いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2018年08月

8月30日の木曜日。
午前5時半すぎに目が覚めた。

全身がダルかった。
身体が重かった。

体内の酸素が不足しているんだろうか。
頭はボンヤリしていたし、
呼吸が荒かった。
寝不足ではないはずなのに、
眠たくて仕方がなかった。

それなのに…
心の中は、
仄かに温かかった。
目覚める直前、
かみさんの夢を見ていたからだ。

どんな内容の夢だったのか。
それを長々と語ろうとは思わない。

ただ、嬉しかったのだ。

夢の中でかみさんと逢えたことは、もちろん嬉しい。
だが、
それだけじゃない。

夢の中のかみさんと俺は、
かみさんが元気だった頃の俺たち夫婦の姿のままだったのだ。
夢の中での俺たち二人の関係性は、かみさんが元気だった頃と変わっていなかったのだ。

茶目っ気があって、甘えん坊で、まるで”娘”のようでありながら、ときおり見せる”母”のような強靭さ。
俺に依存しているようでいて、しっかり俺を支えてくれる包容力。

俺は、生前のままの彼女の姿を見たのだ。

・・・

かみさんが亡くなってから数年が経つ。
かみさんの記憶は次第に断片化していく。
そして、
かみさんの肌触りを想い出せなくなっていく。

愛おしいという想いは今でもあるのに、あの頃どんなふうに愛おしかったのかを想い出せなくなっていく。
幸せだったという記憶はあるのに、どんなふうに幸せだったのかを忘れていく。

しかし…
たくさんの記憶の断片が集まって、それらが一つに結びつく瞬間があるのだ。
かみさんとの幸せだった日々の全体が、リアルな像を結ぶ瞬間があるのだ。

かみさんが”今 ここ”にいるかのような安らぎを覚える。

その瞬間はとても儚い。
リアルな像は、一瞬で雲散してしまう。

だが…
それらの瞬間があるからこそ、俺は今でも生きている。

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管理職なんてやっていると、社員の個人情報に触れる機会が少なくない。
別にそんな情報は欲しくないのになぁ…と思う余計な情報まで入ってくる。
それらが少しばかり鬱陶しい。

そんな情報の中に、かつての部下たちの情報が混ざっていることがある。
俺がまだ、
係長や課長補佐だった時代の部下に関する情報だ。

あの頃、
かみさんは生きていた。
俺の隣にはかみさんがいて、
かみさんはいつでも笑っていた。

俺は幸せだった。
かみさんが俺を幸せにしてくれた。

自分が幸せならば、
心に余裕が生まれるものだ。
心に余裕があれば、
赤の他人をも幸せにすることができる。
そんな俺のことを、部下たちはずいぶんと慕ってくれた。

俺は明るくて元気だった。
今のように、「元気で明るいフリ」
なんてする必要はなかった。
こちらが元気であれば、
周囲にも良い影響を与える。
そんな俺に、
部下たちはずいぶんと懐いてくれた。

俺が昇進して部署を異動しても、元部下たちは、頻繁に飲み会に誘ってくれた
俺が異動するたびに、
飲み会に誘ってくれる元部下の人数は増えていった。

だが…
かみさんが亡くなった直後、俺は自らの意思で元部下たちとの交流を断った。

みんなが放つ幸せそうな光に耐えられなかったからだ。
みんなが纏う幸せそうなオーラが辛かったからだ。

しかし、
元部下たちの情報が入ってくると、やはり気になってしまうものだ。
みんな、
今頃どうしているんだろう…と考えてしまうのだ。

今さら元部下たちと交流したいとは思っていない。
できることなら、以前と変わってしまった俺の姿など見せたくはない。
だが、
みんな元気にしているんだろうか…と考えてしまい、見なくてもいい個人情報にアクセスしてみたりもするのだ。

そして…
俺は悲しくなる。

みんなが幸せに暮らしていることを知るからだ。
結婚し、
子どもが産まれ、幸せな家庭を築いていることを知るからだ。

別に、元部下たちの不幸を願っているわけじゃない。
ただ、
なんで俺だけなんだ?と思うのだ。
大きな落差に愕然としてしまうのだ。

なんで俺だけなんだ?
あまりにも不条理じゃないか!

俺はいまだに自分の境遇に納得していない。
俺はいまだに自分の運命を受け入れていない。

そして…
そんな自分の醜いココロにうんざりしてしまうのだ。


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6月27日から28日に掛けてのこと。
俺は真夜中に目覚めてしま
った。

目覚めたとは言っても、完全に覚醒したわけではない。

全身の筋肉は完全に弛緩していた。
目を開けることもできやしなかった。
寝床から出ることもできやしなかった。

意識はあるのだが、
ボンヤリとしていた。
まるで酩酊しているかのようで、
俺の意識は辺りを漂っていた。

その時だ。
誰かが俺に話し掛けてきたような気がした。
相手の声に対し、
俺も心の中で応じた。

すると、相手はまた俺に話し掛けてきた。
そしてまた、俺は心の中で応えた。

二人の会話が静かに続いていた

とても和やかで、安らかな時間だった。

そのうち相手が女性で
あることに気づいた。
さらに会話を続けていると、次第に相手の輪
郭がハッキリとしてきた。

ボンヤリした意識の中で、
俺が会話をしていた相手。
それは、かみさんだった。

・・・

その時の会話を振り返る。
そして、”あのとき容ちゃんはどこにいた
んだろう…”と考える。

すると、かみさんは俺の「中」にいる…
と感じられる。

何故そんなふうに感じるのかを言葉で説明することはできない。
単に、俺がそう実感しているだけなのだ。
自分の心臓のあたりに、彼女の存在を感じるのだ。

かみさんは死んじ
ゃった。

だけど…
かみさん
は案外、近くにいるのかもしれない

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仕事が終わったら自宅に向かった。
同僚との飲み会が終わったら帰路に
就いた。

