いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

2018年09月

かみさんが元気だった頃。

かみさんと俺は、
ときおり老後の夢を語り合った。
俺が会社を定年退職した後、
二人でどんな生活をしようか…と語り合った。

今までどおり、
二人で一緒にたくさん散歩をしようね…
映画もいっぱい観ようね…

プーちゃんに料理を教えてあげるから、
毎日一緒にご飯を作ろうね…

退職しても、
毎年海外旅行をしようね…
国内の観光地にも、いっぱい行こうね…

俺が退職するまでに役員になれたら、別荘を買おうね…

そして。
二人で一緒に死ねたらいいね…
死ぬときは二人一緒がいいよね…

俺たち二人は、老後に想いを馳せた。

老後といえば、
人生の晩年であり、終末の匂いが漂っているはずだ。
それにも関わらず、かみさんと一緒に語り合う老後には、温かい光が射していた。

・・・

かみさんの闘病中。

俺たち夫婦は、
かみさんの病気が完治した後の日々に想いを馳せた。
病気が治ったら、どんな生活をしたい?…と俺が聞いた。

かみさんは応えた。
これからもずっと一緒にいてね…

海外旅行なんかしなくてもいい。
別荘もいらない。

ただひとつだけ望むことがあるとすれば、私と一緒にいて欲しい。
かみさんが望んだのは、それだけだった。

・・・

かみさんが死
んでしまった。
老後の時間を共にするはずだった伴侶を亡くしてしまった。

独りぼっちの老後は、陰惨な影に覆われている。
語るべき夢など何も無い。
そもそも語り合う相手がいない。

もう俺には何も無い。

死ぬときは二人一緒がいいよね…
これからもずっと一緒にいてね…

そんなことを語り合っていた頃に還りたい。


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何故なんだろうか。
俺自身にも分からない。

悲しいんだろうか。
淋しいんだろうか。

苦しいんだろうか。
惨めなんだろうか。

自分でも理由が分からない。
思い当たるフシが無いのだ。

ふとした瞬間。
激しい感情が、身体の中心から沸き上がる。
その感情は、血管や神経を通じて全身に行き渡る。

そうなったら止められない。
涙が噴き出してくるのだ。
俺は慟哭し、嗚咽するのだ。

しかし、
頭の片隅には冷静な俺がいる。
冷静な俺は、
咽び泣く自分を観察し、自分の内面を覗いている。

だが、
やはり分からないのだ。
なぜ自分が咽び泣いているのか、
どうしても分からないのだ。

覗いてみると、内面は決してカラッポではない。
そこには何らかの感情がある。
輪郭がボヤけているせいか、
つかみ所がないのだが、ある種の感情が確かに暴れている。

その正体の分からない感情が、俺を慟哭させ、嗚咽させるのだ。

・・

かみさんが亡くなってからの数年間。
俺は自分の中で暴れる感情の正体を知っていた。

あれは「悲しみ」
だった。
俺の生涯において、最も激しい悲しみだったのだ。

だが、
時間の経過に伴って、「悲しみ」は「哀しみ」へと姿を変えていった。
ゆっくりとだが、確実に、
俺は悲しみから自由になっていった(と思っていた)。

悲しみとは違い、哀しみは激しい感情ではない。
とても深いが、
穏やかでもある。

昨年の4月頃からだったろうか。
死ぬまで哀しいかもしれないが、それはそれで仕方がない…と諦め始めていたところだった。

・・・

悲しみから自由になって、
哀しみとともに生きていく。
そういう覚悟ができていた。

それなのに、俺の中から激しい感情が噴き出して、俺の全身を揺さぶり、俺の心を破壊しようとする。
そして俺は慟哭し、嗚咽する。

あの激しい感情の正体が分からない。
しかし、俺のよく知っている「何か」に似ているのだ。

その「何か」とは
「悲しみ」だ。
忘れていたはずの悲しみに似ているのだ。
哀しみに形を変えた…
と思っていたのに、悲しみは今でも俺の中にこびり付いているのだ。

おそらく俺は、
悲しみに慣れてしまったのだ。
慣れ過ぎてしまったがゆえに、
その感情の正体が不明瞭になっていただけなのだろう。

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かすり傷であれば、いずれは修復するだろう。
傷は跡形もなく消え去って、自分がどこに傷を負ったのかさえ忘れてしまう。

