いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2018年06月

身体がダルい。
歩くことはもちろん、
立ち上がることさえシンドイことも少なくない。

全身が痛い。
あちこちの骨と筋肉とが悲鳴をあげている。

俺の身体が徐々に崩れていく。
それは「あの日」から、
ある程度は予想していたことだ。

死ぬこと自体は怖くはない。
かみさんの生前は怖かったけど、今はまったく怖くはない。

かみさんが息を引き取った瞬間。
周囲の世界は崩れ落ちてしまい、
俺の心も壊れてしまった。
それ以来、俺の中にあったはずの「
死に対する恐怖」は消滅した。

かみさんのところに逝けるなら、
こんなに嬉しいことはない。
死んだら「無」
になってしまうだけで、かみさんと再会したいという願いは叶わないかもしれない。
しかし、それは「解放」でもあり、決して悪いことではないはずだ。

だが、
死ぬまでの過程は問題だ。
激しい倦怠感や疲労感、
そして痛みが辛いのだ。

どんなに辛くても、生きている以上は、
やらなきゃならないことがたくさんある。

かみさんにお供えだってしてあげたいし、
墓参りだってしてあげたい。
会社にだって行かなきゃならないし、
出勤した以上は仕事をし、部下たちの面倒を見なくてはならない。
周囲に誰かがいれば、明るく元気なフリをして、雑談だってしなければならない。
休日になれば、
掃除や洗濯など、さまざまな家事だって不可欠だ。

あと数か月で死ぬのが分かっていたら、やるべきことを放棄して、ずっと寝ていることも可能だろう。
だが、死ぬまでの間、
どれだけの時間があるのか分からない以上、普通の生活をしなければならないのだ。

これって結構キツいことだ。
普通の人と同じ生活をしなければならないのに、心も身体も自由にならないからだ。

シンドイなぁ…と思う。
死んじゃったら楽になれるだろうなぁ…と思う。

だが最近、
無理やり命を絶つこともないかなぁ…と思い始めたのも事実だ。

それならそれで仕方がない。
心が壊れていようと、
身体がダルかろうと、踏ん張って生きていくしかないんだな…と思っている。

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かみさんが元気だった頃の週末。
俺たち夫婦は散歩ばっかりしていたような気がする。

実際のところ、散歩「ばっかり」していたわけではない。
外食したり、買い物に行ったり、映画を観に行ったりもしたのだが、
二人で一緒にのんびり歩いた想い出は、とってもやわらかくて温かい。

散歩をするのは週末だけではなかった。

ゴールデンウィークには、かみさんの実家に遊びに行った。
かみさんと俺は、北海道の爽やかな空気の中を散歩に出掛けた。

夏休みには海外を旅行した。
海で泳いでいるか、
マリンスポーツをしているか、オプショナル・ツアーに参加している時以外、かみさんと俺は、見知らぬ異国の街をのんびりと散歩した。

