いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2017年10月

ずいぶんと古い曲の動画を掲載してしまった。
ふとしたことがきっかけで、この曲を聴きたくなって、You Tubeを探したところ、ようやく見つけた。

ちなみにこの動画、いつまで掲載されているかは分からない。
竹内まりやのオリジナル動画でなければ、いくらでもこの曲の動画はあるのだが、オリジナルはこれ一つしかない。
この動画も近日中に削除されてしまうに違いない。

 

言うまでもなく、この曲は「死別」の歌ではない。
だが、伴侶と死別した人にとっては、いろいろと想うところもある曲なんじゃないだろうか。

・・・

「夜ごと つのる想いに 胸を熱くした日々 
      ただ あなたのそばにいれば 幸せだったのに」

俺もそうだ。

かみさんが傍にいれば、俺は幸せだった。
かみさんのおしゃべりを聞いているだけで、俺は幸せだった。
かみさんの笑顔を見ているだけで、俺は幸せだった。

だがそんな日々は、20年で終わってしまった。

・・・

「重ねた時が いつしか 私を変えてた」

このフレーズを聞くと、胸が締め付けられる。
かみさんと俺とが出会ったばかりの頃と、何年も一緒に暮らした後のかみさんと俺。
その間、俺は変わっていったのではないだろうか。

かみさんが癌と診断される前、俺はかみさんと出会った頃と同じように、かみさんを慈しんでいただろうか。
分からない。

・・・

「同じ淋しさを今 ふたり 分け合っているだけ」

俺は「この世」にいて、かみさんは「あの世」にいる。
語り合いたくても、触れ合いたくても、できはしない。

淋しいのは俺だけじゃない。
かみさんだって、きっと淋しいはずだ。

・・・

「すれ違いの愛で 失った言葉が
     もうすぐ きっと よみがえるから このまま離れずに」

そうだ。
かみさんと俺は今、すれ違っている。
俺は「この世」から「あの世」に語りかけ、かみさんは「あの世」から「この世」に語りかけている。
だが、お互いの言葉はすれ違い、相手に届くことはない。

でも、きっと、もうすぐ届く。
俺のかみさんへの想いも、かみさんの俺への想いも、きっと相手に届くはずだ。

だから、このまま離れずにいよう。
お互いの想いは、きっと相手に届くはずだ。

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仏教の中には「一切皆苦」という言葉があるらしい。
この世のすべては苦しみである…という意味だ。

この世界は苦しみで満ちている。
一時期の俺は、
そんな当たり前のことを忘れていた。
かみさんと暮らした20年間、俺は世界のすべてが「苦」であることを忘れていたのだ。
忘れてしまえるほどに幸せだったのだろう。

かみさんと一緒にいるだけで笑顔になれた。
かみさんが隣にいてくれるだけで癒された。

たとえ離れていようとも、
心はいつでもつながっている。
そういう伴侶がいることで、俺は「
一切皆苦」を忘れてしまった。

・・・

あの20年間は何だったのだろう。
ひょっとすると、
夢だったんだろうか。

世界が苦しみで満ちているのなら、
あの20年間にも「苦」はあったはずなのだ。
それなのに、
かみさんと暮らした20年間、俺は苦しみを感じた記憶が無い。
もちろん多少の「苦」はあったはずだが、「この世のすべては苦である」などという絶望的な気持ちになったことは無い。

だが俺は、
世界のすべてが「苦」であることを知っていたはずなのだ。
両親にとって、「必要のない子ども」として生まれ、「いらない子ども」として育てられた。
あの日々、俺はこ
の世のすべてが「苦」であることを知っていた。
「一切皆苦」
が事実であることを、俺は知っていた。

だが、
俺はかみさんと出会った。
そして、苦しみから解放された。

・・・

かみさんが刹那の夢を見せてくれた。
生まれてきて良かったと思わせてくれた。

だが、
しょせんは夢だったのかもしれない。
かみさんが死んで、
俺は世界の実相を再認識した。

この世界は苦しみで満ちていることを思い出したのだ。


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仕事が終わって会社を出ると、最寄りの駅まで足早に歩く。
道の途中、俺は必ずかみさんに「帰るコール」をする。

かみさんが、「もしもし プーちゃん? 帰ってくる~?」
と電話に出てくれる。
俺は「今から帰るよ」と応える。
今日の夕飯は○○だよ~」、「気をつけて帰って来てね~」という彼女の声に癒される。

俺は電話を切って、家路を急ぐ。
たとえ身体が疲れきっていようと、心は軽い。

もうすぐ容ちゃんに会えるんだ。

・・・

家に帰れば、
容ちゃんが俺を待っている。

玄関を開けると、
明るい光と温かい空気が溢れてくる。
美味しそうな夕食の匂いも漂ってくる。

俺が「ただいま~」
と声を掛けると、かみさんは「おかえり~」と応えてくれて、玄関先まで俺を出迎えに来てくれる。

かみさんは嬉しそうな笑顔で俺を見上げてくれる。
まるで父親の帰宅を喜ぶ娘のようで、かわいくて愛おしい。

その後、かみさんの「マシンガン・トーク」が始まる。
その日にあった出来事を楽しそうに話すかみさん。
トイレに行くときも、風呂に入っているときも、俺の後にくっついて来て、おしゃべりを続けるかみさん。
俺がベッドに入って就寝しようとしても、「私の話を聞いてくれ~!」と叫び、おしゃべりを止めないかみさん。