だが、
大きく深い傷を負ったとき、それは決して消えることがない。
ザックリと抉れているせいか、他人の目を引いてしまうのだ。

他人は「その傷、どうしたの?」と聞きたがる。
仕方がないので「
この傷はね…」と教えてあげる。

どうして傷ができたのかが分かると、他人は満足そうな表情を浮かべて去っていく。
好奇心が満たされたのだろう。

そうだ。
他人はいつでも飽きっぽいのだが、傷が他人の好奇の目を惹き付けるのは事実なのだ。

しかし…
傷を負っている本人にとって、傷は自分の一部分だ。
痛いのだ。
激しい痛みに叫びたくなるのだ。

だが、
誰もが叫びを抑えている。
叫んだところで他人が手を差し伸べてくれるわけではないからだ。
他人は傷には関心があるが、痛みには興味がないからだ。

だから、
みんなが痛みに耐えている。
あまりの激痛に顔を歪めてしまうことはあるだろうが、決して叫び声をあげたりはしない。

誰にも気づかれないように、
心の中で慟哭し、悲鳴をあげているのだ。  

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誰もが何かを持っている。
他のモノとは違う「特別な何か」を…
だ。

決して代替できない何かを持っていること。
自分の命よりも大切な何かがあること。

それは、
人間に生きる力と意味とを与えてくれる。

だが、その「
特別な何か」を失ってしまうこともあるらしい。
そんなことがあり得るなんて、想像したこともなかったし、周囲を見回したって、失った人なんて見当たらない。

しかし、
この世界の片隅には、「特別な何か」を失ってしまった人々が蹲っている。
決して俺だけではない。
自分の命を賭してでも守りたい「特別な何か」を失って、絶望を見てしまった者たちがいるのだ。

・・・

他のモノであれば、
失ったって大したことではない。
失った当人は、
ちょっぴり悲しいかもしれないが、悲しいのは失った直後だけだ。

自分は「特別な何か」を失ったんだ…と思い込んではいるが、それは決して「特別な何か」ではなく、代わりはいくらだってあるんだろう。

失っては新しいモノを探し、
また失っては代わりを見つける。
そうやって、かつては「
特別な何か」だと思われていたモノは、棄てられて、忘れ去られるのだ。

・・・

人間にとって、「特別な何か」
を見つけられることは、とても幸せなことだと思う。
だが、
いずれは「特別な何か」も失われてしまうのだとしたら、それは不幸の始まりなのかもしれない。

むしろ、「特別な何か」
を持っている者たちよりも、いくらでも代わりの利くモノだけを持っている者たちのほうが、安楽な人生を送っていけるような気もする。

そうだ。
人間は、あまり入れ込み過ぎないほうが良いのだ。
人間は、「特別な何か」など持つべきではないのだ。

何事も淡白にやり過ごし、何物にも執着せず、何者をも愛さない。
そんなふうに生きていく方が楽なのだろう。

象に踏み潰された我が子の死体を食うメスライオンを見たことがある。
しょせんは動物に過ぎない人間ならば、そんな生き方だってできるはずだ。

愛することがなければ、悲しむこともないのだろう。

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かみさんが亡くなってから数年の間。
祥月命日はもちろんのこと、
毎月の命日が近づくたびに、俺は「命日反応」に襲われていた。

が止まらないというわけではないし、悲しくて耐えられないというわけでもない。
ただ、かみさんがかわいそうだ…
という強い想いと、訳の分からない罪悪感、そして深い鬱と、心の真ん中に蹲る不安感に苛まれてきた。

月命日をスルーできるように
なったのは、ごく最近のことだ。
今年の祥月命日(6月27日)が
過ぎた頃からだったと記憶している。

・・・

9月も下旬に入った。
また月
命日が近づいてきた。
今月もスルーできるだろうと思っていた。

れなのに…
ここ数日間、俺の中で何かが起こっている。

不安なのだ

心がザワザワするのだ。
鬱がひどくて無気力なのだ。

かみさんと
一緒に通った道を歩いてみた。
かみさんと一緒に見た風景を眺めてみた。

あの頃は確かに、かみさんが俺の隣にいた。

俺は記憶を手繰り寄せ、かみさんが俺の傍らにいた頃の光景を思い描いた。
そして、
俺は周囲を見回した。
かみさんの痕跡を探し求めたのだ。

だが、
かみさんはいなかった。

哀しかった。
淋しかった。
もう彼女はいないんだ。

あの頃は幸せだったな…と思った。
あの頃に還りたいな…と思った。

・・・

かみさんの死とともに、俺の中の大
切な部分が欠けてしまった。
その欠落を埋めることはできないが、
目を逸らすことならできるだろう…と思い込んでいた。

だが、欠落
はいつだって、自分の存在を誇示しようと身構えている。
俺はシカ
トを決め込みつつ、日常生活を普通に送っているつもりだった。

しかし…
月命日が近づくたびに、俺はその欠落に圧倒されてしまうんだ。

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