秋には国内の温泉地に行って、かみさんと俺は、
やっぱり散歩ばっかりしていたし、年末年始にかみさんの実家に遊びに行けば、二人で一緒に雪の降る街を散歩した。

そうだ。
かみさんと俺とが出逢った日から20年。
俺たち二人は、
そんなふうに過ごしてきたんだ。

だからだろう。
かみさんは言った。

80歳、90歳になっても二人で一緒に散歩しようね…

だが、
かみさんの願いがかなうことはなかった。
そして俺は、
かみさんの死とともに、散歩をしなくなってしまった。

・・・

かみさんが亡くなってから1年ほどが経ったころ。
俺は一度だけ、ひとりで散歩をしてみようか…
と思ったことがある。

遠くまで行か
なくてもいい。
せめて自宅の近所を歩いてみよう…
と思ったのだ。

だが、その時は途中で挫けてしまった。
かみさんと一緒に歩いた道で立ち尽くし、俺はボロボロと泣いてしまったのだ。

それ以来、
俺は一度も散歩をしていない。

・・・

土日や祭日。
俺は自宅に引きこもる。

朝から酒を飲み、眠りに落ちて、残酷な現実から逃避する。
目が覚めたら、バルコニーに出てタバコを吸う。

そのときだ。
俺は外気に触れる。
わずかに爽やかな空気を味わうのだ。

そして気づいたのだ。
本当の俺は、自宅に引きこもることが辛くなってきているのではないか。
そろそろ外の光を浴びたくなってきているのではないか。

家の中は壁に囲まれている。
閉塞感や圧迫感に潰されてしまいそうだ。

だが、散歩に出たら、この閉塞感から自由になれるのではないだろうか…

そうかもしれない。
自分の意識していないところで、俺は外気を欲しているのかもしれない。

それならば…
ひとりで散歩でもしてみようか…と思い始めた今日この頃なのだ。


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6月27日は、かみさんの祥月命日だ。
俺の最愛の人が逝った日であり、世界で一番大切な人が亡くなった日だ。

今年も俺は、
休暇を取った。
雑音を排除して、
静かにかみさんを偲びたいと思ったからだ。

数年前の6月27日。
あの日は1日がとても長かった。

かみさんが息を引き取ったのは、
早朝の6時52分。
死亡宣告の時のことは、
今でもはっきりと覚えている。

かみさんは笑顔を浮かべていた。
全身から神々しい光を放っているように見えた。

義母(
かみさんのお袋さん)は泣き崩れていた。
そして俺は、
茫然と立ち尽くしていた。

その後の記憶は残っていない。
いつの間にか、俺は病室を出てしまったらしい。
どこをどうやって歩いたのか知らないが、気づいた時には病院の駐車場で蹲っていた。

意識を取り戻した俺は、時計を見た。
すると、
死亡宣告から1時間近くが経過していた。
俺は急いで病室に戻った。
義母はまだ泣いていた。

だが、
俺は悲しむ暇も与えてもらえなかった。
かみさんを抱きしめる時間も与えてもらえなかった。
泣き叫ぶ猶予も与えてもらえなかった。
病院から出ていかなければならなかったからだ。

泣き崩れる義母を尻
目に、俺は荷物をまとめた。
そして葬儀会社の手配をした。

そうだ。
俺はあの日、泣くことを許されなかったんだ。

・・・

かみさんの遺体と一緒に帰宅した。
既に正午を過ぎていた。

その後、たくさんの弔問客が訪れてきた。
葬儀会社との打ち合わせもしなければならなかった。
通夜と告別式に参列してくれる姻族(かみさんの親族)のために、あちこちのホテルに予約の電話を入れた。

涙は出なかった。
半身を削ぎ落とされたような、心にポッカリ穴が開いてしまったような、何とも表現しがたい感覚を抱えつつ、俺は告別式に向けた準備に忙殺されていた。

そうだ。
俺はあの日、
泣くことを許されなかったんだ。

・・・

その日の夜。
弔問客たちが帰っていった。
告別式の準備もあらかた終えた。

俺はかみさんの遺体の隣に布団を敷いて、
かみさんに添い寝をした。
前日は一睡もしていなかったせいか、
俺はすぐに眠りに落ちてしまった。

俺はあの日、
一滴の涙も流さなかった。
身体から魂が抜けてしまったような感覚を抱えてはいた。
それでも俺は、泣かなかったんだ。

・・・

翌朝のこと。
目が覚めて、俺は隣を見た。
そこには、
かみさんの遺体が寝かされていた。

昨日と同じように、かみさ
んは笑顔を浮かべていた。

その笑顔を見た瞬間だった。
俺の中で「
何か」が切れてしまった。

そして…
俺は哭き叫んだ。

ようやく俺は、泣くことができたんだ。
ずっと我慢していたけれど、俺はようやく泣くことができたんだ。

・・・

昨日の6月27日。
命日反応はなかった。
鬱が酷くなることもなかったし、フラッシュバックが起こることもなかった。
どちらかと言えば、
穏やかな祥月命日だった。

だが…
次から次へと涙が零れてきた。
なんで泣いているのか分からなかったけど、涙を流し続けた。

今年の祥月命日は、そんなふうにして過ぎていった。


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現在6月26日の午前6時52分。
俺は通勤電車の中にいる。