そんな光景が毎晩のように繰り返されてきた。

・・・

かみさんが亡くなってから、俺は「帰るコール」
をする相手を失った。
帰宅する足取りは重たくて、
満員電車の中では深いタメ息をついている。
玄関を開けても家の中は真っ暗で、人の気配もなく静まりかえっている。

かみさんを求めて「
ただいま…」と呟く。
だが、「おかえり」
という声は聞こえてこない。

それがとても哀しいんだ。

・・・

たった一つの「おかえり」という言葉。
わずか四文字の短い言葉だが、この言葉には、全てが込められていた。

俺が存在するだけでいい。
俺の全てを受け容れよう。
そんなかみさんの想いが、「おかえり」
という言葉に込められていたんだ。

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まだ10月末のせいなのか、周囲に「年の瀬」の空気は感じられない。
だが、あと2か月だ。
一年は終わりを迎えようとしている。

かみさんが元気だった頃。
この季節を迎えると、
俺たち夫婦は年末年始に向けて準備を始めた。
年末から年始に掛けては、たくさんのイベントがあったのだ。

12月1日はかみさんの誕生日だし、12月24日はクリスマス・
イヴだ。
それを過ぎれば北海道に行き、
年末年始をかみさんの実家で過ごす。

かみさんの誕生日の前後には、
2泊3日で温泉に行くこともあったし、クリスマスの直前には、かみさんと義母が二人で海外旅行をすることもあった。

この時期は、かみさんと俺にとって、
忙しくも楽しい季節だったのだ。

・・・

かみさんと俺は、
20年間一緒に生きてきた。
たったの20回だったけど、
かみさんのおかげで楽しい年末年始を過ごすことができたのだ。

そのせいか、
この季節になると、俺のテンションは少しばかり上がる。
たぶん20年間の楽しかった想い出が、今でも脳裏に焼き付いているのだろう。

その記憶が俺を刺激する。
そして俺の気分は高揚する。

だが、それだけだ。
せっかく高揚した気分も空回りしてしまう。

だって、かみさんはいないんだ。
かみさんは死んじゃったんだ。
かみさんと一緒に年末年始を楽しむことはできないんだ。

・・・

かみさんの誕生日には、
ケーキやワインをお供えしてあげることしかできなくなってしまった。
クリスマスには何もせず、時が過ぎ去るのを待つだけだ。
12月の終わりには、かみさんの位牌と一緒に北海道に行き、義母や義弟たちと年を越すのだが、いまだに俺は、かみさんのいない正月に慣れることができない。

そんな年末年始が近づいてくる。
世間の空気が華やいでいく。

それとは反対に、俺はどんどんと寂しくなってしまうんだ。


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早朝の薄暗い部屋の中。
俺はかみさんの仏前に座り、
ロウソクに火を灯す。

ロウソクの光だけを頼りに、
かみさんに線香を手向ける。
そして、
かみさんの遺影と位牌を見つめる。
心が沈み、
かつ研ぎ澄まされていく。

そして、ふと想ったんだ。
もう二度と、
容ちゃんと話をすることはできないんだ。
もう二度と、
容ちゃんと触れあうことはできないんだ。
もう二度と、
容ちゃんの存在や気配に安らぎを覚えることもないんだ。

何もしてくれなくてもいい。
ただ傍にいて、
笑ってくれてさえいればいい。

たったそれだけなのに、
望みは決してかなわない。

それならば。
いったい俺は、
何のために生きているんだろう。
生きてる意味なんか無いじゃないか。

それでも俺には、
自死する勇気も度胸もない。
生きる意味なんて無いのに、
生きていかなければならない。

どうせロクでもない余生が待っている。
面白くもなければ、
楽しくも嬉しくもない。

求めても決して得られない。
ただ切なくて、やるせなくて、苦痛なだけだ。
ただ哀しくて、
寂しいだけだ。

あまりにもくだらない余生だ。
吐き気のするような余生だ。

それでも死ねないのなら、
生きていくしかない。

・・・

俺が今日まで生きてこられ
たのには、いくつかの理由がある。

ひとつには、
このまま堪え続ければ、いずれかみさんは還ってくるという幻想があるからだ。
あと何年か我慢すれば、かみさんと再会できるかもしれない。

だが、それは幻想ですらないだろう。
言わば、それは狂気だ。

もうひとつには、俺が死んだらかみさんに逢えるかもしれない…
という微かな希望があるからだ。
いつか必ず逢えるはず。
それなら死ぬまで耐えていこう。

だが、
あの世や死後の世界はあるんだろうか。
亡くなった人の魂は、
今でも生きているんだろうか。

そんな希望も心許なくて、
心が折れてしまうんだ。

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