて、あまりにも虚しくて、あまりにも苦しい。

そんな気分とともに目が覚める。

また朝が来てしまった。
今日も俺は生きているのか。
まだ生き続けなければならないのか。
もう生きてたって仕方がないのに。
眠っている間に死んじゃえば良かったのに。

さまざまな想いが、
一瞬のうちに頭の中を駆けめぐる。



俺はもう何も求めてなんかいない。
希望なんてないし、
期待だってしていない。
くだらない日常が惰性で続いていくだけだ。

自死する勇気がないから生きてるだけであって、
自分が死ぬ日を待っている。
俺が死んで「無」になれば、
哀しみからも、虚しさからも、解放される。
もしも「あの世」
があるのなら、また容ちゃんに逢えるだろう。

どちらでもかまわない。
とっくの昔に、
俺は生きてることに疲れてしまっているんだ。

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会社から帰宅すると、俺は真っ先にかみさんの仏前に座る。
線香を手向けた後、しばしの間、かみさんの遺影を見つめる。
肝硬変による倦怠感もあるし、仏前を離れたくないという想いもあって、なかなか立ち上がることができない。
なんとか踏ん切りをつけ、
ようやく立ち上がり、かみさんに夜のお供えをする。

一通りの儀式が終わると、俺は部屋の灯りとテレビをつける。
部屋の明るさは、俺の心をザワつかせる。
心臓が早鐘を打つ。
落ち着かない。
ザワついた不快な気分を抱えたまま、
翌日の朝のお供え物を準備し、風呂に入り、食事を済ませる。

そして俺は、部屋の灯りを消す。
光源はテレビだけだ。

部屋の中が、ほぼ真っ暗になると、ようやく心が落ち着いていき、
ザワつきが治まってくる。
見るともなしにテレビを見つつ、
一日の中で、唯一落ち着ける時間に浸る。

テレビが発する微かな光を頼りに、
かみさんの遺影を見つめていると、この時間が永遠に続いてほしい、朝なんか大嫌いだ、永久に夜が続いてほしい…なんて想ったりもする。

わずか一時間程度の短い間だが、俺にとっては貴重な時間だ。



光が嫌いだ。
明るさが嫌いだ。
明るさは俺をザワつかせる。

太陽も電灯も
いらない。
光なんかいらない。
真っ暗な世界の中、
真っ暗な心を抱えた俺が佇む。

そんな世界とであれば、
俺は調和を見い出すことができるかもしれない。

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かみさんの長所を挙げろと言われたら、俺は迷ってしまう。
親バカならぬ、「夫バカ」と言われてしまうかもしれないが、かみさんの長所なら、俺はいくらでも挙げられる。

だが、
かみさんの長所を「一つだけ」挙げろと言われたら、俺は悩んだあげく、「マイペースなところかな…」と応えるかもしれない。
一方、短所を「一つだけ」
教えてと言われたら、「マイペースすぎるところかな…」と言うかもしれない。



かみさんはマイペースだ。
それに加えて好奇心が旺盛でもある。

そんなかみさんと旅行やショッピングに行くと、
かみさんは頻繁に行方不明になってしまう。

二人で並んで歩いているはずなのに、ふとした瞬間に横を見ると、
かみさんがいない。
俺は慌ててかみさんを探す。
キョロキョロと周りを見回しても、かみさんはいない。
そんなとき、はるか後方に目をやると、かみさんの姿が見えたりする。

かみさんは何かに興味を引かれると、好奇心の赴くままに、
そこで立ち止まってしまうのだ。

二人で散歩をしているとき。
かわいい犬や猫を見つけると、かみさんは立ち止まり、犬や猫の頭を撫でている。

二人でショッピングをしているとき。
欲しい物が見つかると、かみさんは立ち止まり、その品物をじっくり観察している。

二人で旅行をしているとき。
きれいな風景や建物に出くわすと、
かみさんは立ち止まり、目をキラキラさせて見つめている。

立ち止まる前に、「ねぇ、プーちゃん。これ、一緒に見ようよ」
とか言ってくれればいいのだが、かみさんは何も言わずに立ち止まってしまう。
かみさんが立ち止まったことに気がつかず、俺は歩き続けてしまうこともあるわけで、気づいた時には俺の視界から、かみさんが消えているのだ。

一緒に暮らした20年間、そんなことが何度もあった。



好奇心が旺盛で、マイペースで、悪く言えば落ち着きがない。
そんなかみさんにハラハラさせられることも多いが、やはりかみさんのことが可愛くて仕方がない。
まるで、自分の娘のようだ。

子どもみたいにチョロチョロと歩き回るかみさん。
本当に可愛くて仕方がない。

そうだ。

俺が亡くしたのは「妻」
だけじゃない。
俺は「娘」をも喪ったんだ。

俺は、
俺にとって大切な「すべて」を失ってしまったんだ。

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