身体がめちゃくちゃダルい。
その上、膝や腰、右脚の付け根など、
あちこちの骨に痛みが走る。
出勤するのは辛いので、
休暇を取ってしまおうか…とも思った。

だが、明日(6月27日)
はかみさんの祥月命日だ。
どうしても休みを取りたい。

2日連続で仕事を休むのはマズかろう。
仕方がないので今日(
6月26日)は出勤することにした。

・・・

数年前の6月26日。
あの日は土曜日だった。

かみさんはまだ生きていた。
痛がったり、苦しんだり
はしていなかった。

俺と笑顔で会話をすることもできた。
食事を摂ることだってできた。

翌日には息を引き取ってしまうなんて思ってもみなかった。

まだまだ大丈夫だと信じていた。
これから奇跡が起こるんだ…
と信じていた。
いずれは癌に打ち勝って、
かみさんは元気に退院するだろう…と信じていた。

そして…
かみさんと俺は、穏やかな日常を取り戻すんだ…と信じていた。

いや…
違ったのかもしれない。

たぶん「信じていた」わけじゃないんだろう。
俺は「
祈っていた」だけなんだろう。

数年前の6月26日、
俺は既に絶望していたのかもしれない。
だからこそ、心の底から「信じる」ことはできなかった。
それでもかみさんを失いたくなくて、俺は「祈り続けた」んだろう。

俺は絶望から目を逸らしたかった。
そして、奇跡を起こしたかった。

俺は「誰か」に祈った。
起こりえないことを起こすため、俺は「祈り続けた」んだ。

だが、俺の「祈り」に耳を傾けてくれる者などいなかった。

翌日の6月27日の午前7時前。
かみさんは笑顔を浮かべて静かに逝った。

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日常の感覚において、「恐怖」と「不安」とを区別することは難しい。
この二つの言葉が、
あまりにも似通っているからだ。

だが、
心理学や精神医学において、「恐怖」と「不安」とは明確に区別されているらしい。
対象がハッキリしている場合を「恐怖」と言う。
対象が不明瞭な場合、あるいは対象が無い場合を「不安」と呼ぶ。

言い換えるなら、
何が怖いのかを意識している場合が「恐怖」であり、怖いものが何も無くても襲われてしまうのが「不安」だ。

かみさんが癌と診断されたとき。
かみさんは涙を流した。
俺の世界は足元から崩れた。

かみさんは怖かっただろう。
かみさんに比べたら大したことではないが、あのとき俺も怖かった。

あの感覚は「恐怖」だ。
対象が明確だったからだ。

かみさんにとっては「自分自身の死」。
俺にとっては「自分の最愛の人の死」。
それらの対象が「恐怖」
の源泉だったのだ。

・・・

俺は最愛の人を喪った。
世界で一番大切な人を亡くしてしまった。
俺はすべてを失ってしまった…と思っていた。

だが、
かみさんの死によって得たモノもある…ということに気づいた。
それは「恐怖」からの自由だ。
何かを怖いと感じることがなくなったのだ。

もう失うモノは何もない。
奪われたくないモノも何もない。

それでも奪いたいと言うなら奪うがいい。
もちろん返り討ちにしてやる準備は万端だ。

最悪の場合でも、一方的に潰されることはない
共倒れになるだけのことだ。
俺と一緒に堕ちる度胸があるなら堕ちていこう。

そもそも俺は、自分自身が死ぬことに対する「恐怖」も失ってしまった
それが健全なことだとは言えないが、ある意味では楽でもある。

しかし、「恐怖」からは自由になったのに、別の何かが俺を拘束している。
それは、
腹の底から沸き上がってくる「不安」だ。
対象の不明確な不安感だ。
確かに何かが怖いのに、
自分が何を恐れているのか分からない。

対象が特定できるなら、
抑圧することもできるだろう。
だが、
対象が見つからないようでは如何ともしがたい。

それでも俺は、
立ち直ったフリをしなければならない。
普通の人を演じ、
社会に適応していかなければならない。

それはとっても苦しいことだ。
それはとっても切ないことだ。

おそらく、これが「生き地獄」というものなんだろう。

そうだ。
地獄というものは、「あの世」にあるのではない。
もしも地獄があるのなら、それは「今ここ」にあると思うんだ


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