いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2017年07月

かみさんと俺は、暇さえあれば散歩ばかりしていた。

毎週土曜日は昼過ぎから散歩だ。
目的地も決めないで、
おしゃべりしながら延々と歩き、夜の10時すぎに帰宅する。
一緒に暮らした20年間、そんなことが頻繁にあった。

もちろん途中で食事をしたり、お茶を飲んだり、買い物をしたり、
時には映画館に入ってしまったりもするのだが、それらも散歩の一環だった。

旅行先でも散歩ばかりしていた。
国内旅行をする時は、温泉に入っているか、散歩をしているかのどちらかだった。
海外旅行の時は、
海で泳ぐかマリンスポーツをしている時以外、散歩ばかりしていた。

かみさんと俺は、
二人で一緒に散歩をするのが大好きだったんだ。

・・・

あの頃を振り返り、気づいたことがある。
かみさんと散歩をしている時、俺たちは「ゆっくり、のんびり」歩いていたはずだ。

周囲を眺めたり、きれいな風景に見とれたり、
他愛ない会話をしていたり、そんなふうに散歩をしていれば、どうしても「ゆっくり、のんびり」歩くことになってしまう。

だが、それだけじゃない。
「ゆっくり、のんびり」
歩いていたのは、俺たちが幸せだったからだ。

他愛ない会話をするには「相手」が必要で、
その「相手」は自分のすべてをさらけ出せる人、自分が本当に愛している人でなければならない。
周囲を眺めてみたり、きれいな風景に見とれることだって、心に余裕があるからできることであって、心の余裕は愛する人がいるからこそ生み出されるものなのかもしれない。

幸せな人は「ゆっくり、のんびり」と歩く。
事実、
かみさんがいた頃は、一人で歩いている時も、俺は「ゆっくり、のんびり」と歩いていた。
世界を愛し、「今ここ」
を肯定することができるなら、急いで歩き、「今ここ」から逃れようとする必要はないのかもしれない。

・・・

かみさんが亡くなってから、俺はいつでも急いで歩く。
少しでも早く、「今ここ」から離れたいのだ。
そして、「今ここ」
ではない「どこか」に逃げ込みたいのだ。

そんな俺の進路を「
ゆっくり、のんびり」歩いている人々がふさぐ。
幸せで、「今ここ」
に留まっていられる人々が、俺の行く手をふさぐ。

そんな時、
俺は密かに複雑な想いを抱いてしまうんだ。

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前日は「境地 ~立ち直りへの意志~」というタイトルでブログを書いた。
その直後なのに、こんな記事を書くのは気が引けるのだが、嘘はつきたくない。
申し訳ないが、事実をありのままに書かせていただく。

・・・

昨日の7月27日は、かみさんの月命日だった。
俺はいつものとおり、午前6時前に起床した。

月命日とは関係ないかもしれないが、いつにも増して、
心が重たかった。
人間が嫌いだった。
世界を破壊したかった。
何もかもが嫌で仕方がなかった。

かみさんの仏前には、
いつものお供え物に加え、かみさんが大好きだった老舗の和菓子屋の「水ようかん」をお供えした。
出勤前、かみさんの遺影を見つめながら、
わずかでいいから今日一日が穏やかであって欲しいと願った。

・・・

通勤途中でたくさんのサラリーマンやOLとすれ違った。
大半の人々は無表情、あるいは会社に行くのが面倒くさそうな、ウンザリとした表情だった。
だが一部には、足取りも軽く、
幸せそうな笑顔を浮かべて歩いている人もいた。

そんな人を見た瞬間、
俺はその人の笑顔を破壊したいという衝動に駈られてしまった。
大きな石を握りしめ、その人の顔面を叩き潰したいと思ってしまった。

俺は幸せな人が憎いのだ。
いまだに俺の中には、
過酷な運命に対する憎しみと、幸せな人々への嫌悪感、嫉み、妬みが巣食っていることを自覚した。

・・・

会社にいても同じだった。
俺の部下たちが、他愛ない会話に興じていた。
喫煙室では、
同じ支店の他の部署の社員たちが談笑していた。

みんな曇りのない笑顔だった。
本当に楽しそうだった。
何の憂いもなく、幸せそうだった。

他人の笑顔が疎ましかった。
他人の醸し出す幸福感が不快だった。

吐き気がした。
逃げ出したかった。

俺はすべてを破壊したいと思った。


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今年の4月以降。
俺はたくさんのトラブルに巻き込まれている。
会社でも、プライベートでも、俺の関知しない所で事件は起きて、俺に襲いかかってくる。

かみさんがいた頃の俺であれば、
様々なトラブルに見舞われたとしても、優先順位を付けながら、ひとつずつ冷静に処理していくことができたはずだ。

だが、
今の俺は違う。
かみさんがいない。
かみさんのために使うはずの命が、行き場を失い腐臭を放っている。

心が重い。
身体が重い。
まるでコールタールの海の中をもがいているみたいだ。

何もしたくない。
何も考えたくない。
できることなら消滅してしまいたい。

だが、
そんな勇気も度胸もありはしない。

だからせめて、
世界の片隅で静かにしていたい。
何も見ず、何も聞かず、
何も感じないで済むような世界の周縁で、ひっそりと蹲っていたい。

・・・

4月以降、
日常的にプレッシャーを感じながら、それでも俺は、事態をひとつずつ収拾してきた。
しかし、
それはいったい何のためだ?
いったい誰のためだ?

かみさんのためではない。
俺自身のためでもない。
救われてきたのは赤の他人ばかりだ。

いったい今の俺が、
他人のために汗を流すことに何の意味があるんだ?
いったい俺は
、何をやっているんだ?
いったい俺は、
何のために生きているんだ?