その他、どんなことでもいい。
外出して用事が済めば、俺は家
路を急いだ。

俺の足取りは、いつだって軽やかだった。
何故だかウキ
ウキしていたらしく、鼻唄を歌いたくなるような気分だった。

家に帰れば、かみさんが待っていたからだ。

かみさんは、両手
を広げて俺を出迎えてくれた。
かみさんは、満面の笑顔で俺を迎え入れてくれた


かみさんがいるから、俺は還ることができたんだ。
みさんのいる場所こそが、俺の還る場所だったんだ。

・・・

周囲に
は、誰もいない。
俺は「ひとり」だ。

そんな時、頭の中はカラッポで
、俺は何にも考えていない。
周りの風景が目に映ってはいるし、さま
ざまな音も聞こえてはいるし、ベタつく空気が肌にまとわりついている。
だが、それらと関わる意思はないし、それ
らも俺に関わってはこない。

ただ、なんとなく淋しくて、なんとなく哀しいんだ。
そして、とても虚しいんだ。
災害級の猛暑だと言われているのに、心の中は薄ら寒い。

俺は深いタメ息をつきながら、独り言を呟く。
そんな時に呟く言葉は、いつだって同じだ。

俺は「還りたいな…」
と呟くのだ。

・・・

かみさんのいる場所こそが、俺の還る場所だっ
たんだ。
それなのに、かみさんはいなくなっちゃった。
俺は還れる場所を失ってしま
ったんだ。

もうどこにも還れない。
もうどこにも戻れな
い。
それは分かっている。

それでも俺は、「還りたいな…」と呟き続ける


それはきっと、還れる場所があるからだ。
還れる場所を失ってしまったはずなのに、それでも還れる場所があるのかもしれないのだ。

その場所は、たぶん「
この世」にはない。
だが、「あちら」にならば、あるのかもしれない。

たぶん俺は、そのことを知っているのだろう。
俺の心の深層は、
俺にも還れる場所があることを知っているのだろう。

だからこそ、俺は「
還りたいな…」と呟くんだ。
だからこそ、俺は全身全霊で渇望するんだ。

俺もいつかは「境界線」を越える。
その日が来るまでは、還りたくても還れない。
それは、とても淋しくて、とても哀しいことだ。

だが、いずれは必ず「境界線」を越える。

越えた瞬間、俺は至福の光景を見るはずだ。
俺が求め続け、探し続けていた風景が見えるはずだ。

そこには、かみさんが満面の笑顔で待っているはずだ。


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かみさんが癌だと診断される前。
かみさんが俺の隣にいることは、
当たり前のことだと思っていた。
あまりにも当たり前すぎて、
隣にいてくれるという「奇跡」に感謝の気持ちを持っていなかった。

そんな俺だ。
かみさんを傷つけたことがあったかもしれない。
かみさんを不安にさせることがあったかもしれない。
かみさんは、
俺の想いに疑念を抱くこともあったかもしれない。

もしそうだとすれば、俺は最低だ。
一生を掛けて、
かみさんに償いをしなければならない。
俺は死ぬまで懺悔を続けなければならない。

きっと俺の罪悪感は、
俺の心と身体を破壊してくれるだろう。

・・・

かみさんが癌だと診断された後。
かみさんが隣にいてくれることは、当たり前のことではなく、「奇跡」なんだと気づいた。

かみさんを守ろう。
かみさんを救おう。
そして病気が治ったら、今まで以上にかみさんを大切にしよう。

かみさんにたっぷり愛情を注いであげよう。
かみさんに、「
私はプーちゃんに愛されている」と信じさせてあげよう。

病が完治した後に想いを馳せながら、俺は全身全霊を擲った。

もう一度、チャンスが欲しかった。
癌を克服し、
なんの不安や恐怖もない平穏な日常の中で、かみさんをたっぷり愛してあげる、そんな時間を持ちたかった。

・・・

かみさんの闘病中。
俺はかみさんの全てを受け容れた。

かみさんと俺との濃密な時間。
今ここに、かみさんがいてくれる「
奇跡」に感謝した。
20年間一緒にいた中で、
二人の絆が最も固く結ばれた時間だった。

だが、やはり「奇跡」
だったのだ。
かみさんは死んでしまった。
残されたのは、
もっと愛してあげたかったという想いだ。

かみさんがいない今、
その想いは行き場を失い、空回りしている。

やっぱりそうだ。
かみさんが隣にいてくれたのは、ひと時の夢であり、「奇跡」だったんだ。

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