いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2017年08月

以前ブログに書いたとおり。
かみさんは、俺の妻であり、
恋人だった。
同時に母でもあり、娘でもあった。
姉であるとともに、妹でもあった。

そして。
かみさんは俺の一番の親友だったんだ。

・・・

昨日、「しげプーさん」
という男性からコメントを頂いた。
そのコメントの末尾には、「
俺の親友は死んじゃった」と書いてあった。

親友というのは、
しげプーさんの奥様のことだ。

この文面を読んだとき、
俺は頭をガツン!と殴られたような衝撃を受けた。

しげプーさんのコメントに反発したのではない。
腑に落ちたのだ。
心の底から納得してしまったのだ。

・・・

伴侶は「すべて」だ。
唯一無二の、代替不能な存在だ。
配偶者であると同時に、
一番の親友でもあるのだ。

俺にとって、
かみさんは世界で一番大切な人だ。
その一番大切な人を喪ってしまったんだ。

こんなに悲しいことはない。

しげプーさんのコメントの最後の一行。
あの言葉の中に、
伴侶を亡くした人の大きな心の痛みが垣間見えたのだ。

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あるメル友さんから聞いたのですが、
某ブログによれば、僕は今日から公務員になったそうです。

自分自身も気づかないうちに公務員 (゜ロ゜ノ)ノ

給料は減っちゃうかもしれないけど
クビにならないからラッキー \(^o^)/

・・・

今日はたくさんの方々からメールを頂きました。
皆さん、ご心配を掛けてスミマセン。

ようやく皆さんに返信が終わったところです。

昨晩は深夜に20通を越えるメールが、同一人物から送られてきました。
また、電話も数回かかってきました。

内容はすべて脅迫文でした。
脅迫罪に問えるよう、脅迫メールはすべて保存してあります。

人が寝ている深夜に電話やメールを執拗に送ってくる人なんか
いちいち相手にはしてられません。

なので放置します。

みなさん。
ご心配頂いてありがとうございました。

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親友って何なんだろう。

直接会って話したことのある人だけが親友なんだろうか。
一緒に酒を飲んで語り合った人だけが親友なんだろうか。

どうも違うような気がするんだ。

・・・

かみさんの生前、俺の周りには「
自称」親友がたくさんいた。
頻繁に飲み会を開き、
酒席で酔っぱらうと、俺の肩に手を触れながら、「俺たちって親友だよね~」と言いたがるような輩が大勢いた。

そんな輩の大半は、かみさんの死とともに、俺から離れていった。
かみさんを亡くした直後、俺が悲しみを垂れ流していたからだ。
心にポッカリ開いてしまった巨大な穴に戸惑い、身を引き裂かれたような絶望に抗うことに精一杯で、俺はいつでも呆然としていたからだ。

そんな俺を見た「自称」
親友たちは、俺とどう接したらいいのか分からなかったのだろう。
数名を残し、
多くは俺から離れていった。

・・・

しばらくして、
俺は某SNSをさまよった。
俺と同じ悲しみを背負っている人々を探したのだ。

そんなときに知り合った一人が「名越瑛琉さん」だ。
彼女とは、
このブログを始める前から交流させてもらっている。

・・・

先日あるブログの中で、瑛琉姐さんと俺との関係は、
親友なんかじゃないという記述を見つけた。
琉姐さんと俺が、直接会って話したこともないのに親友なんて言ってんじゃねぇよ!という趣旨の暴言だった。

確かに俺は、
瑛琉姐さんと会ったことはない。
SNSを通じた交流だけだ。

だが、瑛琉姐さんと俺は、本当に親友じゃないんだろうか。

・・・

今年の2月、俺は「アルコール性の肝硬変」と診断された。

肝硬変は、肝臓の移植をしない限り治らない。
俺は「
もうすぐかみさんのところに逝くんだなぁ…」と思い、安らぎのようなモノを感じていた。

その時だ。
瑛琉姐さんからメールが来た。
「私の肝臓、半分あげる!」

俺は驚いた。
いくらなんでも、そんなことはさせられない。
俺は断りのメールを送った。

それなのに、
瑛琉姐さんから再びメールが来た。
明日病院に行って相談してくる!」

私の肝臓、半分あげる…
瑛琉姐さんは本気だったのだ。

・・・

直接会って、
一緒に酒を飲んだ相手が親友なのか?
それとも「私の肝臓、
半分あげる!」と本気で言ってくれた人が親友なのか?