バカバカしい。
あまりにもバカバカしい。

くだらない。
あまりにもくだらない。

俺の命はとっくに腐ってる。
目的も意味も希望も無い中で、俺はとっくに腐ってるんだ。

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2010年6月27日。
俺が「すべて」を失った日だ。

俺は、
世界で一番大切な人を亡くした。
妻であるだけじゃなく、
母でもあり、娘でもあり、最高の親友でもある人を喪った。

この日、俺は人生の伴侶を奪われたのだ。

その日以来、
俺は狂ったように哭き続けた。
夜も眠れなかった。
朝まで泣き叫んだ。

そうして1か月が過ぎたころ。
俺は心療内科の世話になることになった。

ちょうどその時期だ。
歌舞伎俳優の市川海老蔵さんと、フリーアナウンサーの小林麻央さんが、結婚式を挙げた。
テレビはどのチャンネルも、二人の結婚式の話題で持ちきりだった。
二人は幸せそうな笑顔だった。

俺たち夫婦と海老蔵さんたちとの境遇の落差。
それが受け入れられなかった。

海老蔵さん夫妻のことが憎かったわけじゃない。
だが俺は、
この不条理な世界を否定した。
すべてを破壊してしまいたいと思った。



小林麻央さんが亡くなった。
某民法のテレビ局や某雑誌は、「日本中が泣いた」とか、
「日本中が悲しみに暮れています」とか言っていた。

だが、
そんなの嘘だ。
人生が崩れるほど悲しんでいるのは、
海老蔵さんたち家族だけだ。

麻央さんのブログを読み、
彼女の生還を祈った人は多いだろう。
央さんの死に涙を流した人も少なくないだろう。

だが、
それらの人の多くは、麻央さんの訃報に接した直後、バラエティ番組を見て笑っているのだ。
それらの人が流した涙は、しょせん「もらい泣き」にすぎないのだ。

伴侶を喪った人以外、海老蔵さんの気持ちはわからない。
これから何年もの間、喪失感と闘っていかなければならないことを知らない。

自らが体験してしまうことと、それを対岸から眺めていることとでは、まったく違うのだ。



それとも本当に、日本中が悲しみに暮れているんだろうか。

かみさんが亡くなった時。
世界が崩壊するほど悲しんでいたのは、
俺と義母だけだ。

いや、違う。
俺と義母を取り巻く世界は、
本当に崩壊したのだ。

かみさんのために泣いてくれた人はたくさんいたが、
葬儀の時に泣いていただけだ。
皆すぐに、
穏やかな日常を取り戻していた。
かみさんが死んでも、
日本中が悲しみに暮れることなんてなかった。

かみさんは「
一般人」だが、麻央さんは「有名人」だから、日本中が悲しんでくれるのか?
「有名人」と「一般人」と
では、命の重さが違うのか?
それとも麻央さんの死を悲しんでみせることが、「善人」の証になるとでもいうんだろうか。



海老蔵さんが言った。
人生で一番泣いた日…
お察しください…

だが一部マスコミは、
麻央さんの死を大きく報じた。
そこまでして「視聴率」
が欲しいのか。
そこまでして「売上」を伸ばしたいのか。

誰かにとって、
最も大切な人の死でさえも、消費され、消化され、忘れられていくんだ。

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かみさんの後を追いたいと呟くことがある。
死にたい、消えたい、
終わりたいと書くことがある。

このブログに嘘は書きたくない。
リアルな人間関係を嘘で塗り固め、「明るく元気な課長」を演じている俺だ。
リアル社会の中には、
俺が本心を吐き出せる場所がない。

それは大きな苦痛だ。
せめて、
ブログの中では素のままの俺でいたい。

死にたいというのは俺の本音なのだ。

・・・

伴侶や子どもと死別した遺族には、
希死念慮を抱く人も少なくない。
その理由はなんなのだろう。
分からない。

せいぜい分かるのは、自分自身のことだけだ。
俺が理解できるのは、俺自身が死にたい理由だけだ。

俺はかみさんを喪った。
たった一人の家族を亡くしてしまった。
俺は天涯孤独だ。
ひとりぼっちだ。

子どもはいない。
親もいない (
母親は生きているかもしれないが、俺や妹を虐待した母親は、俺と妹にとって「親」ではなく、この世で最も憎むべき存在だ) 。

俺には守るべきモノなど何もない。
守るべきモノがある人々とは違い、俺には何もないのだ。

生きていることが虚しいのだ。
生きていることが苦しいのだ。
つまらないのだ。
バカバカしいのだ。

だから俺は、
かみさんの後を追いたいんだ。

だが、これは俺の想いに過ぎない。
伴侶を亡くしても、
子どもがいるからこそ死ねない、親がいるからこそ死ねない、死にたいのに死にたいと呟くことさえ許されない人々もいる。

同じ体験をした人々であっても、置かれた背景が違い過ぎる。
おそらく伴侶を亡くした者同志であったとしても、理解し合うことなどできないということを知った。

・・・

俺は、
伴侶と死別したとしても、守るべきモノがあれば生きていけると思っている。
だが、
それを一般化することはできない。
子どもがいようと、
親がいようと、死にたい人だっているんだろう。

いろんな人がいる。
いろんな背景がある。
それらを丸ごと受け入れるしかないんじゃないだろうか。

たとえ自分とは違う人がいても、
たとえ死にたいと呟く人がいても、浅い奴だとか、薄っぺらい奴だとか、甘ったれてる奴だとか、俺には言えない。

世界から排除された人々同志が、さらに同志を排除する。
そんな光景は見たくない。

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