いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2018年03月

俺の内部はボロボロだ。
肉体は壊れ、精神は崩れている。

かみさんが亡くなってから、俺は酒に溺れてしまった。
数年が経ち、俺は肝硬変と診断された。
肝臓が腫れ上がり、
焼けただれ、硬くなってしまったのだ。

そのせいで様々な症状が出ている。
最もシンドイのは倦怠感・
疲労感だ。
身体がいつでもダルいのだ。

まるでインフルエンザで高熱を出したみたいだが、それでも俺は、毎日出勤しているし、部下たちの前では「普通の人」のフリをしている。
身体のダルさを笑顔で覆い隠し、
元気で明るい人を演じているのだ。
耐え難きを耐え忍んでいるのだ。

俺がダルさに喘いでいることは、
お義母さんや2人の義弟のほか、友人のうちの数名にしか打ち明けていない。

・・・

肉体の崩れはどうでもいい。
耐え難いけど耐えるしかないからだ。

それよりも、精神の崩れの方が苦しい。

俺は自分の運命が憎い。
自分の置かれた境遇が憎い。
俺を取り巻く世界が憎い。

すべてを破壊してしまいたい。
だが、醜い心を笑顔で覆い隠し、
俺は明るく元気な人のフリをしている。

本当の俺の中には、
狂気が蹲っている。

狂気は大きな喪失感から生まれた。
世界で一
番大切な人を喪い、心臓を抉り取られ、半身を削ぎ落とされ、心を奪い取られた。

それでも死ねない肉体は、
狂気を纏うことによってバランスを取ったのだろう。

・・・

俺は世界が大嫌いだ。
人間が大嫌いだ。
人生が大嫌いだ。

だが、
最も嫌いなものは、自分自身なのかもしれない。
大嫌いな「
今ここ」から「退場」することができないのが俺だ。

そんな自分自身が大嫌いなのかもしれない。

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かみさんが俺を見守っている。
俺はかみさんの視線を受けとめている。
そして、
かみさんの存在を仄かに感じている。

しかし。
かみさんは今でも生きている…なんて言い切る自信はない。
かみさんの魂が、俺の傍らにいる…なんて確信もない。

かみさんの視線は、俺の内面が作り出した「幻想」
にすぎないのかもしれない。
かみさんの魂の存在は、俺の「狂気」
の産物にすぎないのかもしれない。

そうだ。
かみさんは亡くなってしまっただけじゃなく、「無くなってしまった」んだ。

だが。
たとえ死んじゃったのだとしても、最愛の人には生きていて欲しいんだ。
世界で一番大切な人が消滅してしまったなんて、俺には絶対に受け容れられないんだ。

だから俺は、かみさんの「
影」を追い続ける。
五感を研ぎ澄ませ、
かみさんの気配を探し求める。

いくら探したって、
存在しないものを見つけることはできない。
だが、それでも俺は、
探し続ける。

そうしているうちに何年も経って、
俺の肉体が朽ち果てる日が来るだろう。

朽ち果てる瞬間、
俺が何を見るのかは分からない。
探し求めていたものに出逢えるのかもしれない。
あるいは俺自身が消滅してしまい、「探し求める」という虚しい作業から解放されるのかもしれない。

いずれにしても、終末には「
救い」がある。

終末を迎える瞬間、
俺自身が消滅するのだとすれば、俺は執着から解放されるだろう。
終末を迎える瞬間、俺がかみさんと再会するのだとすれば、俺は至福の中で、永久に眠り続けることができるだろう。

俺は終末を待っている。
そこには解放がある。
そこには救いがある。

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土日や祭日の夕方から夜に掛けて。
この時間帯が、一週間の中で最もツラい。

哀しい。
寂しい。

苦しい。
虚しい。

落ち着かない。
居たたまれない。

やるべきことは何もなく、
やりたいことも何もない。
自分の身の置き場所が無いのだ。
自分の心を持て余してしまうのだ。

心がザワザワしていて、
何かに意識を集中することができない。
エネルギーが行き場を失って、俺の中で暴れている。
心を鎮めなければ、気が狂ってしまいそうだ。

こんなとき、
酒に溺れてしまいたい。
あるいは、ぐっすり眠ってしまいたい。

だが、朝から酒を飲んでいたせいで、これ以上、身体が酒を受け付けてくれない。
また、
睡眠薬を飲んで寝てしまうには、あまりにも早い時間帯だ。

心がザワつく。
破裂しそうだ。

安らぎが欲しい。
癒しが欲しい。

俺を落ち着かせてくれるのは、たぶん暗闇だけだ。

・・・

通勤電車の中。
会社で仕事をしている間。
部下たちと昼飯を食っているとき。

俺は独りぼっちではない。
俺はたくさんの人々に囲まれている。

だが、会社から帰宅した後。
あるいは土日や祭日。

俺は完全に独りぼっちになってしまう。
誰の姿も見えず、誰の声も聞こえてこない。
また、
誰にも姿を見られることはなく、誰にも声を聞かれることはない。

俺は世界から隔絶している。
孤独と空虚に耐えられない。

溶けてしまいそうだ。
崩れてしまいそうだ。
狂ってしまいそうだ。

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かみさんがいなくなって以来。
たまには禁酒をするけれど、
大抵の日は酒を飲んでいる。
ブランデーやウィスキーのような強い酒ばっかりだ。

かみさんが元気だった頃、俺は「楽しい酒」を飲んでいたが、
今は「逃避するための酒」になってしまった。

こういう酒はタチが悪い。
飲む量をコントロールできないからだ。

床に就く数時間前。
大抵の場合、俺は既に泥酔している。

酔っているのに寂しい。
酔っているのに虚しい。

だが、
仄かな希望も感じるのだ。
アルコールのせいで、
脳の機能が低下しているからかもしれない。

その「仄かな希望」
の正体は分からない。
あえて言えば、
寝ている間に何かが良い方向に変わっているような気がするのだ。

いったい何が変わるって言うんだろうか。

かみさんが生き返る…
こんなに嬉しいことはない。
だが、いくらなんでも、
これはあり得ない。

それならば、
俺はいったい何を期待しているんだろうか。
それが自分でもハッキリ分からないのだ。

ただ一つ、
確かなことがある。
朝目覚めてみても、
何も変わってはいないのだ。
何かが良い方向に変わっているはずだ…という「仄かな希望」は、いつだって裏切られるのだ。

そして俺は、絶望の朝を迎え
るんだ。

・・・

かみさんに逢いたい。

生き返ってほしい…
なんてムチャは言わない。
だがせめて、
かみさんの魂に触れたいんだ。
かみさんとの一体感が欲しいんだ。

そんな「仄かな希望」さえ叶えられずに朝が来る。
目覚めた俺は、
周囲を見回す。
何も変わっていない現実を直視する。

そして俺は落胆し、絶望するんだ。
俺はいつだって、「仄かな希望」に裏切られるんだ。


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昨晩、俺は夢を見た。
かみさんの夢だった。

夢に出てくるかみさんは、いつだって笑っている。

それなのに。
昨晩の夢の中で、かみさんは泣いていた。

かみさんの哀しみが、
俺に伝わってくる。
胸が苦しい。
心が痛い。

かみさんの涙を見るのは辛い。
かみさんだけは哀しませちゃいけない。
かみさんだけは泣かせちゃいけない。

やっぱり俺は、
かみさんを守る。
これからもずっと、かみさんを守る。


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