他者との関係のあり方は様々だ。

自分とは異質の人々を中傷し、
排除する。
そんな光景にはウンザリだ。


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8月24日の夕方から今日にかけて。
俺はずっと落ちている。
いろんなことが重なって、深く深く深く沈み込んでしまった。

8月27日がかみさんの月命日だったこともあるだろう。
会社で俺の部下たちが、大きなミスをしてしまったこともあるだろう (部下がミスをしたら、課長である俺が責任を取らなければならない。だからと言って、感情的に部下を怒鳴り付けるわけにもいかない。こんなとき、管理職は辛いのだ…) 。
その他にもウザったいことがいっぱいあった。

身体が重たい。
心が粘っこい。
何もかもが面倒くさい。

こんな状態を何て表現したらいいんだろう。

哀しいのか?
寂しいのか?

虚しいのか?
バカバカしいのか?

それとも鬱なのか?
あるいは不安感か?

自分でも分からない。

この不快な感覚は堪えがたい。
消えてしまいたくなる。
自分を破壊してしまいたくなる。

ブッ壊れてしまえば、この不快な感覚からも自由になれるはずだ。

・・・

できることなら誰にも会いたくないし、誰とも話したくない。
周囲のすべての人間が疎ましい。
人々の笑顔が鬱陶しい。
他人の賑やかな笑い声が耳障りだ。

自宅に引きこもり、
他人を遠ざけたい。
部屋の
中で蹲っていたい。
酒に溺れていたい。

光がまぶしくて、
目を開けていることが辛い。
闇の底に堕ちてしまいたい。

なんだか知らんがグチャグチャだ。

・・・

今月もまた、
月命日が過ぎた。
少しは穏やかな気持ちを取り戻せるかもしれない。

自分が嫌いで、
人間が嫌いで、この世界が大嫌いだ。
だけど、
どうせ死ねないのなら、少しは穏やかに過ごしたいと思う。

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このブログには「闘病記」というカテゴリーがある。
このカテゴリーでは、かみさんが癌と診断された平成22年4月26日から、かみさんを看取る日までのことを書く予定だ


・・・

今回のブログのタイトルは、「嘘をついた負い目」。
このタイトルには、「闘病記」に纏わる深い意味がある。

闘病記」をすべて読んで下さった方ならご存知だろうが、俺はかみさんに嘘をついてきた。
平成22年4月28日、俺は癌研有明病院の医師から、「(かみさんの余命は)年単位ではない」と告げられた
それにもかかわらず、俺はかみさんに「大丈夫だよ。絶対に治るよ」と言い続けてきた。

かみさんに嘘をついていただけじゃない。
俺は自分自身をも騙し続けてきたのだ。

「容ちゃんは絶対に治る」
「容ちゃんは絶対に死なない」
そんなふうに、自分で自分に言い聞かせてきたのだ。

専門家であるはずの医師が、「余命は年単位ではない」と言ったにも関わらず、俺はそれを信用せず、かみさんは治る、かみさんは絶対に死なないと、自分自身に信じ込ませたのだ。

・・・

癌研有明病院の医師からは、「本人に余命を伝えた方がいい」、「もしあなた(俺のこと)が一人で抱えていたら、あなたの神経がもたない」と言われた。

だが、かみさんは、「万が一、自分の余命が3か月だったとしても、自分は知りたくない。プーちゃんにも知って欲しくない。お母さん達にも知って欲しくない。だって、みんな心配するでしょ?」と言っていた
かみさん自身が、自分の余命なんか知りたくなかったのだ

俺はかみさんの望みを聞いてあげたかった。
そして何よりも、かみさんに死の恐怖を抱かせたくなかった。
かみさんには希望を持ち続けて欲しかった。

だからこそ、俺は嘘をつき続けたのだ。

・・・

だが、嘘をついていたことは、俺の心の中に、「しこり」として残った。

最期の最期までかみさんに嘘を言い、かみさんの笑顔を守り通したことはいい。

でも、本当にそれで良かったのか。
俺は正しい選択をしたのだろうか。

それとも余命を伝えるべきだったのか。
事実を伝えることで、かみさんを死の恐怖に脅えさせることが、かみさんに対する本当の思いやりだったと言うのだろうか。

何度も自問自答した。
それでも俺は、納得できる答えを得ることができず、今でも煩悶している。

・・・

ただひとつ、確かなことがある。
かみさん本人が、「自分の余命が3か月だったとしても、自分は知りたくない」と言っていたこと。

その希望だけは、叶えてあげることができたんだ。

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